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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第九章 最後の戦い
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 ラースが息を整えていたところ、突然その場からふっと姿を消し、あかねがいる場所へと移動した。両腕が千切れたクレスとキルバード、そして胸を斬られたりんも一緒だった。どうやらセラのテレポートによって運ばれたようで、遅れて空からセラ、レミー、そして巨鳥トトが地面にふわりと降り立った。

 一同が集まると、セラは次に重傷を負っているクレス、キルバード、りんの三人を治癒し始めた。りんの胸に温かい光を灯した手をかざすと、傷口がみるみる塞がり回復した。クレスとキルバードの千切れた腕にも手をかざして念じると、消し飛ばされた腕が武器ごと目の前に現れ、切れ口にくっついて繋がり、元通り自在に動かせるようになった。


「あいつ、さっきの一撃でやられてくれたのかな?」


 ローベルトが倒れている方に目を向けながら言うあかねに対し、ラースははっきりとうなずいてみせた。


「間違いなく手応えはあった。自力で回復でもしない限り、ローベルトが立ち上がることは恐らくない」


 ラースの言葉を聞き、一同はほっと胸を撫で下ろした。そして勝利を確信した。人間達がユピテルの力によって滅亡される心配がついになくなったのだ。




 * * *




 気を失っていたローベルトだったが、喉に血が詰まり、勢いよく吐血したことで意識を取り戻した。

 ローベルトがゆっくりと目を開き、空を見上げる。自分が作り上げた暗雲も晴れ、徐々に怒り狂った空の色に染まっていくのを見て、ローベルトはユピテルの力が途絶えてしまったのを実感した。

 体を起こそうとするも、力がまともに入らない。ラースから受けた渾身の一打により、自分は瀕死の状態になったのだと悟る。地面に埋もれたまま這い上がることもできず、ローベルトは自身の敗北を思い知らされた。


 ――本当にこのまま終わっていいのか?


 そう、脳裏で自分自身の声が問いかけてくるのが聞こえた。ローベルトは力を振り絞り、ふるふると首を横に振った。


 ――まるでユピテルの言いなりだな、ローベルト。本当に人間を滅亡させるのがあんたの意志だって言うのか?


 今度は戦う前のラースの言葉が脳裏に蘇った。ローベルトは歯を食いしばり、地面に埋もれていた両腕を上げた。


「人間を滅亡させるのは……私自身の意志だ……!」


 ローベルトが地面に両手をつき、埋もれていた上半身を少しずつ持ち上げる。そして、戦いに勝利し安堵しきっているラース達に、戦意のこもった目を向けた。


「誰に流されるのでもない……。彼女達を失ったあの日から……罪無き者達が平穏に暮らせる世界を創ると誓ったんだ……!」


 さらに力を込め、ローベルトは地面に埋もれている下半身を持ち上げる。ゆっくりと立ち上がる――。




 * * *




 突如、思わず耳を塞ぐほどの雄叫びが響き渡り、ラース達は仰天した。雄叫びのした方に目を向けると、なんとローベルトが致命傷を負ったにもかかわらず、意識を取り戻して立ち上がっているのが見えた。

 体をふらつかせていながらも、未だに失われない闘志の眼差しを見て、ラース達は息を呑む。長太刀の柄を掴んで身構え、ローベルトは一歩、また一歩と近づいてきている。


「ローベルト、まだ戦うつもりなのか……?」


 キルバード達が驚愕する一方、ラースはローベルトを睨み返しながら、立ち上がった。そして自身の剣を抜き、ラースもまたつかつかとローベルトに歩み寄っていった。


「ラースさん、私も一緒に戦います!」


 セラが名乗り出るも、ラースは背を向けたまま手を横に広げ、制止した。


「セラは覚えてくれていると思う。あの男こそが、俺が世界を旅するきっかけになった人物なんだ」


 セラは一瞬訳が分からず怪訝な顔を浮かべたが、すぐにラースがノアールの森で話していたことを思い出し、はっと息を呑んだ。


 ――ある男が言ってたんだ。自分が人殺しだと分かっていてもなお、剣を振る。そうでもしないと守れないものがあるって。俺も小さい頃からずっと剣を振っていたけど、男の言うような、剣を振る明確な理由は今まで考えたことがなかった。

