大丈夫なんて信じちゃいけな異世界
ーー勇者。
それは不屈の闘志と強靭な肉体を持ち、魔族やモンスターから人々を守り、世界に平和をもたらす英雄的伝説の存在。例え自らの身に危機が迫ろうと弱き者を助けるその姿は誰もが一度は憧れることだろう。
現に俺もその一人なわけだが、残念ながらこの俺には不屈の闘志も強靭な肉体も、ましてや伝説の聖剣も何一つとして勇者の素質たりうるものなどあるはずもない。
しかし、勇者とは勇者になるべくしてなるのだろうか?
よくゲームでは勇者は最初から勇者だったりもする。だが、歴史を変えた偉人たちはどうだ。生まれた時から偉人の者など誰一人としていないではないか。そう、つまり例え本物の勇者ではなくとも、何の取り柄もない平凡な少年だとしても、勇者になることだってあるかもしれないじゃないか。
この物語は何の変哲もない俺が勇者になって世界の命運を託されてしまう。
そんな物語なのだから。
◆
俺は気が付くと全速力で走っていた。
命からがらまるで目の前の現実から逃れるために走り続けていた。いや、俺は確かに逃げているのだ。
現実から?
そんなはずはない。いくら走ったところで現実からは逃れられないことなど百も承知だ。どれだけ足掻いたとしても日曜日が終わればまた忌々しい月曜日がやってくるように誰もが平等に現実からは逃げられない。
なら、俺はそんなに何から必死になって逃げているのかって?
それは正直なところ俺自身にも分からなかった。ただ一つ言えることがあるとすれば、もしこのままアレに捕まってしまえば俺を待っているのはおそらく『死』だけだ。
背後には目もくれず、無様に尻尾を巻きながら逃げる。言い方を変えるなら、俺は今生きるために前だけを見つめていた。
どれだけ走っても眼前にはひたすらに薄暗い森だけが続く。時折、日の光が差しているから今は夜ではないだろう。もうどのくらい走り続けたことだろう。額からは汗が溢れ、胸は息が出来ない程に苦しい。おまけに喉は乾き、体力の限界ももうすぐそこまで迫っていた。
いい加減、追っ手をまかなければ。そう思い俺が後ろを振り向こうとした時だった。樹木の根に足を奪われ、俺の体は勢い余って地面を埋め尽くすように生えたコケの上に転がる。
「い、痛てて……」
「おい、そこのお前大丈夫か?」
地面に倒れた俺の前に立っていたのは一人の男だ。中年で小太り、何処にでもいそうなおっさんだった。
「おっさん、誰?」
「俺は長谷川ってんだ。お前もあいつらに追われて逃げてるんだろ?」
どうやらこの人も俺と同じ。追っ手から逃げているらしい。まずは追っ手の仲間ではないことに一安心して、胸を撫で下ろす。
上体を起こし、周囲に追っ手がいないことを確認していると、男はカバンの中から水筒を取り出し俺に手渡してくれた。
「飲め。安心しろ、ただの水だ」
俺はひとまず差し出された水で喉を潤す。水筒に入っていた水を飲み干し、手の甲で額の汗を拭う。
「おっさん、長谷川さんって言ったっけ? 教えてくれ、俺はなんで追われてる? それに一体あいつらは何なんだ? ここは何処なんだ?」
「まずは落ち着け。ああ、お前の言いたいことは分かってる。だから俺が知ってることを今から教えてやる。今俺たちがいるこの森はおそらく日本じゃない。どうして俺たちが追われているかまでは分からないが、俺はあいつらの姿をこの目で見たんだ。あれは人間じゃねえ、モンスターだ」
「モンスター!?」
「ほら、よくあるだろ? ゲームとかで出てくるあれだよ。信じられないかもしれないが、俺たちは今日本じゃない何処か。たぶん異世界にいる。それで元の世界に戻るには……うっ」
そこまで言いかけるとおっさんは何も言わず静かに地面に倒れ込む。異変に気が付いた俺はすぐにおっさんに駆け寄った。そして、おっさんが倒れた原因を理解する。
