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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第六章 人を殺さずして守れないもの
37/66

 大きな爆発音がして、ニンジャ達は飛び上がるように目を覚ました。窓の一番近くにいたあかねが外を覗き込むと、遠くの方で強烈な光が放たれているのが見えた。

 いや、よく見ると煙ももくもくと立ち上っている――あれは光なんかじゃない、火事だ! ただ事ではないと思い、なぎさを除くニンジャ達は一斉に部屋を飛び出した。

 廊下に出てから、あかね達はもう一つの異変に気付いた。ラースとセラ、そしてクレス隊とカルロス隊の姿が見当たらない。騎士であるクレス達はまだしも、ラースとセラの二人がいないのは明らかにおかしい。もしかすると、あの火事に二人が何らかの形で関わっているのかもしれない……。考えてばかりいても埒が明かないと思い、あかね達は廊下の窓から外に出て、鉤縄を使って地上へ降り立った。

 外は土砂降りだったが、がやがやとしきりに騒ぎ声が聞こえた。声のする方を見てみると、大勢のアルテリア兵が城の前を行き来しているのが見えた。鎧が擦れ合うくらいすし詰めになっていたので、あの中に自分達が割り入るのは無茶だと判断した。

 道の端を通ってどうにか城下町に着くと、大通りもまた大勢のアルテリア兵で溢れていた。りんの提案の下、ニンジャ達は建物を駆け上がって登り、屋上から火の出る方へ向かうことにした。屋上ともなると、さすがにアルテリア兵にぶつかる心配はなく、移動も快適だった。建物を飛び移りながら目的地へ向かう途中、あきらがある異変に気付き、はたりと足を止めた。


「なんか、臭わないっすか? この辺」


 そう言われて皆もくんくんと嗅いでみると、確かに異臭がした。それは、大通りの噴水広場から臭ってきた。りゅうとれなが同時に覗き込んでみると、噴水の周りに何人もの切り裂かれた死体があり、その辺りには夥しい量の血溜まりができていた。


「お前達は見るな――」


 一緒に見ようとするあかね達を追い返しながら、りゅうとれなは噴水広場から目を逸らした。同時に、ここまで臭ってくる異臭の正体を理解した。人間が腹を引き裂かれると、腸の中に残っていた糞が、血や胃液と共に飛び散るのだ。誰かが騎士を無差別に斬り殺したのだと思うと、りゅうとれなは背筋が凍るような恐怖を覚えた。


「それよりも、あの火を消すことを考えようよ」


 れなが話を逸らし、遠くで未だ燃え盛る黒い炎に皆を注目させた。どうやら城下町の正門が燃えているようで、れなが再び下を見ると、アルテリア兵達が噴水から正門までバケツリレーをしており、城の前と比べるとそこまで混雑してはいないようだった。次の建物へ飛び移るにも、横道が間に挟んでいて距離が遠かったため、いっそのこと降りた方が早いかなと考えていたところ、一人のニンジャが突然動きを見せた。

 ニンジャの中で一番の実力者――りんが、跳躍で横道ごと飛び越えてみせたのだ。りんにとってみれば、多少距離が離れていることなど問題にはならなかった。軽々と遠くの建物に着地すると、りゅうとれなに向かって「火を消すの、手伝ってきます!」と叫び、背を向けて走り出していった。


 いくつもの建物を飛び越え、りんは炎の近くまで辿り着いた。アルテリア兵達は、消火と住民の避難で手一杯の様子だった。魔法を使える者が、水の魔法による消火と、防壁の魔法による飛び火の防御を行い、その間に他のアルテリア兵が住民達を安全な場所まで避難させていた。

 まだ防壁の魔法は壊れていないようだったが、炎の熱気は凄まじく、所々がひび割れ煙やらが漏れ出ていた。このままでは、防壁が打ち破られ、民家に引火してしまうのも時間の問題だ。急がなければと思い、りんは印を結びながら、消火に当たっているアルテリア兵達に向かって叫んだ。


