四
* * *
雲一つない青空の中、太陽がはばかることなくその身を照らしていた頃、ラースは再び街の外に出ていた。
ラースの手には、一本の黒刀が握りしめられていた。宿屋の仕事が終わり、ようやく剣を振る時間ができたのだ。
「今あの化け物と一緒にいると危ないからな……」
なんてことも呟きながら、ラースは街の広場へと足を運んだ。
広場のさらに奥、木々のそびえ立つ所に着いたラースは、早速手にしている剣を右手に構えた。
この街の広場は結構広く、子供も遊ぶ際によく利用するから、うかつに剣を振ると子供達に当たって危ない。だが、こうして広場の奥隅に行ってしまえば、基本的に誰も来ないし、周囲を林が保護してくれるから安全だ。安心して、ラースは鞘と柄を持って、ゆっくりと剣を抜いた。
徐々に姿を現した刀身が、林の間から差し込む陽の光に反射し、まばゆい光を放つ。最後まで抜き切ると、ラースは剣を縦に持って掲げた。
白く光り輝く剣先をじっと見つめる。同時に、ラースは朝の仕事をしている間に抱いた疑問を思い出した。
――俺は、何で今も剣を振っているんだろう?
ただ振りたいだけなのだから、理由なんて深く考えなくても良いのかもしれない。だが、子供の頃からずっと剣を振り続けてきたことに、自分なりの意義を見出したい気持ちがあったのも確かだった。
とはいえ、毎日のように一人で剣の練習をしていても、普段から剣を振っているわけではないのも事実だ。朝に騒動を起こしていた荒くれ者を撃退したときも、剣は使わずに腕っぷしだけで倒してみせた。相手が武器を持っていたら、防御のために剣を抜くことだってあるのだろうが、本当は生活していく上でこんな物騒な物を所持している必要なんてないのだろう――。
そんなことを考えたところで、ラースは掲げていた剣を下ろし、顔を上げて自嘲的に笑った。
「変だな俺……。いつもはこんなこと、考えもしなかったのに」
口元の笑みをそのままに、ラースが独り言を言った、その時。ラースの背後から、ガサガサッと芝を踏む音がした。
――誰かいる。ラースはそう直感する。
「誰だ? 隠れてないで出てこい」
ラースは、剣先を音のする林の方へ向けて威嚇した。すると、林の中からスッと小さな人影が現れた。
「……なんだ、マルクか。脅かすなよ」
林から現れた人影の正体は、少年マルクだった。
ほっと安堵すると同時に、ラースは突き付けていた剣を下げる。そして、改めてマルクに目を向けてみると、その表情が曇っているのが分かった。
「どうしたんだよマルク。言いたいことがあるなら言え」
ラースが促すと、マルクはうつむきながら、口を開いた。
「あの……その……ラースに謝ろうと思って」
心当たりがないラースは、マルクの言葉に目を丸くした。
「謝る? 何をだよ」
いまいちピンと来ていないラースに、マルクが顔を上げて説明する。
「ほら。ラース、朝にフェルマーさんに怒られちゃったじゃない」
「あぁ……」
そういやそんなことあったな、とうなずく。
「僕がラースを連れてきたせいで……。ラースは全然悪くないのに、ラースだけ怒られて……ごめんなさい」
そう言うと、マルクは申し訳なさそうに頭を下げた。
――なんだ、そんなことかよ。ラースは、やれやれと言わんばかりに鼻でため息をつくと、マルクの頭にポンと手を乗せた。
「気にすることねぇよ。そういうマルクだって、困ったから助けを求めた、当然のことをしたまでだろ?」
顔を上げるマルクに対し、ラースが柔和な表情を浮かべながら続ける。
「頭おかしいのはあの婆さんの方だ。だから、もうウジウジするな。お前らしくないぞ」
マルクは罪悪感でもう一度うつむいたが、やがて力強くうなずき、そしてラースに顔を向けて言った。
「うん! ありがとう、ラース!」
マルクの表情に笑顔が戻っていたことに、ラースは安堵した。