 ――とはいえ、その男の言ったことを俺は理解したわけじゃない。剣は人を傷付ける道具だから。でも、剣は人を斬るためだけの道具じゃないとも俺は思うんだ。だから、世界を旅して答えを見つけたいんだ。人を殺さずして守れないものって何か。俺が何のために剣を振っているのか。その答えを。


「それが、ローベルトさん……」


 呆然として呟くセラに対し、ラースは背を向けたままこくりとうなずいた。


「悪い、皆。ローベルトとの決着は、俺自身の旅の終着点でもあるんだ。だから最後は、どうか俺一人で戦わせてほしい」


 そう願い出るラースに対し、一同は否定することができなかった。ローベルトの方に視線を戻すと、こちらへ歩んで来るローベルトに向かって、ラースはさらに歩を進めていった。


 ローベルトと対峙する。ラースがローベルトの様子を窺うと、ローベルトは満身創痍の状態でありながらも、獣のようにこちらを睨みつけ、戦意を剥き出しにしていた。そんなローベルトの眼差しから一切目を逸らすことなく、ラースは口を開いた。


「ローベルト。リバームルであんたと会ったとき、俺はあんたの言っていた、人を殺さずして守れないものが何なのか分からなかった。その答えを知りたくて、俺は世界を旅し、その旅路の途中でバルドロス帝国の連中を殺した。けど……」


 罪悪感のあまり拳をわなわなと震わせながら、ラースは言葉を続けた。


「俺には理解できなかった。俺がしたことは悪そのものだった。信頼してくれた仲間達を裏切り、殺された者達の遺族や仲間にも深い悲しみを負わせ、俺は罪という名の底なし沼をさまよい続けた――」


 ローベルトは殺意のこもった目をそのままに、ラースの言葉を傾聴し続けた。


「教えてくれ、ローベルト。俺にはあんたの言うことが正義だと到底思えない。それでもあんたは自分の言葉を肯定できるのか? 俺がしたことですら正義だと言えるのか?」


 ローベルトが即答する。


「誰かがバルドロス帝国の悪党共を殺めなければ、救われなかった命もあったことだろう。前にもこう話したはずだ――『自分が人殺しなのは百も承知だ』と。例え刑法上の罪に問われようが、悲しみに暮れる者が現れようが、それでも君の行いは正義だったと断言しよう」


 ラースはぶんぶんと首を横に振った。


「違う! 人を殺さなくたって、他に世界を救う方法はあったはずだったんだ!」

「笑止!」


 ローベルトは青筋を立て、空から降り続ける巨大な隕石を指差しながら怒鳴った。


「そうやって人間に希望を抱いた末路があれだ! このような事態になってもまだ分からないか、ラース? 罪無き者達を破滅に追いやる悪が存在すれば、その存在をも許容しようとすることすら悪であると!」


 何と無慈悲な考えなのだろう――。ローベルトの悲観に満ちた言葉を聞き、ラースは目頭が熱くなるのを感じた。


「最早、人間に希望を抱くことすら悪なんだ。人間が一人でも存続することすら悪なんだ。人間は根絶やしにしなければならない――私自身も、君ですらも!」


 ローベルトが居合斬りでラースの肩を斬りつける。ラースはローベルトの攻撃を、剣で防ごうとも、避けようともしなかった。まともに斬撃をもらい、ラースの肩からどくどくと血が滲み出る。


「ローベルト……この悲しい戦いを終わらせよう」


 そう言って、ラースは自身の剣を遠くへ放り捨てた。予想だにしないラースの行動に、ローベルトは息を呑む。


「俺は旅路の果てに、剣という兵器を、人を殺すためじゃない、守るために振るえばいいという結論に達した。でも、今は違う……あんたの攻撃が悲しみから来るものなら、俺はその攻撃を防いではいけない。あんたの攻撃を受け止めなければ、俺はあんたの悲しみを理解することはできない!」

「馬鹿な真似はよせ、ラース!」


 遠くからクレス達が呼び止めようとしたが、セラが前に立ち塞がり、クレス達の言葉を遮った。


「何故邪魔をするんだ、セラさん!」


 クレスが問うと、セラは涙ながらに訴えた。


「私も無茶なことをしているって分かっています。でも、私が神の力を兵器としてしか使えないと絶望し、錯乱していたとき、ラースさんが同じように救ってくれたんです。私を傷つけることなく、私の攻撃を受け止めて救ってくれたんです。私は、そんなラースさんの救い方を信じたい!」