「皆、下がってて!」


 りんの叫び声は、防壁の外にいるアルテリア兵達の耳に届いたようだ。りんが頭上に手を伸ばすと、燃え朽ちる門を易々と押し潰せるほどに巨大な水の塊が現れた。りんがボールを投げるように手を振り下ろすと、巨大な水の塊は門の上に降りかかって弾け、燃え盛っていた炎ごと消し飛ばしてしまった。水の塊が弾けた反動で、辺りに霰のような雫が降り注いだ。


「助かったぞ、水無月りん!」


 アルテリア兵や住民達から歓声が飛んだ。アルテリア兵達の中には、ジュード騎士団長やカルロス隊の面々もいるようだった。遅れて大通りの方から仲間のニンジャ達も駆けつけて来たので、りんは建物から飛び降りて、仲間達やジュード騎士団長達と合流した。

 合流するなり、カルロスがりん達に把握している限りの情報を伝えた。


「お前らももう知ってるだろうが、ラースとセラの二人が行方不明なんだ。その……なんだ、噴水広場の方でもあんなことがあったし、良からぬことが起こったって察してはいるんだが」

「あんなことって、何?」


 あかね、あきら、かすみの三人が問い質そうとしたが、すぐにりゅうとれなの年長組に手で口を塞がれた。噴水広場を通ってきたときも、あかね達は目を塞がれながら通り過ぎたんだろうなとりんは想像した。


「その答えの一つは、恐らくこの正門の向こう側にある」


 ジュード騎士団長が、すっかりしけた木屑となった正門の奥を指差した。りんが水の大砲で吹き飛ばしてくれたおかげで、取り壊す手間が省けたと、ジュード騎士団長達は改めて感謝の意を示した。

 正門の木屑をかき分けて奥へ進み、一同は城下町の外へと出た。そこで目にしたもの――真っ先にそれに気づいたジュード騎士団長は、遅れてきた他のアルテリア兵達に即座に命令した。


「あの遺体も運べ!」


 城下町の外には、なんと、バルドロス帝国の王であるカーツ・クルエル・バルドロスの死体が転がっていた。先程は腸を裂かれた臭いで分かったが、今度は不意に死体が目に飛び込んできたので、りゅうとれなはあかね達の目をすぐ覆い隠すことができなかった。アルテリア兵がすぐに取り囲んだものの、ほんの一瞬でも死体を目の当たりにし、あかね、あきら、かすみの三人は戦々恐々としていた。


「大量の死体に、先程の猛火。クレスも城の前で気絶させられていた……一体誰が?」


 耳打ちするように尋ねるカルロスに対し、ジュード騎士団長は重苦しい表情で答えた。


「炎の方は、ラースとセラの二人である可能性は低い。あの子達に魔法を扱うことは不可能だからだ。だが、クレスやあの死体の方は……二人が関わっている可能性がある」


 ジュード騎士団長の言葉を聞き、カルロス隊とニンジャ達は息を呑んだ。同時に、別のアルテリア兵が声を上げながらジュード騎士団長の下へやってきた。


「騎士団長。病院の状況を確認して参りました!」


 そのアルテリア兵は、ジュード騎士団長達の前で立膝をつき、報告を始めた。


「バルドロス帝国騎士団長と研究員がいる病室を確認したところ、ベッドの中はもぬけの殻となっていました。そして、その上、ベッドの上には多量の白い溶液が付着しておりました!」


 その言葉を聞き、カルロスははっと気付かされた。カダルナ港でクレス達が得体の知れない犬達と対峙したときの報告内容と通ずるところがあったからだ。クレスが犬を真っ二つに叩き割ったところ、白い粘土のようなものが中にあり、酸のように蒸発して消えてしまったと。


「これで少なからず察しがついただろう、カルロス」


 頭を抱えながら、ジュード騎士団長は説明を続けた。


「我々が捕らえたクリード騎士団長と研究員の二人は、複製製造装置で作られたコピーだったということだ。そして、二人は手を組んで姿を隠し、虎視眈々と隙を伺っていたんだろう。我々がカーツ国王を拘束し、隙が生まれたタイミングで、二人はバルドロス帝国から寝返り、二人だけの計画を実行に移したんだ」

「なら、カーツ国王を殺したのも、その二人で間違いないのでは?」


 横からカルロス隊のアンが口を挟んだが、ジュード騎士団長は首を横に振った。


「もし全ての犯行がその二人によるものなら、クレスを生かしておく理由がない。俺は、ラースがカーツ国王とその部下を死傷し、セラと合流したときに、クリード騎士団長と研究員の二人に襲われたものと推測している。それならばおおよその動機が成り立つ」

