六
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。胸から噴き出る血と張り裂けるような痛みで、ラースはセラにナイフで刺されたのだと把握した。
膝をつき、ぽたぽたと血を零すラースを見下ろしながら、セラはけらけらと不気味に笑う。その奥でクリードは傍観し、拍手をしながら命令した。
「よくやった、兵器よ。そのまま奴から聖水の入った瓶を奪い取って来るんだ」
セラは考えるのを止めたかのように躊躇なくうなずき、深手を負ってうずくまるラースに歩み寄った。勢いのままにセラは手を伸ばすも、ラースに瞬時に距離を取られ、避けられてしまう。けらけら笑いを止めることなく、セラはナイフを片手にラースに詰め寄った。
――セラの様子がおかしい。ナイフによる容赦のない攻撃を避けながら、ラースは思考した。まるで、我を忘れてしまっているかのようだ。ゼブラ達に操られているのかと考えたが、ゼブラ達が魔法を使っている様子はない。つまり、セラ自身が既に狂ってしまっているのだと悟った。
どうしてセラは狂ってしまったのか。粗方ゼブラ達の魔法によるものだろうが、これはただ雑に魔法をかけられたのではない。セラは、神の力を手にしたが故の弱い心に付け込まれたのだ。人を殺してしまうかもしれないという恐怖心に。人を殺しかねない恐怖に怯えるセラに、無理やり人を殺す幻覚を見せつけたりすれば、自ずと狂ってしまうだろうというのがラースには想像ついた。
つまり、これはゼブラ達をどうこうする問題ではない。セラ自身の心の問題なのだとラースは理解する。
「セラ……!」
セラのナイフによる一突きを両手で受け止めながら、ラースはセラに叫んだ。
「お前の気持ちはよく分かる。いっそ人を殺すことへの躊躇いをなくせば、もう辛い思いをしなくて済むもんな。でも、それじゃあ駄目なんだよ、セラ……!」
「どうして?」
セラはきょとんとした顔で言った。
「私達はもう普通の人として生きられない。兵器としてしか生きられない。ならばいっそ、兵器としての生き方を受け入れてしまった方がいい。それじゃあ駄目なんですか?」
セラはラースの両手を振り払い、もう一度ナイフを突き立てたが、ラースは上体を反らして攻撃を避けた。避けた反動で胸の傷が痛み出したが、ラースは神の力による自己回復を行わなかった。
それは、かつて自分が人を殺してしまったときに、セラが手を差し伸べてくれたからに他ならない。そういう心の救い方があるのだと教えてくれたからに他ならない。今神の力を使えば、それは力に物を言わせているも同然だとラースは考えた。
「セラ。お前はこれまでただの一度も、神の力を人殺しのために使わなかった。兵器としてではない別の生き方の答えは、お前自身がもう既に導き出しているんだよ」
「違う……」
ラースの呼びかけに対し、セラはそんなことないと言わんばかりに首を振る。
「私はもう、沢山の人を殺した! あかねも、ニーナも、クレスさんも! 私の知っている人達は、全員!」
「その中には、りんも含まれているのか?」
無言のままうなずくセラに対し、ラースはふっと鼻で笑い、言った。
「りんは俺とずっと行動を共にしていた。今も生きている。セラ、お前は悪い夢でも見ていたんだよ」
セラは信じられないとばかりに頭を抱えた。
「夢だったの……? 私がこれまで目にしてきたものは、全て夢……?」
ラースがセラに歩み寄る。そして、ナイフを下ろすよう説得しようとしたが、セラはそれを振り払い、睨み付けながら叫んだ。
「近づかないで! 仮に私が人を殺していなかったとしても、あなたは人を殺している! 現に、私達は一度、神の力を発揮したあなたに殺されかけている! あなたの中に宿る神の力が人を殺す力でないと示せない限り、私はあなたの言葉を信用しない!」
ラースは深く深呼吸をした。――何も迷う必要はない、自分の導き出した答えを素直に述べればいいだけだ。