「でも、今のラースも何だかおかしいよ」
ラースに礼を言うと、マルクは早速いつもの調子に戻って、ラースに話し始めた。
「だって、いつものラースなら、ここに来たらすぐに剣の特訓を始めてるのに」
――ずっと見てたのか? 俺のこと。
「考え事? あんな顔、ラースらしくないよ」
「ハハハ……」
マルクに同じことを言い返され、ラースは苦笑する。
「まぁ、そうだ。コイツのことでな」
そう言って、ラースは剣を持ち上げてみせた。
「それがどうかしたの?」
ラースは剣を再び見つめながら答えた。
「今になってなんだが、俺は何で今も剣を振り続けているんだろうって思ってな」
「剣を?」
「ああ。ガキの頃は、アイツを越えてやるっていう明確な理由があったんだけどな」
「あいつって……クレス兄ちゃんのこと?」
「そうだ」
返事をするのと同時に、ラースは当時のことを振り返った。
まだ幼かった頃、宿屋の手伝いを終えて暇になったとき、ラースは兄と一緒によくチャンバラをして遊んでいた。ラースも決して下手というわけではなかったが、兄の巧みな棒さばきはその比ではなく、いくら挑んでも兄には圧倒されてばかりいた。がむしゃらに棒を振り回してもことごとくあしらわれ、たまに勝てそうになったと思ったら一瞬の隙に差し込まれ、連戦連敗がラースの常だった。いつか兄を負かしてぎゃふんと言わせてやると、よく躍起になって素振りの練習をしていたのが、今となっては何だか懐かしく思えた。
「でも、それはもう昔の話だもんな。アイツは今はもう……」
マルクがそれを聞いてうなずく。
「うん。騎士になるって言って、イーストに行ったんだよね」
マルクの言葉に、今度はラースがうなずいた。
騎士団は、『二大帝国』と呼ばれるアルテリア帝国とバルドロス帝国の二国にしか専属しない。そのどちらかに入団するため、クレスはイーストに向かったのだ。
そもそも、この世界には『帝国』と呼ばれる国が四つ存在する。サウスのコナン、ノースのウィザブール、そしてイーストにあるアルテリアとバルドロス。そのうち、絶対的な統治権力を持っている二国――アルテリア帝国とバルドロス帝国を、人々は『二大帝国』と総称している。
「ねぇ、何でラースは騎士にならなかったの?」
「そりゃ、ただ単に性に合わないと思っただけだ」
マルクの問いにラースは間髪問わず答えたが、口から出まかせだった。本当は、『あの』戦争の発端であるニ大帝国に仕えるのが嫌だったのだ。だが、クレスはそれを理解した上でイーストに向かったのを思い出した。
――戦争を引き起こした、二国の善悪を確かめたい。そして、悪だと判れば、騎士として努め、世の中を正しい方向へ導きたい。それが彼の、イーストへ旅立った理由だった。
十五年前に戦争を引き起こされ、それでもなお二国を信じて旅立った兄を、ラースは尊敬していた。
「俺は騎士にはならなかった。だけど兄貴は、世界平和に貢献したいって言って、騎士になった。……アイツは、俺なんかと違って、スゲェ奴だよ」
「……ねぇ、ラース」
「ん? 何だ?」
「あのさ……」
マルクはラースの握っている剣を指差した。
「ラースの言った『剣を振る理由』なんだけど……クレス兄ちゃんの『騎士になる理由』と同じだったりしない?」
マルクの言葉に、ラースはまた目を丸くする。
「同じ?」
「うん。どっちも言葉は違うけど、その理由は『救う』っていう点で似たようなものになるんじゃないかなって。違うかな、やっぱり」
それを聞くと、ラースは目を瞑って考えた。
「そんなことねーよ。確かに、同じってわけじゃねーけどな。でも、近いところにあるのかもしれない」
「そうなの?」
「あぁ。でも分からねぇ。剣は、人を傷つける武器だ。アイツのとは、同じみたいでイコールが繋がらねぇ」
マルクは、腕を組んで頭を抱えた。