 クレス達は言葉を返そうとしたが、セラの真剣な眼差しに圧倒され、逆らうことができなかった。代わりに、ラースとローベルトの最後の戦いを、固唾を呑んで見守った。


「分かってたまるものか!」


 ローベルトは力の限り叫び、剣を放り捨てたラースに容赦なく居合斬りを浴びせた。四方八方から襲い掛かる斬撃をまともに受け、体中のあちこちから血飛沫を上げるも、ラースは倒れない。

 ローベルトは息を切らしながら、立て続けに居合斬りをお見舞いした。傷口を抉るように斬られながらも、衣服を自身の血で真っ赤に染めながらも、ラースは一向に倒れない。


「何故だ――何故倒れない!」


 ローベルトが叫ぶ。攻撃の手を止めてラースに注目し、そして息を呑んだ。斬撃を一身に受け止め、ラースはぽろぽろと涙を零している。痛がって泣いているのではなく、深い悲しみを堪えるように泣いているかのようだ。


「まさか、私の過去を感じ取ったとでも言うのか?」


 そうローベルトは錯覚したが、すぐにそんなはずはないと首を振った。『あの頃』の悲しみは、自身の胸中にのみ留めている。知っているとすれば、自分の体内に入り込む前のユピテル以外に考えられない。誰にも話したことのない事柄を、ラースが知る由などないのだ。


「ユピテル――彼を次こそ倒すために、力を貸してくれ!」


 そう叫び、ローベルトは右手をラースに向けた。強大な落雷こそ発生しなかったものの、ローベルトは自力で獰猛な雷を右腕に蓄電させ、電磁砲を放たんと身構えた。


「ラース……!」


 遠くから見ていたりんが、セラ達の前に立って呟いた。もし電磁砲が放たれてラースの体を貫通してしまえば、次こそラースが無事でいる保証はない。それでもラースの望んでいる戦い方なのだと自身に言い聞かせ、りんは涙ながらに事の行く末を見守り続けた。


「終わりだ……今度こそ!」


 叫び声を合図に、ローベルトは右手から電磁砲を解き放った。ローベルトの放った電磁砲は、ラースの腹部を深く抉り、貫通した。




 * * *




 幼少の頃、ローベルトはノースのレクライナという港町で、父と二人で暮らしていた。父は唯一無二の剣技『居合斬り』の達人で、例え帝国の騎士であろうと敵う相手はいないとまで周囲に称えられ、ローベルトはそんな強い父を尊敬していた。

 父に剣技『居合斬り』を教授してもらい、心身ともに成長していったローベルトだったが、青年になったある日のこと、父からこのように教わった。


 ――人を斬るためにこの剣技を使ってはならない。


 当時のローベルトにはその言葉が理解できなかった。剣は人を斬るための道具でしかなく、父の言葉はその事実と全くもって矛盾しているとローベルトは感じた。だが、父の言葉に反発することもなく、生きていればそのうち分かるときが来るだろうと自身に言い聞かせた。

 そしてもうしばらくの時が流れ、大人になったローベルトは父から独り立ちを認められた。ローベルトは父に感謝し、ノースの雪国と呼ばれるウィザブール帝国で一人暮らしすることを決めた。剣技『居合斬り』を極めた以外に生活力も父から叩き込まれ、屋根の雪下ろしをする仕事を見つけて自由気ままに暮らしていた。剣技の鍛錬は怠ることなく、それでいて近所の住人達とは良好な関係を作り、平和な生活を送っていた。


 そんなローベルトだったが、一つだけ悩みを抱えていた。はたから見れば下らない悩みなのかもしれないが、本人にとっては深刻だった。

 ウィザブール帝国の城下町に、唯一営んでいる大きな居酒屋があり、そこで働いている少女がいた。エメラルドのさらさらした長い髪にあどけない顔立ち、そして寒がりなのかウールのコートに赤いマフラー、うさぎみたいにふわふわの白い耳当てをしているのが特徴だった。そんな彼女を一目見るのが目的で居酒屋に通う者が多くいるほどの人気ぶりで、彼女が風邪で寝込んだりした日には売り上げが四割ほど落ちるとまで噂されるほどだった。

