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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第九章 最後の戦い
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 * * *




「──起きて。起きなさい、ラース」


 耳元で聞こえてくる声。何だか懐かしいような、気持ちの安らぐ声だ。子供のように甘えたくなり、ラースは「あと五分だけ」と言って寝返りを打った。


「──分かった。じゃああと五分だけね。私もそばにいてあげるから」


 誰かの優しい返事に、ラースは仰向けになって眠りについたまま口元を緩ませた。

 こんなにリラックスしてくつろぐのは、故郷ゴンガノで暮らしていたとき以来だ。だが、十五年前の戦争で、ゴンガノはバルドロス兵に焼き払われてしまい、今はもうない。自分は今どこにいるんだろうと気になり、ラースは虚な目を開けた。

 どこからともなく鐘の音が聞こえる。ぼんやりと人影が見え、ラースが目を凝らしてみると、ラースの母──リアが、隣で体育座りをしながらこちらを見つめていた。


「おはよう、ラース。やっぱりもう起きる?」


 にこりと微笑むリアに対し、ラースは欠伸をしながら「そうする」と言って立ち上がった。

 辺りを見渡すと、かつて見たことも聞いたこともない光景が広がっていた。暗闇の中に無数の横長なガラスが水平に浮いており、階段のように連なっている。どうやらいつの間にか、この階段の上に寝そべってしまっていたようだ。ガラスの階段の先を見ると、暗闇から差し込む一筋の大きな光へと続いていた。


「ここはどこ?」


 ラースが尋ねると、リアは手を解き、足を伸ばして階段に腰掛けたまま答えた。


「ここは天国の階段よ。この階段を上がっていった先にあるのが天国。そして階段から落っこちた先が次元の狭間。生前に悪さをした人達は、この階段を上り切ることができないまま、次元の狭間に落ちてしまうって言われているの」


 だから気を付けてね? と、にっこり笑いながら呼びかけるリアを見て、ラースは思わず苦笑いした。そして、リアの説明を聞いたラースは、自分がどうなったのかを理解して呟いた。


「そっか……俺、やっぱり死んじゃったんだな。あの爆発で……」


 ラースの独り言を聞いて、リアはガラスの階段を一段降り、ラースの前に立ちながら言った。


「正確には違うわ、ラース。あなたはまだここに来るべきじゃない存在。あなたの器は一度消し飛んでしまったけど、復活に向けて、確かにあなたの器は着実に再生しているわ。それまでの間、行き場のないあなたの魂がさまよってここにやって来たの。その証拠に……」


 リアの説明を夢中になって聞いているあまり、背後からそろりと忍び寄ってくる気配にラースは気付かなかった。


「――えいっ!」


 突然、背後から女性の声がした。ラースは振り向こうとしたが、それよりも早く、女性がラースの背後からするりと通り抜けた。ラースの体を通り抜けた女性は体勢を崩してしまったが、すぐにリアがその女性を抱き止めた。


「抱き付こうと思ったけど、やっぱり駄目だったわ」


 そう言って、リアに抱き止められた女性はえへへと笑った。リアも釣られてクスリと笑った。


「何だよ今の……俺の体だけ透けてる……?」


 その一方で、自分の両手を見つめながら青ざめているラースに対し、女性は柔和な笑みをそのままに答えた。


「さっきリアも言ってたでしょ? あなたはまだここに来るべき存在じゃないの。あなたの器がある元の世界に戻ろうとして、この世界から消えようとしているのよ」


 ラースは、体を通り抜けた女性に注目した。エメラルドのさらさらした長い髪にあどけない顔立ちをしていて、寒がりなのかウールのコートを着て赤いマフラーを巻いている。そして、子犬の尻尾のようにぴくぴくと長い耳を動かしながら、女性は興味津々に自分のことを見つめていた。そんな彼女に、ラースは何だか既視感を覚え、頭に浮かんだ名前を咄嗟に呟いた。


「アイリス……?」


 どうやら的中していたのか、女性――アイリスはぽかんと口を開け、そして哀愁漂う顔を浮かべて言った。


「ローベルトとの戦いを通して、彼の過去を知ったみたいね。本当は十五年前に私とローベルトは一緒にこの階段を上っていたはずだったんだけど、私一人だけ取り残されちゃったの」


