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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第五章 バルドロス帝国との死闘
31/66

 押し合っていたお互いの刀身は左右に逸れ、ラースとクリードはその反動で少しよろめいた。すぐに体勢を立て直すと、二人は次の攻撃に入った。

 立て続けに剣を振り、ラースとクリードは猛然と刀身をぶつけ合った。激しい剣幕で振り下ろされる太刀筋は嵐のよう。刃からほとばしる火花は噴火のよう。少しでも気を抜けば首を刎ねられかねない死と隣り合わせの状況に、セラは肝を冷やす思いで固唾を飲んだが、ラースは一歩も譲ることなく立ち向かった。

 大振りの一撃がかち合い、ラースとクリードは反動で大きく後退する。ラースが剣を握り直して再び走り出そうとしたとき、突然、その後ろからセラが声を上げた。


「ラースさん、気を付けて! あの人は炎の力を操ることができるんです!」


 既に体勢を整えていたクリードは、セラの言葉を聞き、鼻で笑った。


「フン、猿の生き残りにでも聞いたか。少しくらい披露してやるとしよう――」


 クリードはゆらりとレイピアを持ち上げ、天井に掲げた――次の瞬間、レイピアの根元から黒い炎が燃え上がり、先端まで包み込んだ。炎を宿したレイピアを下ろすと、クリードは次に、レイピアの先端をラースに向け、呪文を唱えた。

 途端、じりじりとした熱気を感じ、ラースは慌てて下を向いた。――ラースの足元から、黒い炎が激しく燃え立っている。ラースが息を呑む間もなく、炎は津波のようにラースを囲い、覆い被さった。


 クリードがレイピアを払うと、レイピアに灯っていた炎が消え失せ、同時にラースの足元から燃え広がった猛火も鎮まった。立ち込める煙に呑まれ、ラースがしんと静まり返ったことに、クリードは不意打ちが決まったと確信し、不敵な笑みを浮かべた。

 火炙りにでもなったのか、少しくらい様子を見ようとクリードが歩み寄ったとき、突然煙から人影が現れた。今度はクリードが息を呑む番だった――体中を(すす)だらけにしながらも、ラースは何事もなかったかのように、雄叫びを上げて突撃してきたのだ。


 クリードが動揺している隙に、ラースは剣を振り上げてレイピアを叩き落としにかかった。クリードに両手で瞬時に身構えられてしまい、レイピアを叩き落とすまでには至らなかったが、攻撃の流れを掴むには十分な一撃となった。

 ラースは息を切らしながらも、立て続けに剣を振り、攻め立てた。同時に、クレスがなぜクリードとの対決に自分を向かわせたか、その理由を考えた。

 カダルナ港の海、貿易船の上でバーゴと対峙したとき、クレスは自分達とバーゴとの相性を冷静に分析していた。ラースの攻め立てる剣技では、バーゴに力で押し負けてしまう可能性が高い。そして、自分の攻撃をいなす剣技は、力任せの相手によく噛み合うと、クレスはそう言っていた。

 もし、クレスがクリードと剣を交えたらどうなるか。クリードは、セラの言っていた炎の力で、遠くからでも攻撃することができる。仮にクリードの攻撃をクレスがいなせたとしても、クリードに炎の力で間合いを保たれてしまえば、クレスは後の先を取ることができない。クレスはそれを危惧して、クリードの打破を自分に託したのだと理解した。

 自分の攻め立てる剣技なら、例えクリードがどんなに炎の力を扱えようが、距離を詰めることでその力を無力化することができる。そう思うと、ラースはなおさら下がるわけにはいかないと感じた。今、こうして畳みかけている状態こそが、自分の保つべき最善の間合いなのだから。