 ローベルトは、そんな彼女に一目惚れしていた。仕事帰りに毎日通い、彼女が懸命に働く姿を、そして皆に振りまく笑顔を、いつも遠巻きに眺めていた。何かメニューの一つでも彼女に注文すれば良かったものの、ローベルトは彼女に声をかける勇気すら出ず、他の店員に毎回料理を注文していた。


 このまま彼女に声をかけることすら叶わないと諦めかけていたローベルトだったが、そんなローベルトに好機が巡って来た。屋根の雪下ろしの仕事を依頼してきた人物が、たまたま居酒屋で働く少女だったのだ。卒なく仕事をこなし、少女に料金を支払ってもらっていたところ、今しかチャンスはないと思い、思い切って声をかけた。


「あの、居酒屋でいつも働いている方ですよね?」


 少女は唖然とし、そしてこくりとうなずいてみせた。


「俺、あなたのことをいつも遠巻きに見ていました。でも、なかなか声をかける勇気が出なくて……。どうしても、仲良くなれるきっかけが欲しくて、それで……」


 我ながら相当気持ち悪いことを言っているなと後悔し、ローベルトは顔を真っ赤にしながらその場から逃げ出そうとした。しかし、逃げ出そうとするローベルトを少女の方から呼び止めてくれた。


「そういう風に言ってもらえたのは初めてだったので、嬉しいです。また、居酒屋にお越しになったときは、お声がけさせていただきますね」


 そう言って、少女はにこりと微笑みかけ、自宅へと戻っていった。人目をはばかることなく、ローベルトはその場で「やった!」とガッツポーズした。


 それからというもの、ローベルトと少女は少しずつ親密な関係になっていった。居酒屋に通ったときはお互いに仕事の調子を語り合ったり、ローベルトが雪下ろしの仕事をしているときも彼女の方から声をかけてくれたりした。

 そんなたわいない会話の中で、ローベルトは彼女のことを少しずつ知っていった。彼女は名をアイリスと言い、彼女もローベルトと同じく、親元を離れて一人暮らしをしているらしい。ローベルトもまた自身の名を名乗り、二人はお互いを名前で呼び合う仲に発展していった。


 それからしばらく経ったある日、ウィザブール城下町でとある騒動が起こった。 居酒屋が無期限の臨時休業をするという知らせが住人達に届いたのだ。常連客達は、マドンナであるアイリスの姿をしばらく拝むことができないのだと、皆して残念そうに肩を落とした。ローベルトもその一人だった。

 いつまでも落ち込んでいても仕方がないので、ローベルトは雪下ろしの作業に専念することにした。もしかすると、前みたいに向こうの方から声をかけてくれるかもしれないという淡い期待を抱きつつ、ローベルトはいつも通り仕事をこなしていった。だが、そんな期待も虚しく、一週間経ってもアイリスが現れることはない。居酒屋も営業を再開しないままだった。

 さすがに不審に思ったので、ローベルトはアイリスが一人暮らししている家に再び訪れ、思い切ってドアをノックした。何度もノックしてみたが、足音は聞こえて来ず、しんと静まり返ったままだった。

 おかしいと思いながらローベルトが引き返そうとしたとき、ポストの中に一通の手紙が入っていることに気付いた。ポスト越しに見る限り、封はされていないようだ。少しでも手掛かりが知りたくて、勝手ながらポストの中から手紙を取り出し、読んでみる。そして、走り書きされたその内容に、ローベルトは驚愕した。


『誰か助けて。居酒屋の人達にさらわれたの――』


 居ても立っても居られず、ローベルトは自宅に戻って刀を引っ張り出し、一目散に居酒屋へと向かって行った。そして、『CLOSED』の看板がかけられている鍵のかかったドアを居合斬りで断ち切り、無理矢理中へ突入した。

 中にはいつも見かけていた居酒屋の店主達五人がいた。いくつもの酒樽を外へ運び出そうとしている最中だったようで、いきなりローベルトが現れたことに動揺を隠せない様子だった。


「何の真似だ、君は! 今から酒の輸送の準備をしようとしていたところだぞ!」


 居酒屋の店主が怒鳴り散らすも、ローベルトは意に介さない。ローベルトはアイリスからの一通の手紙を信じた。


「その酒樽の中身を全て、確認させてもらおうか? 拒むなら俺が無理矢理叩き斬る」


 ローベルトの言葉を聞き、居酒屋の店主達はぎくりとした。すぐにはぐらかそうとするも、ローベルトには一切通用しなかった。一本の酒樽から、ドンドンと内側から叩く音が聞こえたのだ。

