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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第六章 人を殺さずして守れないもの
36/66




 * * *




 セラが事の異変に気付いたのは、夜中に城の中を散歩していたときのことだった。


 夕食を終えて三階の寝室に向かうと、初めて会ったニンジャ達も交え、夜遅くまでたわいない談笑を続けた。かすみがうとうとし始めたのをきっかけに、一同はお休みを告げて各々のベッドへ入り、そのまま寝静まってしまったが、セラだけは寝付けずにベッドの中で悶々としていた。カーツ国王達が自分を呼称するときに使っていた『ディアナ』という名前が何なのか、ずっと気になっていたからだった。

 クロム国王やジュード騎士団長、そして鳥に乗るおじさん――キルバード・レインズも、『ディアナ』という名前を耳にした途端、ただならぬ様子で目の色を変えていた。『ディアナ』の正体が何か、そして自分にどのような秘密があるのか、アルテリア帝国の重役である彼らはその答えを既に知っているのだろう。翌日に改めて話すとクロム国王は約束してくれたが、国家絡みで機密に扱うほどの秘密が自分に隠されていると知ると、セラは居ても立っても居られなくなった。

 とうとう我慢できず、セラがベッドから再び体を起こしたときには、窓の外は夜空と薄暗い雨雲に包まれて静まり返っていた。寝息を立ててぐっすりと眠っているあかね達を起こさないようにそっとベッドから降りると、セラは扉の隙間から漏れる明かりを頼りに玄関へと向かい、忍び足で寝室を後にした。


 気の赴くままに廊下を渡り、行き着いた先は、見晴らしの良いルーフバルコニーだった。空は相変わらず雨景色だったが、屋根のおかげで濡れることはなく、吹き抜ける夜風も優しくさすられるようで、居心地が良い所だとセラは感じた。ネオンで仄かに輝く城下町をぼんやりと眺めながら、セラは眠くなるまでここでくつろぐことにした。

 セラがラースとクレスの二人を目撃したのは、その時のことだった。城下町へと続く坂道の前で立ち話をしている二人を偶然見かけ、どうしたんだろうとセラが気にかけた途端、事件は起こった。ラースが瞬時に剣を抜き、クレスの首に躊躇なく剣を振り下ろしたのだ。クレスが倒れて動かなくなるのを見届けると、ラースは剣を鞘に納めながら城下町の坂道を駆け下りていった。

 ただならぬ事態に、セラは城の見回りをしていた近くのアルテリア兵を急いで呼び止めた。経緯を説明して城の外まで案内してもらうと、まず最初に、地面の上で倒れているクレスの安否を確認した。首を掻っ切られたわけではなく、峰打ちを受けて気絶しただけでまだ息があることを知ると、セラ達はほっと安堵の息を吐いた。だが、そうなると次に心配なのが、クレスを攻撃して一人走り去ってしまったラースの方だ。


「セラ殿はここで、クレス殿が目を覚ますまで様子を見ていてもらえますか。私が城下町に降りて、ラース殿を探しに行きます」


 そうアルテリア兵は指示しようとしたが、衝動的に走り出していたセラの耳に届くことはなかった。慌てて呼び止めるアルテリア兵の声に気付くことのないまま、セラは無我夢中でラースの後を追いかけた。

 なぜ、彼は暴挙に出たのだろう――。考えに耽っていたところ、セラの脳裏にふと、ノアールの森でキルバードと話していたときのラースの顔が浮かんだ。人殺しの気持ちはやった本人にしか分かり得ないと、キルバードに諭されていたときの顔だ。仲間想いで優しいラースがあの時にだけ見せた、人の心を失ったかのような残忍な顔を、セラは鮮明に覚えている。今の彼も、あの時と同じ顔をして剣を握っているのだろうかと想像した途端、セラはようやくラースの動機を理解した。


 ラースが旅の目的だと語っていた、人を殺さずして守れないもの。その答えを見出す上で、彼は格好の相手を見つけてしまったのだ。生きるに値しない人間を。

 お願い、思い留まって――そう切に願いながら、セラは矢のように走り続けた。どんなに息が苦しくても、駆ける足を止めてはいけない。煩わしくなったサンダルを脱ぎ捨て、へたばりそうになる体に何度も鞭を打ち、一心不乱に走り続けた。