「崩すな……攻めの姿勢を崩すな!」


 自らに言い聞かせるように叫びながら、ラースは斬撃の速度を速めていく。なかなか反撃の機会が巡らず防戦一方になってしまい、クリードは徐々に苛立ちを募らせる。


「図に乗るな……若造がっ!」


 とうとう向きになり、クリードは力任せにレイピアを振り払い、ラースの剣を横に弾いた。だが、それでもラースは攻撃の手を緩めなかった。

 剣を弾かれた反動を逆に利用し、ラースは一回転して回し蹴りを放った。ラースの蹴りはクリードの頬に直撃し、クリードは大きく体勢を崩す。その隙を見逃さず、ラースは剣を振りかぶって追撃の態勢に入った。

 渾身の力を込めて剣を振り下ろし、ラースは再度クリードのレイピアを叩き落としにかかる。しかし、クリードに跳んで後方へ避けられてしまい、ラースの剣はあえなく空を切った。それでもめげることなく、ラースは息もつかずに走り出した。


 足を止めずに剣を持ち上げ、もう一度攻撃の態勢に入ろうとした途端――クリードがゆっくりと顔を上げ、ラースに殺気立った目を向けた。ラースはぞくりと背筋が凍るのを感じた。

 距離にして五メートルは離れている。だが、クリードは確かに反撃の一撃を狙っている。その構えは、クレスがバーゴ相手にしてみせた、鋭い一突きの予兆と同じものだ。


 次の瞬間、クリードが目にも止まらぬ速度でレイピアを振り抜き、突風の如き一撃を放った。衝撃波が矢のように放たれ、ラースの右腕を掠めた。

 右腕から血が流れ、ラースは痛みで顔を歪ませたが、よそ見している暇などない。続けてクリードが矢のような突きを放ち、衝撃波がラースを襲った。今度は後方へ跳び退き、ラースは辛うじて直撃を免れた。


 クレスの扱う『天津之太刀(あまつのたち)』の剣技とは若干違ったが、攻撃の本質は同じだ。クレスの攻撃を目にしていてよかったと安堵したとき、突如として迫り来る気配に気づき、ラースは顔を上げた。クリードが目の前でレイピアを振りかぶり、ラースの頭上に振り下ろそうとしている――今度はクリードが攻勢に出る番だった。

 すぐに体勢を立て直しきれず、ラースは膝を突いたまま両手で剣を構えた。しかし、クリードの重い一撃に弾かれてしまい、ラースは剣を落としてしまう。ラースが剣を拾い上げる暇を与えず、クリードはレイピアを振り上げて次の攻撃に入った。


「ラースさん――!」


 ラースの絶体絶命の危機に、セラが悲鳴を上げる。その時、ラースは勇敢とも間抜けとも言える行動に出た。丸腰の状態で飛び掛かり、クリードの懐に潜り込んだのだ。

 振り下ろされる右腕を左手で受け止めると、ラースはクリードの腰を右手で担ぎ、大腰(おおごし)で豪快に投げ飛ばした。クリードが受け身を取って立ち上がる間に、ラースは落とした剣をすぐさま拾い、構え直した。


 ひとまず危機は回避され、セラはほっと胸を撫で下ろした。だが、クリードがまだ牙を剥いてくる以上、一瞬たりとも油断はできない。それはラースも重々理解していた。

 肩で息をしながら、ラースはクリードを睨み付け、じりじりと距離を詰めていった。一方のクリードは、ラースに顔を蹴飛ばされたことに憤慨し、血相を変えて詰め寄って来ていた。

 ――まだ粘れるだけの、立ち向かえるだけの体力は残っている。先手必勝とばかりに、ラースは(まなじり)を決して再び走り出した。どちらが先に音を上げるか、根競べだ。




 * * *




 あかね、りん、カルロス隊の一行は、立ちはだかるバルドロス兵達を追い払いつつ、駆け足で城の一階へと向かっていった。

 ずっと研究室に閉じ込められていたりんは、あかねがどのような経緯で人間と手を組んだのかを知らなかったので、あかねが足を止めずに説明した。ノアールの森で軍資金を集めているときに捕まってしまい、ラースに同行を余儀なくされたこと。ラースが兄のクレスを介して、アルテリア帝国に協力を仰いでくれたこと。セラが悲愴な心情を汲み取り、優しい言葉をかけてくれたこと……。

