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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第六章 人を殺さずして守れないもの
34/66




 * * *




 アルテリア兵二人の手により、一室の扉が押し開かれた。窓のない、絵画に囲まれたその部屋では、既に三人の人物が椅子に座って待っていた。

 一人は、背中まで伸びた銀髪で、頭にルビーの宝石がはめ込まれた冠を被る、アルテリア帝国のクロム国王。一人は、ふくよかな体にふさふさな白い髭をしていて、頭にトパーズの宝石がはめられた冠を被る、コナン帝国のアルマン国王。そしてもう一人は、細身の体に小じわがある顔の女性で、額にサファイアの宝石がはめられたティアラを被る、ウィザブール帝国のロズモンド国王。三人の王は、部屋の中央にある正方形のテーブルを囲うように座り、その後ろではジュード騎士団長、カルロス、クレスの三人が護衛として付き添っていた。


 厳格な表情を浮かべ、クロム国王はアルテリア兵二人に引き連れられてきたあと一人の王――バルドロス帝国のカーツ国王を見上げる。同時に、バルドロス帝国がしてきた数々の悪行をクロム国王は思い返した。

 十五年前にアルテリア帝国の王族や騎士達を惨殺しただけでは飽き足らず、大量の兵器を生成して再び戦争を引き起こそうと目論んだ。バルドロス帝国は世界征服のためならどんな手段も選ばないのだと――カーツ国王の欲にまみれた髭面を目にし、クロム国王は眉間にしわを寄せる。

 だが、それももう終わる――クロム国王は鼻で大きく一息ついた。十五年前では、『あの』戦争は先代の王による暴挙なのだと、子孫である自分達は戦争に関与しておらず無実なのだと言い包められてしまったが、今回ばかりは言い逃れはできない。バルドロス帝国の騎士に襲われた者達の証言、そしてバルドロス城に秘密裏で作られていた装置と、カーツ・クルエル・バルドロスを裁くための証拠は出揃っているのだ。バルドロス帝国の手によって命を落とした者達の無念を晴らすためにも、今度こそ……。


「終わらせよう」


 張り詰めた空気の中、クロム国王は立ち上がり、口火を切った。


「カーツ・クルエル・バルドロス。貴様をバルドロス帝国から追放し、我が城の牢獄にて終身監禁する」


 ついにこの時が来たのかと、アルマン国王とロズモンド国王は緊張した面持ちで息を凝らした。カルロスとクレスも同じ思いで固唾を呑む一方、ジュード騎士団長は身じろぐことなくクロム国王とカーツ国王の二人を見つめ、事の行く末を見届けていた。