「確かに悩んだ。相当悩んだよ。俺の力は人を殺しかねない力なんだって、一時は独りぼっちになることすら考えた。でも、りんは歩み寄って言ってくれたんだ。『それはあなたの本心じゃない』って。セラ、お前にとって人を殺すことは本心そのものなのか?」
「そんなこと……」
もちろんそうだとセラは答えようとしたが、できなかった。ラースの話を聞いているうちに、セラの考え方に変化が表れ始めていた。
「俺は、人を殺す以外の生き方を提示できる。人を守る盾になればいいんだよ、セラ。かつての俺達がそうだったように。身を挺することは、人を傷付けなくたってできることなんだよ」
セラは再び頭を抱えた。自分が受け入れた人を殺す兵器としての生き方と、ラースが提示した人を守る盾としての生き方と、どちらが正しい生き方なのか分からずに葛藤しているようだった。そんなセラの葛藤に割り入るように、遠くで傍観していたクリードが一喝を入れた。
「セシリア・リゼル・アルテリア、何をしている! 貴様らはもはや常人の生き方などできやしないんだ。分かったら兵器らしく、ラース・オルディオを殺せ! 聖水の瓶を持ってこい!」
「ううう……ううううう……!」
葛藤のあまり、セラは苦しそうに呻き声を上げた。ラースは何も言わず、セラの決断を待つことにした。セラを説得するために、出来得る限りのことはしたと考えたからだ。
しばらくして、セラは呻き声を上げるのを止めた。そして、目に涙をいっぱい浮かべながら、ナイフを両手に握り締めてラースに突進した。すぐに反応できなかったラースはセラの攻撃を避けることができず、傷口を開けるようにナイフが胸に突き刺さった。
ぶるぶると震えているセラの肩に手を置きながら、ラースは優しく宥めるように言った。
「俺が怖いか? それとも、今更別の生き方に変わることが怖いのか? なら、納得がいくまで俺を突き刺せ。盾として生きるって決めたこの俺を。お前を救い出すために、何度だって攻撃を受け止める覚悟はできている」
――そして、いずれ気付くはずだ。兵器としてでない生き方に害なんてないということに。セラが気付いてくれるまで、この体、いくらでも捧げてやると、ラースはぎゅっと歯を食いしばった。
「あ、あ……」
セラは血塗れになりながら、自分の行いが正しかったかどうか、徐々に認識し始めた。自身を受け止めるラースの体の温もりが、どれほど温かいことだろう。見境なしに人を殺め、この手を血に染める自分自身が、どれほど残忍なことだろう。セラは自ずと、ラースの温もりに惹かれ始めていった。
この温もりこそが、盾としての生き方だと言うのなら――。セラはこちらの生き方の方がいいと望んだ。人を殺す兵器としての生き方以外に神の力との向き合い方があるのなら、この優しい温もりの方が断然いいと感じた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ぽろぽろと涙を零しながら、セラは突き刺したナイフを引き抜いた。ラースは首を横に振り、セラをぎゅっと抱き寄せながら言った。
「いいんだ、お前が正気に戻ってくれればそれで。……無事でよかった」
「ラースさん……」
セラは目に涙を浮かべたまま、ぎゅっとラースを抱き締め返した。
「どうやら、ここまでのようだな」
遠くの方からクリードの声が聞こえた。ラースとセラが驚いて振り向くと、いつの間にか二人の眼前までクリードが詰め寄り、レイピアを振り上げてラース達を刺し貫こうとしていた。
足が竦んで動けないセラを、ラースが突き飛ばして庇った。セラがラースを呼び止める間もなく、ラースはクリードの一突きで首を刺し貫かれた。首から勢いよく血を噴き出しながら、ラースは地面に倒れ、動かなくなった。
「駄目、駄目……!」
セラは悲鳴を上げながら、倒れたままのラースに駆け寄った。そして、すぐに神の力で傷を治そうとするも、力が発揮されない。ゼブラの手によってディアナの力を根こそぎ奪われたから、当然の結果だった。
「邪魔だ」
もう用済みだと言わんばかりに、クリードはセラの顔を蹴飛ばして遠退けた。そして次に、クリードは微動だにしないラースのポケットを漁り、中から聖水の入った小瓶を取り出した。