おっさんの背中には一本の矢が刺さっていた。それもかなり深い。次第に赤く染まるおっさんの背中と血がついた自らの手を俺は見つめていた。
「お、おっさん!? おい、長谷川のおっさん! しっかりしろよ! おっさん!」
「お、おまえ……だけでも……にげ……ろ」
「おっさんはどうすんだよ! 早く医者に見せないと! このままだとマジで死んじまうぞ!」
力なく地面に横たわるおっさんの体を背負い俺は立ち上がる。
このまま長谷川のおっさんを死なせるわけにはいかない。水を分けてくれた恩だってある。まだまだ聞きたいことだって山ほどある。何より俺には人を見殺しにするだけの度胸なんてものはさらさらない。
ところが地面に生えたコケで足が滑り、思うように前に進めない。それだけじゃない。想像以上におっさんの体重も重い。普段から運動不足な俺にとっておっさんを背負いながら何処かも知らない森を、それもモンスターとかいうやつらに追われながら抜けるのは現状から察するに不可能に近かった。
「くそぉー! なんなんだよ! 俺が一体何をしたって言うんだよ!」
無性に込み上げてくるやるせない思いは行き場のない怒号へと変わる。
「おっさん! 長谷川のおっさん! 俺が助けてやるからそれまでぜってぇ死ぬんじゃねえぞ!」
すでに返事はない。気を失ってしまっただけなのか。それとももうおっさんは……。
訳も分からず、死にゆくおっさんを背負いながら俺は森を進む。汗以上に目には涙が滲んでいた。何度声をかけてもおっさんはもう返事がない。背中からは呼吸すら聞こえて来ない。ただずっしりと重い、命の重みを背に俺は歯をくいしばることしか出来なかった。
すると俺の肩からぶら下がっていたおっさんの腕が青白い淡い光に包まれ始める。
「おっ……さん?」
それが何を意味するのか。俺は直感で理解した。いや、ついさっき長谷川のおっさんが口にした「ゲーム」という言葉を聞いていたからこそ、それが何なのかを理解出来たのだろう。
それは――命の輝きだ。
おっさんは――死んだのだ。
俺は溢れる涙を必死に堪えて、再びおっさんを地面の上に寝かせる。
きっと、苦しかっただろう。痛かっただろう。数分前に顔を合わせたばかりの関係でも俺はおっさんに助けられた。矢が背中に刺さってるにも関わらずおっさんはこんな俺を助けてくれたのだ。
俺は絶対に長谷川さんのことを忘れない。
そして、長谷川さんを殺したあいつらを許さない。
まるで昼寝をしているかのように眠るおっさんに俺は両手を合わせる。
「ありがとうな、おっさん……」
おっさんの体を包む光は徐々に全身の輝きをまし、おっさんの姿を包み込む。程なくして光がその輝きを失くす。
俺が目を開くと――おっさんは棺桶になっていた。
「……って、マジでゲームじゃん!」
中央に十字架マークが刻まれた見覚えもなくはない棺桶姿に変わってしまったおっさん。何が起こったのか理解が出来ず、ひとまず棺桶に手をかけようと俺が身を屈めたその時だった。
「んっ!?」
背筋に激痛が走る。体の自由が奪われたように地面に倒れる俺。その背中にはおっさんを死に至らしめたのと同じと見られる矢が刺さっていた。
言葉も出ないほどの激痛が背中から全身を巡り指先にまで伝わる。荒げた息に混じって口から血を吐き出す。どうやら肺をやられたらしい。
「こんなのありかよ……」
地面の冷んやりとした感触を感じながら徐々に意識が遠ざかり、もう周囲の音も聞こえない。俺がこの目に最後に見たものは隣に横たわるおっさんの棺桶とその向こうの茂みから迫りくる人ならざる者たちの姿だった。
こうして俺は――死んだ。
◆
「偉大な……御心の……神よ……の者を……たまえ……」
眩しい光。まるで水面から差し込む光を見ているみたいだ。それと何処からか聞こえてくる声。女神のような温かい声。
そっか、俺は死んだのか。
ということは、ここは天国?
