第6話 イカイカイカ
聖夜の夜、関東全域の魔法少女が参加する史上最大の作戦の裏で、栞は初めて新米魔法少女3人だけでの巡回任務に就く。
緊張する栞だが、仲間たちに支えられながら強敵に挑む
数十倍に拡張された視力がマンションの外壁にへばりつく、ほとんど透明の怪物の姿を捕える。
災夢は普段この世界に並行して存在する異次元に棲息している。別の次元にいる限り、この世界に影響を与えることも、与えられることもない。彼らは人の精神活動に伴って生じる微弱なエネルギーのようなモノを糧にしているのだが、元来は次元を超えて染み出す残りカスの様なものを捕食して満足しているにすぎない。だが、突然変異種が次元を超え、我々の次元で捕食活動するに至ったものが 災夢だと考えられている。
先ほどカリンが感知した2%という顕現率であれば一般人が注意して見たところで、薄い"もや"のようにしか見えない。そんな状態でも本来の次元いるときの何百倍の濃度で精神エネルギーを堪能できるのであり、こちらの次元と僅かに接触するような形で潜行するのが彼らの常套手段である。
25階建のマンションの丁度真ん中あたりにうっすらと、へばりついている巨大な影。コアとなる部分だけで建物3階分の大きさはあろうか。
栞たちは魔力を燃やし、次元の境界の向こう側を覗きこむ。
その姿はイカの足を持つヤドカリといったところか。外壁一面にめいっぱい吸盤の着いた足を広げ、背中に背負った貝殻からウミウシのような頭を生やしていた。
その動きを見ているだけで粘液の絡みつくネチャネチャという音が聞こえてきそうだ。
胴体から延びる一本一本の足の長さは優に10メートルはあり、胴体部分だけでも路線バスほどの巨大さである。
「あれはクラーケン・タイプだ。カテゴリ『ビースト』のAランク。大海原へと冒険に出ようとする者たちを無残にも屠る者。人々の冒険心を捕食し、既知の世界という牢獄に閉じ込めようとする存在……らしいよ」
カリンは瞬時にデータベースから対象のデータを検索する。
カテゴリ『ビースト』とは3つある災夢のカテゴリの一つで災夢の中ではもっともありふれた存在である。ほとんど本能だけで行動し獣並みの知能しかないことから名付けられた、らしい。
そしてAランクとは、『ビースト』の中で最も危険な存在であることを表し、複数人での対処が義務付けられていた。
Aランクとの戦闘はこれまでに数度だけ。どれも結果は辛勝である。3人での臨戦を想定していた中でほぼ最悪の相手だった。
栞、かりん、ナツ。チームで活動する彼女たちにはそれぞれ役割があった。
栞はアタッカー。速やかに敵に止めを刺す。
ナツはタンク。敵の攻撃を引き付け、アタッカーのために攻撃の機会を作り出す。
かりんはクラウド・コントローラー。戦場全体を操り、作戦を妨害する要素を排除する。
(敵は一匹。フルパワーで全弾ぶつければ30秒は稼いでやるぜ)
(5秒で接敵、20秒で撃破。5秒も余る計算ですわね)
(大丈夫。私がきっと仕留めてみせる)
この程度の打ち合わせであれば言葉はいらない。
聖夜は家族団欒の時間だ。あのマンションに灯る一つ一つの明かりに、それぞれの家族がある。それを邪魔する災夢を許すわけにはいかない。
3人だけでこの敵を倒す、その意志は一致していた。
まず動いたのはかりん。
かりんのコスチュームは黒と黄色を基調としたミツバチのモチーフだ。背中にカワイイ羽が生えていてぶるぶる震えるギミック付き。空は飛べない。コードネームは『デパートメント』(魔法少女はお互いをコードネームで呼び合うこと『魔法少女のしおり』20頁。これもあまり守られてはいない)。
私物の革製ショルダーバックで中には、彼女とは不似合いの一升瓶が3本まとめて収納されていて、ひょっこり頭を覘かせている。腰に下げていたスコープ付きのロケットランチャーに一升瓶を詰め込むと、敵に向かって狙いを定め、発射した。
