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2021.4.30―side B

 今は十一時五分だ。風呂に入ってから三十分くらいしか経ってなくて、気分はとてもイイ。冷たいカフェオレが美味い。スマホは昼食まで充電しておくつもりなので今は使えないが、Adoの「踊」が聴きたいことの他は特にしたいこともないので構わない。それより、風呂でドン引きーなことがあったので書いておく。私はいつものように一般浴場に入り、頭と顔を洗ってシェービングを済ませ、身体を洗ってから湯船に入った。水面には皮膚の欠片とか髪の毛とかのゴミが浮いていて、あまり清潔なお湯とは言えなかった。まぁそれはどうしようもない。私が湯船から出ようかと思い始めた頃、老婆が一人一般浴場に入ってきた。彼女は私に「よろしくお願いしますー」とかなんとか挨拶をしてくれて、感じは良かった。私はそれから一分もしないうちに湯船から上がり、仕上げのシャワーを浴びながら、横目で彼女のほうを見た。そして、驚愕の光景を目にした。なんとその老婆は、身体を洗わずに湯船に入ったのだ! きったねー!! と叫びたいのを堪えて、私はそそくさと一般浴場を出た。あの老婆より先に湯船に入っていてよかったと心から思い、この後に入る人達のことを気の毒に思った。公衆浴場の湯船に身体を洗わずに浸かるなんて、マナー違反もいいところだ。まったく、あり得ないとしか言いようがない。その老婆は六十代くらいに見えたが、その歳になってこの程度の礼儀も弁えていないなんて、どんな人生を送ってきたんだ? って感じだ。どんなテキトーな人生を送ったらそんな恥知らずなことができるのか問い質してやりたいが、名前は知らないし顔も憶えてないのでできない。まあ、仮にできたところで実際にやったりはしない。私は年寄りは苦手だ。できたら喋りたくない。それに私は他人に直接怒りをぶつけるのは嫌だ。心の中で罵倒できればそれでいいのだ。まぁ、その件はもういい。

 風呂を出て髪を乾かした直後くらいに、病室に看護師がやってきて「心電図検査をするので一緒に来てください」と言った。私はハーイと返事をして素直についていった。反抗する理由がない。幾つかの鍵の掛かる扉を通過して、私は病棟の外に出て、外来患者とかがいる所を通って検査室に行った。中庭の木々に陽光が燦々と降り注いでいるのが目に入って、私は少しだけ外界の雰囲気を味わうことができた。検査室に入ると、よくある固いマットレスの病院用ベッドに寝かせられ、服をたくし上げて胸を出すように言われた。言われた通りにすると、看護師は私の足首と手首の内側をアルコールで拭き、線の繋がったでかいクリップを取り付けた。そして胸に、コードの繋がった吸盤を六個つけた。クリップとコードが繋がれた機械がピッ、ピッ、ピッと電子音を立て、心臓の活動電位の時間的変化が記録された紙が機械の横のスリットから滑らかな動きで出てきた。検査はすぐに終わり、私はまた病棟に戻った。そして今、ディルームでこれを書いている。読書がしたいから今日の分はこれで終わりだ。

 と思ったが、二時間待ったのにスマホの充電が全くできてなくてクソ腹立ったので書いておく。充電端子の接触のせいなのか何のせいなのかわからんが、クソクソムカつく。これじゃ読書どころじゃない。誰にというわけではなく死ねと呟いて、私は髪を鷲掴みにして思いっ切り引っ張った。頭皮や毛根が悲鳴をあげたが、そんなものは知らん。身体なんかより心のほうが大事だ。身体の傷は処置して放っとけば治るが、心の傷は処置が難しい上に一生治らんこともある。本当に心ってのは厄介だ。ないほうがいいとさえ思う。さっさと壊れちまえ、クソッタレ。話は変わるが、ディルームで雑用をしていたら、離れた席にいるさっき言ってたのとは違う老婆がずっと大声で医者や看護師を呼んでいてマジでうっせえ。口に何か突っ込んでやりたい。腰が痛いんだかなんだか知らんが、私に迷惑をかけるんじゃねーよ。忙しいのはわかるが、看護師も無視してないで何とか言ってやれよ。全くふざけた状況だ。