 呆然とアイリスの話を聞いていたラースだったが、ふとあることを思い出し、ラースは声を上げた。


「そうだ……俺があの爆発に巻き込まれてここにいるってことは、ローベルトも同じようにここにやって来ているはずだ。ローベルトはどこだ?」


 すぐに辺りを見渡し、そしてラースははっと息を呑んだ。階段の随分下の方で、ローベルトが立ち止まったまま自分達に目を向けているのが見えた。


「ローベルト!」


 ラースが駆け寄ろうとしたが、急に足元の階段が消えてしまい、反射的に後退した。どうやら、天国の階段は上ることはできても降りることはできないようだ。


「ラース。どうやら君とはここでお別れのようだ」


 自身の足元に目をやりながら、ローベルトは口を開いた。ラース達がローベルトの視線を辿ると、足元の階段がうっすらと消えかかっていることに気付いた。ラースは階段を飛び降りてまでローベルトを助けようとしたが、リアに背後から「無茶は止めなさい、ラース!」と呼び止められてしまう。


「ローベルト……!」


 もう一度叫ぶラースに対し、ローベルトは初めてリバームルの宿屋で会ったときにも見せた穏やかな表情を浮かべながら、言った。


「君と会えて良かった、ラース。君の見出した剣を振る理由の答え、そして君自身の優しさに、私の心は救われた。どうか、下界に戻っても今のままの君でいてくれ。そして――」


 ローベルトは、ラースからアイリスへと視線を移した。


「アイリス、私は君と一緒にそちら側へ行くことができない。君の願いに答えられなかったこと、どうか許してほしい。愛しているよ、アイリス」


 ローベルトは再び足元を見た。階段が両端の角まで消えかかっているのを見て、これ以上長く留まれないことをローベルトは悟った。


「お別れだ――」


 そう言って、ローベルトはラース達に背を向けた。これ以上未練を残したくないという、ローベルトなりの判断なのだろう。


「ローベルト、あなたを独りにはしないわ」


 突然、アイリスがローベルトに向かって叫んだ。ラースとリアが振り向くのと同時に、アイリスは出し抜けに消えゆく階段を飛び降り、ローベルトの体に飛びついた。


「アイリス……!」


 振り向いてアイリスの体を受け止めつつも、ローベルトは動揺を隠せない様子だ。そんなローベルトの頬を両手で押さえながら、アイリスはローベルトに言った。


「私も一緒に死ぬって、約束したでしょ? 次元の狭間がどれほど過酷な所なのか分からないけど、あなたと二人でならきっと平気。私も愛しているわ、ローベルト――」


 そして、アイリスはローベルトの口に唇を重ねた。それと同時に、足元の階段がついに消滅し、二人は抱き合ったまま暗闇の中へと真っ逆さまに落ち、完全に見えなくなった。


「ローベルト……アイリス……」


 再び、消えていた階段が目の前に出現する。つい先程までローベルト達がいた所を見つめたまま、ラースはショックのあまり腰を下ろす。


「……私達には救いようがなかったわ」


 悔やむように言った後、リアはうなだれているラースに向かって呼びかけた。


「行きましょう、ラース。もうすぐあなたの魂が消えてしまう前に、一度でもお父さんに会ってほしいの」

「親父……ルーク・オルディオ……」


 ラースは目を丸くしたが、やがて意を決して立ち上がった。


「ローベルト……俺もあんたに会えて良かったよ」


 ローベルト達の落ちていった先に目を向けながら、ラースは別れを告げ、リアと共にその場を後にした。




 階段を上っていくにつれ、鐘の音が次第に大きくなっていく。暗闇を越えるのと同時に目が眩み、少ししてラースが再び目を開いてみると、視界の先には異様な光景が広がっていた。見渡す限りに雲が広がっており、その上にかまくらのような形をしたレンガの家が点在している。雲から落っこちてしまうとラースはひやっとしたが、足元を見ると自分も雲の上に立っていることに気付き、ほっと胸を撫で下ろした。


「うが。うがうが」


 突然、背後から野太い声が聞こえたのでラースは振り返った。そして、目の前にいる生物を見て、ラースは口をぽかんと開けた。ラースの目の前では、ラース達より何倍も大きな図体をした種族――トロルが、(わら)の腰みのを巻き、鉄の棍棒を手に持ってラースをじっと見下ろしていた。


「おいっ! 変に怖がらせるような真似はするなっ!」


 別の甲高い声がした方にラースが顔を向けると、甲冑を着た人間……ではなく、土気色の肌をした種族――オークが、ドタバタと大股で走って来るのが見えた。オークが手にしている竹刀でぽくぽくとトロルの頭を叩くと、トロルはポリポリと頭を掻きながら申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「見ない顔だな……さては新入りだなっ!」