 そうして、城下町の外で、返り血に塗れたラースを見つけたのである。

 セラの制止は間に合わなかった。一人の殺人鬼と、その足元に横たわる死体を見つめるその目は、溢れ出る涙で満たされた。当然、ラースの罪を容認などできるわけがなかったが、セラは完全に否定することもできなかった。

 ラースもまた、泣いていたのだ。後悔と罪悪感に苛まれ、子羊のように怯えながら泣いていたのだ。体を小刻みに震わせ、土砂降りの雨よりも大きな涙の粒を零しながら謝られては、誰が彼を責め立てることができようか。それに……。


「私もです。私も、同じなんです」


 むせび泣きながら、セラは声を紡いだ。


「城下町でも、酷い傷を負っているバルドロス帝国の騎士をたくさん見かけました。いつもなら自分の魔法で治癒できたはずなのに、できなかった。心のどこかで、彼らのことを許せないって思ってしまったんです。それで、上手く魔法が使えなくて……治せたはずの彼らを、私は……」


 魔法――セラにしか使えない特別な力のことだろう。ラースは、ネムヘブルの村長が話してくれたことを思い出した。

 セラの特別な力は、彼女自身の想いに比例して強くなる。裏を返せば、憐れみと相反する気持ちはセラの力を妨げる足枷になりかねない。バルドロス兵に対する恨みに遮られて力を上手く引き出せず、治癒ができないまま見殺しにしてしまった――そうセラは言っているのだろう。

 無論、ラースは理解していた。セラが感じている罪悪感は、自分の罪そのものだ。一人では抱えきれないほどの罪。仲間の心をも巻き添えにし、蝕んでしまうほどの罪。時が経てば経つほど、自分の行いがどれほど極悪であったかを思い知らされるようで、胸の底からふつふつと自己嫌悪が湧き出るのをラースは感じた。

 降り続ける鉛のように重い雨は、空が刺すような視線を幾度となく向けてくるようだった。自ら踏み込んだ底なし沼からは、もういくら這い上がっても抜け出すことができない。誰かに手を差し伸べられたとしても、自分はその手ごと沼の底に引きずり込んでしまうのだろう。今のセラのように……。ラースは、自分がどうすればいいのか分からなくなった。放心して立ち尽くすラースの息を吹き返させたのは、懸命に立ち直ろうとするセラの誠実な呼びかけだった。


「戻りましょう、皆のところへ。私も最後まで一緒にいます。人を殺してしまった罪を、ラースさんはきちんと受け入れるべきです」


 ラースが顔を上げると、セラは涙の筋を拭うことなく、それでも優しく微笑みかけてくれていた。セラは、ラースと共に沼へ踏み入る覚悟を決めてくれたのである。

 一緒になって泣いてくれることが、そして殺人者である自分に躊躇いなく手を差し出してくれることが、これほどまでにありがたいとは思わなかった。差し伸べられたセラの手を血に染まった手で恐るおそる掴むと、ラースはもう一方の腕で涙を拭きながら言った。


「セラ、ありがとう。俺、皆に謝らなきゃ。罪を償わなきゃ。こんなところでいつまでも燻っている場合じゃねーよな……」


 柔和な笑みをそのままに、セラはこくりとうなずいた。


 セラ曰く、城下町の噴水広場には、遅れて騒動に気付いたアルテリア兵達が既に駆けつけているらしい。まだ息があるバルドロス兵達も、セラがここに来るまでに、担架で病院へと運ばれていったそうだ。

 血の足跡を辿れば、自分達が城下町の外にいることも容易に推測できるだろう――そうラースが考えたのと同時に、城下町の正門がアルテリア兵の手によって引き上げられていくのが見えた。これ以上の迷惑はかけられないと、ラースが先に正門へと歩み出した時、第二の事件は起こった。


 夜の景色に似つかわしくない、目が眩むほどの閃光。轟く爆発音に驚いて(まぶた)を開けると、目の前では猛火が激しく燃え盛り、荒れ狂うかのように樫の木の正門を呑み込んでいた。

 落雷かと一瞬錯覚したが、ラースはすぐに何者かの仕業だと察知した。あの蛇のように絡みつく黒い炎には見覚えがある――どこで見たものかラースが思い出そうとしたとき、とすんと、突然誰かに背中を小突かれた。

