第4話 最後の晩酌
樹と栞は魔法少女の秘密基地へと足を運ぶ。あるはずの首なし遺体はなく、ドロドロに溶けた粘体だけが残されていた。栞には先輩魔法少女殺害の容疑。タイムリミットは24時間
「ああ、つまりその、メグミさんはその何とかって化け物に襲われたのか?」
「災夢よ。でも、違う。たぶん。災夢は夜に活動するの。人の精神活動が活発な昼の間は、奴らの活動は阻害されるらしいわ。もちろん、例外はあるけど魔法少女を一撃で……するような強力な災夢が昼間から誰にも気付かれることなく行動しているはずがない、そう考えるべき」
栞がこのマンションに訪れたのは昼の11時ころ。その日の朝まではメグミが元気に生きていたことはみんなが確認しているそうだ。
「じゃあ、いったい?」
「魔法少女を殺せるのは魔法少女だけ……本部はそう考えてるの」
「仲間同士で殺し合ったっていうのか? そんなバカな話が……でも、親しい関係の人間が不意をつけば案外簡単に……例えば第一発見者……犯人を処刑……って、あ、ああ、あああ。分かった、分かったぞ、もしかして、アレか。アレなのか」
栞は黙ってうなづく。
「そう。私が疑われている。濡れ衣だけど……処刑される。身内殺しは絶対に許されない」
今度は冤罪事件の容疑者ときたもんだ。樹は入れかわり立ちかわりに押し寄せてくる難問を前に目頭を押さえ、天を仰いだ。
「オジサンも見たでしょう。私の得物は大型のナイフ。人の頭を切り落とすにはぴったりのアイテムだよ」
「冤罪……『逃亡者』ってわけだ。身の潔白を証明するには犯人を捕まえるしかない!」
「でも、無理だよ。全く予想もつかない。メグさんを殺そうとする誰かなんて」
そこまでいうと栞は立ち上がり、くたびれた様子で冷蔵庫から1本のボトルを取り出す。シャンパングラスを2本用意すると、泡立つ琥珀色の液体を注ぎ込んだ。
「もう限界だ。私は飲むよ。オジサンもどうぞ」
少女は乾杯のジェスチャーとともにグラスの中身を一気に飲み干した。ぷはーと深いため息をつく。
「ノンアルコールのシードルだよ」
「それだと発酵させた林檎ジュースじゃねーか」
そっと一口。おお、と思わず感心してしまう旨さだ。微発泡した濃厚な果汁の味わい。りんごの自然な甘味とフレッシュな香り。ちょっと特別な気分になれる一杯。
「頭を使いすぎてもう限界。私、一つだけ気になってたことがあったんだ。それをオジサンに確かめてもらいたかったんだ。メグミさんが本当に首を斬られて殺されたのか。それとも死んでから首を斬られたのか。それも、メグさんの体がないから無理だよね」
疲れているんだろう。そのままソファーにごろりと横になる。
「死因の特定というわけか。確かに頭がないというインパクトに誤魔化されて、そこまでは疑わなかったな。それで、もしかしたら潔白を証明できるのか。確かに首を斬られたとすれば大量の出血があったはずだ。スプリンクラーで洗い流された?そんなことがありえるのか。ルミノール検査をすれば……」
「冬場は、ホットシードルにして飲むとおいしいんだけどね」
残念だが、今あのキッチンを使いたくないという点で意見は一致していた。
栞の表情は半ばもう諦めてしまっているように見える。
樹もあれやこれやと知恵を絞るが、容疑者のいない犯人探しだ。答えなど出るはずもない。
ただ一つだけ、これだといえる思い付きがあった。
「なぁ、これは思い付きなんだが、君はあの遺体を見て、どうしてメグミさんだと思ったんだ。状況からそう判断しただけじゃないのか。つまり、何が言いたいかといえば『顔のない死体がああれば入れ替わりを疑え』って奴なんだ」
これが推理クイズであれば、かなり確信を突いた意見じゃないかと自負する。頭のない遺体。それは理由も無く作り出されるものではない。
「指を見れば分かるよ。間違いなくメグミさんの指だった」
「ゆ、指!? 他人の指の形とか覚えてるの。女の子ってそういうとこあるよね。お兄さんには理解できない」
「オジサンは異性を顔だけ見て判断するタイプなんだね」
「ば、バッカ野郎。男はな、パーツじゃなくてラインで見てるんだよ。大事なのは連続性であり曲線なんだよ。お分かりか」
樹は腰のラインやふくらはぎのラインが大好物なのだが、女子中学生相手にそれを熱弁するのは恥ずかしいので、ここは適当に誤魔化した。
「メグさんとは10ヶ月毎日一緒にいたんだ。シルエットでも見間違うはずもないし、別人なら匂いも違うはず」
そうと断言されてしまうと入れ替わり説は撤回するしかない。まぁそもそも入れ替わり説は何か事件を解決する類のモノでもなく、新たな謎を生むだけの思い付きでしかない。樹には知らされていない情報があまりに多すぎてピースが埋まらない。例えば、人並外れた生命力を持つ魔法少女に止めを刺すには、頭を切り落とすのが一番だというような、魔法少女なら誰しもが聞いたことのある毒っ気の利いた言い伝えもなど知る由もない。
樹はシードルのグラスを手に取ると今度はぐっと喉でそれを味わう。すぐさま、空になった2つのグラスそれぞれにシードルを注ぎ入れる。
