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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第一章 不思議な力を持つ少女
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 * * *




 見渡す限りの闇の中で、ラースははりつけ状態になっていた。左右、前後を振り向いてみるが、何も確認できない。自分が何によって拘束されているのかも分からない。

 声を上げようとした途端、自由が利かないラースの体を、『何か』が這いずり回るような感覚が襲った。ラースの身体を(むしば)んでいくかのように、侵食していくかのように、その『何か』はラースの中で徐々に大きくなっていく。それに連れ、ラースは身体の内側が溶けるように熱くなる感覚を覚えた。

 必死の抵抗を試みる……しかし、体は見えない『何か』によって、言うことを聞かない。そもそも、体中を駆け回る『何か』に対する、抵抗の手段が分からない。無駄に足掻いている内に、『何か』の侵食はとうとう、手足の指先にまで行き届いた。


 ――これは、まるで、俺じゃない……。


 その言葉が一番、今の状況に当てはまっていた。――そうだ、まるで俺が俺じゃなくなっているかのような……。


「や……めろ……」


 ラースはわずかな力を振り絞って叫んだ。しかし、『何か』の侵食は止まらない。

 体内の熱が、ラースの意識すら溶かしてしまいかねないほどに高まる。朦朧(もうろう)とする意識に抗い切れず、ラースがとうとう気を失いかけた……その時。


「ラースさん!」


 ――命の手綱。少女の、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


 縋るように、ラースは差し出された手綱に手を伸ばす……そうしてようやく、ラースは意識を取り戻した。

 目を開けると、そこは少しだけ狭苦しさを感じるダイニングキッチン。そして隣には、茶髪のショートカットの少女が、白いワンピースの上にエプロンを着た格好で立っていた。


「どうしたんですか? ラースさん、随分とうなされていましたよ?」


 エメラルドの瞳を向けながら、その少女は心配そうに、ラースに安否を問う。


「あ、あぁ……」


 返事を返すと、ラースは一度大きく深呼吸をし、落ち着きを取り戻した。同時に、これまでのことを振り返ってみる。


 深夜にリバームルを離れてから、ラースはしばらくの間、平原を道なりに歩き続けた。目的地であるネムヘブルに辿り着いたのは、朝方のことだった。

 ネムヘブルに着いてから、ラースは一人の村人と出会った。今、ラースの隣にいる、セラ・マリノアという名の少女だ。最初は、宿屋がどこにあるのかを尋ねただけだったのだが、村にはそもそも宿屋がないらしく、代わりにセラの家の一室を借りることとなった。

 さらに、セラはまだ朝食を食べていないラースのために、食事を用意するとも言ってくれた。今はその食事ができあがるのを、席について待っている最中だった。どうやらその時に、うたた寝をしてしまったらしい。


「悪いな……最近何か、夢見が悪くてよ」

「大丈夫ですか?」


 再度尋ねるセラに対し、ラースは「もう大丈夫だ」と言ってうなずいてみせた。ほっと安堵するや否や、セラは朝食のことを思い出し、改めてラースに伝えた。


「ラースさん。朝ごはん、もうできてますよ!」

「お、ホントか?」

「はい!」


 そう返事するなり、セラは料理を持って来ようと、早速台所へ向かった。

 ラースは、セラが自分から目を離すのを確認するなり、険しい顔つきで頭を抱え込んだ。悩みの種はもちろん、先ほど見た嫌な夢だ。


 この頃、夢見が悪いというのは確かだった。しかし、今回の夢は、今まで見てきたものとはまるで違っていた。

 そもそも、あれは夢なんかではなかったとラースは思う。

 悪夢を見て動揺するのはよくある……しかし、(むしば)まれかけるほど追い詰められたことは一度もない。もしあの時、仮にセラが呼んでくれていなかったらどうなっていたか――ラースは、何となくだが確信が持てた。死んでいた、と。