 ――否、小突かれたのではない。自身の胸元を見下ろしてみると、細身のレイピアが背中から深々と突き刺さっていた。背後から嘲笑が聞こえる。吐血しながら力なく振り向くと、バルドロス帝国騎士団長のクリードが、悦に入った顔を浮かべて立っている。クリードがレイピアを引き抜くと、胸に開いた傷口から血が勢いよく噴き出し、ラースは失血によってうつ伏せに倒れた。

 動かなくなったラースから目を離し、クリードがセラの方へ悠然と歩み寄る。青ざめながら後退りするセラだったが、すぐに何者かの手と背中がぶつかった。悲鳴を上げて振り返ると、フード付きの黒いローブを着た男――ゼブラが立ち塞がっていた。挟み撃ちに遭い、間もなくクリードに背後から裸絞めされ、セラは身動きを取れなくされた。


「放して……放してっ!」


 必死にもがいてクリードの腕を振りほどこうとするも、一回りほど小柄なセラの力ではそれも叶わなかった。どうすれば良いか分からず狼狽えていたところ、突然、クリードが不敵な笑みをそのままに口を開き、セラの耳元で語り始めた。


「十五年前、バルドロス帝国は、当時三歳だったアルテリア帝国の王女を我が物とするため、大規模な戦争を仕掛けた。この世界とは別の次元――天上界に存在すると言われる神の魂、そしてその力が、王女の中に宿っていたからだ」


 セラは訳が分からず目を丸くした。――いきなり何を言い出すのだろう? なぜ今、十五年前の出来事に触れようとするのだろう? 天上界、神?

 混乱するセラをよそに、クリードは言葉を続けた。


「間諜曰く、アルテリア帝国の連中は、王女に宿る神の魂をこう呼んでいた……『ディアナ』と」


 聞き覚えのある名前に、セラは思わず息を呑んだ。愉悦に満ちた声で、クリードはさらに言葉を続ける。


「お前の真の名を教えてやろう。お前の名前はセシリア・リゼル・アルテリア。世界中の民を死に至らしめた、十五年前の戦争の引き金を引いたのは、お前なのだよ」


 空のあちこちで鳴る雷が、脳天にも落ちてきたかのような衝撃だった。嘘だと思いたかったが、皮肉にもセラ自身に心当たりはいくつかあった。十五年前にアルテリア帝国が強大な何かを手にしていたというのは、パレル港のレストランでラース達も話していたことだ。そして、『ディアナ』の正体を知っている者が十五年前の戦争に関わった者達だとするなら、カーツ国王が執拗に追い求めていたのも、クロム国王達が名前を聞いて深刻な顔を浮かべていたのも、全て辻褄が合う。

 十五年前の戦争がどれほど惨いものだったか、セラも子供の頃に大人達から何度も聞かされた。世界中の村や街、国々が滅ぼされたこと。罪のない多くの民が殺されたこと。それら全てのきっかけが、自分の中に宿る『ディアナ』だというなら――。自分がいたから、十五年前の戦争は勃発したのだ。世界の人々を絶望の淵に追いやったのは、他でもない自分なのだ――。

 命を失った、何百、何千もの人々の無念と怨恨が、滝水のようにとめどなく降り注ぎ、セラの心を容赦なく押し潰す。いくら懺悔しても償い切れないほどの罪の重さに、セラは言葉にならない悲鳴を上げた。そんな錯乱した様子のセラを眺めながら、クリードは愉快そうに高笑いを上げるのだった。




 クリードの耳に障る笑い声で、ラースは辛うじて意識を取り戻した。

 うつ伏せになったまま視線を上げてみると、クリードとゼブラの二人がセラを取り囲んで拘束しているのが見えた。続けざまに立ち上がろうとしたが、途端に胸の激痛に襲われ、ラースは耐え切れず地面に顔をついた。


 低く唸りながら、ラースは自分が倒れる直前に起こったことを思い返した。燃え上がる城下町の正門、胸のど真ん中を貫いたレイピア、そして背後で嘲笑を浮かべるクリードの姿……。あぁ、自分達はクリード達に奇襲を受けたのだと、ラースはようやく今の状況を理解した。