 ラースの顔を見るなり、オークはキーキー声で話を始めた。


「おいら達は、ここで天国の階段からやって来る奴ら、あるいはそこの女のように天国の階段へやって来る奴らの見張りをしているっ! まぁ、ここまで上って来れる奴らは大概良い奴だから、おいら達から危害を加えるようなことは特にないっ! おいら達のことは気にせず進んでくれっ!」

「はぁ……」


 呆然としながら返事するラースを呼ぶと、リアは見張りの二匹組ににこりと笑って頭を下げた。甲冑を着たオークは満足げに親指を立て、棍棒を持ったトロルは「うがうが」と言いながら手を振って見送った。


「一つ確認なんだけどさ、母さん」


 先に歩いていくリアの後を追いながら、ラースは素朴な質問をした。


「天国の見張りって、あんなに緩くて本当に良いの?」

「駄目よ」

「だよな」


 ラースは見張りの二匹組から目を離し、リアと共にレンガの建物を通り抜けていった。




 ふわふわした雲を踏みしめながら進んでいくと、楽しげな風景が目に飛び込んだ。髭を伸ばした小人の種族――ドワーフ達が、優れた工芸の技術を駆使し、皆で歌を歌いながら、巨大なレンガの水槽を作り上げている。その前に立ってある看板には不思議な文字が書かれていたが、何故だかラースにも『お魚様御一行 新居建築中』と読むことができた。疲れた何匹かのドワーフに人間達が水の入ったコップを差し出し、ドワーフ達はありがたくそれを受け取っていた。遠くでは、魚達が泳いでいるいくつものガラスの水槽をオークやトロル達が協力して担いでおり、そのすぐ近くでは、耳の尖った種族――エルフ達が、ドワーフ達の歌声に合わせてハーブやオカリナを奏でていた。

 ラース達が看板を横切ろうとした途端、一匹のドワーフが歓声を上げ、他のドワーフ達が嬉しそうにぴょんぴょんと跳ね始めた。どうやら巨大なレンガの水槽が完成したようだ。それを知ると、エルフ達は演奏を止め、巨大なレンガの水槽に両手を向けて一斉に呪文を唱え始めた。すると、水槽の底まで透き通って見えるほどの綺麗な水が噴水のように湧き出し、瞬く間に巨大なレンガの水槽を満たした。

 次に、エルフ達が呪文を唱えながら空に指で線を描くと、オークやトロル達が担いでいるガラスの水槽から次々に虹の橋が浮かび上がり、ドワーフ達が作り上げたレンガの水槽へと伸びていった。水を配っていた人間達が合図を送ると、待ち切れないとばかりに水面を飛び跳ねていた魚達が一斉に虹の橋を泳いで渡り、ぽちゃぽちゃと巨大なレンガの水槽へと飛び込んでいった。

 魚達の案内をしている人間達を眺め、そのうちの一人の顔を見てラースは目を見張った。ノースのルクラーカ村でラース達を居候させてくれた、羊飼いの老人が紛れ込んでいたのだ。


「じいさん!」


 ラースが駆け寄って声をかけると、老人はラースが天国にいることに驚愕していた。


「安心して、おじいさん。この子は魂がここに迷い込んでしまっただけで、まだ死んではいないわ。じきに元の世界へと戻っていくはずよ」


 遅れて歩み寄りながらリアが説明すると、老人はほっと安堵しながら言った。


「それは良かった。君みたいな若くて優しい人まで死んでしまったのかと思うと、胸が痛む思いだったよ」

「じいさんほどじゃねえよ、災難だったな……」


 ラースが視線を落としながら言うと、老人は柔和な笑顔を浮かべたまま首を横に振った。


「そんなことはないさ。下界にいたときは杖を突かないとまともに歩けなかったけど、天国だと子供の頃のように走り回ることも思いのままなんだ。もしかすると、今なら君にも駆けっこで勝てるかもしれないね」


 腕をまくりながら冗談を言って笑う老人に、ラースとリアは釣られて笑ってしまった。


「リア! やっと見つけた!」


 不意に聞こえてきた男の声に、ラースとリアは振り返った。振り返った先には、真紅のマントを羽織りルビーの宝石が輝く冠を被った茶髪の男性、優雅なドレスを着て綺麗なティアラを被るエメラルド色の瞳が特徴的な女性、そしてアルテリア帝国と同じ騎士の服を着た赤い癖毛のロングヘア―の女性、三人がこちらに駆け寄って来ているのが見えた。


