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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
序章 今、剣を振る理由
6/66

 大きなため息が低い天井に向けられ、虚しく反響する。あの事件の後、ラースは自室に戻り、ベッドの上でずっと横たわっていた。ベッドに辿り着いてからというもの、日が紅く染まり始めた今に至るまで、ラースがその場を動くことはなかった。

 ――あの男が助けに来てくれなかったら、今頃どうなっていただろうか。少なくとも、自分はなぶり殺しに遭っていたはずだとラースは失笑する。同時に、改めてあの男に対する感謝の念が込み上がる。あの男のおかげで、何事もなく事態は収束したのだ。


 あれから、かの手下達は、男に受けた傷を癒すため、街の医療所へと運ばれた。野蛮人を助ける義理はないといえばないが、そこに理由はいらないはずである。

 それに、あれだけ実力の差を見せつけられたのだ。ましてや、親玉なる二人も、男の魔法によって、どこかに飛んでいってしまった。 逆らう気など、到底起こす気にはなれないだろう。


 それよりも、ラースが困ったのはその直後だった。あの事件の後、ラース達の所に、早々にフェルマーが駆けつけてきたのだ。

 事情を知らないフェルマーは、ラースの手にしていた剣と、傷ついた大男達を見るなり、「アンタ、人殺しにまで堕ちたのかい?」と大きくラースに騒ぎ立てた。

 結局はマルクが誤解を解いてくれたのだが、それまでに一時間もの時間を要している。その時の状況を思い出し、ラースは「全く、早とちりな婆さんだ」と苦笑いしながら、鼻でため息をついた。


 ラースの発したため息が、また空間内に浸透し、消失する。ラースの表情からも、一瞬込み上げた笑いが失せていく。

 フェルマーの一件も困ったことは困ったのだが、今のラースにとって、そんなことはもうどうでもよかった。ラースが思い悩んでいたのは、そんな些細なことではない。ラースの脳裏には、あの男の別れ際に告げた言葉が、今なお強く焼き付いていた。


 ――自分が人殺しなのは百も承知だ。

 ――それでも。それを分かっててもなお。私は剣を振る。……そうでもしないと守れないものがあるからだ。

 ――正直……剣を振る理由なんて私にも明確には分からない。それでも私は、守るべきもののために戦う。それが……私が今、剣を振る理由だ。


「……ラース? いるならちゃんと返事をしなさい!」


 不意に、聞き慣れたつんざくような声が、ラースの耳に入ってきた。その声で我に返り、ラースの思考は一旦停止する。


「……何だよ。ちゃんと聞こえてるっての」

「ディナー、もうできたから。アンタも手短に済ませて、仕事手伝いなさい!」


 そうラースに伝え、フェルマーはギシギシと音を立てて階段を降りていった。

 ――ここでずっと考えていても仕方ない、やることをやりながらでも考えるか。そう自分に言い聞かせ、ラースもすぐに部屋を後にした。


 しかし、その後の晩御飯を食べているときも、宿屋の仕事を手伝っているときも、自分が剣を振る理由の答えは結局分からずじまいだった。

 再び大きなため息をつきながら、ベッドの上に仰向けで横たわる。そして、壁に立てかけている自分の剣を、横目で見つめた。


「ハァ……今日はお前に悩まされてばっかりだ」


 そう呟き、ラースが剣に背を向けるように寝返る。


「剣を振る理由……」


 ラースは再度、男の言葉を思い返した。

 ――アイツは人殺しになってでも剣を振るって言っていた。守るべきもののためにって。『守るべきもの』って何だ? 自分が人殺しになってでも守りたいほど、大切なものなのか? そうまでしないと守れないって、一体どういうことだ? ますます意味が分からない……。


「そう言えば、アイツ……」


 ふと、ラースはマルクに言われた言葉を思い出した。


 ――ラースの言った『剣を振る理由』なんだけど……クレス兄ちゃんの『騎士になる理由』と同じだったりしない?

 ――どちらも言葉は違うけど……その理由は『救う』っていう点で似たようなものになるんじゃないかなって……。


「兄貴……」


 ラースは、兄の姿を見越して、天井を見上げた。

 ――兄貴。今、何してる? 騎士になったのか? どこに仕えたんだ? 騎士になったのなら、やっぱり兄貴も剣を振っているのか? どんな想いで剣を振っている?