異世界の次は死んで天国に来たのか。
「ほら、そこのあなた、目覚めるのです。ここは宿屋ではありませんよ」
妙に現実感のある声だ。
女神様っていうのは意外にそういうものなのか。
「起きろ、コラァ!」
上空から大地に向けて突き落とされたような感覚の直後に全身を衝撃と鈍い痛みが襲う。
眩しい光に目を細めながら目覚めるとそこは天国ではなかった。色鮮やかな装飾が施されたカラフルな窓から差し込む光に照らされた教会。その教会の祭壇の下、絨毯の上で俺は目を覚ました。目覚めた俺を待っていたのは虫ケラを見るような目で俺を見下げた修道服のシスターだった。ひらひらと靡くスカートが俺の鼻先をかすめる。
「……シスターさんっててっきり白かと思ってたけど、そういう色も履くんですね」
「死ね」
目覚めたばかりの俺を祭壇のある階段の上からシスターとしてあるまじき一言と共に蹴りの一撃が突き落とす。
強打した後頭部を抱え床にうずくまる俺を見つめシスターはスカートについたほこりを払うと、まるで仮面のように作られた笑みを浮かべた。
「痛って〜」
「神からのあなたへの罰です」
「随分と都合の良さそうな神だな」
俺の一言にシスターは笑顔を崩さないまま拳の骨をパキパキと鳴らす。その姿に俺は思わず身を縮める。
どうやら、このシスターさんは俺のイメージしていた優しいマザー的な人ではないようだ。俺はこの人を「暴力シスター」と呼ぶことにした。勿論、そんなことを実際に口に出すような恐ろしい真似をするわけはない。
周囲を見渡すが、そこはやはり教会だ。窓から差す温かな光と静かな空間。そして、神に仕える者として相応しいか苦言を呈する必要がありそうな悪魔のような暴力シスター。
一体、ここは何処なのだろう。
「俺は確か……矢が刺さって……死んだはずじゃ? 生きてたのか?」
背中に痛みはまるでない。触っても傷口すら見当たらない。あれは夢だったのか?
状況理解に苦しむ俺の様子を祭壇の上から腕を組み見ていた暴力シスターが「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「あなたが森でモンスターに襲われて、あっけなく死んだから、その魂を教会でわざわざ、この私が、あなたのような存在を、蘇らせてあげたのよ。神と私に感謝することね」
「やっぱり、俺はあの時死んだのか……」
本来なら生き返ったこと自体驚くべきことなのだろうけど、訳も分からず襲われて、死んで、その挙句に蘇ったのだ。結果、プラマイゼロ。いや、むしろマイな気がする。ゲームでもよくあるじゃないか。死んだら所持品や所持金がなくなって近くの町でリスタートって。おそらく、この教会もそんな感じなのだろう。だとしても、俺には何も失うものがなかったことが幸いだったと言えるのか。
失うもの?
生き返った命?
大分遅れて大きな疑問が俺の脳裏をよぎる。
「長谷川のおっさんは? おっさんは生き返ったのか?」
「は? 誰それ?」
「俺と一緒に森で死んだ人だよ! もう一人いただろ! 俺の他に生き返ったやつはいないのか?」
何が気に食わないのか暴力シスターは怪訝そうな顔を浮かべる。
「いたはずだ、もう一人! 長谷川のおっさんが!」
暴力シスターは親指で祭壇の脇を指す。
そこにはおっさんが姿を変えた棺桶が置かれている。
「よかった、おっさんは無事なんだな。って、もう死んでるけど。おっさんはまだ生き返らないのか?」
「一人目はサービス。二人目以降は一人当り500Gよ」
「は? 生き返らせるには金がいるのか?」
「当たり前でしょ。いくら神が寛大でも教会を支える私たちは人間なの。食事もするし、買い物だってする。ここはそういうビジネス教会なの。今時、お金も取らないで人を生き返らせる教会なんてあるわけないじゃない。お金を出せば人が生き返るなら安いもんでしょ。分かったらさっさと出すものを出しなさい」
暴力シスターは詐欺シスターでもあった。
とは言われても、俺には所持品も所持金も何もないからこそ失わずに済んだわけで、おっさんを生き返らせるための金など払えるはずがない。そもそも円ならともかく「500G」って、いくらなのだろう。俺はこの世界の通過など知らない。
「今は金はない。だけど、必ず後から返す。だから長谷川のおっさんを生き返らせてくれ。話はそれからだ」
