表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/41

気まずさと、安堵と、それから罪悪感が


 光を拒む鬱蒼とした森の中、ひとり迷子になって逃げ惑っている。ヒビキたちは無事だろうか。我先にと駆け出して、置いて行ってしまった。無理な運動のせいか、肺が苦しくて、それでいて歯茎は破裂しそうなくらいに充血している。喉が渇いたけれど、水はない。


 木の根元にへたり込むと、余計に苦しくなった。深呼吸をすればするほど苦しい。どうしよう。目の前が暗くなり始める。その時、


「大丈夫ですかっ」


 優しそうな声が耳朶を打った。


「いけない。過呼吸になってしまっている。息を吸うんじゃなくて、吐くのを意識してください。落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり……」


 すると、少しづつ胸は楽になっていった。お陰で眼前にあるものにまで気が回るようになった。男女ふたり組で、女の方は何も言わずに心配そうにこちらを覗き込んでいる。何かと親切に助言してくるのは男の方だ。水を勧められたので、かすれて小さくなった声で感謝を述べてからありがたくいただく。この時、決して顔色を変えてはいけない。なぜなら彼らは鎧を、それも先ほど死んだ騎士たちと揃いの鎧を身にまとっているから。


 ゲオルグ、とアリス? 違うな、エリスだったけか。彼らが死んでしまった二人の仲間なんだろう。これで狼に食べさせて殺したとか、それ以前に魔物と行動を共にしているとか、そういうことがバレた時を想像してみる。そうなったら、まあ、十中八九生きては帰れない。こんな森の中でひとり遭難しているのだって不審に過ぎる。お礼を言ってそのままバイバイはできないだろう。


「私たちは、聖国の騎士隊の者です。安心してください。もう大丈夫ですよ。とりあえず、体調が回復したらここを抜け出しましょう。ここにはゴブリンが多く生息しています。怖かったでしょう」


 ようやく女性の方が声を出した。抱きしめられると、透き通るような金髪が髪や肩にかかってくすぐったい。なんだろう、この凄く釈然としない感じは。限りなく子供扱いされているような気がする。もの凄く釈然としないし、それに、一歩間違えたら命のやり取りが始まるような相手に抱擁されたって小指の先ほども心は安らがない。


 今度はゲオルグと思われるほうに手を繋がれて歩く。なんでも隊長とイレーナがそっちのほうで待っているんだとか。黒が確定した。それにしても、なんでこんなに子供扱いされているんだろう。


「ねえ、君、お名前は?」

「ジョンです」


 なるべく平然とした顔で嘘を吐く。たぶん彼らが西洋っぽい名前だから、それに合わせれば問題ないだろう。その後の受け答えもどうにか躱していく。怪しがるような顔はされるけど、恐ろしい森の中で倒れていた子供に剝き出しの疑心をぶつけるのは良心が咎めるのか、何も言われなかった。


 だんだんと見覚えのある木が増えてくる。地点の判別のため幹に印を刻んだり、木の槍を作るためにへし折った枝とか。落とし穴を掘った際に余った土が積もっている。誘導して罠に嵌めてしまおうか。この世界では死体は数分もすれば消えるから、死んだのではなく失踪したように思うだろう。するともう少し探そうと動き回るはずだ。そうすればここらは落とし穴が密集しているからうち一人は確実に始末できるはず。鎧を着ているといったって、それは部分的なものだ。さっきのイレーナという人も、隙間に刺さって死んだんだから、きっと大丈夫、殺せる。


  けれども胸に引っかかるものがある。すでに二人死なせておいて何を言ってるんだって話だけど、殺したくないなあ、と思った。逃げようか。きっとそれがいい。ここには魔物の拠点があった。破壊したからもう気にしなくていい。あと、変な子供がひとりいて、怪しいとは感じたけれど、まあ問題ではあるまい。そうなってくれるといいなと思った。そうなると、計画の不整合性にすら目を瞑って、人殺しを避けたい一心で判断をするようになる。


「あの、すみません、その……」

「どうしたんだい?」

「トイレに、行きたいんです」


 さっき助けてもらったときに水もがぶ飲みしたし、そんなに不自然ではないと思う。


「あっち向いててくださいね、あと音も聞かないで!」


 よし、OK。ダッシュだ。スキル<逃げ足>の効果で敏捷は2倍、とは言ってもステータスはどれも最初から変わっていないので、どれくらい効果があるかは知らない。なるべく罠の多いほうに逃げていく。が、


