2021.4.22―side B
クソ陳腐な習慣だが、今日から日記をつけることにした。精神科の閉鎖病棟に入院してからもうすぐ二週間になる。今日までの経緯を簡単に書いておく。
四月十二日、私は首吊りとオーバードーズを繰り返したかどでナントカ会カントカ病院(伏せてるわけではなくマジで覚えてない)に医療保護入院とかいうのをする羽目になった。任意入院じゃないとはいえ強制入院でもないので、なんでもっと頑強に拒否しなかったのかと後悔している。というのも、風呂も満足に入れんし、メシはシケてるし、スマホは使えねーしと不満しかないからだ。特に最初の五日間、コロナ対策とかで隔離室(外から鍵がかかるベッドとトイレしかねー独房。なおカメラ付き)に入っていたときはひどかった。私はそこに入ると同時に着ているもの以外の何もかもを取り上げられた(着けていたワイヤー入りのブラジャーも没収された。危険物扱いらしいが、何が危険なのかまるでわからない)。そして風呂には全く入れず、メシは「とりあえず白米入れときゃいいだろ」弁当で、トイレは部屋の外からしか流せないクソ仕様の部屋での生活が始まった。もう不便とか不自由とかそんなレベルじゃない。メシはクソ不味いってほどではないが決して美味しくはなかったし、トイレで用を足す度にプラスチックの小窓をコンコン叩いて看護師を呼んで水を流してもらわなきゃならなくてクソダルかった。なかなか来なくて三分以上叩き続けたこともあった。全くフザけた病院だ。まぁ、メシとトイレの件は諦めるしかないのかもしれない。だが風呂に入れなかったのは今思い出してもハラワタが煮え繰り返る。マジで頭が痒すぎて気が狂うところだったし、無駄毛が伸び放題でもうなんていうか人間としてダメだった。それに三日目くらいに本が差し入れられるまではマジで何もすることがなくて、時計がないから時間も分からず、朝から晩まで頭の痒みに歯軋りをしながらうとうとしていた。あんな目には二度と遭いたくないが、だからといって自殺念慮がなくなるわけではない。
まーそのことは一旦置いておいて、クソ隔離室から出たときの話をしよう。入院から丸四日間が経過し、体温測定・血圧測定・尿検査・血液検査などの健康観察の結果、私はコロナの疑いがないと判断された。回りくどいことしなくても、PCR検査をすれば何日も独房に幽閉されないで済むのになぁと二日目くらいから思ってたが、それはまあもういい。とにかく、感染の疑いなしと判断された結果、私はやっとシャワーを浴びることができた。むずむずする頭皮とがさがさの皮膚の上を水滴が滑り落ちていく感覚、CLEAR SCALP & HAIR EXPERT MEN(男性用シャンプー。少し前から愛用している)のシトラスフルーティの香り、剃刀が肌の上を滑っていく感触、全てが最高だった。人生で二、三を争う至福のひとときだった。シャワーを浴び終えてドライヤーで髪を乾かすと、タワシみたいだった髪がツヤッツヤのサラッサラになって、思わずにんまりしていた。自分がにんまりしていたとわかったのは鏡の前にいたからだ。鏡を見るのも四日ぶりだった。鏡の中の私は、五日間食って寝てだけしてた割には特に太ってはいなかった。まぁ元がデブなのでこれ以上太りようがないだけかもしれんが。シャワーとか支度とかを終えてから一般病棟に移るまでの数時間、本を読んで過ごした。それまでにも何冊か読んでいたが(何せ他にすることがない)、このときは内容がスルスルと頭に入ってきて少し感動した。クソッタレ隔離室は、頭が痒くないということはいかに幸せなことなのかを教えてくれたようだ。ちなみに、読んでいたのは羊たちの沈黙(私は啓典の一つに数えている)の下巻だった。
一般の病棟に移ったとき、私は三つのことに溜息を吐きそうになった。その一、風呂には月・水・金しか入れない。その二、相も変わらずスマホが全く使えない。その三、他の患者のシケたツラが嫌でも目に入る。よかったのは一人用の部屋を充てがわれたことくらいだ。まぁ、風呂の件はしょうがない。他の患者のツラも、下を向いていれば見えない。だがスマホが全く使えないのはどうにかならんのか。私は二人のイラストレーターに仕事を依頼していたし、その他にも二人に依頼の予約をしていたから、これは死活問題だった。依頼中の二人には、入院するのでしばらく連絡が取れなくなる、申し訳ないと連絡は済ませてあったし、支払いも既に完了していたので、取引を中止される可能性は低かった。しかし相手は人気イラストレーターだ、仕事はいくらでも選べる。私のようなただのファンが無視されることは十分に考えられた。一般病棟に移ってから数日後、私は不安からドアノブで首を吊っていた。ベルトやコードの類はないので、パジャマの上衣の腕の部分を結んで輪にして首にかけ、それからドアノブに引っ掛けた。これはまぁまぁうまくいって、首は割とちゃんと絞まった。だが、なかなか意識が消えなかったし、頭が爆発しそうだった。午前四時の静かな病室に、自分の鼓動が響いている気がした。意識が消えなくてイライラし始めたとき、唐突に病室の鍵が解錠されてドアが十数センチ開かれた。看護師が入ってきたのだ。「何してるの?」若い男の看護師が訊いてきた。私は「見てわかんねーのかタコ」と言いそうになって堪えた。別に看護師に恨みはない(医者にはある)。