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第1話 ボーイ・ミーツ・ガール

樹に預けられた訳アリ少女。JCの頭の中なんて1ミリも理解できない彼になぜか親代わりが任された。しかも、出会ってすぐ事態は最悪の一歩手前まで悪化してしまう。

 まったく空回りばかりの人生を送ってきたものだ。

 黒いスーツ、原色のシャツに中折れ帽。憧れたドラマの探偵の見よう見まねだ。今じゃ顧みられることもなくなった男の中の男。勇気、信念、決断力。優しくそしてタフでないといけない。付和雷同の軟弱な世論になんて迎合しない。人生はビター風味で、ようはハードボイルドなソレだ。

貴宮樹(あてみやいつき)は子供の頃に抱いた理想を追い続けた。馬鹿正直に諦めることを知らずに。時代錯誤でどこか滑稽な装いが語るのは現実を相手にもがき続けた生き様であると同時に、時代に置いていかれたまま孤立した男の成れの果てだ。おおよそ30年、平凡さに抗い続けてきた彼は何者にもなれないままに、ただかつてあった熱のようなものだけが全身から失われていた。

 それでも、与えられた仕事は完璧にこなしたい。そういうプライドといら立ちは消えてはいない。

 廊下の照明も所々明滅し、まともに管理もされていない様子の雑居ビル。樹は屋上に向かって一心不乱に駆け上がる。最後の扉をあけて、屋上に辿り着いた彼はようやっと少女と再会する。そのときには既に事態は最悪の一歩手前だったのだけれど。


 黄昏どき、裏通りにある雑居ビルの屋上。吹きすさぶ寒風が少女の体をくらりと揺らす。ひょいと飛び乗った縁石は、靴一足分の幅しかない。不用意なことに転落防止用の柵などはなかった。ほんのわずか重心が外側に傾けば少女の体を支えるものはない。声を上げる暇もなく一直線に10階分の重力加速度が彼女を地表へ叩きつけることだろう。

 まさに最悪の結末だ。それを大げさだと非難する者はいないと信じたい。


「オジサンもしつこいね。どうしてココが分かったのかな? まあいいや。私のことはもう放っておいてよ」


「一体何がどうなってるんだ。いくら俺のことが嫌いだからって、飛んで逃げようってのはそれこそ論理の飛躍だろ」


「ははっ。今日会ったばかりのオジサンのこと嫌いになったり好きになったりできるわけがないよ。ホント、オジサンはただタイミングが悪かっただけ。だから、今日は全部忘れておうちに帰ろうか」


「俺がそんな薄情者だと思われてたのがショックだよ。目の前でガキが生きるか死ぬかって状況をほっぽり出して、ぐっすり安眠できるわけがない。とにかく落ち着こう、どこかで話し合おう」


「私は落ち着いているよ。とても澄んだ気持ちなんだ。遠い、遠い、海の声だって聞こえそうだ」


「海ってどこだ。お台場か、それとも羽田空港か。それが、そんなにありがたいモノか。見てみろよ、多摩川ならすぐそこだぞ。色々な水鳥が集まってるぞ」


 樹は多摩川に何の思い入れもなかった。でも、多摩川について語っている方がずっと楽だ。

 少女は中学3年生。年頃の少女が一体何を考えているのか彼には全く理解できない。だが、今回の彼に与えられた任務は、この訳アリの少女の面倒を見ること。それも親代わりとして。

 親代わり、つまり一つ屋根の下で一日三食を共にするということ。昼ごはんは学校だから、この場合は一日2食か。いや、「朝ごはん食べていきなさい」「ごめーん、時間がないからパス」「夜更かししているから朝起きられないのよ」みたいなこともあるかもしれない。

 そんな寸劇を毎日のように見ず知らずの少女と演じ続けなければならないのか。そんなことを考えるたびに胃がキリキリと痛む。


「そんなところに突っ立ってさ。まさか、本当にそこから飛び降りるつもりじゃないよな。どうしてだ、なぜそんな必要がある。俺に分かるように説明してくれよ」


「うーん、面倒くさいから答えない」


「人の命を何だと思ってんだ。もっと真面目に答えろよ」


「ウザ説教親父……」


「は……はぁ?」


 少女、影咲栞かげさきしおりは古風な紺色のセーラー服に身を包んだ中学3年生。まだ幼さの残った顔は、夕暮れ時にもかかわらず疲れなど知らないといわんばかりのみずみずしく健康的な肌を見せていた。整った顔立ちは、ただそこにいるだけで他人の嫉妬を買うことだろう。そして胸上のラインまで伸ばしたストレートの黒髪は艶やかに輝き、調和のもとに清楚な第一印象を形作っている。

