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炯々爛々と


 奇妙な獲物が罠に掛かった。ゾンビにしては臭くないし、スケルトンにしては肉付きが良すぎる。そう、人間だ。ヨーロッパ人みたいな顔立ちの赤髪のおじさんで、絶妙な体勢で仕込まれた木製の串を避けて挟まっている。それで抜け出せないみたいだ。試しに話しかけてみよう。で、友好的で大丈夫そうだったら罠から救い出す。


「ハロー、ボンジュール、グーテンモルゲン、ブエノスディアス……」

「貴様、何者だ! ぞろぞろと魔物を引き連れて、まさか高位の人型魔物ではあるまいな」


 ジャパニーズがお上手ですね。英語やフランス語でも通じるか怪しかったのに、日本語で話しかけられた。人を見た目で判断するのはよくないということか。よく考えれば、アンデッドだって、異世界なのに言語が全く同じなわけだし。


「ご無事ですか? 僕はここらで遭難しているもので、まごうことなき人間です。この子たちは、友好的なので、護衛をお願いしてる感じです。友好的で、平和的な子たちです」


 敵視なんかされたら困るので、変に刺激しないように安全性を主張してみる。


「詭弁を! 魔物に指図ができるような輩が人間であるはずがない! 言い逃れなどできぬと思え、どこの差し金だ、言え!」

「え、えーと、あ、それじゃあ、この子たちは事情があって、アンデッドにしか見えなくなる呪いをかけられているんです。ほら、ヒビキ、モチヅキ、ご挨拶しなさい」

「こんにちはー」

「おう、災難だったな、あんた」

「そうか、そうか、済まない。最近仕事で疲れててな、気が立って……ってなるか! それじゃあとはなんだ、それじゃあとは! やはりただではおけぬ、そこに直れ!」

「あの、先に落とし穴から出たほうがいいと思うんです」

「落とし穴だと! やはり貴様が害意を持ってこれを仕組んだわけだな! 騎士を何だと心得る!」

「人間用じゃなくて、普段はゴブリンが掛かるんですよ、それ」

「くっ、ゴブリンなどと同列に扱われるなど、決して許せぬ屈辱であるぞ!」

「そういうことじゃなくて……」


 そうして全く進まない問答を続けていると、騒々しい足音が聞こえた。


「先輩! ご無事ですか!」

「イレーナ、よく来てくれた! それよりも、この魔物たちを!」

「了解しました! ゲオルグとエリスも、すぐここに向かってくるはずです! しばしのご辛抱を!」


 がしゃがしゃと動きにくそうな、体を部分的に覆う鎧を身にまとっている。女性の騎士もいるのか。異世界にも男女平等の概念があったりするのかもしれない。


 先輩と呼ばれた騎士の指示を受け、こちらに剣を向けて走ってくる。まだ二人もいるらしいけど、これ、勝てるのかな。


「決めておいたルート通りに逃げるよ!」


 対角線上に落とし穴がくるように逃げ回る。実際、正確にどこを通るかなんて決めていないけど、落とし穴に誘導するって声高に叫んだらばれそうな気がして、そういう言い回しをした。ジグザグに、木々の間を縫うように駆け抜ける。


「神の征伐し、支配せる風よ。神のしもべたる我に力を与えよ。そして、刃となりて、我が敵を貫け、ウィンドカッター!」


 不意にそんな呪文が聞こえた。あの女の騎士の人からだ。木が盾になって命中はしなかったものの、目には見えない何かが幹に深く傷を入れた。


 あれってまさか、魔法? ってことはあの人も一回進化しているってことなんだろうか。まだ遅いとは言っても以前とは比べ物にならない速さで隣を走るモチヅキに聞いてみると「人間は進化はしないし、進化しなくても魔法を使える魔物はいるぞ。そんなに心配しなくても、大丈夫だ。今の俺たちなら勝てるって」と返ってきたおかげで、少し心が安らいだ。


 今度はアンデッドの魔法使いふたりの詠唱が響く。――火の精霊に、赤々と燃える尊い精霊にお願いいたします。盟約のもと、どうか私に一握りの恵みをお与えください。


 偉そうなウィンドカッターの台詞とは逆に、へりくだって、表現も平易だ。何か効き目の違いでも出るんだろうか。そう思いつつ聞いていた。


 火球は射線の開いた一瞬を狙って放たれた。避けられたみたいだけど、服の端が焦げ付いているところを見ると、結構惜しかったらしい。まあ、今のところ主目的はそれじゃないから、構わない。その隙により一層広がった間合いを詰めるために前進した途端、彼女の体は地面に沈んだ。