 話を一通り聞き終えると、やはりこれまでのあかねらしくない決断と行動に、りんは思わずクスリと笑った。同時に、一人ぼっちだったあかねに手を差し伸べてくれたラースとセラに、感謝の念でいっぱいになった。今も自分達や仲間のために戦っている彼らを、今度は自分達が助けるんだと、りんは胸中で誓いながら、さらに足を速めた。


 一階の玄関ホールに辿り着くと、そこからはあかねがりん達を先導した。何でも、あかねが城に潜入している途中、一人の男が手助けをしてくれたのだという。研究室にりんがいることを伝えた上で、中に入るための鍵を渡し、さらには他のニンジャが地下牢に幽閉されていることまで教えてくれたとのことだった。

 階段の近辺を探してみると、幸先よく地下へ続く下り階段を見つけた。あかねを先頭に一同が駆け下りると、一人の見張り兵がぼんやりと突っ立っていたので、カルロスが大剣の柄で見張り兵の頭を殴って気絶させた。


 改めて見渡してみると、地下はしんと静まり返っており、冷え冷えとしていた。通路の左右に牢屋が並び、その中は石積みの壁にかけられた蝋燭に弱々しく火が灯っているだけで薄暗く、とても何日も長居できるような場所ではない。一刻も早く仲間を救出しなければと、あかねとりんは一足先に通路の奥へ進んだ。

 しばらく進んでいくと、あかね達の足音に気付いたのか、一番奥にある牢屋からひそひそ声が聞こえてきた。誰かがいると思い、あかねが駆け寄って牢屋の中を覗き込むと、仲間のニンジャ達がそこにいた。なぎさ、りゅう、れな、あきら、かすみの五人が、ロープで手足のみならず指までぎちぎちに縛られ、身動きを取れずにいる。


「ほら、やっぱりあかね達ッスよ!」


 あかねとりんの姿を目にし、あきら、れな、かすみの三人が歓喜の声を上げた。りゅうも安堵の表情を浮かべたが、その一方で、なぎさは申し訳なさそうな顔でうつむいていた。


「りん、あかね……すまん。お前達の力になれなくて……」


 表情をそのままに謝るなぎさに対し、気にしないでほしいと、りんは無言のまま首を振った。


「待ってて。すぐにここを開けるから!」


 鉄格子越しに言うと、あかねは腰の小刀を手に持ち、のこぎりのように引いて鉄格子の棒を斬り始めた。


「力尽くで開ける必要はねえぞ。そこの見張り兵から鍵をくすねてきた」


 遅れてやって来たカルロスの言葉を聞き、あかねは鉄格子を斬るのをぴたりと止めた。小刀を腰にしまい、カルロスの後ろにいるアンから鉄格子の鍵を受け取ろうとしたとき――突然、牢屋の中からなぎさが怒鳴り声を上げた。


