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2021.4.29―side A

 今日はOD以外の自傷行為について話したいと思う。自殺志願者の各位は一度は考えた、或いはやったことがあるリストカットを始め、自分を痛めつける方法は色々ある。手首、腕、脚、胴体などをカッターなどの刃物で切りつける。わざと硬いものをぶつける、自分で自分を殴るなどして打撲系のダメージを身体に与える。ドライヤーやライターで髪や皮膚を焼く。壁に腕や脚を打ち付ける、重いもので叩くなどして骨を折る。治りかけの瘡蓋を剥がす。爪で皮膚を穿る。手や腕などを噛む。などなど、まあ沢山のやり方がある。これらの行為とODとの違いは、他人に自傷を気づかれやすいかそうでないか、明確な自傷の意図があるかないかだ。ODは薬を実際に大量に飲んでいるところを目撃されたり、ラリった状態を誰かに見られたりしなければ、発覚することはまずない。薬を飲むのに大した時間はかからないし、証拠も残らない。仮に薬が見つかったところで、ただの常備薬だと言えばいい。だがOD以外の前述のような自傷行為は、身体に一見してわかる傷ができる。人に肌を見せなければならない状況になったら、傷の大きさにもよるが発覚を避けるのは至難の業だろう。次に自傷の意図の有無だが、ODは快楽目的で行われることもよくあるし、外から見える傷が身体につくこともないので、自傷行為だと自覚してやっている人はあまりいないように思える。瘡蓋を剥がしたり皮膚を穿るのは痒みなどから無意識にやってしまうこともあるので、見つかっても「ちょっと痒くてやっちゃった」とか適当に言い訳ができるし、自傷の意図もないことがあるかもしれない。だが、それ以外の自傷行為をするのには、自分の身体を傷つけたいという明確な意思が必要だ。遊びで気軽に手首を切る人もいるかもしれないが、そういう人は少数派なのでここでは割愛させていただく。

 次に自傷行為を行う目的についてだが、これには大きく分けて四種類があると考えている。感情表現、コミュニケーション、生の実感の獲得、精神的苦痛・不快感情の解消だ。あと考えられるのは、自傷行為をしている「ヤバい人」として他人に避けられることで、対人関係からくるストレスを減らすことなどがあるかもしれない。本筋に戻るが、最初に挙げた感情表現で自傷を行うのは、怒りや悲しみなどの負の感情を傷として身体に刻み、自分の心の状態を可視化するためだと思われる。次にコミュニケーション目的の自傷だが、これは周囲に自傷行為をしていることを知らせ、助けてもらったり構ってもらったりしてもらいたいという気持ちから行われるものだ。生の実感の獲得のために自傷をするのは、感情や感覚が鈍麻している、或いは普通に生きていて感じるレベルの刺激に慣れてしまっていて、強い刺激によってしか自分の生を感じられないためだ。精神的苦痛・不快感情の解消として自傷を行うのは、精神的苦痛を自傷によって誤魔化したり、怒りなどを発散するためだ。