「ラースさん」


 あれは一体何なのだろう……そう考えていたところ、自分に向けられたセラの声に気付き、ラースは我に返った。


「持って来ましたよ」


 目を向けると、セラの両手には、料理の乗った皿が抱えられていた。


「はい、どうぞラースさん」


 ラースの前に、セラお手製の料理が差し出される。その料理というのは、ラースが先ほどセラに要望していた一品――サンドイッチだ。


「サンキュー……お、意外と上手にできてんじゃねーか」

「ありがとうございます! 私、料理には結構自信があるんです」


 セラの作ったサンドイッチは、パンや具材が乱れることなく綺麗に整えられて、上品な仕上がりになっていた。セラが胸を張るだけのことはあると、素直に思う。


「どうぞラースさん、召し上がってください!」

「あぁ。それじゃあ……」


 ラースは差し出されたサンドイッチに手を伸ばした。


「遠慮なく……」


 そして、期待に胸を膨らませながら、サンドイッチをそのまま口に運び、頬張った。しかし、ラースが思い浮かべた期待はことごとく裏切られてしまう。


「うぐっ……!」


 突如、口の中を強い酸味と辛味が襲う。急に現れた不自然な味に、ラースは衝撃と共に顔をしかめた。

 噛む動作を中断し、舌でそれが何なのかを確かめる……これは、タバスコか?

 すると、調べているうちに、今度は甘味が口全体に広がった――生クリームだ。どうやら、生クリームまでパンに塗られてしまっているらしい。

 パンに挟まれていた卵焼きも、悪い意味で強烈な味をかましている。塩コショウの分量が多すぎるのが、少し口に入れただけでむせてしまうほど、辛かった。

 セラの調味が強烈過ぎるからか、生のまま挟まれていた野菜とハムは、もはや何の味も感じない。これは……食えたものではない。


「ラースさん! 味はどうですか?」


 セラがにこにこしながら、ラースの「おいしいよ」を待ち構える。

 だが、当の本人はそれどころではなかった。普段のラースなら、即座に「まずい!」と叫んでいるところだが、そのあまりのまずさに喋ることすらままならない。ただでさえ、口の中のものを飲み込もうとするだけで精一杯だというのに……。


「……ラースさん?」


 ラースからの返答がないので、セラは心配そうにラースを見つめた。そんなセラを見て、ラースは焦り、無理に口の中のものを飲み込んでしまった。

 ごくん、と。


「おいしいですか?」


 おいしいわけがなかった。だが、皿の上には、まだ同じものがもう一つ残っていた。

 ここで「おいしい」などと言ったら、最後までサンドイッチをたいらげなければならない。それだけは避けねばと、ラースは自身に言い聞かせる。


「あー。なんか俺、もうお腹一杯だな……」

「えっ! そ、そうなんですか?」


 嘘に決まっている。


「悪いけどよ。残すわ、コレ」


 そう言って、ラースは逃げるようにその場を後にした。


「……もったいないです」


 ラースが食べずに残したサンドイッチを見て、セラは口惜しげに呟いた。




 * * *




 部屋に戻ったラースは、口の中にこびりついたものを取り除くため、バッグの中から水筒を取り出し、水を口に含んだ。そして、すぐにうがいをし、窓から顔を出して、口の中のものと一緒に吐き出した。


「危なかった……」


 げっそりしながら呟く。


「にしても、たかがサンドイッチであのザマだなんて、アイツ、相当料理が下手くそなんだな……」

「…………」

「アレだったら、まだ俺が作った方がマシだな……。次からは、俺が飯を作ってやろうかな……」

「…………」


 独り言を止め、ラースは外の様子を窺う。ラースが窓から顔を出したのは、わざわざ口に含んだ水を外に吐き出すためだけではなかった。さっきから、誰かの視線がまとわりついているのだ。