「最期に……何か言い残すことはあるか?」


 向かい側の席に太々しく座るカーツ国王を見下ろしながら言い放ち、クロム国王は引導を渡した。


「……一つ聞きたい」


 部屋の中にいる全員の注目が集まる中、カーツ国王は静かに口を開き、問うた。


「我輩が一体何をしたと言うのだ?」


 想定外の理解しがたい発言に、一同は動揺のあまり息を呑んだ。そして、クロム国王は憤慨し、カーツ国王を睨み付けて指差しながら声を荒らげた。


「貴様は……! 世界征服を目論み、その証拠を隠ぺいするために我が騎士団とニンジャ達を抹殺しようとした!」

「何を言っている?」


 カーツ国王はカルロスとクレスを指差しながら悠然と答えた。


「いきなり我が城に押しかけて来たのはそいつらの方だろう。我輩が行ったのはあくまで正当防衛だ」

「戯言を!」


 クロム国王は机に手の平を打ち付けながら反論した。


「貴様がニンジャ達を監禁していたのは周知の事実だ!」


 カーツ国王も間髪問わずに釈明する。


「あの猿共は、バルドロス帝国に忍び込んでは、商人から貴重な食材を盗み取っていた。罪人をひっ捕らえるのは当然のことではないか?」


 あまりの開き直りぶりに、護衛として見ていたカルロスも青筋を立てて叫んだ。


「セラ・マリノアの方はどうなんだ! あの子は何の罪もないだろ!」


 その問いも想定内だと言わんばかりに、カーツ国王は口の端を上げて答えた。


「権力を振りかざして背徳行為に走る騎士は、過去に何人もいたはずだ。もっとも、そのような不届き者は、バルドロス帝国騎士団が責任を持って始末したわけだが」


 カーツ国王の言葉に、クロム国王の表情はさらに歪んだ。責任などではなく、騎士達が尋問により白状してしまうのを懸念して、バルドロス帝国は騎士達を暗殺したに違いない。


「なら、バルドロス城の研究室にあった装置はどう説明する?」


 カルロスが歯軋りしながら問い詰める。


「水無月りんは言ってたぞ。あれは一つの生命体から大量の複製(コピー)を作り出す機械……。そして、貴様らバルドロス帝国は、水無月りんを拉致し、その機械を利用して従順な兵を大量に作り上げようとしていたってな!」

「知らんな」


 カーツ国王はにいっと不敵に笑いながら答えた。


「我輩の知らぬ所で、そのような実験が行われていたようだ……。城に入っていた研究員とやらが、勝手に馬鹿馬鹿しい機械を作っていたのだとか」


 クロム国王は机に拳をぶつけ、わなわなと震えながらカーツ国王を睨んだ。髪の毛は逆立ち、目は吊り上がり、歯は獣の牙のように剥き出している。アルマン国王、ロズモンド国王、そしてジュード達アルテリア帝国騎士団も、ここまで怒り心頭に発したクロム国王を見るのは初めてだった。


「カーツ・クルエル・バルドロス……。そのような出まかせが通用すると、本気で思っているのか? これだけのことをしておきながら、まだ白を切るつもりか?」


 激怒するクロム国王に対し、カーツ国王は鼻で笑い、椅子の取っ手に頬杖をつきながら物申した。


「貴様がどう思おうと勝手だがな。もし我輩がほらを吹いていると主張するのであれば、それを証明する確たる証拠を提示するがいい」


 カーツ国王の言葉に気付かされ、クロム国王ははっと息を呑んだ。セラ・マリノアを襲ったというのも、装置を使って水無月りんの複製を量産しようとしたというのも、口伝てに聞いた証言でしかない。バルドロス帝国の犯行を立証するだけの証拠を、アルテリア帝国は持ち合わせていなかったのだ。


「……確たる証拠がないのは貴様も同じことだろう」


 引き下がることなく言うと、クロム国王は左右に座るアルマン国王とロズモンド国王に呼びかけた。


「アルマン殿! ロズモンド殿! カーツ・クルエル・バルドロスの処罰に賛同してほしい! 二人の同意があれば、この男を葬り去ることができる!」


 しかし、クロム国王の要求を聞いても、アルマン国王とロズモンド国王は首を縦に振ろうとしなかった。クロム国王の証言を信用できないわけではなく、バルドロス帝国の力に怯えていたからだった。


 アルマン国王は、十五年前に起こった戦争を思い出した。バルドロス帝国騎士団が見境なしに世界中の国々、村や町を襲撃し、次々に陥落の報告が入ってくる中、いずれコナン帝国にも騎士が押し寄せてくるかもしれないという不安と恐怖が住民達を襲った。しかし、コナン帝国は防衛に力を入れており、城が隠れて見えないほどの巨大な防壁に囲まれている。そう簡単に防壁を突破されることはないだろうと、当時のアルマン国王は高を括っていた。

 しかし、コナン帝国の防壁はいとも簡単に突破されてしまった。コナン帝国の中に、バルドロス帝国と内通する密偵がいたことを、アルマン国王は知らなかったのだ。内通者の密告により、防壁の裏口から次々にバルドロス兵が現れ、コナン帝国が阿鼻叫喚の渦に包まれたことを、アルマン国王は鮮明に覚えている。戦争の決着が付くのがあと一歩遅ければ、自分達も命を落としていたかもしれないと、アルマン国王は唾を飲み込んだ。