「なんか……ラースの考えてることって難しいね」
「この歳になると、結構考え事が多くなるんだ」
それを聞いて、マルクは思わず吹き出してしまう。
「えー、なんかラース、爺臭いよー」
「悪かったな」
そう言葉を返したとき、ふと、ラースは街の様子に異変を感じた。マルクが笑っているのをよそに、ラースはすぐさま、街の通りの方に目を向けた。
見てみると、通りにいる人々が妙に騒がしい。何か、嫌な予感がする――。直感するなり、ラースは剣を鞘に納めて腰に着け、すぐに通りの方へと急いだ。
「……あ、ラース! どうしたの?」
マルクも慌てて後を追いかけた。
通りに着いてみると、街の人々は一目散に同じ方向へ走っていた。街の人々の顔は怯えきっていて、まるで何かから逃げているようにも見えた。
不審に思ったラースは、その中の一人を呼び止めた。
「おい! 一体何があったんだ?」
「ラース……大変だ……! アイツが……アイツが……」
男の様子がとても慌ただしい。顔も酷く真っ青だ。
「落ち着け! 誰だアイツって?」
ラースが問い質すと、男は唾を一度飲み込んで、再び話し始めた。
「バーゴって奴が……大勢の仲間を引き連れて街を襲ってきた!」
男の言葉に、ラース達は息を呑んだ。バーゴという名前――その名前に、ラースは聞き覚えがあった。
「ラース! バーゴって確か……」
「あぁ」
マルクの言葉に、ラースは大きくうなずいた。
性懲りもねぇ奴――。今朝のことを思い返しながら、ラースは一つ大きな舌打ちを溢す。
「やべえよ……あんなの、誰にも止められない……! 他の皆もアイツらにやられちまった……! もう、逃げるしかねえよ……!」
混乱と恐怖のあまり、男は悲鳴を上げる。そんな男の様子を、ラースは真剣な眼差しで見つめていた。
ふと、昔に聞かされた言葉がラースの脳裏をよぎった。どんな人にでも手を差し伸べれるような、優しい人になって――。今は亡き母が、自分達に言い残してくれた言葉だった。
目の前に困った人がいたとき、自分が何をすべきなのか、ラースはもう分かっていた。
「……ラース。もう、やることは決まってるよね?」
「愚問だ、マルク」
そう返事を返すと、ラースは男に確認した。
「街の入口……まだそこに、バーゴって奴らはいるな?」
それを聞き、ラースの意思に気付いた男は、激しく首を横に振った。
「止めておいた方がいい! いくらラースが強いとはいえ、あんな大勢を相手にすれば……」
「だからと言って、このまま野放しにしておくわけにもいかねえ。そうだろ?」
ラースの反論に対し、男は言い返す言葉が見つからなかった。事実、今の状況で頼れるのは、ラースしかいなかったのだ。
「ラース、今回は僕も一緒に戦うよ!」
突然、マルクがそんなことを言い出したので、ラースは目を丸くした。マルクが一緒に戦うだなんて、今まで前例がない。
「マルクが? 大丈夫なのか?」
「大丈夫だって! 僕のパチンコの上手さ、忘れたの?」
腰とズボンの間に挟んでいた、大きなパチンコを取り出しながら、マルクは鼻を高くした。
マルクの言葉を、ラースは否定しなかった。マルクが以前、数十メートル先の的をパチンコで見事に射抜いてみせたのを覚えていたからだ。
「分かったよ、お前を信じるよ。だけど。危なくなったらすぐに逃げろよ?」
「うん、任せといて!」
――人の話聞いてねえ……。ラースが呆れてため息をついた、その時だった。
不意に、街の入口の方から、他の人達の悲鳴が聞こえてきた。逃げ遅れた人がいたか――これ以上はまずいと、ラースの頭の中で危険信号が鳴り響く。
「急ごう、ラース!」
マルクも同じ思いだった。マルクの呼びかけにうなずくと、ラースはマルクと共に、街の入口へと走って行った。
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