「そんなことは……!」


 カルロス隊のユンが反発しようとしたが、立膝をついていたアルテリア兵が恐るおそる物申した。


「私も、ジュード騎士団長の推測通りと思っています。行方不明になったラース殿をセラ殿が追いかけていったのを何人かの兵が目撃しておりますし、負傷したバルドロス兵も口を揃えてラース殿に襲われたと証言しておりました……」


 嘘だと信じたくて、何か調査の力になればと思い、かすみは巻物を地面に広げて印を結び、犬のスイを呼び出した。スイの嗅覚があれば、辺りに飛び散っている血痕が、少なくともラースのものであるかどうか分かるかもしれないと思ったからだった。

 しかし、先程まで死体があったところの血溜まりに、ラースの血の臭いはやはり含まれていなかった。むしろ体臭のみが残っており、ラースが一方的にカーツ国王を殺したという、ジュード騎士団長の推測を裏付ける結果になってしまった。一方でラースの血痕も別に残っており、魔法か何かで吹き飛ばされたのか、遠くの海まで血痕が続いているとスイはかすみ達に伝えた。

 仲間が大量虐殺した事実を受け止めるのが酷なあまり、一同はうつむいて黙り込んだ。あかねも眉間にしわを寄せながら「何やってんだよ、あの馬鹿……!」と憤った。


「ようやく理解したか?」


 突然、背後からニンジャ達にとって聞き慣れた声が響いた。一同が振り向くと、ニンジャ達のリーダーである睦月なぎさが立っていた。


「何度も教えたはずだ。一時の気紛れで殺人を平気でやってのけるのが人間だってな。お前らが信頼していたあの男も、結局は危険極まりない連中の一人だったってことだ」


 なぎさを除くニンジャ達は、反論できずうつむいてしまう。なぎさの言動を少なからず不満に思っていたカルロスも、この時ばかりは何も言い返すことができなかった。


「人間に手を貸すのは昨日ばかりという約束だったな? シノクニへ帰るぞ、お前ら。これを機に二度と人間達と関わり合おうとするな」


 ニンジャ達は何も言わず、帰り始めるなぎさにしぶしぶついて行こうとした――ただ一人、りんを除いて。


「どういうつもりだ?」


 立ち塞がるりんに対し、なぎさは憤りを露わに尋ねた。


「助けに行きます。彼らは大切な仲間です」


 りんは臆することなく答えた。


「仲間だと? 簡単に人を殺す心のない連中が、仲間だと?」


 なぎさは青筋を立てて怒鳴った。激しい剣幕でなぎさは言葉を続ける。


「それとも、また借りを返すとでも言うつもりか? だとしたら、もう十分借りは返したはずだ。違うか?」


 幼い頃からずっと面倒を見てくれたなぎさを裏切るような真似に、りんはずきずきと胸が痛むのを感じた。だがそれ以上に、命を救ってくれた仲間達を見捨てるようなことはしたくない――。自分の心に嘘をつきたくなかった。

 りんの脳裏に、仲間達の優しい言葉がよみがえる。


 ――大切な友達ですから。私も皆さんとこうしてお話しすることができて、嬉しいです。

 ――もしまた、あんた達に困ったことがあったら、俺もあんた達の力にならせてくれ。俺は、あんた達の味方でありたいんだ。


 決心するや否や、りんは振り絞るように叫んだ。


「私は……まだ借りを返し切ったと思ってない!」


 突然、ボフンという小さな爆発音と共に、辺り一帯に煙が立ち込めた。りんが放った煙玉だった。まさかりんが道具を使うとは思わず、なぎさ達は一瞬にしてりんを見失ってしまう。

 煙が晴れて一同が見渡すと、りんはいつの間にか、城下町の塀のてっぺんに登っていた。


「戻ってこい、りん!」


 なぎさが叫んで呼び止めるも、りんは無視した。そして、ウエストポーチから頑丈な布を取り出すと、それを両足に括り付け、両手で持ち、ムササビのように広げて飛び降りた。

 広げられた布は風に乗り、りんは滑空しながら北の空へと飛んで行った。すぐになぎさが忍術で撃ち落とそうとするも、空から降った雷の光に目が眩んでしまう。再び目を開けると、りんの姿は雨空に溶け込み見えなくなってしまっていた。