 自傷の理由の例を簡単に述べたが、ここからは各項目について所感を書いていきたい。まず感情表現だが、これが目的で自傷をするのは、うまく吐き出せない感情を外傷として表現するためだと考えられる。制御不能な心の痛みを、制御可能な身体の痛みに置き換えているのだ。ここまでは私にもわかる。わからないのは、自傷行為を自己表現のように捉え、自傷をしている自分に酔っている人がいることだ。自傷をしている自分は特別だ、個性的だと感じるらしい。私にはそんな中二病チックな心理は理解できないが。もし身近にいたら、私はその人をかなり侮るだろう。自傷行為をすることは、言うほど変わったことではない。動物だってストレスから自傷行動を取ることもある。自傷はごくありふれたものだ。そんなことをした程度で普通と違う存在になった気になるなんて、愚かにも程があるというものだ。だがピアスとかタトゥーとか、ファッションの一環みたいな美観を意識したものなら別に良いと思うというか、私は好きだ。私が重視しているのは、自傷でなければならないかどうか、覚悟があるのかどうか、美しいかどうかだ。単に自己表現がしたいだけなら、もっと生産的・知的なことをしたほうがいい。たとえば創作。見苦しい傷跡なんかより、自分で書いた文章や描いた絵が残ったほうがいいだろう。上手ければそれこそ特別な存在になれるし、下手でも創作活動をしていること自体が珍しいことなので、少しは独特な人になれる。個性的になるために自傷をしているケースと類似するケースに、自傷をしている自分を自分で憐れんで、悲劇のヒロイン・ヒーロー気取りでいる場合も見受けられる。そういう人は不幸で可哀想な自分が好きなのだろうから、一生そのままでいればいいと思う。次にコミュニケーションだが、これが目的で自傷をしている人はもうどうしようもないとしか言えない。こういう人達は大抵依存心が強く、我儘で、承認欲求が肥大化している。こういう人と付き合うのは疲れるので、みんな遅かれ早かれその人から離れていく。そしてその人は自傷に走り、傷ついている自分を周囲にアピールする。優しい人は弱っている人間を見ると助けてあげたいと思うので、その人を気にかけて世話を焼いたりする。それでその人の欲求は一時的に満たされるが、自傷をやめれば心配されなくなり、構ってもらえなくなり、一人になってしまう。そうしてまた自傷をする。もう一度相手をしてもらえるようになる。その人は味を占めて自傷を繰り返す。私は自傷で他人をコントロールしようとするのは野暮ったいことだと思うが、まあ気持ちはわからなくもない。だが、自傷なんかしてないでその救いようのない性格や人間性をどうにかしたほうがいいと思う。自傷しなければ人に関わってもらえないのは、人間的に大きな問題があるか、魅力がないためだ。それを変えなければ、死ぬまで手首を切り続けることになる。人間的に大きな問題がある場合は、問題を解決するか、問題を抱えたままでも付き合ってくれる寛容な人を見つけるしかないだろう。魅力を上げる方法は色々ある。外見を磨いたり、教養を身につけたり、他人のためになることをするよう心がけたり。それができたら苦労しないかもしれないが、そういう前向きな努力をすることが、持続的な幸福を手にするには必要だ。殆ど必須と言ってもいい。最初は小さなことから始めるのがいいだろう。スキンケアを丁寧にしてみるとか、SNSの類をやめてみるとか(これは承認欲求の増大を防ぐためだ)、本を読んでみるとか。まず第一歩を踏み出すことが大事だ。焦らず着実に努力を続ければ、必ずとは言えないが、少なくとも努力する前よりは魅力的な人間になれる。次は生の実感の獲得だが、これはある程度仕方がないと思う。日常生活を送っていて強い刺激を得られることはそうない。強い快感を得る方法にはセックス、趣味の活動、美味しいものを食べに行くことなど健全なものもあるが、塞ぎ込んでいるときにそんなことをする気になれないことも多いだろう。強い快感を得るにはエネルギーや行動力や金が必要なのだ。対して、強い不快感(激痛など)は簡単に得ることができる。切れ味のいい薄めの刃物を手首に押し当てて、引くだけでいい。実に手軽だ。これでは自傷をしてしまうのも無理はない。自分の生を感じることは生きる喜びそのものであり、他のものでは贖えないものだ。だから生を感じるために自傷をするのは致し方ないと思うし、そうする人を嘲笑したりもしない。共感すら覚える。しかし自傷は不健全なことだ、しないに越したことはない。このグループに属する人達が自傷をする理由は前述の通り感情・感覚の鈍麻、普通の刺激への慣れにあるので、できたらそれを解決する方法で生きていって欲しい。感情や感覚の鈍麻の背景には精神疾患が隠れていることもあるし、生来の性格に問題があることもある。性格を変えるのは難しいし、性格を変えてまで自傷をやめる必要があるのかはわからない。だが、精神疾患に罹っている可能性があると自分で思うなら、一度受診してみるといい。薬で解決するかもしれない。普通の刺激に慣れてしまっている人は、もし自傷をやめる気があるなら、諦めずに刺激的なことを探してみるのも手だ。バンジージャンプとかスカイダイビングをしてみるとか、火の上を数メートル歩いてみるとか、世の中にはエキサイティングな体験をする方法が色々ある。繰り返すが、このグループに属する人には、できたら自傷以外で生を実感する方法を見つけて、健康で幸福な人生を送って欲しいと強く思う。最後に精神的苦痛・不快感情の解消だ。このグループに属する人の気持ちは、私にも痛いほどわかる。肉体的に傷つくと、エンケファリンやエンドルフィンなどの脳内麻薬が出て痛みが緩和され、それに伴って精神的苦痛も和らぐ。つまり、精神的苦痛から逃れるために自傷をすることは、実は合理的なことなのだ。怒りの発散にしてもそうだ。攻撃的な行動を取ることで怒りのバロメーターが下がることは各位もご存知だろう。このグループの人達の自傷は、是非はともかく理にかなっている。大麻を使ったら逮捕されるが、自分の手首を切ることは違法ではない。怒りの発散のための自傷は、攻撃性を自分に向けているというだけのことだ。そういう自傷はやめるべきなのか、私はよくわからない。このグループの人達は言わば「生き延びるために」自傷をしているのだ。ずっと精神的苦痛を抱えているのは辛いし、自分以外のものを攻撃することは法に抵触する可能性がある。それなら手首を切ったほうがマシだと思うのも頷ける。こういう人達が自傷をやめるには、気分転換の引き出しをとにかく沢山持つことが必要だ。我が身の不幸を呪ったところで、現実は何一つ変わってはくれない。残酷なことを言うようだが、よっぽど幸運でない限り自分を救ってくれるのは自分だけなのだ。また、精神的苦痛が耐え難いほど長く続くのは精神疾患が原因かもしれないので、医者にかかってみて欲しい。百パーセント治るとは言えないが、気分障害は割と薬でなんとかなる。自傷を辞めたいと思っているのなら、これらの対策を試してみる価値はある。とまあ、軽く感想を書いた。注意していただきたいのは、自傷は今までに挙げた理由のどれか一つだけからではなく、複数の理由から行われることがあることだ。