「よしっ!」


 もし仕留めそこなった場合に備えて、最も打たれ強そうなヒサトを先頭にしてに確認しに行く。ある程度近づくと、嫌な臭いがした。到着した彼の身振り手振りから判断するに大丈夫そうなので駆け寄って覗き込むと、腑の中身が串に刺さった状態で血を流している人間がいた。


 普段ゴブリンで慣れていると思ったけれど、これはどうにも見たくない。喉を生温く角ばったものが圧迫するような感覚がする。胃の中身がせり上がってくるような気もした。けれど、どうにも堰を切らない。いっそ吐いたほうが楽になるんじゃないだろうか、と思ってしまう。どれくらい、目を逸らしたまま動けないでいただろう、しばらくすると、彼女の遺体は消失していた。ミノリに肩を叩かれる――というよりおずおずと手を添えられるまで、ちっとも気が付かなかった。


 ウルフがその跡を嗅いでいる。くぅーん、と心細げに鳴いた。


 気分は晴れないけれど、事態は全て解決したわけじゃない。あのおじさん騎士に、それから、増援だっているはずだ。さっきの地点にまで戻ると、彼はまだ挟まったままだった。


「イレーナは、死んだのか」

「ごめんなさい」

「なぜ貴様が謝るかは理解できんが、まあいい。それよりもあいつ、俺が罠に嵌っているのを、しっかり見ていただろうに。間抜けめ、まだ若かったのに、バカなことを。バカだ、あいつは」


 この人を見逃そうと救助したって、今度は僕らに切りかかってくるだろう。死体を見たくなかったから、みんなに埋めるよう合図した。ごめんなさい、ごめんなさい。


 けれど、もっと好ましくない結果へと事は転がっていく。今日は運勢が悪いのかもしれない。まだ埋め切らないうちに、ウルフが、男の面を噛みちぎった。かすれたような、そうでいてくぐもった悲鳴が上がる。中途半端に積もった土が重石になって抵抗できないらしい。呆然としている間に、ウルフは彼の上半身をずたぼろにしてしまった。桃色の肉の狭間から滑らかな白が見える。動脈から血が湧き水のように溢れ出す。


 あれはもう生きてはいないだろう。狼の頬から、鋭い白が覗き、その歯茎には生き物の破片がこびり付いていた。笑っている? 気のせいかも知れないし、事実だったかもしれない。いつかの進化のときみたいに、眼前にウィンドウが提示される。けれどもそこに選択の余地はなかった。


 『ウルフ(名無し)が狼男へと進化します』


 やっぱり見覚えのある光が獣の身を包み、歪に変形し、膨らみ、丈を増していく。やがて不自然な発光が終わると、そこには人の耳があるべき場所に狼の耳を生やし、腰の辺りから尾を生やした青年がいた。目は映画の特殊メイクでも受けたかのように炯々爛々としている。動きにくそうにして、こちらを向いて、顎をガクガクさせ、意味不明な音を放っていたけれど、それは次第に聞き覚えのあるものへと変わっていった。


「ます、たー、うるふ、にんげ。つよい。なまえ。ます、たー」


 人の肉の味を覚えた獣はまた人の肉を食べるそうだ。熊だって、犬だって。狼なら猶更だろう。頬はあの騎士の血で濡れたままだ。怖かった。その歪に上がった口の端も、こちらに傾いて近づいてくるその仕草も。思考は生命の危機を告げるアラームにかき消され、パンクしかけた脳は理性を無視して逃亡を選ぶ。


 自分の顔があの牙で抉られるような気がした。自分の肋骨をあの爪がなぞり、肉をちぎり取るかもしれないと怯えた。そうなるともう、崩れ落ちる感情に従うしかない。背を向けて、必死に駆け出した。喉からさきほど騎士の男が出したみたいな音が出た。足が思うように動かなくて、重い水中をもがくようで、何度も躓いて、手で地面を掴んで、呼吸も荒くなる。そうしているうちに、僕は、はぐれていた。

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