 クロム国王の言う通り、もし処罰に賛同すれば、カーツ国王を監禁することは可能かもしれない。だが、カーツ国王が監禁を逃れる別の手段を講じたら? また、監禁されている間に裏で手を回し、自分達に報復しようと企てたら? それを実行できるだけの絶対的な権力が、カーツ国王にはあるのだ。

 ふと、刺すような視線に気付き、アルマン国王は恐るおそる振り向いた。カーツ国王がおぞましい笑みを浮かべ、冷酷な目を向けている――。恐怖で竦み上がるアルマン国王に対し、カーツ国王はただ一言だけ、静かに言った。


「賢明な判断をすることだ……アルマン」


 その気になれば、貴様一人を殺めることなど造作もないのだから――そうカーツ国王の目は語っていた。死神の鎌を心臓に突き立てられているような感覚を覚え、アルマン国王は青ざめながら体中をぶるぶると震わせた。アルマン国王のみならず、ロズモンド国王もバルドロス帝国の報復を恐れるあまり、自身を抱きしめながら戦いた。


「この男の脅しはハッタリでしかない! 今ここで奴を裁かなければ……!」


 クロム国王が必死に言い聞かせるも、アルマン国王とロズモンド国王は怯え切り、まともに口が利けない状態になってしまっていた。


「どうやら、賛成派は貴様一人しかいないようだな」


 にたりと不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、カーツ国王は口を開いた。


「これ以上の議論は不要だ。我輩はバルドロス帝国に帰らせてもらうぞ」


 そう言い残すと、カーツ国王は踵を返し、あたふたしているアルテリア兵二人に指図した。


「何をしている? さっさと我輩を外へ案内せぬか」


 アルテリア兵二人は王に反抗することができず、言いなりになってしぶしぶと部屋の扉を開けた。


「待て!」


 クロム国王が叫ぶも、カーツ国王の足が止まることはなかった。今、力尽くで引き留めようとすれば、帝国会議のルールに反することとなってしまう。カーツ国王が部屋を後にするのを、クロム国王は為す術もなく見送ることしかできなかった。


「許せない……こんな……!」


 憤慨していたのはクロム国王のみならず、傍で見ていたクレスも同じだった。カーツ国王の外道ぶりを目の当たりにし、怒りを露わに呟くと、クレスは衝動的に一人で部屋を飛び出してしまった。


「おい、クレス……!」


 カルロスが呼び止めようとするも、クレスが引き返すことはなかった。クロム国王とジュード騎士団長に頭を下げると、カルロスは慌ててクレスの後を追いかけていった。


「……私が王の役目を担ってからというもの、失敗を重ねてばかりだな。本当にすまない」


 水を打ったように静まり返った中、自分自身に失望した様子で肩を落としながら、クロム国王はジュード騎士団長に謝った。


「……何もできなかったのは俺も同じです」


 ジュード騎士団長は首を振った。そして、既にアルテリア帝国から去っていった旧友キルバードが、かつて口にした言葉を思い出した。十五年前の戦争が終わった後に、ジュードや自分自身を顧みてぼやいた一言だった。

 ――騎士なんて名ばかりだ。人を斬るだけ斬って、本当に守りたいものは何一つ守れていないじゃねえか。


「キル……お前の言う通りなのかもしれない」


 目の前の罪人を裁けなかった自分の無力さに打ちひしがれながら、ジュード騎士団長は小さく呟いた。




 * * *




「カーツ・クルエル・バルドロス……!」


 廊下を全速力で走って追いつき、クレスはカーツ国王を呼び止めた。振り返るカーツ国王のその顔は、大罪人として呼び出されていたにも拘らず、余裕綽々としていた。激しい剣幕で睨み付けるクレスに対し、カーツ国王は蠅を見るかのように蔑んだ目で言い放った。


「失せろ。貴様如きが出る幕ではないわ」


 クレスは何も言い返すことができなかった。それだけの圧倒的な権力差が、二者の間にはあった。わなわなと震えるだけのクレスを鼻で笑うと、カーツ国王は再び前を向き、アルテリア兵達に案内を続けるよう命令した。