 急所を外していたとはいえ、傷は深く、ラースは自力で動けないまでに弱り切っていた。だが、ラースはそれを当然の報いなんだと解釈した。それと同じだけの、いや、それ以上の罪を自分は犯したのだから――。処刑されるよりも死ぬタイミングが早まっただけに過ぎないと、ラースは自身の絶命を受け入れるつもりでいた。

 だが、セラは違う――ラースは再び視線を上げた。セラは、負傷した人達や殺人者の自分を救おうとしてくれたのだ。穢れ切った自分なんかとは違う、優しい心を持った人間なのだ。そんな何の罪もない彼女が、理不尽に仕打ちを受けて悲しむようなことがあってはならない……あっていいはずがない。


 セラだけは助けなければならないという強い想いが、ラースの心をざわつかせた。そして、まだ死ぬべき時ではないと、ラースは自身を奮い立たせた。

 ――痛み苦しんでいる場合じゃない。セラを仲間達の下へ帰してやるまでは、死んでも死にきれない。耐えろ、怯むな、立ち上がれ。最後の力を振り絞るんだ。奴らの手からセラを救い出すための、力を――。




「何だあれは……?」


 既に力尽きていたはずの男を見つめながら、クリードは唖然とした。クリードのみならず、セラも豹変した仲間の姿に色を失った。

 二人の視線の先に立っていた者は、もはや人の原形を留めていなかった。膨れ上がった隆々たる手足、大岩をも噛み砕いてしまいそうな強靭な牙、風塵を巻き起こしながら羽ばたく翼、血色を帯びた鋭い瞳孔……。今となってはおとぎ話にしか存在しない、獰猛な化け物――ドラゴンの姿がそこにはあった。

 セラが息を呑んだのも束の間、ドラゴンは耳をつんざくほどの甲高い咆哮を上げ、翼を広げてクリード達に飛び掛かった。セラもクリードも怖気付く一方、ゼブラは危険な状況の中で高らかに笑い声を上げ始めた。


「こいつぁ驚いた。あんたの中にも神の魂が宿っていたというわけだ!」


 ドラゴンの豪腕が迫る。ゼブラは臆することなく、黒い光を灯した右腕をドラゴンに向け、叫んで呪文を唱えた。次の瞬間、地面から槍のように鋭利な氷塊が突き出し、襲い来るドラゴンの胸の傷を刺し貫いた。

 ゼブラが撤退せずに応戦したのは、ゼブラなりの勝算があってのものだった。例え神の力が引き出されていたとしても、神の魂を支える器が人間そのものであることに変わりはない。その器が瀕死の体ともなれば、神の力とて長く持たせることは至難の業となるだろう――。

 ゼブラの推測通り、氷塊の一撃で今度こそ力尽きたドラゴンの体は鍍金(めっき)が剥げるように崩れ落ちて消滅し、中からラースが姿を現した。ゼブラが右腕を払って氷塊を打ち消すと、ラースは落下して地面に叩き付けられ、ぼろ雑巾のように倒れたまま動かなくなった。


 裸締めするクリードの腕からも伝わるほど、セラは恐怖のあまり戦慄していた。切り裂かれ、噛み砕かれてしまうと錯覚した。ゼブラの攻撃があと一歩遅ければ、自分達はどうなっていたことだろう?

 ゼブラは、ラースの中にも神の魂が宿っていると言っていた。先程の凶暴なドラゴンが神の力によるものなら、あれと同じ力――化け物の力が、セラ自身の中にも宿っているということになる――。


「思わねえ偶然だ。だが一人だけでもとっ捕まえりゃあ、目的としては十分。あんたの存在は邪魔でしかねえ」


 血だらけのラースに向かって、ゼブラが口を開く。右腕をラースに向けたまま次の呪文を唱えると、ラースの動かなくなった体がふわりと持ち上がり、胸からぼたぼたと血を零しながら空高く浮いた。


「神の力さえありゃあ、多少乱暴に扱ったところで命を落とすこともねえでしょう。あっしらが身を隠すまでの間、あんたには大人しくしていてもらいまっせ」


 そう言ってゼブラが右腕を振り払うのを皮切りに、ラースは見えない力で遠くの彼方へ吹き飛ばされた。

 風穴の開いた体は空を切り、真っ逆さまに落ち、荒れた海の中へ沈んでいく。薄れゆくラースの意識と共に……。




 * * *




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