 そうして考えているうちに、ラースの頭にある考えが浮かんだ。

 ――本当に肝心なのは、剣を振る『理由』なんかじゃない。自分が『何のために』剣を振るかだ。あの男は、守るべきもののため。兄は、法を良い方向に変えるため。そして……自分は、何のために剣を振っているのか?

 すぐに、ラースは首を振った。――そこまで悩むことでもないはずだ。あの男も、兄も、そして自分も、『救う』という点で想いは同じなのだ。だが、それが人を斬る理由になるのかどうかと問われると、ラースは肯定することができなかった。


「アイツの言う、『そうでもしないと守れないもの』ってなんだろう? 俺は、何のために剣を振るんだろう? 何のために剣があるんだろう?」


 ラースにある感情が芽生える。

 ――知りたい。何のために剣があるのか。人を殺さずして守れないものとは何か。それとも、剣はただ人を斬り殺すためだけの道具に過ぎないのだろうか?

 ここでずっと、そのことで考えにふけっていても、おそらく答えは一生分からないままだろう。ならばどうするか――ラースは悩むことなく思い至った。世界に視野を広げよう、と。今、ここでその答えを見出せないというのなら、自らの手で見つけ出すしかない――。


 その手で握り締める拳は、とても熱く。力強く、たぎり。頭の中をさ迷い続けていた感情は、もう吐息として漏れることはない。

 青年の、剣に対する疑念が、執着心が、自身を世界へと駆り立てた瞬間だった。



 

 * * *




 その日の深夜、ラースは自分の所持金や衣類、地図などを最小限にまとめていた。すぐにでも旅立つつもりだったのだ。

 まとめた荷物をバッグの中に詰め込み、それを背負う。そして、壁に立てかけている剣を拾い、腰に装着する。


「これでよし、と。あとは……」


 そう呟くなり、ラースは部屋の隅にあるデスクに歩み寄った。デスクの上には、一枚の紙が置いてあった。

 それを手にしてから、ラースは自分の部屋を後にした。


 二階から外を見渡すと、空は墨を塗ったように黒く染まり、街は昼の頃とは段違いに静まり返っていた。

 足音を立てないように、ゆっくりと宿屋の階段を降りていく。無事に下まで辿り着くと、ラースは早速、先ほど手にした紙を取り出した。そして、それをフロントの扉の前に置き、その上に石を文鎮代わりに乗せた。


「フェル婆さん、我儘を言ってごめん。行ってくるよ」


 我が家を見上げながら別れを告げると、ラースは背を向けて歩み出した。

 

 ここに長くいると、いずれ誰かに見つかってしまう――そう思ったラースは、自分の足を速めた。

 真夜中のそよ風は肌寒く、長く外に留まろうという気にはとてもなれない。だが、人目を避けて街を出るには、このくらいの時間から行動する必要があった。


「……何のために剣があるのか知りたい、か」


 旅に出る理由を口にすると、ラースは思わず失笑した。――こんな馬鹿馬鹿しい理由で街を離れると言って、誰も納得するはずがない。見つかったら止められてしまうのは目に見えていた。街の皆には勝手だと思われるかもしれないが……。