「待てよ、クレス!」


 立ち尽くしているクレスの背中に向かって、後から駆け付けたカルロスが叫んだ。

 上司であるカルロスの呼びかけを聞いても、普段真面目なクレスが振り向くことはなかった。腹の底からとめどなく湧き上がる怒りと、頭のてっぺんから重くのしかかる失意の念で、クレスは我を失っていた。カルロスに宥めるように肩を叩かれ、クレスは少しだけ落ち着きを取り戻したが、胸中で渦巻く感情が完全に消え失せることはなかった。


「すみません、カルロス殿。少しだけ、頭を冷やす時間を頂けませんか」


 クレスは振り向くことなく、静かな口調でカルロスに頼んだ。カルロスは何と声を掛ければいいか分からなかった。カルロスの手から離れ、とぼとぼと力なく歩いていくクレスの後ろ姿を、カルロスはもう一度呼び止めることができなかった。


 今回の帝国会議で、クレスは一つ理解した。それは、自分達騎士が、権力の前ではいかに無力であるかということだ。

 世界各地で暮らす住民達の警備、国王の護衛、そして犯罪者の捕縛、これまで様々な任務に尽力してきた。全ては世の中を正しい方向に変えたいという信念の上だったが、いざ凶悪犯を目の前にしても、法の下に裁けない相手にはどうすることもできないということを、クレスは思い知った。

 この悔しさを、そして無念を、クレスはすぐにでも誰かに打ち明けたかった。そうでもしないと、心のわだかまりを拭い去ることができそうになかった。頭の中で葛藤を続けながら、三階の寝室に向かうと、クレスはある一人の人物と鉢合わせた。


「兄貴――」


 寝室の扉の前では、ラースが壁にもたれかかりながら立っていた。既に眠りについてしまったのか、他の者達の姿は見当たらず、辺りはしんと寝静まっていた。


「その……帝国会議の結果が気になってさ。兄貴達が戻ってくるのを待ってたんだ」


 駆け寄ってクレスにそう言うと、ラースはクレスの沈み切った様子に気付いたのか、心配そうな目を向けた。そんなラースに和まされ、クレスは少しだけ表情を綻ばせた。

 ラースは無愛想で間抜けな一面もあるが、誰よりも正義感が強く、そして優しい心を持った人物だ。その優しさから、ラースはリバームルの住民達に頼まれては、世話を焼くことが昔から多かった。リバームルを出てから七年が経った今も色褪せないラースの純粋な目を見て、クレスはコナン帝国で久々に再会したときの安心感を改めて感じた。そして、ラースならきっと、自分の胸中のわだかまりを汲み取ってくれるに違いないと思った。


「……外に出て話そう、ラース」


 そう言うと、クレスはラースを連れて寝室を引き返し、一階の玄関ホールへと向かった。


 玄関ホールから外に出てみると、外は既に夜の静寂を迎えていた。空を見上げると、鼠色のどんよりとした雨雲が辺り一面に漂い、月の光を遮っていた。


「兄貴、これ――」


 アーチ状の石橋を渡ると、ラースはあることに気付き、クレスを呼んで地面を指差した。地面には、馬小屋から伸びる、(ひづめ)と車輪の跡がくっきりと残っていた。

 クレスは、それが誰によるものか瞬時に理解した。カーツ国王がアルテリア兵に指示し、馬車に乗ってアルテリア城を後にしたに違いない。そして、ラースにも少なからず想像がついたことだろう――。だが、クレスは落胆のあまり、すぐに答える気にはならなかった。力なく笑いながらうなずくと、クレスは無言のまま城下町へと続く坂道を下っていった。


 街灯とネオンが仄かに光る城下町の前に辿り着くと、クレスはようやく足を止めた。そして、後ろからついて来ていたラースの方を振り向き、クレスは重い口を開いた。


「僕達は……アルテリア帝国は、カーツ・クルエル・バルドロスを裁くことができなかった」


 クレスの言葉にラースは愕然とし、すかさず「どうして……?」と問い質した。


「確たる証拠がなかったんだ……法の穴を上手く突かれたよ。利己的な目的によるニンジャ達の監禁、セラさんの誘拐、そして兵士を量産する計画、これらをバルドロス帝国の犯行として立証することができなかった」