喧嘩腰なのは良くない。私はパジャマをドアノブから外してふらっと立ち上がり、それを首からも外した。看護師はパジャマを持って出て行った。ドアが閉まると同時に、私のクソデカ溜息が部屋を満たした。数十分後、私は保護観察室とかいうカメラ付きの部屋に荷物の一部と一緒に移された。内装は元いた病室とそう変わらなくて、ベッドの数も一つだった。その部屋にはトイレがなかったので、看護師がポータブル・トイレとかいうフザけたシロモノを持ってきた。あからさまにうんざりした私に、看護師は「私達も命を守らなきゃいけないから我慢してね」みたいなことを言った。私は命なんてクソどうでもいいと一言こぼした。困ってる看護師を残してドアを閉め、部屋を軽く調べた後、朝食までの時間をベッドでゴロゴロして過ごした。全部が気に入らなかった。五センチしか開かない窓も、ポータブル・トイレも、天井に付いてる小さな黒い半球も。ポータブル・トイレを二回ほど使ってみて、私はこれは無理だと思い、外の水洗トイレを使うようにした。ドアが施錠されていなくてよかった。あんなものを何回も何日も使わされたら気が狂う。その日のうちに医者が来て、首吊りの原因を聞いてきたんで、私はいかにスマホが使えなくて不安か、依頼先のイラストレーターに対する熱い思いを語ってみせた。結果、二日間いい子にしていたら一日十五分までスマホを使ってもいいと言われた。私は心の中でガッツポーズを取った。スマホが使えれば依頼先に連絡が取れるし、分からん言葉の意味を調べられるし、公衆電話とテレホンカードとかいう時代遅れのブツともサヨナラだ。私は今まで「ケロヨン」という言葉の意味がわからなくて看護師を呼んだり、何か持ってきてくれるよう親に電話するのに公衆電話を使っていたのだ。腹立たしいを通り越してお笑い種だった。マジウケる。二日間の謹慎の後、私は保護観察室を出て元の病室に戻った。医者が来て、スマホが使えるようになったら誰か来るからと言い残して去っていったので、私はいい子で待っていたのだが、いつまで経っても誰も来なかった。仕方ないので夕食後(十九時くらいだったか?)にナースステーションに行ってスマホを使いたいと言ったのだが、十七時を過ぎて夜勤帯に入ったので人手が足りなくて無理ですねーと言われた。私は心の中でブチギレながら潔く引き下がった。繰り返すが、看護師に恨みはない。次の日、私はやっとスマホを使っていた。素早く依頼先に連絡を取った後、TwitterとLINE、メールをチェックした。メールはほとんど読まずに消したが、就活していたときに連絡を取ったことがある企業からのメールは開きも消しもしなかった。返信に時間がかかるに決まっているからだ。それが今日のこと。今日の目下の心配は、夜に頭が痒くならないかということだった。というのも、一般病棟に移ってすぐの頃、私は真夜中に頭が痒くなって眠れなくなり、看護師に強請ってドライシャンプーを使ったことがあるのだ。効果はイマイチだったが。しかもその次の日には「シャワー浴びさせてくれないと壁か私の頭のどっちかが凹みます。どっちが先だと思います?」と看護師を脅してシャワーを浴びた。勿論、風呂に入れた日に頭が痒くなることはない。だが今日は木曜日。風呂の日ではない。だから私は昼間から夜に起こるかもしれない頭の痒みのことを心配していた。ずっと頭のことを考えているのも不毛なのでディルーム(リビングルームみたいな共有スペース。ダイニングテーブルと椅子、ソファ、テレビ、本棚などがある)で昔描いたオリジナルキャラクターの線画に色鉛筆で色を塗っていた。すると廊下で踊っていたよくわからん娘がやってきて、大声で喋りながら私の斜め向かいで絵を描き始めた。彼女は私の絵を指差して上手い上手いと言ってくれたが、元インターネットお絵描きマンの私からすると、私の絵はゴミだ。だが折角の褒め言葉を否定するのも不粋なので、曖昧に微笑んでおいた。彼女がボールペンでガリガリと雑に描いた謎の絵を見せられて感想を求められたときも、私は同じようにした。正直面倒臭かった。色塗りを続けていると、横に老婦人がやってきて塗り絵を始めた。彼女はナースステーションで塗り絵を貰えることを教えてくれた。私は看護師に頼んで、猫のダヤンの塗り絵を二枚もらった。合計八つの絵柄が印刷されていた。私は元の席に戻り、内心大喜びで塗り絵を始めた。色遣いを参考にしようと思って好きなイラスレーター「すみれ糸星」さんの「新約お玻璃子姫」という画集を持ってくると、老婦人がそれに興味を示した。見ていいですよと言いながら画集を手渡すと、彼女はそれを恭しく受け取り、注意深くページを捲り、深い溜息を漏らした。彼女はすみれ糸星さんの絵をとても気に入ったようだった。私は好きなものの布教活動ができて、なんだか誇らしかった。その後も、私達三人はお喋りをしながらお絵描きや塗り絵を続けた。会話の調子は健常者のものに比べるとかなりぎこちなかったが(無論私の話し方も相当ぎこちない)、私はほんの少しだけ楽しかった。そして、自分に他人との会話を楽しむような社会性や人間味がまだあったことに驚いた。
今日の夜は、頭が痒くならなくてハッピーだった。音楽プレーヤーを操作してKalafinaのobliviousを一曲ループに設定すると、私はこれを書くのをやめた。