 しばらく待ってみたが、やはり何者かの動きはない。これ以上付きまとわれるのもうんざりだと思い、ラースは外で積み重なっている木箱に向かって叫んだ。


「オイ、いつまでそうしてるつもりだ?」

「うっ……!」


 男の声が返ってきた。ラースは確信を持って言葉を続けた。


「ずっと俺のこと、覗いてただろ。とっくにバレてんだよ。コソコソしないで出てこい」

「うぅ……」


 とうとう観念した様子で、その人物は木箱の隅から姿を現した。


「俺に何の用だ?」

「う、うるせ―っ! お前こそ何なんだよ? セラちゃんとあんなに楽しそうにさ!」


 物陰から現れたのは、ニワトリの鶏冠(とさか)みたいに赤いモヒカンをした男だった。見た目は二十代前後だが、その見た目に似合わず、何だか子供っぽい。


「……アンタ、誰だ?」

「俺か? 俺は……」


 男は、胸をやけに誇らしげに張って、答えた。


「俺はセラちゃんの婚約者第一候補、トーマス様だ!」


 残念だったな! と、トーマスと名乗った男はラースに罵声を飛ばした。


「は~ん……アンタが第一候補ねぇ……」


 そんなわけないと言わんばかりに、ラースが呆れた目でトーマスを眺める。


「オイ! 何だよその顔は!」

「別に?」

「ハンッ! 悔しいんだろう? ざまぁみやがれ! 今の俺とセラちゃんはアッツアツのラブラブでなぁ……」


「あの……ラースさん?」


 ラースが後ろを振り向くと、セラが部屋のドアから顔を覗かせていた。


「お、セラ。何だ?」

「いえ、別に大したことじゃないんですけど……」


 ラースがちらっと外の方に目を向けると、いつの間にか、トーマスは(こつ)然と姿を消していた。


「あの……どうかしましたか?」

「……いや? 何でもねぇよ」


 セラは頭にはてなマークを浮かべた。


「で? 用は何だよ」


 話を逸らすようにラースが問うと、セラは報告することを思い出し、少し興奮気味に話した。


「あのですね、私、子供達と一緒に遊ぶ約束をしてて……」

「外に出るってか?」

「はい!」


 セラは無邪気に微笑みながら返事をした。


「分かった。それじゃあ、俺は歩き疲れたからしばらく横になっとく」


 そう言いながら、ラースは窓から離れて部屋のベッドに寝そべった。


「分かりました。それでは行ってきます!」


 ラースに敬礼すると、セラは鼻歌混じりにその場を後にした。


「ふぅ……間一髪だったぜ……」


 額の汗を拭いながら、再びトーマスが姿を現した。


「おかしいな、婚約者のはずじゃなかったのか?」

「う……うるせぇ! 本当に俺とセラちゃんは……」

「どうでもいいけど。セラは今から外に出かけるらしいぜ? いいのかそこにいて」

「え?」


 トーマスのすぐ横には、セラの家の戸口があった。


「うぉっ!」


 慌ててまた物陰に隠れる。それとほぼ同時に、セラが玄関から現れると、トーマスの存在に気付くことなく、一目散に外へ飛び出していった。


「ハッハッハ。また間一髪だったな?」


 ラースはまた窓から身を乗り出して、隅っこでしゃがみ込んでいるトーマスに笑いながら言った。


「うぅ……」


 一方のトーマスに、もう言い返す気力はなかった。


「本当、おかしな野郎だな。そんなに会いたきゃ、わざわざそうやってコソコソしなくてもいいってのによ」

