第3話 首なし遺体のメソッド
自死に臨む者に纏わりつく性悪ネズミ、レミングを撃退した栞。これが魔法少女たちの敵?混乱する樹だが、栞からある場所への同行を頼まれると、二つ返事で引き受ける。
全身に酷い脱力感を覚えた樹だったが、実のところ事態は半歩ほど改善したにすぎない。任務完了とばかりに寝具に身を委ねるわけにはいかない。
樹がどんな間抜けでも、今目の前で起こったことが常識の枠外の出来事だってことは理解できる。彼が知らないもう一つの世界のルール。そういったものの存在さえ予感させる。人類史に残る大発見だ。何から理解すればいいか、頭の整理も追いつかない。
栞が自死を決意した原因が、『魔法少女』としての何かに起因していることは間違いない。原因を取り除くのが最優先事項。それだけじゃない。化け物じみたネズミ退治。栞があんな危険なことを毎日繰り返しているのだとすれば、大人として、親代わりとして何としても止めさせなければならない。スケールが大きいんだか小さいんだかよく分からないことになってきた。
「なぁ、ところでさ。魔法少女って何なんだ?」
すっかり元の制服姿に戻った少女に向かって問いかける。栞は落ち着いたかのように見えるがかといって進んで打ち解けてくれる様子はない。
「知らない。辞書でも引けば」
冷たくあしらう栞。
「辞書に載ってるわけないだろ」
愛想のなさに内心少し腹を立てる樹だが、この質問は彼も悪かった。相手が人間だからといって、人間ってなんだ?と聞けば誰もが困惑する。ホモ・サピエンスなのかホモ・ルーデンスなのか。そんな議論をしたいわけではない。
魔法少女って何なんだ?そんな難しいことは当事者だって考えたことがなかったのだ。
「さぁ、まずは家に帰ろう。ゆっくり休んで、それからこれからのことを考えるんだ。俺が頼りになる男だってところを証明してやるよ」
時間ならある。新しい生活の中で少しづつ情報集めといこうじゃないかと仕切り直す樹。その出鼻をくじくように栞が一つの提案を口にする。
「オジサン。それよりも先に一緒に行ってほしいところがあるんだ。あそこには戻りたくないけど、もしかしたらオジサンが役に立つかもと思ったんだ」
掴みどころのない態度の彼女の方から積極的に頼りにしてもらえると悪い気はしない。樹は二つ返事で引き受ける。
雑居ビルを後にするとき、日はすっかり沈み、夜のとばりが街を覆っていた。
とんだ騒動のあったこの雑居ビルだが今は深い静寂の中にある。樹は二度と訪れることのないであろうこの場所をもう一度だけじっと見つめた。
◇
影咲栞は小学校5年生のある日、一夜にして家族をすべて失った。父と母と弟である。
残された唯一の肉親であった叔母が彼女の後見人となったが、その叔母影咲鼎は放任主義で、栞が一人で実家で暮らし続けることに異を唱えなかった。
彼女を孤独の中に置いたことが正しかったのか、樹は意見をするつもりはない。ただ、中学2年生となった頃から、栞が夜な夜な街を徘徊するなど望ましくない行動が増えたと学校からの連絡と指導があったことから、樹に後見人代理としての仕事が舞い込むことになったのだった。かくして因果は紡がれた。
「おー、ウィキペディアに記事はあったぞ。魔法少女とは……ふむふむ。へー、「秘密のアッコちゃん」が最古の魔法少女なのか。なぁ、知ってるかアッコちゃん」
栞に導かれる形で二人は夜の街を歩いていた。会話のない時間に堪えきれなくなって、わざとらしい反応で気を引こうとする樹。それがまた栞の気に障る。
「知らない」
「マジかよ。アッコちゃん知らないのかよ。サリーちゃんは?魔女っ子メグは?」
「知らない、知らない」
「じゃあ、あれか。プ●キュア世代か」
「それはアニメでしょ。お話と現実は違うの。そういう話すると怒る子もいると思うよ」
「ん? ということは君以外にも魔法少女はいるのか」
「当たり前でしょ。この世界で私だけが特別だなんて、そんなことがあると思う?」
「いや、魔法少女ってだけで特別だろ」
栞は呆れたように首を振る。
「私たちはそれぞれ担当地域を持っている。私たちの班は、希望が丘市とその周辺を担当しているの」
「担当地域? それでそれで、君たちはそこで何をしているんだ。あのネズミみたいなのを退治して回ってるのか」
「レミングは雑魚よ。もっと危険な奴がいっぱいいる。アイツらは災夢。いろんな種類がいるわ。別名悪しき夢。人の可能性を食す夢魔たちよ。災夢を滅するのが私たちの役割」
「なぜ君が? 誰かに命じられているのか? 誰がこの事を知っているんだ」
「ああ、もう質問ばっかりだね。知りたいことは、そのうちに分かるはずだよ。今は知っておいてもらわないと困ることだけを伝えておくよ」
そこで栞は足を止め、頭上を見上げる。そこにあるのは30階建てのタワー型マンション。
普通の家族が普通に暮らしている。そんなどこにでもある風景。
「24時間後、私は処刑される。できれば、それまでに無実を証明したい」
樹は頭を抱えた。まだまだ前途は多難のようだ。
◇