「誰だ!」


 あかねが飛び上がって振り向くと、なぎさは憎悪に満ちた形相でカルロス達を睨み付けていた。きょとんとするカルロス達との間に割って入り、あかねは慌てて弁明を始めた。


「落ち着いてよ、なぎさ様。こいつらはアルテリア帝国の騎士で、お姉ちゃん達を助けるのに協力してくれているんだよ。だから敵じゃないって」


 しかし、あかねの弁明を聞いても、なぎさの意思が変わることはなかった。怒りの矛先をあかねに向けると、なぎさは険しい表情をそのままに言った。


「協力だと? 俺達の祖先が人間達にどれだけの仕打ちを受けてきたか、十五年前にどれだけ愚かにも同じ人間を殺めたか、お前はもう忘れたと言うのか?」


 なぎさの剣幕に、あかねは涙声になりながらも反論した。


「わ、忘れてなんかない。でも、そんな人間の中にもいい奴が少なからずいるんだよ」


 しかし、なぎさは譲らない。


「笑わせるな。一時の気紛れで躊躇いなく裏切りや殺傷を行うのが人間だと教えたはずだ」

「そんなことないもん! 特にセラは……あたしの友達は本当に優しいんだもん。そう簡単に裏切ったりなんか……」

「さっきから根も葉もないことを。これ以上俺を怒らせたいのか?」


 気の毒に思ったりゅうとれなが呼び止めたが、なぎさはそれを無視して続けた。


「分かったら……すぐにここを出て、シノクニへ帰るぞ。その騎士達とも、鍵を受け取り次第、すぐに関係を絶つんだ」


 あかねはとうとう涙を堪えきれず、むせび泣きながら懇願した。


「な……なぎさ様、お願いだよ……。まだ、セラ達がバルドロス帝国の連中と戦っているんだよ……」

「知らん」


 なぎさは冷酷に一蹴した。


「どうなろうが俺達の知ったことではない……」


 なぎさのあまりの非情さに、あかねはその場でしゃがみ込んで泣き崩れた。見るに見かねて、りんは二人の間に入り、あかねを擁護した。


「あかねが人間達の協力を得ていなかったら、私達は今も助かっていなかったはずです。違いますか?」


 りんの的を射た反論を聞き、なぎさは返答に窮してしまう。そんななぎさに対し、りんはその場で正座をし、あかねに代わって頭を下げて許しを請うた。


「なぎさ様、お願いです。あかねの仲間を助けるために、力を貸してください。彼らには助けてもらった恩があります」


 なぎさは視線を落とし、苦悩に顔を歪ませた。りんの言い分は理解できたが、人間達に裏切られた過去がある以上、そう簡単に譲歩するわけにはいかなかった。なかなか決断に踏み切れないなぎさを、りん達は固唾を呑んで見守った。




 * * *




 もう、かれこれ三十分以上は剣を交えていただろうか。一進一退の攻防が続き、ラースは息を切らしながらクリードと対峙していた。

 バルドロス城に突入してからの度重なる戦闘もあり、ラースは海の底に沈んでいるような息苦しさを感じたが、向こうでクレス達が今も奮闘していることを思うと、まだ倒れるわけにはいかなかった。


 体に鞭を打って剣を持ち上げ、ラースは剣先をクリードに向けて構える。クリードも顔中を汗だらけにしながら肩で息をしていたが、まだ含み笑いをするだけの余裕があるようなのが、ラースは気に入らなかった。

 ふと、ラースがクリードの後ろを見ると、カーツ国王までもが不敵な笑みを浮かべ、玉座にふてぶてしく座って頬杖を突いていることに気付いた。見くびられているのか、それとも何か勝算でもあるのか――ラースが黙考に耽っていたところ、突然クリードが鼻で笑い、口を開いた。


「たかが若造と侮っていたが……認めてやろう」


 レイピアの先端をラースに向けながら、クリードは言葉を続ける。


「確かに貴様は強い。並の兵では貴様に歯が立たないというのも、今となってはうなずける。この俺ですら、貴様一人を仕留めるのにここまで手こずっているのだからな」

「何が言いたい?」


 不快そうに眉間にしわを寄せ、ラースは単刀直入に尋ねた。


「それでも貴様は、俺には勝てんということだ。貴様一人で挑んでいれば、まだ勝負も分からなかったものを――」


 クリードが肩を揺らして笑い始めた。その後ろで傍観しているカーツ国王も、くつくつと不気味な声を上げて笑った。

 ラースがクリード達の意図に気付いたのは、それから間もなくのことだった。これまで数々の非行を重ねてきたバルドロス帝国の連中が、正々堂々と一騎打ちを続けるはずがない。より確実な手段があれば、例え卑劣な手でも迷いなく実行するに違いないのだ。