「それができたら苦労してないっつーの! あぁ~……かわいいなぁセラちゃん……」


 子供達のいる方へ走っていくセラに見とれながら、トーマスは呟いた。


「おしとやかであどけないところが良いよなぁ~。あ、今日は麦わら帽子に白いワンピースかぁ~、今日もチャーミングで超かわいい~」


 トーマスが、今度は地面の上でごろごろと寝転がりながら愚痴り出した。


「あ~、くそっ! 何で俺じゃなくてコイツばかりがいい目にあうんだぁ? 俺だってそんなに……」


 トーマスは愚痴を吐くのをぱたりと止めた。ラースからの返事が全くないことに気付いたからだ。

 変に思い、トーマスはすぐに上半身を起こし、ラースの様子を窺った。見てみると、ラースは怪訝そうに眉間にしわを寄せながら、セラのいる方とは違う方向を見つめていた。

 トーマスも一緒になって、ラースの視線の先に目を向ける――そして、とある連中が見え、トーマスは目を丸くした。


「あれって、まさか……!」

「――騎士」


 トーマスが言葉に出す前に、ラースが答えた。ラース達が目撃したのは、複数人の騎士が、ぞろぞろと村の中に入って来ている瞬間だった。


「何でアイツらここにいるんだ……? 騎士ってのは、滅多なことでしか動かないはずだろ?」


 トーマスの質問に対し、ラースは騎士達から目を逸らすことなく、言葉を返した。


「さぁ……どっかの誰かさんがストーカー紛いなことばっかしてるから、騎士が捕らえに来たのかもしれないぜ」

「げっ! それってまさか、俺……!」


 ラースの返答を真に受けて酷く動揺しているトーマスをよそに、ラースはなおも騎士を見続けながら、彼らが来た理由を考えた。

 そういう時代だったとはいえ、ラースは『あの頃』の戦争で、故郷ゴンガノの村人達を、そして母を亡き者にした騎士達のことを嫌っていた。騎士になった兄は別として、基本的に、ラースは騎士に信を置いてはいなかった。今の時代、それが偏見であることは承知しているのだが、それでもやはり、騎士のことを信用できないことに変わりはない。

 ――今、奴らが誰かに剣を向けたとしても、何ら不思議ではないな……。皮肉を込めてそう思いながら、ラースは騎士を睨み付けた。




 * * *




「みんな―! オ―イ!」


 広場に着いたセラは早速、先に遊んでいた子供達を大声で呼んだ。


「あ、お姉ちゃんが来た!」


 セラの声を聞くなり、子供達はすぐに、セラのもとへ集まった。


「ごめんなさい、また遅くなって」

「ううん、いいよ別に」


 セラの謝罪の言葉に対し、子供達は笑いながら首を横に振る。

 ――子供達はいつも優しい。その何気ない優しさに、セラはまた少し涙が出そうになる。


「それよりもさ、今日は何をして遊ぶ?」

「あたし、鬼ごっこがいい!」

「ええ~っ? 鬼ごっこ、前にやったばかりじゃん」

「いいじゃん、もう一回やっても!」


 セラは、今にも喧嘩が始まりそうな二人の間に入った。


「あの。それじゃあ、鬼ごっこと少し違った遊びをします?」

「なぁに、それ?」

「『ケイドロ』っていう遊びです。片方が逃げて、もう片方が捕まえるところまでは同じなんですけど、逃げる側が鬼に捕まってしまった場合、その人は決められた場所に留まらないといけないんです」

