第2話 愚者の行進
ビル屋上から飛び降り自殺を試みる栞を説得する樹。栞の決意は固かったが一瞬のスキをつき樹は彼女を抱きしめる。そこに現れた謎の化け物。栞は実は魔法少女で……
慌てて顔を上げた樹の目には、奇妙な服装をした少女の姿があった。
意匠はかろうじてセーラー服がベースだと判る。細部にまで美麗な装飾が施されていて、黒基調に統一されている。制服にするには前衛的すぎるデザインだった。
そして、何よりも特徴的なのは太ももが露わになるほどの極端なミニスカート。
つい先ほどまでそこにいた少女の制服とは明らかに違う。歌劇の世界から飛び出してきたような過剰装飾の姿。
その表情は、顔の半分を覆う金属製のバイザーで隠されている。それでも、彼女が栞であることは間違いなかった。
「私がレミングを呼びよせてしまったのね……」
誰に言うでなく独りつぶやく。
彼女は、腰に下げていた武器を抜く。人の腕先くらいある巨大なナイフ。それが左右に二振り。栞は慣れた手つきでそれを振り回し、
タン
タン
樹の目の前にいた巨大なネズミを脳天から串刺しにする。
そのまま一気にナイフを頭上に振り上げ哀れな死体を放り投げると、薙ぎ払うようにナイフを振り回しながら他のレミングたちへと近づいて行った。
レミングたちは、樹の目に止まらないほど俊敏に跳び回り、四方八方からターゲットを絞らせまいと翻弄しつつ栞に迫ろうとする。
だが、栞の対応はそれを上回っていた。一閃、二閃。武器を振るうたび瞬く間にレミングたちは数を減らす。
「危ない!」
動く影を見て樹が叫ぶが、すでに栞は反応した後だ。
レミングは四方から同時に襲いかかるが、栞は姿勢を低くし、床をすべるように跳躍してこれを避ける。床に手をつくと、そのまま宙返り。距離を取って姿勢を整える。
襲いかかるレミングたちの攻撃を左右に躱しつつ、わずかな隙をついて1体1体とわき腹を切り裂いていく。
レミングたちは栞に触れることさえできなかった。
実力差は圧倒的に見えたが、それでも戦いは終わらない。
ビルの陰から次々と現れるレミングたちは際限がない。その目はやはり呆けているように焦点が合っていない。瞬く間にその数は50を超えた。
鼻をひくつかせるとヒヒヒと不気味に笑った。
栞の全身から漏れる死の香りは、レミングたちを最高級のご馳走へと誘っているのだ。
「何なんだこいつらは?」
「レミング。人を自殺に誘う性悪の鼠よ。逡巡している人間に纏わりついて、高いところから落下させるのが通常なのだけど、腹が減ってるときは集団で人間を襲ってそのままビルや崖から放り投げることも多いらしいの」
栞は冷静にそう説明する。
「人を食うのか?」
「いいえ。こいつらが食うのは死を想う人の心。死ぬ瞬間それは爆発的に密度を増し、こいつらの腹を満たすというわけ」
「なーるほど、そういうわけ……」
もちろん、そんな”ワケ”で納得もできるワケがないのだが、こういった日常が壊れる瞬間を樹は嫌いではなかった。出来れば20代前半で経験しておきたかったイベントだったけど。
目の前で切り広げられる活劇は止まらない。樹は、ただ栞の戦いぶりに見惚れていることしかできなかった。あれこれと質問ばかりするのは格好が悪い。
レミングと呼ばれる化け物、武器は鋭い前歯と巨体による体当たりだった。
野暮ったい見た目とは裏腹に俊敏に動き回り、致命傷を与えることはないが集団で裂傷を与え続け相手の体力を奪うのがその戦術のようだ。とにかく数で押す。
次から次へと湧いて出てくるこいつ等の攻撃をすべて避ける栞の動きはまさに超人的だった。
もし、あそこで戦っているのが樹なら、あの鋭い前歯も不要だろう。なにせあのスピードだ。体当たりの一撃であっという間に意識を失い、後は煮るなり焼くなり屋上から投げ落とされるなりされるのだろう。
自殺者として新聞の隅にその名を飾るには樹だったのかもしれない。
そうか。彼女が今ここで戦っているのは俺を守るためか。樹は気付いた。
さっきまで生気を失っているように見えた彼女が寸分の迷いもなく攻防を繰り広げている。
彼女は他人を守るということのためにあんなにも真っ直ぐになれるんだ。
樹は心の中で声援を送り続けたが、そんなものは不要とばかり栞の動きはさらに鋭さを増した。
明らかな劣勢を苛立ちが頂点を迎えたのか、レミングの一匹は甲高い叫び声のような音で鳴いた。
屋上一帯が淀んだ影に呑みこまれる。レミングたちがどこからやってくるのか、その疑問の答がそこにあった。
たゆたう影の一部、黒いシミのような半透明の何ものかは少しづつその色を深めていき、やがて見慣れたネズミの姿であることが分かった。その姿が鮮明になるにつれ、彼らはその狂気じみた本能のまま行動を開始する。この屋上を覆う影全てが、次元を渡ってこようとするネズミたちの仮初の姿なのだと樹は理解した。
両足にまとわりつく影を慌てて払う。
気が付けば無数のレミングたちが周囲を埋め尽くし、淀んだ影は今や渦巻く獣の群れへと姿を変えていた
栞はその真中へと身を投げ出し一匹また一匹と獣たちの首を刎ねていく。しかし、今度は倒れる数よりも湧いて出てくる数が勝っている。殺到するレミングの一匹が彼女の肉に歯を突き立てる。
「卑怯だぞ」
樹はレミングスたちに向かって思わずそう叫ぶ。栞は表情を変えることもなく淡々とレミングたちの首を刎ね、最後は列なした敵をまとめて一気に切裂いた。
最後の愚か者が飛び上がり一直線に栞の頭部を狙おうとする。しかし、それが最悪の選択であることは素人の樹にも理解できた。宙を飛ぶそれは『ただの的』だ。栞が強烈な蹴りを喰らわせると醜い顔をさらに歪ませて地面にボトリと落ちた。
もはや決着がついたことを悟ったか、残ったレミングたちは黒い影へと姿を戻していった。
ニャーと鳴く猫の声が戦いの終わりを告げた。
「血が出てる」
樹は栞の腕を指さす。
「悪い血が抜けて、丁度いい感じ」
「君はいったい……。」
樹はバイザーを上げた栞を呆然と見つめる。
栞は少し照れた表情で、きまりが悪そうに答える。
「私は魔法少女よ」
タイトル『愚者の行進』
黒人霊歌の一つ『聖者の行進』とタロットの大アルカナ『愚者』から。
『愚者』は崖っぷちに立ちながら、そのことに気付いていない旅人の絵が描かれている。