 では今、この状況において、クリード達にとってのより確実な手段は何か。それは、クリード自身が既にヒントを述べていた。

 ラースは一人でクリード達を追いかけたのではない。後を追ったもう一人――セラが、ラースの後ろに無防備な状態で立っている。クリードが剣先をセラに向けるのと同時に、ラースはクリードに背を向けて全速力で走り出した。


「その女をここに連れて来たのは失敗だったな!」


 悦に入った声と共に、クリードはレイピアに炎の力を宿した。レイピアの先端から炎が激しくほとばしり、蛇のように床を這ってセラの方へ向かっていく。


「セラ、伏せろ!」


 立ちすくんでいるセラの元に辿り着くなり、ラースは切迫した表情で叫んだ。そして、ラースは振り向きざまに、すぐ近くまで迫って来ていた炎を剣で叩き切った。炎は爆発を起こし、ラースの目の前で弾け散った。

 激痛で顔を歪ませ、ラースが自身の両手に視線を向けると、爆風によって両手の皮膚が焼けただれていた。剣で防いでは駄目な攻撃なのだとラースは理解したが、もし炎の攻撃を避けてしまったら、後ろにいるセラが被弾してしまう。ラースに剣で防ぐ以外の選択肢は残されていなかった。


「その女がこの場にいる限り、貴様は女の元から離れることができない……そうだろう? ならば俺は、こうして遠くからの攻撃を続けていればいい。勝敗が見えてきたな……」


 にやりと口の端を上げ、クリードは続けてレイピアの先端から炎を飛ばした。ラースは火傷の痛みですぐに剣を振ることができず、クリードの放った炎はラースの右足に直撃した。苦痛の声を上げ、ラースは焼け焦げて血だらけになった右足を引きずった。

 セラが謁見の間から逸早く離れてしまえば、最悪、クリードの攻撃の手から逃れることはできただろう。しかし、ラースが負傷してしまった今となっては、セラが傷を治さなければ、ラースはクリードに殺されてしまう。セラもまた、クリードの策略によってチェスのように追い詰められた。


 セラが両手に温かな光を灯し、ラースの火傷した部位にかざすと、焼けただれた皮膚が元の色を取り戻した。しかし、クリードが僅かな猶予も与えずに炎を放ってきたので、ラースはまたしても剣で受け止めざるを得なくなった。爆発で焼けただれたラースの体をセラが急いで治すも、ラースは次々に襲い掛かる炎の対処を余儀なくされた。

 ラースが身動きできなくなったのをいいことに、クリードはさらに炎を放つペースを速めた。何か突破口がないか、ラースが体中を傷だらけにしながら考えを巡らせていたところ、突然後ろからすすり泣く声が聞こえてきた。


「ラースさん、ごめんなさい……。私のせいで……」


 ラースが視線だけ向けると、セラが治癒の手を止めることなく、大粒の涙を零しながら謝っていた。あかねやクレス達と違って戦う力を持っていないにもかかわらず、ジュード騎士団長が心配して制止してくれたにもかかわらず、自分の我が儘でラース達に同行し、結果ラースの足を引っ張ってしまっていることに、セラは大きな責任を感じた。

 しかし、そんなセラの謝罪を聞いても、ラースがセラを責めることはなかった。


「何で……お前が、謝るんだよ……?」


 セラに背を向けたまま、ラースは両手で剣を構えて炎を防ぎながら、声を振り絞った。


「お前は……何も……悪いことなんか、してねえ……! 悪いのは、あの二人だろ……!」

「でも……!」


 涙だらけの顔で反論しようとしたとき、セラは突然の出来事に息を呑み、言葉を失った。ラースが床に両膝を突き、火傷が完治してもなお立ち上がれなくなってしまったのだ。

 決して傷の痛みで立てなくなったわけではない。だが、城に突入してからのバルドロス兵との連戦、クリードとの激闘、そして炎の攻撃を何度も防いだことによる体への負担が積み重なり、ラースの体力はとうとう限界まで消耗してしまっていた。