「……悪い、皆。俺、何のために剣があるのか、本気で知りたいんだ」


 そう小声で告げ、ラースは再び歩み出した。


 しかしその行動は、ある人物によってあえなく止められてしまう。


「ラース!」


 突然の呼び声に、ラースは体が硬直した。まさか、こんなにも早く、誰かに見つかってしまうとは思わなかった。

 ラースが恐る恐る声のした後方を振り返ると、視線の先には、ラースを呼び止めた声の主が立っていた。


「マルク……」


 その人物――マルクを見つめながら、ラースは呟いた。急いで駆け付けてきたのか、マルクは膝に手をつきながら息を切らしていた。


「……どうして分かったんだ?」


 そう問うと、マルクは息を荒らげながら答えた。


「今日の……ラースは……ずっと変だった。だから……ラースのことが、ちょっと心配だったんだ……」


 ラースは無言のまま、マルクの言葉に耳を傾けた。


「僕……今日のラースに……あの時のクレス兄ちゃんと同じ違和感を感じたんだ……」


 マルクの言葉に、ラースは一瞬目を丸くする。


「だから……もしかしたら、ラースはクレス兄ちゃんみたいに、僕達に何も言わないで、この街を出て行っちゃうんじゃないかって……そう思って……」


 ――そして、予感が的中したってわけか。

 鼻で軽くため息をついてから、ラースは言葉を返した。


「……あぁ、その通りだマルク。俺は、この街を出て行くって、そう決めた」


 ようやく息が整ったマルクが、ラースに詰め寄った。


「……ねぇ、どうしてラースはこの街を出て行くの? 理由くらい……」

「こいつだ」


 ラースは瞬時に腰に着けている物を抜き、それをマルクに突き付けた。

 それはただ、旅に出る理由を示すだけでなく、「引き留めてほしくない」という想いから出た行動でもあった。


「もしかして……今日の昼に言ってた?」

「ああ」


 マルクの問いにうなずくと、ラースは剣を突き付けるのを止めて、右手を降ろした。


「あの男が言ってたんだ。自分が人殺しだと分かっていてもなお、剣を振るって。そうでもしないと守れないものがあるって。……俺は、知りたいんだ。そうでもしないと守れないものって何なのか。そして、俺自身が何のために剣を振るのか。その答えをな」

「ラース……」


 ラースの言葉を聞き、マルクはうつむきながら黙り込んでしまった。


「……止めるか? 俺を」

「えっ?」


 ラースが自嘲するかのように鼻で笑いながら言う。


「俺は……兄貴とは違う。ただの自己満足のために行くようなもんだ。そんな理由で、こんな勝手なこと、許されるはずなんて……」


 マルクは少し考え込んだが、やがて、すぐに首を横に振った。


「……そんなことないよ。ラースがどんな選択をしようが、それを僕達が止める権利なんてないんだ」


 マルクの予想外な返答に、ラースは目を見開いた。


「だからさ。ラースは安心して行くといいよ。街の人達には、僕が伝えとくから」

「マルク……」


 昔と比べて随分と様変わりしたマルクを、ラースは微笑ましく思った。


「……変わったな、マルク。俺なんかと違って、何だか頼もしくなった」


 笑みをそのままに、ラースはマルクを褒めた。しかしそれを聞いて、マルクは急に表情を曇らせてしまった。


「マルク……?」


 マルクは、ぶんぶんと首を横に振り、震えた声で返事を返した。


「そんなことない……そんなことないよ……。僕はずっとラースに迷惑ばっかりかけて……」


 マルクの目元から何かが零れ落ちる。よく見るとそれは水滴で、地面にポツポツと当たっては浸透していく。

 ここで、ラースはマルクが泣いていることに気付き、戸惑いの目をマルクに向けた。


「でも……ラースはそんな僕にずっと優しくしてくれた……。だから……もうラースと会えなくなっちゃうって思うと……僕……」


 言葉が詰まり、マルクは抑えていた悲しみの声を上げ、涙を流した。そんなマルクを見て、ラースはその場で立ち尽くしてしまった。

 涙を堪えてまで気を遣わせてしまっていたのに、そんなマルクに我儘を押し通そうと剣を突き付けた自分は、どれほど愚かだったことだろう。ラースは自分のみっともなさを思い知った。本当に馬鹿なことをしたと痛感した。

 気付けば、ラースは剣を取り落として片膝をつき、自身の胸にマルクを抱き寄せていた。自らの行いを恥じるように、心からマルクに謝罪の意を示すように、強く、強く。


「ごめんな、マルク。俺……」

「ラース……」

「俺……本当に悪いことしてるって思ってる。だけど……」


 ラースは、心の中でも、マルクに何度も謝り続けた。マルクや街の皆に迷惑をかけることになると分かっていても、それでも旅に出ることを許してもらいたかった。


「マルク……」


 ラースは、マルクの肩に手を置き、目を合わせた。


「俺……必ずここに戻って来るから。だから……」

「本当に……必ず……?」


 潤んだ目で見つめながら問うマルクに対し、揺るぎのない目でうなずいてみせる。


「だから……それまで、俺のことを待っていてほしいんだ。どんなに遠くに行こうが、俺の帰る場所は……ここしかねぇから」


 ラースの瞳には、どこか切なさが含まれている反面、「必ず帰ってくる」という強い意志が宿っていた。そんなラースの意志を、マルクは自身の瞳を通して汲み取った。不思議と悲しみの感情は薄れ、マルクの目から溢れ出ていた涙はぱたりと止まってしまった。