「……あいつは裏切りの選択をした。あいつはもう俺たちの仲間じゃない」


 りんがいなくなった雨空を見上げながら、なぎさはニンジャ達に言った。


「そんなの……!」

「あんまりッスよ!」


 あまりにも無情な一言に、あかねとあきらの二人が詰め寄った。


「輪を乱さないためにも、リーダーの言葉には従ってもらう。それがニンジャのルールだったはずだ」


 なぎさが厳格な態度で言葉を返した。あかねとあきらは口ごもってしまった。


「りんも、それを重々承知していたはずだ。ならば、俺達にも引き止める理由はない……」


 なぎさもまた、悔やむように視線を落としながら言った。

 あかねは黙りこくったままだった。かすみは涙ぐみ、あきらがれなに救いを求める目を向けるも、れなは苦渋の色を浮かべていた。

 もちろん、ラース達のことは心配だし、幼い頃から親しくしてきたりんを見捨てることなど到底できない。だが、ニンジャのルールは私情など関係なしに絶対なのだ――。どうすればなぎさを納得させられるか、れなが悩んでいたところ、隣にいたりゅうが突然前に出て、なぎさに物申した。


「お言葉ですが、なぎさ様。以前に俺と晩酌をしていたときに、あなたが仰った言葉を覚えておいでですか?」


 なぎさは何かを思い出したように声を上げた。


「覚えていらっしゃるんですね? もし決闘でりんに負けたら、その時はりんをリーダーに任命しようと思っていると」


 りゅうの告白に、なぎさを除くニンジャ達は目を丸くした。「それ、本当?」と期待の眼差しを向けるあかねに対し、りゅうは大きくうなずいてみせた。

 ばつの悪そうな顔を浮かべるなぎさに対し、りゅうは畳みかけるように言葉を続けた。


「今回の決闘で、りんはあなたに勝ってみせた。今のリーダーはりんであるはずなんです。であれば、俺達がりんに加担したとしても、それは掟破りにはならない。違いますか?」


 りゅうに正論を返され、なぎさはどもってしまうが、意思は変えられないとばかりに反論した。


「お前の言い分が正しかったとしても、俺は反対だ。傷つけ合い、殺し合いを懲りずに繰り返す連中なんだぞ。もう一度関われば、次こそ無事でいる保証はない!」

「例えそうだったとしても」


 揺るぎのない目で、りゅうは言葉を続ける。


「あいつらを助けるのを俺達は後悔しません。あいつらは本当に良い人間達だから。あいつらには、これからも俺達と友達でいてほしい。だから、なぎさ様、お願いです。あいつらを助ける許可をりんに、そして俺達にください」


 そこまで言うと、りゅうは深々と頭を下げて懇願した。後に続くように、あかね、あきら、かすみの三人が頭を下げた。


「俺達からも頼む。あの子達を救出するために、ニンジャの力を貸してほしい」


 一緒になって頭を下げながら、ジュード騎士団長もなぎさに願い出た。カルロス隊や他のアルテリア兵もそれに続いた。


「なぎさ様……」


 れなにもすがるような目を向けられ、なぎさはやれやれと言わんばかりにため息をついた。

 ラースが優しい人間だというのは、本当はなぎさ自身も分かっていた。意地でも心を開こうとしなかった自分を突っぱねずに歩み寄ろうとしてくれた人間だというのは分かっていた。それでも人間とは関係を断つべきだと考えていたが、正論を立てられた上でここまで懇願されては、断ろうにも断れない。

 後頭部を掻きながら、なぎさはしぶしぶ言った。


「分かったよ、仕方ないな。俺もこのままりんにいなくなられたら、夢見が悪くなるからな」

「やったー!」


 あかね、あきら、かすみの三人は、喜色満面になって飛び跳ねた。カルロスもなぎさの了承を聞き、ほっと胸を撫で下ろした。

 ――今の懇願は、自分がジュード騎士団長やクロム国王に口答えするのと同じくらい、勇気がいることだったはずだ。肝が据わっているなと感心しながら、カルロスがりゅうに注目してみると、れながにこやかに笑いながらりゅうに歩み寄っているのが見えた。