 と思ってから一時間が経過した。さっきまでAdoの「踊」を聴きながらスマホを弄っていたのでとても機嫌が良い。「踊」はとにかくカッコ良い。クールだ。「Radio Noise」や「ラブカ?」の次に好きかもしれん。やはりAdoは良い。次の曲がどんなのか楽しみだ。だから、それが聴けないのが少しだけ残念だ。なんというか、元気になり過ぎて私はもう自分を止められそうにない。なんでかわからんが笑っちまうほど死にたい。実際笑ってる。それも微笑じゃない、腹を抱えて大爆笑している(辛うじて声は殺している)。これは食欲と同じくらい根源的な欲求だ。これがタナトスってやつか。と私は一人で納得していた。今は二十時三十六分だ。頭も痒くないし腹も減ってないし眠くもない。何も不満はない。自殺念慮と無力感と絶望感、それにさっきのタナトスしか感じてない。テレビの音も人の話し声ももう耳に入らない。これを書きつけているノートと、使ってるポケモンのシャーペン、あと消しゴムしか視覚的に認識していない。頭の中は腕の部分を縛って輪っかにしたパーカーのことでいっぱいだ。これを書き終えたら、それで首を吊ろうと思う。言いたいことは特にないが、親父とか母親とか妹とかがあまり悲しまないといいなー、とは思う。私はクソ野郎だし、生きる理由も特にない。いつ死んでも別に後悔はない。そうだ、最後だから少し身の上話をしよう。

 私は幼い頃、他人とうまく関われなくて、気に入らないことがあるとすぐ相手に手を上げていた。まあ、この頃から最低な人間だったわけだ。問題は他にもあった。集団行動はできないし、大人の言うことは聞かないし、元気過ぎて落ち着きがなかった。保育園の年中だったかのときに、私は医者にアスペだと言われた。両親はそれを受け入れられなくて別の医者にかかり、そこではアスペじゃないと言われて、それを信じることにしたらしい。まあ仕方ねえよ、娘がアスペだなんて認めたいわけない。保育園を卒園して小学校に行くようになってからも、私は問題児だった。問題の内容は変化なしだ。当然ハブられたしいじめられた。まぁこれも詮方ない。暴力的な個体という脅威をみんなで協力して排除するのは、社会性動物として当然のことだ。私は弱いからいじめられたわけじゃない。強くて怖いからいじめられたのだ。だから別にいじめてきた奴らを恨んではいない。死ねばいいとは思ってるけどな!