 ただその瞳は見つめる先をまっすぐに射貫くような鋭い視線を放ち、彼女の内にあるただならぬ強い意志を示していた。

 

「栞さん。君に一つだけ言っておく。俺はオジサンじゃない。それは俺がまだ二十代だからってことじゃない。俺はな、まだ、青春の悩みとか分かってやれるとこ見せつけたい年頃なんだ」


 それがもうオジサンの思考だとツッコむ者はいなった。


「何それ? 説明したって無駄だから。オジサンには絶対に理解なんてできないことが起こっているの。青春とかそういうのじゃないんだから」


 樹はまだ自分が彼女と同じ”(がわ)”にいると信じていたが、そうだとしても二人の間には15年もの時間のずれがあった。自分があのくらいの歳のころ、何を考えて、どう生きていたのだろうか。もう思い出すことさえできない。まして彼女のような年頃の少女が一体何を考えているのかなんて全く理解できなかった。それは余りに異質で、まるで異界異形の神々の如く思えた。では、あの頃の少年樹であれば、彼女と心を交わすことができたのだろうか。意味のないことばかり頭に浮かぶ。

 打開策などないまま、樹はじっくりと、だが確実に、じりじりと間合いを詰めていく。残り5メートル……3メートル……駆けよれば一瞬の距離。それでも、まだ足りない。

 ポーカーフェイスを装っていても、実のところ今にも胃の中のすべてを吐き出してしまいそうな緊張感の中にあった。ところが、少女の方といえば顔色一つ変えず平然とした様子でビルの谷間の底を見つめている。今から死のうという人間にあんな表情ができるのか。

 

「俺は君の叔母さんに約束したんだ。君が大学に合格するその日まで、キッチリ面倒を見るってな。この仕事だけは何が何でもやりとおす。そのつもりでここにいる」


「それは残念だね。私だって誰にも迷惑をかけないで死ねるだなんて思ってはいないんだ。迷惑をかけるけど、そこは大人の責任だと割り切って叔母さんにもよろしく説明しておいて、オジサン」


「なんだよ、それ。死にたいっていうなら、その気持ちぶつけてみろよ」


「死にたいとは思わないよ。でも、死ぬしかないんだよ。思い付きなんかじゃない。ずっとずっと考えて、そうして導き出した正解なんだ」


「そんなんで、俺が納得できるかよ。君に会うために……たった数日でも……俺だって……色々考えた。それでも他人かよ」


「ねぇ、飛び降りってさ、足から落ちるケースが多いんだって。でも確実に死ぬには、やっぱり頭から落ちないとね。ちゃんと死ぬのは簡単じゃないんだなぁ」


 とぼけた風だが、それはいつまでも問答を続けるつもりはないという冷酷な宣言。

 

「はん。飛び降りじゃあ綺麗には死ねないぞ。骨はバラバラ、内臓ぐちゃぐちゃ、体中の穴という穴から血を噴き出して、血だまりの中で血塗れでお陀仏だ。ぞっとするね」


「綺麗には死ねない、か。それはちょっとやだな」


「俺はそんな君の死体をこの目に焼き付けてやる。一生忘れてやらないぞ。」


「うわぁ、それは嫌がらせとしては最高だね」


 くすりと笑い声をもらすと栞は体を樹の方に向け直し、両足をそろえて背筋を伸ばす。


「でも、私の気持ちは変わらないよ。私ね、最期のときは一人静かにいたいんだ。少しでも私を憐れんでくれるならさ、このまま私を放っておいてくれないかな」


 栞は静かに、しかし力強く樹の瞳を見据える。この意志の強さ、それがきっとこの子の本質なんだな。一度決めたことは何が何でもやり通すこの感じ、(かなめ)さんに似ている。樹はどこか、現実離れした感覚の中、そんなことを考えていた。