「どうした? 変ににやにやして」


 怪訝そうに尋ねるりゅうに対し、れなは笑みをそのままに、りゅうの頬を指で突っつきながら言った。


「別に~? 相変わらず、頼りになる幼馴染だなと思いまして」


 カルロスがにいっと意地悪気な笑みを浮かべた。


「どうやら、今ので株を上げたみたいだな? りゅうの兄ちゃん」

「ほっとけ」


 れなのちょっかいを人差し指で払い除けながら、りゅうはカルロスに言葉を返した。




 * * *




「隊長! 目を覚ますのであります!」


 自身を呼ぶ聞き慣れた声が耳を打ち、クレスはようやく意識を取り戻した。うつろな目を向けると、部下のビックスが、土砂降りの中で地面に倒れていたクレスを抱き起こしており、その横ではもう一人の部下であるウェッジが心配そうな目を向けていた。

 ビックスの腕から離れるように上半身を起こすと、視線の先には店が立ち並ぶ城下町の景色があり、クレスはラースに不意打ちを食らってからずっと気絶したままだったことを知った。そして、城下町が大勢のアルテリア兵でごった返しているのを見て、自分が気絶してから何が起こったのか、クレスは嫌でも察しがついた。

 消沈のあまりうつむきながら、クレスは部下二人に尋ねた。


「正直に答えてほしい。ラースがバルドロス帝国の連中を殺したんだね?」


 ビックスとウェッジは返答を躊躇ったが、クレスのお見通しな様子に観念し、返事と共にうなずいた。


「……そうか」


 顔を上げることなく呟くと、クレスは部下二人に指示を出した。


「二人共、一時僕の下を離れての行動を許可する。救命と捜索の支援に向かうんだ。……少しだけ、一人にさせてくれないか……」


 ビックスとウェッジは気が気でない様子だったが、クレスの傷心を汲み、やむを得ず城下町の方へと向かっていった。


 部下二人にも気を遣わせてしまい、全く情けない限りだなとクレスは感じた。部下二人のみならず、目の前を通り過ぎる他のアルテリア兵も、クレスを横目で見てはいたたまれない様子で目を逸らしていたので、きっと酷い顔をしているのだろうとクレスは想像した。

 ふと、すぐ近くに水溜まりができていることに気付き、クレスは鏡のようにそれを覗き込んだ。本当に酷い顔をしているなと思った。生気が根こそぎ失われ、憔悴しきったその顔は死人であるかのようだ――否、人を死なせたのは自分自身であるというのに、なんて厚かましい例え方なんだろうとクレスは自戒した。

 クレスは、人を殺す前のラースと一度会っている。そして、殺されたカーツ国王を処罰するために開かれた帝国会議にも立ち会っている。帝国会議で然るべき処罰を下せていれば、そして、斬殺の決断をしたラースを引き止めることができていれば、このような無残な結末にはならなかったはずだ。ただ見ているだけで、誰一人裁けず、誰一人守れなかったからこそ、殺人は起こってしまったのだとクレスは省みた。


 故郷のリバームルに住むフェル婆さんやマルク達に、そして亡き両親に、どう顔向けすればいいのだろう――。自責のあまり何度も謝り続けるクレスの頬を、一筋の涙が伝った。今更どれだけ詫び入ったところで、ラースの罪が消えることはないという事実が、クレスの悔恨の念をさらに募らせた。カダルナ港の海でバーゴを救おうとしなかったことといい、自分はつくづく騎士の風上に置けない人間だと、クレスは痛感した。

 ――騎士団長に会ったら、騎士を辞職する旨を伝えよう。そして、もしラースが死刑を受けるようなことがあれば、自分も一緒に死のう。ラース一人に罪を背負わせないことが、兄としても、騎士としても守ってやれなかった自分に課せられた義務なんだ。