「待て! やはり怪しいと思っていたんだ!」


 数秒も経たないうちにバレた。かなり足が速い。これは落とし穴にたどり着く前につかまりそうだ。とりあえず気をそらしてみよう。


「騎士様たち、後ろ! 後ろに!」


 お、引っかかった。が、それで距離が開いたのも束の間。それでも構わない。あと数歩で罠にはめることができる。


「あ」


 コケた。木の根に躓いてコケた。挙句の果てに騙された騎士両名の殺気と表情の怖さは凄まじい。これは人生の幕が閉じたかもしれない。


「騎士を、謀った、罪は重いぞ! この異教徒め!」


 歯軋りの音が聞こえてきそうなくらいに怒っている。先までの、子供に優しいお兄さんお姉さんと言った雰囲気はもはや面影もない。振り上げられた剣が鈍くきらめいている。その時、何者かが彼を横に押し倒した。


「だめ!」


 ウルフだ。すかさず、男の無防備な喉笛にかじりつく。かひゅっというような、変な音がして、ぴくぴくと痙攣した。呆然と見ている間に剣を取り落としたので、咄嗟に掠め取る。


「おのれ! 魔物が……ッ」


 今度は女の騎士のほうが剣を持って突貫してくる。流石に僕は騎士ではないから、えげつなく重い剣を握ったところで自在に振り回せるわけじゃない。腹部を貫かれる光景を幻視した、が、


「だめ!」


 身を翻した人狼が刃を握りしめて阻止する。彼女は恐怖と悔しさに染まったような面持ちで、唇を噛みしめて、どうにか振り払おうと子供みたいに暴れ出した。けれど獣はそれを許さない。もう片方の手で押し倒し、何度も咀嚼した。その光景は相変わらずグロテスクだ。


 やがてその骸が静かになると、飲み込み、それはこちらを振り向いた。


「ますたー、ほめて! かったよ、つよい!」


 目をきらきらと輝かせてしがみついてきた。当然地べたに倒れ込み、押さえつけられる形となる。一体、一日に何度死を覚悟すればいいんだろう。食い殺されるって、最も嫌な死に方だ。


 その犬歯が近づいてくる。――ああ、ヒビキたちが助けに来てくれないかな。ヒサトとかならこの獣の剛力にもどうにか勝てるかもしれない。そう思っても助けは来なかった。血の香りが一層鮮やかになる。そして、顔面をざらざらして湿ったものがなぞった。


「へぶっ」


 息ができない。酸素を吸おうとする度に額から口の区間を謎のざらざらしたものが行き来している。凄く鉄臭い。もがいて突き飛ばす。不思議と大人しく解放された。とりあえず呼吸をする。鼻の中になんか液体が入り込んだ。痛い、噎せる、つーんとする。


「けが?」

「待って、タンマ、ゲホッ、ゲホッ」


 しばらくして落ち着くと、周囲を確認する余裕ができた。問題は、ほとんど解決した。ただひとつを除いて。どこで覚えてきたのか目の前でお座りをしている狼男に問いかける。


「食べないの?」

「たべない!」


 自分がとんでもない思い違いをしていたんじゃないかと、不安になりだした。


「あれはなに?」と騎士の遺体を指さすと、

「ごぶりん!」

「これは?」自分自身を指さすと、

「ますたー!」


 ある程度、区別はついているらしい。確か、ゴブリン扱いされるのは屈辱らしいけど、まあ、死人は文句を言えないし、今は気にしない。気にしていけない。気を取り直して質問を続ける。


「なんであれを食べたの?」

「しゃべる!」


 思い返せば、ウルフから狼男に進化したのは、人喰いの直後だ。そういう条件で進化したからこそ選択肢がなかったのかもしれない。で、中身は懐き始めていたウルフのまま、と。


「ますたー」と会話したいがために、進化して話をしようと特殊なゴブリンを食べて、するとなんか飼い主が奇声を上げてどっかに走り出したので、探していた、みたいな認識なんだろうか。一気に気が抜けると同時に、そんな理由であんな酷い死に方をさせてしまったのが申し訳なくなってくる。顔が引き裂かれて、腑を散らされて。どれだけ怖かっただろう。でも、それは僕が生き残るために正当化されてしまう。それを知ったらヒビキたちはどう思うだろう。頭の中をいろいろな感情がぐるぐるする。


 気まずさと、安堵と、それから罪悪感が、緩んだ緊張の隙間から雪崩込んで来て、何も憚らずにわんわん泣いてしまった。ひとしきり泣いて、そのまま意識が薄らいでいく。体の下にもふもふしたものが滑り込んだような気がした。アンデッドたちに呼びかけられているような気もした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