「鬼、代わるんじゃなくって?」

「はい。でも、まだ捕まってない人にタッチしてもらえば、また逃げることができるようになります」


 子供達が興味深そうな表情を見せる。


「へぇ~っ、なんだか面白そうだね」

「僕、鬼ごっこはちょっとやだけど、けえどろならやりたいかも!」

「それじゃあやりましょうか、ケイドロ! みんなもそれでいいですか?」

「はーい!」


 セラが確認すると、子供達は声を揃えて元気よく返事をした。ようやく、全員の意見がまとまってくれた。

 そうと決まればと思い、セラは人数配分をどのようにするか、声に出しながら考えた。


「えっと……みんな合わせて九人だから……鬼の方を四人にすれば……」

「その必要はない」


 不意に、セラの背後から聞き覚えのない声が聞こえた。セラを含め、全員が声のした方を振り返ると、体を甲冑で堅く覆った男達が立っていた。


「我々五人が加われば合計十四人。そうすれば、七と七できちんと分け切れるようになるはずだが……?」

「お姉ちゃん、この人達とも一緒に遊ぼうよ」


 子供達は皆、男の提案に賛成した。しかしその一方で、セラは首を縦には振らなかった。


「……お姉ちゃん?」


 セラは無言で男達を睨み付けながら、庇うようにして子供達の前に立った。


「一体何の用ですか」


 視線を外すことなく、セラが男達に問う。


「答えてください。あなた達が、遊びに来たわけではないことは分かっています」

「くっくっくっ……」


 途端、男達が肩を揺らして笑い出した。そして、その内の一人が腰に下げている剣を抜き、その先端をセラに突きつけた。


「……あっ!」


 子供達は、男達のいきなりの行動に驚愕した。


「さっきから言っているだろう? 我々はケイドロがしたいのだと。『鬼』となって、貴様の身柄を『捕らえる』遊びがしたいのだ」


 セラの首筋に汗が伝って落ちる。


「あなた達……騎士、なんですよね? 何で、こんなことを……?」


 男が、手にしている剣をさらにセラの首下に近づけた。恐怖が目前まで迫り、セラは小さな悲鳴を上げる。


「自分の立場をまるで理解していないようだ……そんなことを、我々が簡単に口走るわけがなかろう?」


 男の一言により、張り詰めた空気が漂う。すると、ほどなくして別の男が、剣を突き付けている男に向かって口を開いた。


「隊長。この女、このまま素直に私達の言うことを聞き入れるとは思えません」


 どうやらそのようだと、それを聞いた男はうなずいた。そして、男は突き付けていた剣をセラの首から離し、それを上へ持ち上げた。


「ならば、我々の命令を、素直に聞き入れさせるまでだ」


 その言葉は、男達が強硬手段に出ることを意味していた。セラがたじろぐのを見て、男は嫌みたらしく口の端を上げた。


「案ずるな。殺しはしない。だが……我々が貴様をイーストに連れて行くまでの間、大人しくしていてもらおうか」


 男の剣先が頂点まで上り詰める。

 逃げ出したいと思った。早く逃げなければと思った。セラは男達から距離を取ろうと、後退りを試みた。しかし、恐怖で足が竦んでしまい、動かすことすらままならず、男に簡単に距離を詰め寄られてしまう。


「何をしても無駄だ、小娘め……。いくら悪あがきをしようが、何も変わりはしない」


 男が握る手に一層の力を込める。そして、立ち尽くしたままのセラに狙いを定める。セラは、身に迫る恐怖にぎゅっと目を瞑りながら、叫んだ。


「助けて……誰か、助けてっ!」

「諦めろ!」


 男の張り上げた声が、セラの言葉を掻き消した。男は、震えているセラの右肩に目がけて、容赦なく剣を振り下ろした。


「お姉ちゃんっ!」


 子供達も、大きな悲鳴と共に目を手で覆った。セラが斬られてしまったと誰もが予想した。

 しかし、子供達の耳に入って来たのは、ガキンと金属同士のぶつかり合う尖った音。人を斬ったときに鳴るものではない音だった。


 セラもまた、自身の体に刃が食い込んでいないことに違和感を覚えた。なぜ攻撃してこないのだろうと疑問に思い、セラは恐るおそる目を開けたが、男は確かに剣を振り下ろそうとしていた。振り下ろすことをしなかったのではなく、振り下ろすことができなかったのだということを、セラはようやく知った。

 男の一振りを、一人の青年が剣の刀身で受け止め、遮る。第三者が突然現れたことに、男は瞠目する。


「ら……ラースさん……!」


 セラは、その人物が誰なのかを、既に知っていた。

 ラースと呼ばれた青年は、自身の剣で男を相手の剣ごと押し返した。そして、改めてセラの方を振り返り、安否を確認した。




 * * *




 騎士達の暴挙に、ラース達はいち早く気付いていた。というのも、騎士達がネムヘブルに現れたときから、ずっとその動向を観察していたからである。

 奴らが誰かに剣を向けても不思議ではないと皮肉混じりに思っていたものの、まさか本当にそうなるとはラースも予想だにしなかった。騎士の一人がセラに剣を突き付けるのを見て、トーマスは驚愕すると同時に、頭を抱え込んだ。


「やべぇよ……このままじゃセラちゃんが危ない……!」


 ラースもそれに同感だった。一つ大きな舌打ちをこぼすと、ラースは部屋の壁に立てかけていた剣を手に取り、窓を飛び越えて外に出た。


「お前……助けに行くつもりなのか?」


 ラースの行動が意外なのか、目を丸くして尋ねるトーマスに対し、ラースは当然と言わんばかりにうなずく。そして、ちょいと手招きしながらトーマスに言った。


「お前も、セラを助けたいんだったら助けに行くぞ」


 しかし、トーマスは首を縦に振ろうとはせず、ラースに言葉を返した。


「だけど、見りゃ分かるだろ! 相手は剣を持った騎士五人だぞ! あんなのに勝てるわけが……」


 動く気配のないトーマスに苛立ちを覚えたラースが、再度舌打ちをこぼし、反論する。


「だから助けないって言いてぇのか? このままだとアイツが殺されちまうかもしれないのに、それでも助けに行かねぇってのか?」

「そ、それは……」


 何も言い返せずに、トーマスは黙りこくってしまう。いつまでも怖気付いているトーマスに、ラースはとうとう愛想をつかした。


「……悪いけど俺、そんなに長々と待ってられねぇんだよ。先行くぞ」


 そう言って、ラースはトーマスから目を背け、セラ達のもとへと急いでいった。放っておけばそのうち加勢しに来るだろうとラースはまだ少し期待していたが、結局、トーマスがラースの後に続くことはなかった。