「はぁ〜? 金が払えないなら生き返らせるわけねえだろ? それとも死んだそのおっさんってやつがお前の金を持ってんのか? あぁ〜ん?」
「いや、それは……分からないっていうか……」
「金がないならさっさと失せな。これは神のお言葉でもあるのです」
出て行けと言われたところで俺には行くあてなど何処にもない。外に出れば宿屋なんてものがあるのかもしれないが、それもお金があればこその話だ。教会というのは行き場をなくした者を救う場所だと思っていたが、そんなことを言えば暴力シスターは泊めてくれたとしても宿屋以上にぼったくられることは目に見えて分かる。
金さえあれば、長谷川のおっさんを生き返らせることだって出来るというのに、現実世界も異世界も金がないと何も出来ないのか。
その場に蹲ったまま動かずにいる俺に暴力シスターは呆れたようにため息を漏らす。言いたいことはなんとなく分かる。ここにいても邪魔なのだろう。それでも今の俺には行き場がなかった。
「あんたさ、いつまでそこでそうしてるつもり? 祈れば神様が助けてくれる、なんて思ってるわけ?」
「俺だって好きでここにいるわけじゃない……」
「じゃあ、そんな不幸なあんたに私がいいこと教えてあげる。教会を出てすぐの通りを左にずっと進んだ先にお城があるわ。そこの王様が勇敢な若者を探してるみたい。でも、この町の住人は誰も名乗り出なかった。どうせ、行き場がないならあんたが行ってみたら? きっと歓迎されるわよ。あ、勘違いしないでね。これは神のお言葉だから。私は何があっても責任なんて取らないわよ。まあ、死んだらまたここに帰ってくるだけだしね」
「……城?」
◆
言っておくが俺は神など信じてはいない。故に神のお言葉というやつも都合のいい方便だとしか思っていない。別に暴力シスターの言葉を鵜呑みにしたわけではないが、あのまま教会の祭壇の前に蹲っていたところで何も変わらないのなら、流れに身を任せるのも悪くはないだろう。死んだところでまた暴力教会に飛ばされるだけなら、もうこの世界に恐れるものなどそう多くはないはずだ。
それに上手くいけば、長谷川のおっさんを生き返らせるための資金を集めることだって出来るかもしれない。
そんな軽い思いで俺は王が住む城の城門の前へと来ていた。
城門の前には鎧姿の屈強な男が二人。見るからに強そうなあの男たちはたぶん城を守るための警備兵だろう。
俺は迷うことなく正面突破を試みる。
「あの〜すいませ〜ん、王様に会いたいんですけど?」
「なんだ貴様は!?」
「新手の刺客か!?」
鎧姿の男たちはそれぞれ槍と剣をその手に構える。こちらが丸腰状態にも関わらず、男たちは手に持った武器の刃を俺に向けたまま動こうとしない。いや、これではこちらも動けない。
「貴様は何者だ!」
「王に何の用だ!」
「い、いや、なんか王様が若者を探してるって聞いて来たっていうか……その……」
「おぉ! あなた様が!」
「なんと! 貴殿が!」
「え!?」
どうしたことだろう。さっきまで俺を刺客扱いしていた男たちは手のひらを返したように丁重な扱いで俺を城の中へと招き入れた。見るからに高価な美品や絵画な並ぶ長い廊下の果てに大きな扉の前で男たちと俺は足を止める。
「王様、お伝えいたします! 伝承の予言にあった通り勇敢なる若者が先ほど訪ねて参りました!」
「え? 伝承? 今なんて言った?」
「何卒、御目通りを願いたく申し上げます! この若者は必ずや我が国をお救いになることでしょう!」
「おい? 国を救うって言ったのか? おい!?」
男たちの声に応えるかのように大きな扉が重々しい音と共に開き、眼前には煌びやかな黄金の玉座の間が広がる。長く続いたカーペットの先。部屋の奥に置かれた王座には一人の白く豊満な髭を生やした老人がぽつんと腰を落としている。品のある衣をその身に纏い、頭には色鮮やかな無数の宝石がちりばめられた王冠を乗せている。誰がどう見たってあの老人がこの城の主であることは一目瞭然だ。
「よくぞ参られた、勇敢なる有志に溢れた若き者よ。我こそがこの城の王である。苦しゅうない、楽にしてよいぞ」
「あ、はい」
「さっそくで悪いが、そなたは何故この城に導かれたか分かっているな?」
「いえ、全く」
「そうであろう、そうであろう。そなたは勇者の素質を秘めた選ばれし者なのだ」
「もしも〜し、人の話聞いてますか〜!」