それが、作戦開始の合図となった。
弾道は一直線に伸び吸い込まれるようにクラーケンの頭部に命中した。爆散した一升瓶は液体をまき散らして、やがてそれは不透明な紫の霧に姿を変えた。それは瞬く間に拡散して周囲を覆い尽くす。この霧は可視光線はもちろん、特殊なエネルギー波をも拡散し、災夢の持つ魔法的な視覚さえもシャットアウトする。
『百薬の長』。アルコール類の化学的性質を自由に変化させる固有魔法である。
そのころ、ナツはクラーケンの真下へと移動していた。
ナツのコスチュームは、全身銀色の甲冑を纏う騎士がモチーフである。ただし、他の魔法少女同様に太ももが露わになっていて、脚甲の内側に伸びる革製のガーターベルトだけが肌を覆っていた。右手には繊細な装飾が施された細身の長剣。左手には表面が鏡のように磨かれた丸い大盾が握られていた。コードネームは『スターリング・シルバー(銀の小星)』。彼女自身は2番手を表す銀という色を非常に苦々しく思っているのだが、そのことは誰にも漏らしたことはなかった。
彼女は頭の真上を見上げ、霧の薄くなっている部分を確認すると外壁を一気に垂直方向に駆け上がる。
1
2
3
4
ナツはわずかな外壁の凹凸を足掛かりに左右に飛びながら、連続して剣を振るう。
10本ある足の1本を切り裂いたにすぎず、ダメージは微々たるものだ。しかし、傷を負ったクラーケンの姿は一般人の肉眼でもハッキリと見えるほど明らかになっていた。
すべての魔法には世界の境界を曖昧にする性質がある。
こちら側の次元界から魔法の作用を受けた対象は、こちらの世界に引きずり込まれる。この強制的顕現を彼女たちは『釣り上げる』と表現する。その存在の大部分を晒してしまえば、再潜行は容易ではない。
クラーケンは壁に張り付けている足のうち3本を引きはがすと、反撃とばかりに白銀の騎士目がけて先端を突き出す。高速で突き出される一撃はさながら鋼鉄の杭打機の様だ。
三方からの同時攻撃に対し、ナツは自由落下に身を任せつつ盾を巧みに使てそのすべてを躱す。さらにもう一度。無傷のままに地面へと着地した。
「顕現率90パーセント。これで十分でしょう」
同時にクラーケンを包みこんでいた紫色の霧が赤く変色し、次の瞬間爆発した。さらに、かりんの発射した2発目の擲弾が追い打ちをかける。今度は黄色い油状に姿を変え、クラーケンの吸盤から摩擦力を奪う。そうなれば当然その巨体を支えきることはできず、ずるずると壁を滑るように落下する。
ナツは空から降ってくる敵を迎え撃つべく両手に力を込める。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
普段のナツからは想像できないような雄叫びが発せられた。振るわれる毎に剣速が増していき、ほぼ同時に8度切り付ける。クラーケンの足から肉のようなものがごっそりと抉られていく。確かに手ごたえはあった。
地面ギリギリでふんばりをみせた足からも力が失われ、クラーケンの巨躯が地面に叩きつけられる。切り離された二本の足が宙を舞う。
しかし、この化け物にとって足の一本や二本はいくらでも替えが効くものなのだろう。痛みに震えるでなく、怯えるでなく、ただ黙々と目の前の邪魔者を排除しようとする。
地面に着地したことは、すべての足を自由に使うことができるようになったことを意味する。8本の足を巧みに操り、正確無比な一撃一撃を叩きこんでくる。
ナツは紙一重でこれを躱すけれど、わずかな接触が体に強烈な衝撃を与え、少しづつ体力を奪っていく。盾が、鎧が、純粋な力の作用によって変形していく。
剣技、知略、体術そのすべてを費やしても避けきれない攻撃がいよいよナツを襲う。
タイトル:「異界か烏賊」
何も考えてないタイトル。モルダー、あなた疲れているのよ……(元ネタ:Xファイル)