 自暴自棄に陥るクレスを正気に戻したのは、一人の若い女性の声だった。


「クレス様……!」


 クレスが我に返って顔を上げると、あどけない顔立ちのメイドが目の前に立っていた。


「君は……」


 見覚えのある顔に、クレスは思わず目を丸くした。昨日の夕べに、本来の献立だったボルシチを誤って焦がしてしまった娘だと気付いた。

 アルテリア帝国騎士団全員には出動命令が出ているだろうが、メイドや執事などの使用人が事件に駆り出されるようなことはあり得ない。こんな大雨の中で一体何をしているのだろうとクレスが疑問に思ったところ、先にメイドが振り絞るような声で答えた。


「弟のラース様が人を殺したって騒ぎを聞いて……。バルコニーから外を覗いたら、クレス様の姿が見えて……居ても立っても居られなくて……」


 ぽろぽろと涙を零しながらも、メイドは一握りの勇気を胸に言葉を続けた。


「ご無礼をお許しください……。それでもクレス様のことが心配だったんです。遠くから見ても、クレス様のご傷心が痛いほど伝わってきたから……少しでも力になれたらって、そう思って……」


 そこまで言うと、メイドは涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い、口を噤んで泣きじゃくってしまった。

 クレスは呆気に取られてしまったが、励ましてあげたいというメイドの想いがひしひしと伝わるのを感じた。騎士が気紛れでメイド達に絡むことはあれど、身分の差を意識してか、メイド達の方から絡んでくることは滅多にない。もしかするとご法度とされていたのかもしれないが、このメイドはそれを承知の上で、勇気を出して自分に声をかけたのだと察した。


 クレスは、彼女がボルシチを焦がしてしまったときのことを思い出した。あの時ミスを犯して羞恥に駆られる彼女の姿と、昔カルロスの下で務めていたときに間抜けな失態をしでかした自分の姿が重なった。そして、昔の失態を経て得た教訓を、そのまま彼女に投げかけたのだ。ミスは誰にでもつきもので、次に失敗しないようにと前向きに考えればいい――その教訓は、今の自分にも例に漏れず当てはまっているのではないか?

 ラースを止められなかったのが事実でも、それが騎士を止める理由にはならないはずだ。それは責任ではなく、ただの現実逃避でしかない。本当にラースのことを想うなら、今こそ前を向くべきじゃないかと、クレスは自身に言い聞かせた。


 頬の涙を拭って立ち上がると、クレスはめそめそと泣いているメイドを慰めるように、メイドの肩にそっと手を置いた。突然のことに顔を上げ、きょとんとするメイドに対し、クレスはいつもの柔和な笑みを浮かべて言った。


「ありがとう。君のおかげで、まだうつむいている場合じゃないって気付けたよ。いずれ騎士の任を解くことになっても、ラースを連れ戻すまでは、僕は剣を手放しちゃいけないんだ」

「クレス様……」


 クレスの決意を聞いても、メイドは浮かない顔をしたままだった。理由は、クレスに騎士団を脱退するようなことがあってほしくないからに他ならない。だが、自分が口出しできるような事情ではないのだろうと諦めかけ、メイドは悄然としてうつむいた。

 その時、突然誰かのクレスを呼ぶ声が聞こえてきた。クレス達が振り向くと、ジュード騎士団長がカルロス隊、あかね達ニンジャ一行、そしてビックスとウェッジを引き連れて城下町から戻ってくるのが見えた。

 立ち直ったばかりとはいえ、先程まで悲嘆に暮れていたクレスの表情は、ジュード騎士団長の目にはまだやつれているように見えたのだろう。クレスの心痛を察し、ジュード騎士団長もまたクレスを励ますように言った。


「ラースのことで気に病んでいるなら、それはクレスだけの責任じゃない。帝国会議でカーツ国王を処罰できなかった俺達にこそ非があることだ。そして……」


 奮起させるように、ジュード騎士団長は語気を強めて言った。


「一緒に来てもらうぞ、クレス。お前はもう、アルテリア帝国騎士団に欠かせない戦力なんだ」


 まさかジュード騎士団長から直々に評価してもらえるとは思わず、クレスは唖然とした。そして、こんな自分でも必要としてくれるジュード騎士団長に対する感謝の気持ちが溢れ、クレスは深々と頭を下げて礼を言った。隣にいたメイドも、クレスが騎士団に残れることに安堵し、ようやく顔を綻ばせることができた。

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