 ところで私が自傷(といっても首吊りとOD、リストカット未遂だけだが)をしたのは、自分が大嫌いで傷つけたくて殺したくて仕方がないからだ。これは精神的苦痛・不快感情の解消のための自傷に分類されると思う。自己嫌悪からくる精神的苦痛や不快感情を、自傷によって紛らわすのだ。リストカットが未遂に終わったのは、偶々その場にあった鋏の切れ味があり得ないほど悪かったためだ。尤も、私はリストカットをはじめとした身体の見え易い部位を傷つける行為は好きではない。構って欲しいから自傷しているのだと思われるのが我慢ならないからだ。そんな私がリストカットをしようと思ったのは、紐状のものやベルト、薬などを全部取り上げられてひどく苛ついていたためだ。ベルトなどは折角首吊り用に短く改造したというのに、全くなんてことだ。

 最後に言いたいのは、自傷癖なんてのは自分で治すものだし、治したくないなら治す必要は特にないということだ。自傷が過ぎて自殺に至るかもしれないが、それは自分の行動の結果に過ぎず、自傷しようが自殺しようがそれは個人の自由だ。家族や友人が精神的に傷つくかもしれないが、そんなことを気にする余裕がある人はそもそも自傷も自殺もしないだろう。だが、自傷は決して健康的なものではない。そのことだけは憶えておいていただきたいと思う。

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