「なぁ、二人でアメリカに逃げるってのはどうだ。海の向こうまでは、その本部の魔法少女なんかもやってはこないだろう。いや、追ってきたならそれでもいい。ボニー&クライドだ」
「誰それ? 無理だよ。ここには仲間がいる。私が逃げればみんなが代わりに罰せられる」
「仲間か。あと二人いるのか。四人組なんだろ。いいな、ビートルズだって四人組だ。『ウルフルズ』も『ケツメイシ』も『ゲスの極み乙女。』も『岸田教団&THE明星ロケッツ』だってそうだ」
「なにそれ、全部わかんない。メグさんは先輩でね、私たち3人はルーキーだったんだ。もし、私が処刑されるなんてこと知ったら、二人とも私を助けるために死ぬまで戦うと思うの。だから、そうなる前に私は死なないといけないんだ……」
「なんだよ、それ。まったく、そんなことってさ」
樹は目頭が熱くなるのを感じていた。
そんな自分の顔を見られたのかと慌てて栞の顔を覗きこむと、スースーと寝息を立ててすっかり眠り込んでいた。
そこに居たのは何の変哲もない一人の女子中学生だった。
◇
タクシーから降りると、栞をお姫様抱っこにして玄関の階段を登る。
影咲邸は、高級住宅街の一角にあった。無骨な印象のコンクリートの高い壁に囲まれた3階建ての建物で、1階部分には窓も扉も無く、ただ玄関口から二階部分へと昇る階段がある。景観よりもセキュリティを最優先したのだと正面から主張してくるデザインである。
「セクハラじゃないぞ。セクハラじゃないからな」
お経のように言い訳を唱えながら、玄関のドアまでたどり着くと預かった合鍵でドアを開ける。あんなところやそんなところを触っただろうと詰問されれば否定はできない。だけれど、樹の方だって記憶に何も残らないくらい動転していた。
人生でこれほど女性と密着した経験はない。いや、女と考えるからよくないのだ。相手は子供じゃないか。子供に男も女も無い。意識するから悪いのだ。樹は大学時代の悪友のことを思い出そうとした。アイツは女だったが、一度だって異性だと思ったことはない。そう、あの感じで接すれば問題ないはずだ。
あのままマンションにいることも出来たが、いくら何でもそれは危険が過ぎるだろう。それに精神的もキツイものがある。だから無理をしてでもここへ来た。
玄関のある2階部分。広々としたリビング。窓からはプール付きの中庭が目に入った。影咲家は官僚一族で、嫡流である栞の父親は裕福な暮らしをしていたようだ。庶民には憧れの豪奢な家だがそこに全く生活感がなく、家具類には布が掛けられたままで、もう数年来使われた様子がなかった。
3階へ上る。家の間取りは事前資料で頭に入れてあった。両親の部屋、客室、弟の部屋そして栞の部屋。
栞の部屋へ足を踏み入る。壁紙やカーテンは爽やかな水色。青を基調に黄色のアクセント。それが栞好みの色彩なのだろうか。ベッドと学習机。本棚にクローゼット。女子中学生の部屋にあるべきものが普通にある。そんな雰囲気。だが、すべてが整然としていて怖いくらいに整いすぎていた。何もないはずの部屋が、女子中学生の部屋の振りをして装っている。そんな印象さえ受ける。
樹は、栞をベッドに寝かせると一人リビングへと降りていく。
「おやすみ。栞ちゃん」
◇
ソファーに腰かけるとポケットから2台の携帯電話を取り出す。
そのうち1台は、栞のものだ。荷台をケーブルでつなげると画面に表示されたインジケータを見つめる。
「俺は家族にだってプライバシーはあると思うよ。だけど緊急事態だからな」
樹は生まれたばかりのクローン携帯を操作して、乙女の秘密へと迫る。
これを知ったら彼女は嫌がるだろうな。女の子が嫌がるのなら、つまりそれは楽しい事に決まっている。
認証は問題なくクリア。クローン化の時点でセキュリティはすべて解除されている。
メール、メッセージ、写真、動画。
魔法少女に関するものは何もなかった。最低限のセキュリティ意識だろう。
だが、相手は所詮は女子中学生。交友の範囲は社会人と比べてずっと狭い。件の親友はすぐに特定できた。彼女たちは日課のようにお互いの写真を撮っていたので、すぐに顔と名前を把握することができた。
『蜂屋敷 かりん』
『藤壺宮 鳴月』
『恵さん』
膨大な写真はそれだけの時間、彼女たちが一緒にいたということの証明でもある。手作りのパンケーキ、道端に咲く小さな花、ハムスタと戯れる少女たち。どれも樹の生きていた世界にはなかったものだ。そして、その何気もない風景から恥ずかしくなるくらいに幸せそうな気持ちが伝わってくる。
タイトル「最後の晩酌」
元ネタはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」。
『逃亡者』は1963年から1967年まで放送されたアメリカの人気ドラマ。
1993年にはリメイク映画化。2020年には日本版ドラマが作成された。
『ボニー&クライド』、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカーとクライド・バロウのカップル。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化された。『俺たちに明日はない』(1967年)など 。