さっきまで確かに後ろに控えていたはずの男たちの姿もない。なんだか危ない雰囲気の話になってきた。心配そうに周りをキョロキョロと見回す俺をよそ目に王を名乗る老人の話は続く。
「先代の勇者が死闘の末に封印したとされる魔族の王があろうことか復活を果たし、再びこの大陸各地で猛威を振るっている。魔王が生み出した魔物たちは残虐の限りを尽くし多くの罪なき人々が苦しめられておる。だが、頼みの先代の勇者は行方知れずのまま。魔王軍の進撃はとどまることを知らず、このままでは我が城が落ちるのも時間の問題。しかし、そんな我らにも希望の光が残されておる。それが伝承の予言に綴られし勇敢なる若き者、そなたであるのだ。死を待つだけの老体の願いをどうか聞いて欲しい。そなたがこの国を救ってはくれないだろうか?」
「いや〜、って言われてもね〜俺に出来ることなら助けてあげたいけどさ〜」
「見事魔王を討ち亡ぼすことが叶ったなら、そなたの望むものを何でも一つ褒美として与えることも厭わん」
「え、じゃあ、500Gも?」
「無論、大金でも構わん」
交渉成立だ。
長谷川のおっさんを生き返らせるための資金が集まるなら、そのついでに困っている人々や国一つ救ったところで何の問題もない。どうせ死んだとしても暴力教会で蘇るだけだ。
それにこんな俺が勇者様になれる絶好のチャンスなんじゃないのか?
世界を救った英雄として崇められるのもまんざらでもない。ってか全然悪くない。美女に囲まれ、世界に俺の名前を轟かせる。もしかすると現実世界なんかよりずっと俺が待ち望んだ未来が待っているような気さえする。
何より、長谷川のおっさんを生き返らせられるなら今の俺には断る理由なんてものはあるはずもない。
「分かりました。この俺が必ずや国を救って見せましょう!」
「おお、さすがは伝承に語られし勇者よ。ならば旅立つそなたのために僅かばかりではあるが我からの餞を贈ろう。受け取るがよい」
王の合図に合わせ現れた二人の男たちが俺の前に厳重に閉ざされた宝箱をそれぞれ一つずつ並べる。大きな箱と小さな箱が俺の前へと置かれた。
これから世界を救うための旅に出るのだ。それ相応の武器や鎧、金品が中に入れられているであろうことは容易に想像がつく。
「これは?」
「うむ、ではまず小さな箱から開けるがよい」
小さな箱とは言っても人ひとりが余裕で入れる程の大きさはある箱だ。それだけ大きいと蓋だけでもかなりの重さだ。全身に力を込めて、宝箱の蓋を力任せにこじ開ける。
開かれた箱の中には一本の棒状の何かが入っていた。
「こ、これは!?」
「うむ、ひのきの棒じゃ。そなたの好きに使うがよい」
「い、いらねえーよ! ただの木の棒じゃねえか! こんなんでどうやって戦えって言うんだよ! 殺す気だろ! 絶対、俺を殺す気だろ!」
「落ち着くのだ。それはただの棒ではない」
王の妙に威厳のある口ぶりに俺は思わず口をつむぎ次の言葉を待った。
「それは我が一族に伝わりし伝説のひのきの棒である。『あぁ、この先は道が分かれている、どっちに向かえばいいんだ?』となった時にこの棒を地面に垂直に立て、手をそっと離すのだ。すると棒はそなたが向かうべき道を指し示してくれるであろう。このひのきの棒こそ、必ずやそなたの道しるべとなるに違いないぞ」
「お、お前本気で言ってんのか!? やっぱり、ただの木の棒じゃねえか! どう考えたっていらねえーだろ!」
「うむ、そなたがそこまで言うのならば次に大きな箱を開けるがよい」
そうだ、箱の数は二つ。一つがはずれだったとしても、もう一つあるじゃないか。それに今度の箱は一つ目の箱より大きい。もしかすると二つ目の箱には本当にとんでもないものが入ってる可能性だって十分に考えられる。
俺は王の言葉に従い大きな宝箱の蓋に手をかける。ギシギシと音を立てながらゆっくりと蓋をこじ開けた。
箱の中から現れたそれを手に取り、先ほどの小さな箱から出てきたひのきの棒と見比べる。
「一応聞くけど、何これ?」
「見れば分かるとは思うが、ひのきの棒じゃ」
「二本目!? なんで宝箱の中身が両方ともひのきの棒なんだよ! 他になんか入れるものあっただろ! テメェ、さては俺の反応を見て楽しんでるだけだろ!」
「まあ、聞くがよい」