中層階のある部屋の入り口が開かれた。間取りは1LDK。短い廊下を抜けると10帖を越える広々としたリビング・ダイニングが目に飛び込んで来た。樹の家よりもずっと広い。
テレビの正面に設置されたソファセットを中心に収納ボックスやハンガーラックなどが雑然と配置されている。クッションもラグも棚に並べられた他愛のない置物もすべて女子中学生の部屋だと言われれば納得の明るくて可愛らしいもので満ちていたが、どこか統一感がなくめいめい好き勝手に持ち寄ったような印象を受けた。
「ここは?」
「秘密の部屋」
「魔法少女のアジトってわけか」
「違うよ。秘密の集合場所だよ」
男の子でも女の子でも秘密基地みたいなのものは大好きなんだなと納得する。
コーヒーテーブルの上には、マグカップが4つ出しっぱなしになっている。
栞が樹の袖をクイっと引き、部屋の右隅を指さした。その先にはアイランド型のキッチンがあった。調理スペースが独立していて、四方どちらも壁に接しいていないデザインのことだ。開放的な雰囲気で多人数で調理をするのに向いている。栞たちは普段はここで仲間たちと料理を楽しんだりしていたのだろうか。
そのキッチンからは不快な湿気と独特の薬品の臭いが漂ってきていた。
「オジサン。キッチンの裏側を見てきて。驚いちゃだめだよ」
栞は怯えた顔をしていた。こんな彼女を樹は初めて見た。ここは頼れるお兄さんの登場だ。
息を吞んで、警戒しながらゆっくりとキッチンへ近づいていく。壁一面には水滴がへばりつき、天井からもぽたりぽたりと滴り落ちる。原因はスプリンクラーだと気付く。
ここで何があったのか。火の元になったようなものは見当たらない。
いよいよ覚悟を決めてキッチンの向こう側を覗きむ。樹がそこで見たものは?
「おい、何もないぞ」
「本当に? 誰か倒れていない」
「ああ」
誰かだって?人一人が隠れていればさすがに見落とすはずがない。あらためてキッチンを覗き込む樹は、代わりに床に貯まる緑色のドロドロした粘体の塊を見つける。量はよせて集めればバケツ一杯分くらいはあるだろうか。
「なんだこのドロドロは? 栞ちゃんが言ってたのはこれのことか?」
「栞ちゃんはやめて」
思春期の女の子は面倒くさいものだ。
「しおりん?」
「影咲さんと呼んで下さい」
「いや、鼎さんも影咲だから」
「じゃあ、栞さんでいいです」
何かに怯えた様子の栞は、息を荒くしてゆっくりゆっりと歩み寄っていく。
両手で口を押え、何か恐ろしいものを見るかのように床にあるそれを覗き込む。
樹は両手でドロドロをすくうと、泥遊びをする子供のようにそれを両手でこね回す。
「なんだかわらび餅みたいだな」
樹は縦に長ーく伸ばしてみては、大きな玉に戻してみたりして弄ぶ。
「ちょっと食べてみようか」
ペロリ。指に着いたそれを口に入れる。
「だ、ダメよ」
慌てて止める栞。「これは何だ」という問いに対しては「分からない」とだけ答え首を横に振る。
「甘かったよ」
栞は器に入れてそれを保管するように指示すると、疲れた様子でソファーに座り込んでしまった。
手ごろなボウルにドロドロを移すと栞を追う樹。
事情が分からないといいたげな樹に、栞はそっとスマホの画面を見せる。
そこには、まさにあのキッチンに倒れている一人の女の子の姿があった。いや、きっと少女だろうと推測することしかできない。
なぜなら、それには、その遺体には、首より上が無かったからである。
「今日の朝、私が見つけた。そのときはまだ何かがこの部屋に潜んでいて、写真を撮ることで精いっぱい。たぶん敵は追い払ったと思うけど、すぐに増援もあるかもしれないから……私はこの部屋から飛び出して……逃げた……そうすべきじゃなかったかもしれなかったけど……私はそう教わっていたから……」
「彼女は誰なんだい?」
「メグミさん。私たちのリーダー。もう死んでいたんだ、見殺しにしたわけじゃないって友達は言ってくれた……」
「あ、ああ。首より上がない。死んでるよ、間違いなく死んでる。絶対に死んでる。君が見つけたときはもう死んでたんだよ」
樹はゆっくりと栞の背中をさする。
「本部の命令で現場はそのまま保存しろって。だけど、確かめたくってオジサンに来てもらったんだ。遺体はない。敵が運び出したか、本部の人が回収したのかな……」
「どうなんだろうな。あのドロドロは、最初からあったのかい」
「ううん。なかったよ。あの時はそんなものはなかった」
「はは、まさか人を溶かす怪物みたいなのは……いないよな?」
「……」
栞は否定も肯定もしない。樹は、湧き上がる吐き気のようなものを飲み込むことで背一杯だった。
首なし遺体のメソッド
何となく元ネタは「鍵泥棒のメソッド」。語感だけであまり意味的なつながりはない。
鍵泥棒のメソッドのメソッドは「メソッド演技法」のこと。役柄について徹底的なリサーチを行い、役柄がおかれた状況を擬似的に追体験する事によって、演技プランを練っていく方法論のことらしい。
本話のタイトルにはそういう意味はない。
魔法少女まどか☆マギカのマミさんが第3話でマミったこととも特に関係ない。