「この聖水が何なのか、教えてやろう」
よろよろと立ち上がろうとするセラに向かって、クリードは上機嫌に語り始めた。
「この聖水は死者を蘇生させる効果を持っている。だが、生者に対してこの聖水を使ったらどうなると思う? 不老不死、不死身の体、何らかの能力が働くはずだ。今から俺がそれを試してやる」
クリードは不敵に笑い、言葉を続けた。
「そこで見ているといい、哀れな女。今こそ最強の体を手に入れるときが来たんだ! ラース・オルディオも死んだし、その時には最早俺に敵はいなくなっていることだろう、くははっ!」
セラは恐怖のあまりぶるぶると震えた。そんなセラのことなど露知らず、クリードはラースから奪い取った小瓶の蓋を開けにかかった。
「ごめんなさい、ラースさん。私のせいで……」
セラは大粒の涙を零しながら、今更どうしようもない後悔をした。そして、絶望に呑まれながら再びクリードを見上げたとき、ここで予想外の出来事が起こった。
とすんという音と共に、クリードの腕に突き刺さったのは、二枚の手裏剣。不意に訪れる痛みに、クリードは思わず小瓶を手落としてしまう。再びクリードが拾い上げようとしたとき、今度は目を覆うほどの突風が吹き荒れ、クリードの体は勢いよく吹き飛ばされた。
「セラ!」
何が何だか分からず呆然とするセラを呼ぶ声が聞こえた。セラが振り向くと、あかね、クレス、そしてローブを羽織った少女――レミーの三人がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「あかね! クレスさん!」
セラは歓喜し、また大粒の涙を零した。あかね達を自分の手で殺した幻覚を見せられていたので、それが悪い夢だったのだと知ることができて、セラは安堵した。
「湿っぽいのは後。あいつの話は聞いてたよ。ラースが死んじゃって、あいつが死者を生き返らせる聖水を飲もうとしてるって」
セラとラースの前に立ち塞がりながら、あかねはセラに言った。
「早く、その聖水をラースに飲ませて! あたし達が少しでも食い止めている間に!」
セラははっと気づかされ、そして「はい!」と力強く返事した。
「止めろ!」
クリードは魔法で飛び、あかね達を無視してセラの方へ向かおうとしたが、あかねがそれを許さなかった。ウエストポーチから鉤縄を取り出してクリードの足に引っ掛けると、クリードはびたんと地面に叩き付けられた。
セラが聖水の瓶の蓋を開ける。その傍らで、大の字になって倒れているクリードを囲うように、あかね、クレス、レミーの三人は立ちはだかった。
「どうやら死にたいらしいな、貴様ら……」
鼻血を出しながら青筋を立てるクリードに対し、クレスは真っ向から反発した。
「生憎、怒っているのは僕らも同じことだよ。よくもラースを殺してくれたな、クリード・トレヴィス……!」
「黙れ!」
クリードが叫んだ。同時に、クリードの怒りは黒い炎となって渦となり、クリードを覆った。
「この威力……並の魔法では太刀打ちできません!」
レミーの言葉を聞き、クレスは叫んで二人に指示した。
「退くんだ、二人共!」
クリードを覆う炎の渦が弾け飛び、クレス達を襲った。レミーが瞬時に水のバリアーを張っていたため、直撃は免れたものの、クレス達は反動で大きく吹き飛ばされた。
クリードがセラの方に目を向ける。そして一目散に駆け出そうとしたが、既に手遅れだった。セラが聖水を全てラースに飲ませ、空になった瓶を放り捨てている最中だった。
ラースの体が宙に浮く。体の内側から青白い光が溢れ、胸と首の傷口を覆う。途端、傷口はみるみるうちに再生し、一瞬にして完治した。
ラースが目を開く。そして、背中から翼を生やし、ゆっくりと地上に降り立つ。その鋭い眼光は、クリードにしかと向けられたまま。かくして、ラースは死からの復活を遂げたのだった。
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