 そーゆー状況が変わってきたのは小学校高学年になってからだ。勉強がなんでかよくできるようになったんで、みんなに一目置かれるようになったのだ。それに問題行動をしでかしては親父にこっぴどく怒られて、殴られたり蹴られたり追い出されたりまぁ色々されて、私は懲りて比較的「マシな子」になった。それでも親父は、返事があまり良くなかったとか、命令を素直に聞かなかったとか、気に食わない意見を言ったとか、他にも色々あるがとにかく瑣末なことで激怒し、暴力と恫喝で私を支配した。まあ親父は鬱病なので、責めてもどうにもならないので許してやろうと思う。けど八歳の女児を下着姿で靴も履かせず雨の中に放り出すのは如何なものか。それにこれは母親にやられたことだが、いくら喧嘩になったからって小学生の娘の耳の後ろを、血がダラダラ出てデカい瘡蓋ができるほど引っ掻くのはひどい。親父と母親両方にされたことだが、人格否定もかなりきつかった。まあこんな感じでこっぴどい制裁を受け続けたのがトラウマ過ぎて今でも子供時代の悪夢を見るし、性格もかなり暗くなって元気がなくなったが、まあとにかく私はやっと普通(?)の子になった。中学一年の三月からは脇目も振らず勉強し、成績はどんどん上がり、私はつけ上がった。人生で一番幸せな時期だった。努力が報われるってのは超幸福なことだ。ガリ勉の嫌なやつだったが、まあとにかく私は毎日ハッピーだった。常に自分の価値を感じていた。だがそれも、高校受験に失敗するまでの話だ。第一志望の某国立高校に落ちて、私は仕方なく第二志望の某県立高校に行った。そこは県内トップ校だったが、それがなんだって感じだ。日本トップに比べたらチンケなもんだ。失意の中で新生活が始まったわけだが、高校の三年間はまぁまぁ楽しかった。気の合う友達がいたし、お気に入りの男子もいた。だがやっぱり高校受験は失敗だったと思ったのは、高三の文化祭のときだ。私はクラスの出し物の紹介ムービーに何故か出演することになったのだが、それが文化祭で実際に上映されたとき、私が出てきた途端に皆が笑い出したのだ。私は大真面目に演技をしているのに何故みんな笑うのだろう。私が頑張っている姿はそんなに滑稽なのかと、虚しいとも悲しいとも言えない感情が胸を満たしたのをよく覚えている。そんなことがあったが勉強はそこそこ頑張り、旧帝大に行こうとしていたが、またしても私は受験に失敗した。で、今の底辺クソ大学に入った。就活支援団体のパイセン曰く「国立の中では中の上」らしいが、知ったことじゃない。私がクソだと思えばそれはクソなのだ。自分の無能さにめちゃくちゃがっかりしてた私は、何をする意欲もなくて、友達もろくに作らず孤独に過ごした。サークルには入ってたが、殆ど行ってなかった。勉強は一年の前期まではまぁまぁ頑張ってたが、後期に入って実験が始まって超忙しくなってからはついて行けなくなり、全然やらなくなってしまった。こうして底辺クソ学生になったわけだ。その状態で数年過ごし、三年の後期から半年休学した。意欲低下が更に酷くなっていたのと、不眠とかの体調不良が出てきていて、精神科に行ったら統合失調症って言われた。親の勧めでそれから一ヶ月もしないうちに転院し、そこでうつ状態と言われて、診断書をもらって休学の手続きをした。それから半年後、二〇二〇年の春に私は復学した。それから一年間そこそこ頑張り、卒業研究とか卒業演習とかの、四年になって研究室に行かなきゃ取れないやつ以外の卒業に必要な単位は全部取れた。これはとても喜ばしい出来事だった。配属される研究室も紆余曲折の末になんとか決まり、私は四月から頑張ろうと思いながら春休みをのんびり過ごし、軽い就活もしてた。そうやって前向きに生きてたとき(まあ首吊りもODもたまにしてたが、たまにだ。月数回とかそのくらいだ)、高校受験に失敗したときからずっと感じてた希死念慮がイキナリ自殺念慮に成長した。私はODと首吊りを頻繁にやらかし、やがてそれは親にバレた。親は私が薬を買いに行ったり首を吊ったりしないように目を光らせてたが、私は監視の目を掻い潜って薬局に行った。薬局に電話されて買えなかったけどな! 他にも、私は一人になるとベルトとか充電ケーブルとかで首を吊ろうとした。阻止されたり失敗したりして死ななかったけど。希死念慮が自殺念慮になっちまったのは、多分将来への不安が原因だ。就活のストレスは多少はあったし、研究室で卒研をやるか卒演をやるか、選択を迫られていた。その二つがトリガーになって、私は自殺念慮オバケになっちまった。それでいくつか病院を見学してから、一番マシっぽかったここに入った。それでもクソだったけど。それからのことは、今までに書いた通りだ。予定より長くなってしまったが、私の人生を超簡単に説明するとそんな感じだ。振り返ってみると、そんな悪い人生でもなかったな! 楽しいこともあったし、幸せだった時期もあった。親には(多分)愛されてたし、高校では友達にも恵まれた。悪い人生じゃなかった。やってきたことに一片の悔いもない。そりゃ、保育園時代とか小学校時代に凶暴だったのは良くなかったが、物心つく前のガキにそんなこと言っても仕方ないから、そこは大目に見てやってくれ。

 でもって、今は首を絞めながらこれを書いている。苦しいが、苦しみを感じると何だか許されているような気がするから、そう悪い気分じゃない。耳の奥でしている鼓動の音が五月蝿いが、じきに静かになる。顔とか手が冷たい。目が霞んできたんで、これを書くのも難しくなってきた。そろそろ限界みたいだ。頭が内側から破裂しそうだし、手足が痺れてきた。最後に何か言いたい。そうだな。生まれてきて良かったとは言えないが、私は幸せだったし、私以外の誰にも私の死に責任はないってことかな。んじゃ、お別れだ。じゃあな!

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