「シオン! ティア! エレナ!」


 笑顔を浮かべてリアが三人に歩み寄る一方、三人が誰なのかが分からず呆然としているラースを見かねて、男性は自己紹介を始めた。


「こうやって顔を合わせるのは初めてだね。僕はシオン・エルヴィス。一時だけだけど、先代のアルテリア帝国国王を務めていた人だよ」

「アルテリア帝国国王……?」


 ラースは唖然としたが、脳裏に初めてアルテリア城を訪れたときの記憶が蘇り、はっと息を呑んだ。今目の前にいる赤いマントを羽織った男性と優雅なドレスを着た女性が、城の玄関ホールにあった噴水彫刻の男女と瓜二つだったのだ。そして、その噴水彫刻の男女こそが自分の両親だと、セラは初めて両親と顔を合わせた後に教えてくれていた。


「どうやら気付いてくれたみたいだね、ラース。そう、僕は元アルテリア帝国国王であり、君の仲間であるセシリア――いや、セラの父親でもあるんだ」


 柔和な笑みを浮かべながら説明するシオンに続き、優雅なドレスを着た女性も、シオンの腕にぴたりとくっつきながらにっこりと笑って言った。


「そして私が、セラの母親であるミーティアよ。ミーティア・リント・アルテリア。リアみたいに、気軽にティアって呼んでもらえると嬉しいわ」

「姫様、何もそのようにへりくだらなくても……」


 慌てていさめようとする騎士の服を着た女性に対し、ミーティアはシオンの腕にくっついたまま、呆れたように鼻でため息をついた。


「もう、相変わらず堅物ね、エレナは。あなたももうアルテリア帝国騎士団の一員じゃないんだから、もっと気軽に接してくれても良いんだからね?」


 そう叱るミーティアだったが、エレナと呼ばれた女性は恐れ多い様子でいた。


「エレナ……どっかで聞いたことある名前だな」


 ラースは無意識に手を顎に当てて、どこでその名を聞いたか回想した。そして、しばらくして「あっ」と声を上げた。前にカダルナ港で昼食を取っていたときに、クレスとキルバードが二人で会話していたのを思い出した。


 ――俺の上司のこと、ジュードとかから聞いた?

 ――思慮が足らず、申し訳ありません……。エレナ殿のことは、ジュード騎士団長から伺いました。

 ――気にしなさんなって。あいつ、意外と口が軽いところがあるからなぁ。


「どうやら思い出したみたいね」


 我に返ると、ミーティアが目の前に立ってこちらの顔を覗き込んでおり、ラースは仰天した。面白い反応にクスクスと笑いながら、ミーティアはエレナの代わりに説明した。


「この子は元アルテリア帝国騎士団の精鋭部隊で、あなたのお父さんとキルバードの上司さんだったの。それと、キルバードと恋仲の関係でもあったのよね~」

「姫様!」


 ミーティアの最後の言葉に、エレナは頬を赤らめながら怒った。「最後の言葉は聞かなかったことにしろ!」とエレナに慌てて口止めされ、ラースは思わず失笑してしまう。


「それにしても……」


 ふと疑問に思い、ラースはシオン達に質問した。


「シオンもティアも、何だか俺が見聞きしたことについて知っている口ぶりだよな。名前は母さんから聞いたんだろうけど、噴水彫刻といいカダルナ港での会話といい、どうしてそんな細かいことまで知っているんだ?」

「なかなか鋭いね、ラース」


 にこりと微笑みながら、シオンは説明を始めた。


「実は、この天国には『鏡の間』と呼ばれる二枚の鏡が置かれている場所があってね。そこから下界と天上界の様子を一望でき、そして過去の出来事を再見することができるんだ。

 特に、君とセラは神の魂を宿す者として、親を亡くして下界に取り残されてしまったわけだから、ずっと心配でさ。戦争が終わった後の君とセラの過去は、僕達が天国に来てからずっと鏡の間で調べさせてもらっていたのさ」

「それにしても、あなたとセラちゃんが一緒に旅することになったのは、思わぬ偶然だったわ」


 リアがラースに顔を向けながら言った。「本当にね」とミーティアも同調した。


「当然、君とローベルトの決戦も鏡の間から見守っていたよ」


 エレナが暗い顔をして言った。


「ついさっきまで、リア以外にアイリスというエルフも一緒にいたんだ。『私の恋人が下界を滅ぼそうとしている』って。そして君とローベルトが一緒に隕石を破壊し、爆発に巻き込まれたのと同時に、リアとアイリスは鏡の間から飛び出してしまった。私達は心配になって、今まで二人を捜していたんだ。