またも冷静に王が神妙な面持ちでその場の空気を鎮める。それもそうだろう。国の未来を託す勇者にただの木の棒を、それを二本もただ渡すとは思えない。おそらく何か深い理由。もしくは重大な秘密があるに違いない。
「よく二本の棒を見比べるのだ。二本目の方が15センチも長い!」
「……だからなんだよ!」
「うむ、実のところ我が国の情勢は今やそれほど良いものではない。周囲の国々は次々に魔王軍に侵略され、我が国は現在孤立状態にある。魔王軍が攻め込まなくともこのままでは滅びを免れまい。事態は一刻を争う。せめて周囲の国々と連携さえ取れれば手の打ちようがあるのだが。すまぬ、勇者よ。我々が今そなたに贈れるのはこれが精一杯なのだ」
確かに城に来るまでの道中も見た限り豊かさや活気はあまり感じられなかった。どちらかと言えば戦時中を思わせる街並みだ。
「魔王軍討伐のために出兵した我が城の兵隊も誰一人として戦地から帰っては来なかった。この城も我を含め残るはたったの三十名程。勇者よ、どうか、どうか、お救いくだされ」
一国の王が玉座から腰を上げ、俺に頭を下げたのだ。周りにいる男たちもそれは同様だった。
この国には俺が思うよりもっとずっと危機が迫っているのかもしれない。
なら、誰かが救わなければこの国は間違いなく滅びの道を辿ることになるだろう。
そして、その誰かは他でもない俺なのだ。
もう――俺しかいないのだ。
「分かったよ。必ず俺が魔王を倒す。そんで500Gも手に入れて長谷川のおっさんも生き返らせる。ついでに暴力シスターを見返して、ハッピーエンドにしてやるぜ!」
「うむ、ならば旅立つがよい。若き勇者よ。この時を持って世界の命運はそなたの手に託されたぞ。最後につかぬことを聞くがそなたの名を聞いてもよいか?」
名前。すっかり忘れていたが、俺はこの世界に来てから自分の名前を口にしていなかった。本名を名乗るのも悪くないが、せっかくなら勇者に相応しいかっこいい名前を名乗ることにするか。
「俺の名前か〜、そ〜だな〜……」
「うむ、そなたの名前はあああああと言うのだな?」
「おい、なんで勝手にAボタン連打したみたいな適当な名前になってんだよ!」
「ならば我が直々に名を授けよう。そなたは今日から勇者のユウタ。そう名乗るがよい」
「ユウタね〜。なんか普通だけど、まあいいか。勇者のユウタ、そのままで覚えやすいしな」
「うむ、では行くがよい。次に会う時、そなたが世界を救った勇者であらんことを!」
◆
城を出た俺はひのきの棒を両手にその足で町中を彷徨うように練り歩いた。そうして俺がまず立ち寄ったのは武器屋だ。武器を買ってさっさとこんな町とはおさらばしたいというのは正直な思いだが、何しろ今の俺は一文無し。王にお小遣いくらいもらえるかと期待したが結局手に入れたものと言えば使い道のない木の棒だけ。それも二本も。
武器屋に着いた俺は迷うことない足取りで木のカウンターへ向かい、躊躇なく手に持っていた二本のひのきの棒を売り払った。だが、ただの木の棒が二本あったところで金に変わるはずもない。心優しい店主の好意でなんとか二本合わせて5Gで買い取ってもらったが、それでも宿屋に一泊するには足りないと言われてしまった。
この世界の金銭感覚はまだ俺には理解出来ないが、とりあえず5Gはゲットした。あと495Gで長谷川のおっさんを復活させられると考えるとなんだか、そう遠くない話のようにも思えてきた。案外、俺が思うよりも暴力シスターは良心的な値段を提示していたのではないだろうか。
だが、武器屋を出ると同時にそんな僅かな希望の光が差し込み始めていた俺の心をへし折る光景が広がっていた。
町中の至る所から黒煙と火の手が上がり、人々の悲鳴が通りに轟く。まさにそこは地獄絵図だった。
「……え〜」
「魔物が攻めて来たぞー!」
「子供と老人、女は優先して城へ避難させろー!」
「死にたくなかったら早く城へ避難するんだー!」
怒号が飛び交う通りの向こう。森で俺と長谷川のおっさんを襲ったやつらと仲間だろう魔物たちが人々を襲い、建物に火を放っているのが見える。
「あいつら……くそぉ!」
怒りで拳を握りしめる。だが、今の俺の手に武器なんてものは握られていない。事情を話せば心優しい武器屋の店主なら店にある武器の一つや二つを貸してくれるかもしれないが、武器があったところで俺が勝てる保証なんてない。でも、俺はこの危機的状況を無視して逃げ出すことなんて出来るのか?