 ローベルトがその酒樽に歩み寄ろうとしたとき、居酒屋の店員四人が一斉にローベルトを取り囲んだ。


「どうやら既に勘付いているらしい。面倒事になる前に口封じしろ!」


 居酒屋の店主が叫ぶ。それを皮切りに店員達が殴りかかって来るも、ローベルトは全く臆さなかった。居合斬りで瞬時に店員達の首に峰打ちを浴びせ、店員達はローベルトの一撃により次々に呻いて倒れていった。


「動くな!」


 突然の叫び声に驚き、ローベルトは最後の一人となった居酒屋の店主に注目した。そして目を丸くした。居酒屋の店主は、酒樽からアイリスを引っ張り出し、その首元にナイフを突きつけていたのだ。

 いや、驚いたのはそれだけではない。むしろ、もう一つの方に驚かされたと言っていいだろう。酒樽から引っ張り出されたアイリスは、いつものマフラーも耳当ても身に着けていなかった。そして、長く尖った耳が露になっていたのだ。彼女は人間とは違う生き物なのだろうか? などとローベルトは想像したが、そんな悠長なことを考えている場合ではない。


「この女の命が惜しければ、その刀を放り捨てるんだ!」


 居酒屋の店主が優越感に浸りながら叫ぶ。ローベルトはため息をついた。どうやらこの男もまた、剣技『居合斬り』を存じていないようだ。


「あぁ……分かった」


 そう返事すると、ローベルトは鞘に納めたままの刀に手を伸ばし、そして――瞬時に刀を抜いて振り払い、鞘に納めた。ローベルトの峰打ちはがら空きだった首に直撃し、居酒屋の店主はアイリスを手放しながら気絶して倒れた。

 敵が全滅したところで、ローベルトがアイリスに注目する。アイリスは床に両膝をつきながら、恐怖でわなわなと震えていた。「もう大丈夫だ、アイリス」と、ローベルトは宥めるように声をかけた。


「アイリス、その耳は……」


 ずっと不思議に思っていたことをローベルトが尋ねると、アイリスははっと息を呑み、両手で耳を折り畳むように隠し始めた。どうやら、長く尖った耳については触れてほしくないらしい。

 騒ぎに気付いたのか、城下町を巡回していた騎士達が居酒屋に駆けつけてくるのが見えた。ローベルトがアイリスに声をかけようとしたところ、アイリスは耳を両手で隠したまま、居酒屋の裏部屋へと駆け足で向かっていってしまった。

 騎士達が居酒屋へ入り、ローベルトに事情聴取を行っている間に、アイリスがいつもの耳当てを着けて裏部屋から戻ってきた。そして、アイリスが居酒屋の店主達――もとい悪党共に拉致されそうになったことを告げると、騎士達は居酒屋の店主達を魔法の縄で捕縛し、連行していった。

 同時に、外にいた人垣が一斉に居酒屋の中へ入ってきた。「何があったのか」と詰問してくる人々に対し、アイリスは申し訳なさそうに頭を下げながら言った。


「すみませんが、事情を話すことはできません。どうかお引き取りください!」


 突然、アイリスがローベルトの手を掴んで引っ張り、逃げるように居酒屋の裏部屋へと駆け込んだ。ロッカーや化粧台以外、特に何も置かれていない小さな部屋だった。裏部屋の中へ入ると、アイリスは他に誰も入って来ないよう速やかにドアに施錠をした。


「無事で良かった、アイリス――」


 ローベルトがアイリスの背中に向かって声をかける。すると、アイリスは化粧台の上に置いてある万年筆を手に取り、突然ローベルトの首元に万年筆の先端を突き付けた。


「私の耳のこと、絶対に口外しないと誓って! でないとあなたの首を刺して殺します!」


 そう言って敵意を剥き出しにするアイリスに対し、ローベルトは両手を上げて無抵抗であることを示しながら訴えた。


「こんなことをしなくても、君が嫌がるような真似は絶対にしない! 落ち着いてくれ、アイリス!」


 アイリスはローベルトの揺らぎのない目をじっと見つめた。そして、ローベルトが嘘を言っていないことを悟ると、アイリスは「ごめんなさい」と言って突き付けていた万年筆を下ろした。