 君とリアが無事なのは良かったが、アイリスやローベルトが一緒にいないということは、彼女達は……」


 それを聞いたラースも、心苦しそうに答えた。


「あぁ……ローベルトには天国へ行く資格がなかった。天国の階段から次元の狭間へ落ちそうになったときに、アイリスが一緒に次元の狭間へ身を投じて、二人はそれで……」


 ラースの言葉を聞き、エレナ達は悄然としてうつむいてしまう。


「でも、きっとそのアイリスさんに後悔や未練はなかったんじゃないかな。好きだった人とようやく一緒にいられて、二人は幸せになれたと私は思うよ」


 ずっと静観していた老人が、優しい口調でラース達を慰めた。


「あぁ……そうであると信じたいな」


 しばらく唇を噛んで黙っていたラースだったが、老人の言葉にうなずき、頬を伝う涙を腕で拭った。老人が柔和な笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「アイリスさんは後悔しない選択をした。君もその生き方を見習うべきだ。何も恋人に限った話じゃない。家族のこと、仲間のこと、そして自分自身のこと……。人を殺してしまった君にも、まだ大切なものは残されているはずだ。それを最後まで大事にしなさい。世話焼き老人からの人生のアドバイスだよ」

「じいさん……ありがとう」


 ラースはまた目に涙を浮かべながら礼を言った。そして、後悔しないために今自分ができること――真っ先にすべきことをラースは考えた。


「母さん……俺、親父に会いに行かなきゃ」


 決然たる顔で言うラースに対し、リアは力強くうなずいてみせた。


「ルークは今も鏡の間にいるはずだわ。あの人、ラースがこっちにやって来るかもしれないって知っても、頑なにラースと会おうとしようとしなくて……本当、臆病な人よね。どうかあなたの方から歩み寄ってあげて、ラース」


 懇願するリアに対し、ラースは当然とばかりにうなずいた。


「そうと決まれば、早速移動ね――エレナ!」


 ミーティアがそう呼びかけると、エレナは頭を下げて返事し、そして雲一つない空に向かってピィーと口笛を吹いた。

 程なくして、バサバサという音と共に、大きな影が背後から近づいてきた。驚いてラースが振り返ると、藍色の毛色をした巨大な鳥が、羽ばたきながらこちらにやって来るのが見えた。


「私の血族は鳥族と代々仲が良くてね。私も子供の頃から、こうして鳥族を呼んでは、背中に乗せてもらって、一緒に空を飛んで助けてもらってたんだ。ちなみにこの子はマナって名前で、トトの先祖に当たる巨鳥だ」


 はらはらと舞い落ちる藍色の羽根を一枚手に取りながら、エレナはラースに言った。ふと疑問に思ったラースが、エレナに尋ねた。


「でも、キルバードはエレナと同じ血を継いでいるわけじゃないよな? 何であんなにトトと仲が良いんだ?」


 それを聞いたエレナはアハハと笑った。


「昔から仲が良かったわけじゃないよ。むしろ、キルはトトによくちょっかいを出しては、嘴で挟まれて返り討ちに遭っていたくらいだ。

 バルドロス帝国との戦争が始まる前に、私からトトに頼んだんだよ。もし私が死んだら、私の代わりにキルと仲良くしてやってくれって」


 それを聞いて、ラースは言葉を失ってしまった。エレナは自身の死を悟って、キルバードにトトのことを託したのだ。勇敢な人だなとラースは思った。きっと、これから先はキルバードが鳥族と仲良くしていくことになるのだろう。

 マナが雲の上に降り立つと、エレナに甲高い声を上げ、そして身をかがめた。エレナ曰く、皆背中に乗っても構わないということらしい。その厚意に甘え、老人を除く一同は一斉にマナの背中へと乗り始めた。ラースは背中に乗ろうとした瞬間に透けて落っこちるんじゃないかと心配したが、どうにか皆と一緒にマナの背中に乗ることができた。鳥族ってもしかすると神聖な生物なのかなとラースは想像した。


「どうやらしばらくお別れのようだね、ラース君」


 翼を広げて今にも飛び立とうとするマナを見るなり、老人はラースに言った。ラースは身を乗り出して老人に尋ねた。


「名前、教えてくれないかな? そう言えば初めて会ったときから聞き忘れてた」


 そんなことかと言わんばかりに大笑いし、老人は答えた。


「私の名前はオットーだよ。また君に会えて良かった、ラース君」


 ラースは感謝の気持ちを込めて言った。


「忘れないよ、あんたのこと。いつかまた会えると良いな、オットー」

「信じているとも」


 オットーはにこりと微笑んだ。マナが地面の雲を蹴り、翼を羽ばたかせてゆっくりと上昇していくのを、オットーは見えなくなるまで手を振って見送った。

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