「そろそろ詰みのようだな……」


 疲弊しきって息を荒らげるラースを見るなり、クリードは勝利を確信して言った。


「バルドロス帝国騎士団長であるこの俺を相手に、ここまで粘ったのは褒めてやろう。だが、もう終わりだ……死ね」


 止めとばかりに、クリードはレイピアを持ち上げてさらに力を込めた。レイピアに宿る炎が燃え盛り、クリードがレイピアをラースに向けると、その先端から猛火が激しく噴出され、動けないラースを容赦なく襲った。


「そんな……そんな……!」


 あまりにも無慈悲な結末に、セラは悲嘆に満ちた顔を両手で覆いながら、何度も首を振った。朦朧としているラースを呑み込まんとばかりに、猛火の海が徐々に迫ってくる。

 両腕が垂れ下がったまま、持ち上げることすらままならない。深海の底、地底の中にでも埋められているかのように体が重い。今、うつ伏せに倒れて眠ってしまえば、どれほど体が楽になれることだろう? ――そんなことをラースがぼんやりと考えた、その時だった。

 突然、ラース達の目の前の景色が変わった。透き通った水に囲まれ、本当に海底に沈んでいるかのような景色だった。夢でも見ているのだろうかとラースは錯覚したが、そんなことはなかった――ラース達の周囲に、何者かの技で、ドーム状の水のバリアが展開されたのだ。

 ラース達を覆った水のバリアは、クリードの放った猛火を頑丈に防ぎ、蒸気を立てて鎮火させた。次第に水のバリアがなくなり、呆然とするラース達の元に、何者かが後ろから駆け寄ってきた。

 大きく呼吸しながら、ラースは隣に立った人物を見上げる。磨かれたロングの黒髪が綺麗な女性だった。額には額当てを巻き、鎖帷子(かたびら)の上に布地の服を着ている。その異質な格好に、ラース達は強い既視感を覚えた。


「あんた……あかねの仲間のニンジャなのか?」


 ラースが問うと、女性はくすりと笑って言った。


「惜しいわ、あの子は私の妹よ。……二人共、あかねが世話になったわ」


 女性の言葉を聞き、ラース達は驚きのあまり息を呑んだ。


「水無月……りんさん」


 あかねに名前を教えてもらっていたセラが呟くと、女性――りんはもう一度爽やかな笑顔を二人に向けた。ラース達から目を離すと、りんは次に、静かな怒りを込めてクリードを睨み付けた。


「なぜだ……城内には二百は下らないほどの兵がいるんだぞ! なぜ奴がここまで来れる!」


 動揺を隠せずにいるクリードに対し、りんは落ち着き払って言った。


「諦めなさい。私の仲間達は全員救出したし、ハインブルクで待機していたアルテリア帝国の騎士団長も、もう城の中まで来ているわ。他のアルテリア兵も、直にこの城までやって来る。あなた達の野望は潰えたのよ」

「何だと……?」


 わなわなと震えているクリードをそっちのけにして、りんは膝を突いたままのラースに手を差し伸べた。


「あの男を倒すために、力を貸してほしいの。まだ戦える?」

「……何とかな」


 ラースはりんの手を取り、引っ張ってもらいながら立ち上がった。りんが助けに来てくれたことで気持ちが楽になったのか、いつの間にか、両腕が自力で持ち上がるくらいには息が整っていた。


 クリードが怒りと焦りの入り混じった表情で、ラースとりんを睨みながらレイピアを掲げた。レイピアの刀身に炎が宿り、荒ぶる猛火を放たんとばかりに、剣先をラース達に向けた。

 クリードを負けじと睨み返しながら、ラースは剣を握り直し、りんは右手の人差し指と中指を立てて印を結んだ。この戦いが、バルドロス帝国の悪事を暴き出す最後の一押しになると信じて。

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