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
逃げるわけないだろ?
俺はこの世界を救う勇者になるんじゃなかったのか?
でも、一体どうすればいい……。
武器屋の玄関の前に立ったまま動けずにいる俺を一人の女の子が見つめていた。
「お兄ちゃん、勇者様なの?」
「あ、あぁ……まぁ……勇者だけど」
「わぁ〜! 本物の勇者様だぁ! 私たちを助けに来てくれたんでしょ?」
「う、うん……そう……俺は君を助ける……」
助ける――はずだった。
なんて言えるのか?
この子を見捨てて俺は逃げるのか?
死んだって何度でも蘇るじゃないか。でも、だからと言って死ぬのが怖くないわけじゃない。痛いし、苦しいし、あんな思いはもう二度とごめんだ。長谷川のおっさんは自分が苦しい状況でも見ず知らずの俺を助けてくれたじゃないか。一度はあっけなく失った命だ。
なら――俺だって一度くらい誰かのために命を使ったって当然なんじゃないのかよ!
「ああ、俺は君も、この国も、世界だって、魔王だかなんだか知らねえが、どんなやつからも守ってみせる! 救ってみせる! 何故なら――俺は勇者だからだ!」
一歩大きく踏み出す。
後悔など、もうしない。
例え何度地べたを這って無様に命尽きようとも俺は誰にも負けない勇者になる。
いや、なってやる!
女の子を背に魔物たちへ向かって走り出した俺の脇から一人の人影が颯爽と魔物たちに駆けて行く。その手には二本の武器。その人は手に持った武器を駆使し、次々に町を襲っていた魔物たちをなぎ倒していった。
目の前で起こる異様な光景に俺は無意識のうちに立ち止まり、まるでヒーローショーを見ている傍観者に成り果てたようにその場に立ち尽くした。
それからしばらくして町を襲っていた魔物たちは一匹残らずその人によって駆逐された。
夕日に照らされ赤く染まった町の中、討伐された魔物たちのしかばねの上に立ったその人は俺よりも勇者している勇者だった。
「ふう、まだ店のローンが残ってるんでな。私の店を壊されるわけにはいかないのだよ。それにしても懐かしい感覚だ。まるであの頃を思い出すよ。はっはっはっはー! それにしてもこの棒の力は一体……」
その人の手に握られている二本の武器を俺は知っている。
だってあれは――俺がさっき売ったひのきの棒なのだから。
そして、魔物たちをあっという間に殲滅したその人こそ、俺がひのきの棒を売った店の店主。
いや、そのお方こそ行方不明になっていた先代の勇者であったのだ。
かくして俺の長谷川のおっさんを生き返らせるため、そして世界を救い勇者となるための冒険は幕を開けた。王から授かったひのきの棒を失い、僅かばかりの硬貨を手に俺は世界を救う旅に出る。
え? 結局俺は魔王を倒して世界を救ったのかって?
それはまた今度の物語になりそうだ。
じゃあ、そろそろ行くとしよう。
若者よ――勇者であれ。
『大丈夫なんて信じちゃいけな異世界』本編を読んでいただきありがとうございます。
この作品は思いつきと勢いだけで書いた異世界ギャグファンタジーです。
よろしければブクマや評価、感想をお待ちしております。