「……分かったよ、ラース」


 マルクは、涙で汚れた顔を腕で拭った。


「僕、待ってるから……。だからラースも、必ず帰ってきてよね!」

「ああ……約束だ」


 そう言うと、ラースは右手の小指を突き出した。指切りげんまん――約束を交わし、誓いを守る印だった。


「……うん! 約束だよラース!」


 応えるように、マルクも小指を突き出す。そして、二人はそれぞれの小指を交えた。二人の顔には、自然と笑みが浮かんでいた。

 ――しばらく、お別れになるのは寂しいけど。それでも、俺は必ずここに帰ってくるから。涙なんかいらないよな。

 そっと絡ませていた小指を離すと、ラースはその場でスッと立ち上がって言った。


「……じゃあ俺、悪いけどもう行くよ。これ以上長くいると、面倒なことになっちまうから」

「まだ誰も起きてないよ?」

「うちの宿屋の人は忙しくて、寝る時間が短いんだよ」


 だから急がねーと、と呟きながら、ラースは先ほど手放した剣を拾い上げた。


「……じゃあな、マルク。約束、忘れないでくれよ」


 剣を鞘に納め切ったところで、ラースが改めて、マルクの方を振り向いて言う。


「うん。……ラースこそ、ちゃんと約束守ってよね」


 あぁ、と力強くうなずくと、ラースはマルクに背を向けて歩み出した。それから、決して振り返ることのなく、ラースは前を見続け、足を進めていった。


 マルクは、しばらくその場を動くことなく、遠ざかっていくラースの後ろ姿を見つめていた。

 ラースがいなくなったという事実。それだけで、また少し込み上げてくるものがある。だが、ラースは「必ず帰る」と約束してくれた。それだけでもう十分だった。他に何がいるというのだろうか――。

 再び前を向くと、すでにラースの姿は見えなくなってしまっていた。マルクは目に溜まり出したものを抑えた。


「ラース。僕、ずっと待ってるから。だから、ラースも必ず……」


 そう呟いて、マルクがその場を引き返そうとしたとき――マルクの振り向いた先に、人影らしきものが見えた。

 その人影は、マルクの方に向かって走って来ている。誰だろうと思い、マルクは目を凝らした。すると、程なくして、その人影の正体がフェルマーであることに気付いた。

 マルクは、先ほどラースが言っていたことを思い出した。――きっと、フェルマーさんは今頃起き始めたのだろう。そして、すぐ異変に気付いたに違いない。そう思ったからか、マルクはフェルマーが現れたことにさほど驚きはしなかった。


「マルクちゃん……ラースは……?」


 マルクの前で足を止めるなり、フェルマーは肩で息をしながら尋ねた。マルクは再び、先ほどまでラースがいた方を向いて答えた。


「ラースはもう行きましたよ。絶対に帰ってくるって……そう言ってました」


 しかし、フェルマーはマルクの言葉を最後まで聞くことなく、急にマルクにしがみついた。あまりにも唐突な行動に、マルクは目を丸くする。


「あの子を……あの子を止めないと……! あの子が……」


 困惑しきった顔でそれだけを言うと、フェルマーは力が抜け落ちたかのように、へなへなと崩れ落ちてしまった。


「フェルマーさん……? どういうことですか……?」


 ただ事ではないと思い、マルクは切迫した様子で尋ねた。するとマルクは、フェルマーの手元に一枚の紙があることに気が付いた。

 その紙を手にし、広げてみる。書いてある内容に目を通し、マルクは思わず息を呑んだ。




『フェル婆さんへ

 急にこんな形で悪いけど、俺の話を聞いて欲しい。

 

 今朝、俺が話していた男を覚えているか? 今日、外で人を斬ったのはそいつだ。

 こんな俺でも、人殺しには絶対になりたくない。だから、その男に聞いたんだ。

 「何で人を斬ることができるんだ」って。

 そしたらそいつ、

 「自分が人殺しなのは百も承知だ。

 だが、それでも私は剣を振る。そうでもしないと守れないものがあるから。

 私は、守るべきものの為に剣を振る」

 そう言ったんだ。

 