「事情を話してくれないか、アイリス?」


 ローベルトが優しく問いかけると、アイリスは涙ながらに語り始めた。


「……私は人間じゃない、エルフという種族の者なんです」

「エルフ?」


 聞き慣れない単語に、ローベルトは耳を疑った。アイリスはこくりとうなずき、言葉を続けた。


「私達の種族は、数百年前に人間が起こした戦争で寝床を失い、少しずつ数を減らしていきました。そして、唯一生き残っていた私の母も病気で死に、エルフはとうとう私一人しかいなくなってしまったんです。

 一人になった私は、ウィザブール帝国に移住し、人間のふりをしてひっそりと暮らす決断をしました。ずっと耳当てを着けていたのも、エルフ特有の長い耳を隠すためです。でないと、人間に忌み嫌われ、闇商人には高い金額で取引をされてしまうから……」


 ローベルトははっと息を呑んだ。居酒屋の店主達がアイリスを拉致しようとしたのも、闇商人に売り飛ばして高額の金を手にしようとしたからに違いない。


「私はもうここにはいられない。あの店主達から話を聞いたら、今度は騎士達が私の所へやって来るに違いないから。もうどうしたらいいのか分からない……!」


 悲痛な叫びを上げ、アイリスはむせび泣いた。同時に、裏部屋のドアをドンドンと叩く音が聞こえ、ローベルトはドアの方を振り向いた。


「アイリスちゃん、何でその男ばかり贔屓するんだい? 事情があるなら俺が話を聞くよ?」

「クソガキが、出しゃばるな! 部屋から出てこい!」

「邪魔だ、お前らはすっこんでろ!」


 アイリスを目的に通っていた常連客達が、欲望丸出しに語り掛け、罵声を飛ばす。アイリスは怯え切って、一歩もここから離れたくない様子だった。我慢ならず、ローベルトは親指で鯉口を切り、裏部屋のドアを開錠し、引き開けた。


「お前はお呼びじゃねえんだよ、どきやがれ!」


 ローベルトの姿を見るなり、常連客達は一斉に怒鳴り声を上げ、殴りかかってきた。ローベルトは口を閉ざしたまま、居合斬りで次々に常連客達の首を峰打ちし、気絶させていった。

 唖然とするアイリスに柔和な笑みを向けながら、ローベルトは呼びかける。


「なら、一緒にウィザブール帝国から抜け出そう。一緒に俺の実家へ行こう。俺の父上なら、アイリスの事情を汲み取った上で、居候させてくれるはずだ」

「どうして、私にそこまで優しくしてくれるのですか……?」


 涙を拭うことなく問うアイリスに対し、ローベルトは体ごと向けて告げた。


「君のことが好きだからだよ、アイリス――」




 そうして、一旦自宅に戻り身支度を済ませたローベルト達は、二人で一緒にウィザブール帝国の城下町を後にし、港町レクライナへと向かっていった。

 雪原を下っていく途中、ローベルトはアイリスの手を掴んだまま、引っ張ってエスコートした。さすがに出過ぎた真似をしたかなと不安になり、ローベルトがアイリスの顔色を窺うと、アイリスは嫌がるどころか頬を赤らめながら微笑んでおり、安堵した。


「さっきの返事、言い損ねちゃったけど……」


 アイリスがローベルトの背中に向かって言う。


「私もローベルトのことが好き。死ぬまでずっとそばにいてくれるって、約束してくれる?」


 ローベルトは立ち止まって振り返り、「もちろん」と躊躇いなく返事した。


「嬉しい!」


 アイリスは喜色満面になり、ローベルトにぴょんと飛びついてキスをした。


 しばらくして雪の山道も終わり、平坦な草原が広がった。アイリスが手を繋いだままローベルトの隣に立ち、「レクライナはどんな所なの」と尋ねた。「何もない所だよ」とローベルトが答えると、アイリスは「残念」と言って無邪気に微笑んだ。

 きっと、言葉を交わさなくても互いに気持ちは繋がっている。どんな場所であろうと、二人で一緒に暮らせればそれでいい。この手に感じる温もりさえ消えなければ、これ以上望むものはない。そんなことを彼女も考えてくれていたらいいなと、ローベルトはアイリスを横目に見ながら思った。

 そしてようやく、故郷の港町レクライナに辿り着く。二人がそこで目にしたものは、想像していたよりも遥かに悲惨な光景だった。

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