 だったら、どんな言葉が彼女を止められるのだろうか。


「今ここで死ねばゼロなんだ。やらないと、もっと大切なものを失ってしまう。だったら、答えは一つじゃない?」


 栞の言葉に迷いはなかった。

 樹に残されたのは敗北を受け入れ、全てを諦めるためのわずかな時間だけ。

 目を瞑って、そして再び開いたその時には、そこにはもう誰もいないかもしれない。

 だが、不意に一筋の涙が流れた。

  その表情とは裏腹に

   その言葉を裏切って

    少女の頬に弧を描いた。

 理解を超えた肉体の反応を打ち消すかのように、慌てて両手で涙をぬぐう。

 同時に樹は動いた。一歩二歩と足を踏みしめると、両手を広げ、優しく栞を抱きしめた。


 「え? 何してるの」


 突風が吹き二人の体がぐらりと揺れる。


 「俺が間違っていた。家族なら言葉じゃなかった」


 風はつむじを巻いて。二人の体を大きく揺らす。咄嗟に。栞は飛びつくようにして樹に向かって体を預けそのまま体を押し倒した。樹はコンクリートの床に背中を打ち付ける。


「意味が分かんない」


 少女は視線をそらしぽつりと呟く。


「経験の差だな。昔、こうして俺を抱きしめてくれた人がいたんだ。訳が分からないだろ」


 樹は顔を紅潮させ、白い吐息を思い切り吐き出していた。


「もう少しで二人とも死んでいたんだよ。そういうの気持ち悪い。自己満足で何より愚かだよ。零点だね」


栞は、恥じ入る様な少し曇った表情と抑揚のない声で静かに答えた。

立ち上がろうとするが締め付けられるような強さで抱きしめられて動くことができない。


「もうここで死のうなんて言わないから、離してよ、オジサン」


 栞の頭の中はずっと澄んでいた。迷いもなく躊躇いもなく、何百回と繰り返された自問自答にも揺らぐことのない答えにたどり着いていた。冷徹にすべきことをしようとしていた。それ故に蓋をした。心という得体の知れないものを封印していたのだ。

 彼女は取るに足らぬものと無視し続けたが、それは荒れ狂う嵐の海のように少女の芯を揺さぶり続けていたのだ。

 その執念に栞は屈服した、今この瞬間は。


「ん……ダメ……ダメというか、無理」


 それは甘えて発する言葉ではなかった。余りの緊張に樹の両腕は硬直し、もはや他人のもののように思えた。


 「お、驚いただけだから……体がビックリしただけだから。焦らすなよ。深呼吸する。一本づつが大事なんだよ。こういうのは」


 ゆっくり、ゆっくりと指を折るように拘束を解こうとする樹。

 だが、そのとき。視界の隅に奇妙な生き物の姿を見たのだった。

薄汚れた灰褐色の毛に覆われたネズミなようなその姿は、直立歩行する瘦せこけたカピバラのようだといえば分かりやすいだろうか。ネズミというにはあまりに巨大で、人間の腰の高さほどの体長がある。目はとろんとして焦点があっておらず、鋭い前歯が口からはみだしていた。痙攣するように動く口からは唾液がしたたり落ち、絶えず空腹に苦しんでいるかのよう。そんな奇妙な生き物が数匹、冗談のようにビルの端を行進し、樹たちの方に向かってきたのだった。


「こいつら一体何なんだ」


物の怪に化かされているような現実感のない疑問が頭を駆け巡る。同時にバケモノの淀んだ瞳を吸い込まれるように覗き込んでしまう。次の瞬間、それは樹の顔面目がけて飛びかかってきたのだ。


「レミングか!」


 栞が叫んだ。

 樹の視線を追い事態を把握した彼女は、この奇妙な光景を見慣れているというように咄嗟に反応していた。

 激しい閃光、一瞬の白い世界。樹の腕から感触が消え去る。

 そして、薄れゆく光の中に奇妙に飾られた服装に身を包んだ少女の姿があった。


今明かされる驚愕の真実


自作の小説の主人公を、何も考えずにそのままVtuber名にしたので、色々気まずいことになってしまっている影咲シオリです。今後ともよろしくお願いします。

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