 剣は、人を傷つける武器だ。

 だから正直、その男の言っていたことは理解できない。

 守ると言ったって、結局は人を斬るのだから。

 だけど俺、剣はそれだけのための道具じゃないと思うんだ。

 

 だから知りたいんだ。

 人を殺さずして守れないものって何か。

 そして、自分は何のために剣を振るのか。

 その答えは、ここで一人で考え込んでいても、おそらく一生分からない。

 だから俺、世界を旅して答えを見つけたいんだ。

 

 リバームルに来たときから、みんなには本当に迷惑かけたけど。

 本当に申し訳ないけど。

 このことを、俺の最後の我儘として聞き入れてほしい。

 そして……

 この旅が終わったとき、俺は今までの俺じゃなくなってるかもしれない。

 それでも、もう一度俺を受け入れてほしいんだ。

 今の俺の帰る場所は、ここしかないから。

 

 この旅は、俺にとって、とても過酷なものになると思う。

 何故なら、俺は……

 人を殺してしまうかもしれない。』



 

 * * *



 

 ――これからどうしようか? 道なりに歩を進めながら、ラースはそう自問した。

 旅に出ると決めたとはいえ、具体的にどうやって答えを見つけるかまでは考えていない。自分の無計画さ故に放浪の旅となってしまうことに、ラースは自嘲気味に鼻で笑う。


 ふと、ラースは足を止めて後ろを振り返った。すると、すでに遠退いたリバームルの外観が目に映った。

 こうして、遠くからあの街を眺めたのはいつ以来だろうか。星空を背景にして眺めるこの景色を、ラースは懐かしく感じた。

 ぴゅう、と冷たい風が通り過ぎ、平坦な草原が波のように揺れた。――そろそろフェル婆さんも起きる頃だ。そして、すぐ手紙の存在を知るだろう。推し量ると同時に、ラースは顔を曇らせた。


 ――この旅で、俺は、人を殺してしまうかもしれない。

 そう思いながら、ラースは腰に着けた剣を抜いて見つめる。

 そしてラースは、今度は別のことを自らに問うた。自分は人を殺すことができるのか、と。

 ラースは、黒マントの男が助けてくれたときのことを思い出した。荒くれ者達を斬るとき、彼は容赦しなかった。情けをかけることはなかった。鬼のような形相で切り刻んでいったのを、ラースは鮮明に覚えている。


 自分は、あれと同じことができるのだろうか?


 もう一度、剣に目を向けてみる。すると、剣を握る右手が震えていることに、ラースは気付いた。――人を殺せるかどうかなんて、すでに分かりきっていることだ。

 震えている手をもう一方の手で押さえながら、ラースは自分に言い聞かせた。


「俺は……人を斬り殺したりなんかしない。人殺しになってたまるもんか……!」


 ――単に、怖気付いているだけなのかもしれない。自分が小心者なだけなのかもしれない。

 だがそれでも、人殺しを拒むこの想いを蔑ろにするつもりなどない。誰に何と思われようと、絶対に人を斬り殺す目的で剣を抜いたりはしない――。

 手に握っている物をゆっくりと鞘に納めながら、ラースは静かに決心した。


「……さてと。もうそろそろ行くか」


 顔を上げてそう呟くと、ラースは再びリバームルに背を向けた。


 求めている答えを見つけるために、具体的に何をすれば良いのか考えていない。しかし、それでもラースは、前へ進むことにためらいはしなかった。

 立ち止まっていても、あの男の言った言葉の意味を知ることはできない。自ら答えを見つけるしか方法はないという考えが、ラースの心を急き立たせた。そして、願わくば血を見ることなく答えを見つけることができればと、ラースは淡い期待を抱いた。

 だが、そのような楽観的な考え方がまかり通るほど、世の中は都合良くできてはいない。ラースの母のように理不尽に命を落とす善もいれば、欲望のままに殺戮を繰り返す悪も必ず存在するのである。そんな救いようのない悪と、ラースは旅をしていく中で対峙することとなる。そして、黒マントの男が口にした言葉の意味を反芻する。

 正しいと信じた決断が間違っていることがある。時には道を踏み外す決断にもなり得ると、旅路の中で思い知らされることになろうとは、今のラースは思いもしなかったことだろう。それを知る由もなく――微風の吹く静かな夜空の中、ラースは果てしない旅路を歩み始めた。この物語の幕開けとも言える、彼の最初の一歩だった。

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