 クレスは、カーツ国王が去り際に放った一言を思い出した。数々の犯行を目の当たりにしてきたにも拘らず、カーツ国王に一矢報いることすらできない不甲斐なさに、クレスはわなわなと震え、拳を強く握りしめた。


「奴は……また同じ悪事を繰り返すだろう。奴が極悪人であることは分かっているのに、僕は奴をみすみす逃がしてしまった……。僕は悔しいよ。奴を目の前にしていながら、何もできなかった自分の無力さが……何とも情けない……!」


 自責の念に苛まれるクレスに、ラースはどう言葉を返せばよいか分からず、口を閉ざした。クレスだけのせいではなく、帝国会議に参加していた国王達にも責任があると感じたが、そんな言葉を聞いても慰めにはならないだろう。

 同時に、カーツ国王が捕縛される直前に言っていた言葉を思い出した。帝国会議で国王を呼び寄せてもなお、バルドロス帝国を法の下に裁くことができなかった。カーツ・クルエル・バルドロスは、自分が想像するより何倍も手強い人間なのだと、ラースは知った。

 自分達の手では、あの男を裁くことができないのか――そう苦悩していたところ、ふとある男の言葉がラースの脳裏をよぎった。それは遠い昔ではなく、最近の記憶のものだった。


 ――自分が人殺しなのは百も承知だ。

 ――それでも。それを分かっててもなお。私は剣を振る。……そうでもしないと守れないものがあるからだ。

 ――正直……剣を振る理由なんて私にも明確には分からない。それでも私は、守るべきもののために戦う。それが……私が今、剣を振る理由だ。


「兄貴……」


 葛藤を続けているクレスに向かって、ラースが静かに口を開いた。


「奴は法で裁くことができない。けど、他に奴を裁く方法があるとしたら? それしか奴を裁く方法がなかったとしたら?」


 クレスはすぐに言葉の意味を理解できず、おもむろにラースの顔を見上げた。

 ラースの表情は決然としていた。だがその目は、カーツ国王がアルマン国王達に向けた目と同じく、とても冷酷なものだった。その冷酷な目を見た途端、クレスはラースの意図を理解した。


「ラース、まさか……!」


 クレスが問い質そうとしたが、ラースの行動は迅速だった。瞬時に剣を引き抜くと、ラースはひゅんと剣を振り下ろし、クレスの首筋に峰打ちをお見舞いした。不意打ちを食らったクレスの脳は揺れ、意識を保てず仰向けになって倒れ込んだ。


「ラース……駄目だ……」


 朦朧とする意識の中、クレスは必死に声を振り絞ったが、ラースの意志が変わることはない。ラースを制止することも叶わず、クレスは無念のうちにとうとう気を失ってしまった。


「悪い……兄貴」


 申し訳なさそうにうつむいて呟くと、ラースは(ひづめ)の足跡が向かう先――城下町の方を振り向いた。城下町の入り口までは一本道になっていることを思い出し、ラースは迷う心配がなくて良かったと安堵した。赤レンガの坂を真っ直ぐ下っていけば、アルテリア帝国の外に出ることができる――カーツ・クルエル・バルドロスが乗る馬車に追いつくことができる。


「あんたの言う、そうでもしないと守れないもの……。それが何なのか、今、ようやく分かった気がするよ」


 黒ずんだ曇り空を見上げながら、ラースはかつて出会った黒マントの男に向かって言った。再び前を向くと、ラースは城下町の街灯を頼りに、意を決して走り出した。

 バルドロス帝国を法で裁くことができなかったクレス達の無念のために。バルドロス帝国の悪事に巻き込まれた仲間達や両親のために。そして、自分自身で見出した、何のために剣を振るのか、その答えが、本当に正しいものかを確かめるために。

 ぽつぽつと、曇り空から雨粒が降り注いだのは、それから間もなくのことだった。

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