 戦闘慣れしていない人間に、騎士に盾突くことを促すのは間違っていたのかもしれないが……。もし自分がいなかったらどうするつもりだったのかなどと考えながら、ラースはトーマスが来なかったことに肩をすくめた。


「セラ! 大丈夫か?」


 そしてラースは、トーマスのことについて考えるのを止め、後ろにいるセラに身の安否を訊いた。


「だ、大丈夫です……うぅ……」


 ラースが助けに来てくれたことに安心感を覚えた途端、セラの目からはぽろぽろと涙がこぼれた。


「おいおい、もしかして泣いてんのか? お前、相当涙もろいんだな」

「ごめんなさい……」


 そう謝りながら、セラは濡れた頬を指で拭った。

 一方で、突然のラースの登場に動揺していた騎士達だったが、ようやく落ち着きを取り戻し、ラースに対して身構え始めた。ぼやぼやしていられないと思い、ラースはセラに声を張って指示した。


「セラ! 後ろの子供達を連れて、ここから離れていてくれ!」

「は、はい!」


 セラはすぐに、言われた通りに子供達を誘導しようとした。


「みんな、もう少しここから離れましょう!」

「うぇぇぇん……お姉ちゃぁん……」


 子供達は、恐怖のあまり泣きじゃくっていたようだ。


「もう大丈夫……だと思います。ラースさんが助けに来てくれましたから!」

「グスンッ……。ラースって、あの人のこと? 狼みたいで何か怖いよ……」


 男の子の一言を聞いて、セラはフフッと小さく笑うと、しゃがみこんで男の子と顔を向き合わせた。


「大丈夫ですよ。確かに狼みたいかもしれないですが……」


 セラがラースの方に顔を向けて続ける。


「ラースさんは、いい狼です。きっと私達を助けてくれるはずです」




 先程セラに襲い掛かっていた騎士が、ラースに剣先を向け、落ち着き払った様子で説得を始めた。


「軽率な真似はしないでもらいたいものだな。我々は、王命に従って動いている。故に、我々の行動は世界のための行動でもあるのだぞ」

「セラに詰め寄って剣を突き付けることが、か?」


 ラースは臆することなく反発した。簡単に引き下がってはくれないかと言わんばかりに鼻で笑い、騎士は言葉を続ける。


「貴様の言うことも理解できる。だが、貴様が庇おうとしているその女はただの女ではなくてな。相当な悪事を起こした凶悪犯罪者なのだ」

「……何?」


 ラースは怪訝そうな顔を浮かべた。


「捜し出すのに大分手間がかかったが……ようやく、そこの女を見つけ出すことができたのでな。よってこうして、我々が女を捕らえに来たというわけだ。我々とて、何の理由もなしに剣を振り上げたりはしない」


 騎士の見苦しい言い訳に腹が立ち、ラースは眉間にしわを寄せた。


「そんな見え透いた嘘で言いくるめられるとでも思ったか? 何の躊躇もなく剣を振り上げるような連中の言うことなんざ、誰が信じると思っている?」


 騎士は呆れたように鼻でため息をついた。


「もう少し物分かりの良い人間だと思ったんだがな。大人しく女を引き渡していれば、命くらいは見逃してやろうと思ったが……」


 悦に入った笑みを浮かべ、騎士は横にいる部下四人に手で合図した。指示を受けた部下達はにやにやと不敵に笑いながら剣を抜き、ラースを一斉に囲い始めた。


「そこまで死に急ぎたいのならば仕方がない。まずは貴様の息の根を止めてやろう」


 子供達から小さな悲鳴が飛ぶ。セラが固唾を呑んで、ラースと騎士達の対決を見守る。

 ラースは剣を構え直し、豹のように鋭い目で騎士達を睨み付けた。──相手が例え国王の手先だろうと関係ない。自分はセラに助けてもらった恩を返すまでだ。

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