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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
序章 今、剣を振る理由
3/66

 宿屋に辿り着くなり、フェルマーは摘まんでいたラースの耳を離すと、強い口調をそのままにラースに命令した。


「あたしは上でルームサービスしてくるから。あんたは先に一階に行って、お客様が食べ終わった朝食の皿を片付けてなさい」

「へいへい」

「くれぐれも、お客様に失礼のないように!」

「分かってるって」


 ラースの気の抜けた返事に、フェルマーは「心配だわ……」と呟きながら、宿屋の二階に続く階段を上がっていった。


「ありゃ、歳とかって心配しなくても大丈夫か」


 そう自分も呟くと、ラースは一階のダイニングルームへと続く扉を開けて入った。


 この街の宿屋は、木造の二階建てで構成されている。二階が宿泊部屋、そして、一階が宿泊客に料理をもてなしたりする、フロントも兼ねたダイニングルームとなっている。

 宿屋に居候させてもらい、フェルマーの仕事を手伝うようになってから、かれこれ十年近くは経つ。金に関わる経理事務は未だにフェルマーが一人で行っているが、それ以外の接客、調理や配膳、掃除など、大方の仕事はラースも一通り任せてもらえるようになっていた。


 ラースが中に入ってみると、ダイニングルームには四、五人の客がまだ居座っていたものの、それ以外は空席で、テーブルには食べ終わった皿だけが残されていた。

 エプロンを着て腰の紐を締め、鼻で一度大きく深呼吸をすると、ラースは「よし、やるか」と自分を奮い立たせ、仕事に取りかかった。


 客に断りを入れつつ、テーブル上の空いた皿を取り下げ、流し台に運んでいく。運び終えたら、次に、お客様の手を付けた食器を、全て洗浄しなければならない。その他にも、使い終わったテーブルを拭いたり、床を掃いたりと、やらなければならない仕事は山積みだ。

 ――今日は剣を振りたかったんだけどな。こりゃ、午前中に振るのは厳しいか……。

 そんなことを考えながら、ラースは大分重なった食器を、一度流し台へと持って行った。


 ラースは気分によってだが、街の広場に出ては、よく剣技の特訓をする。別に使う機会があるわけではないが、前からの馴染みで何となく手放せなかった。単に、小さい頃から遊びでチャンバラごっこしていたのが、そのまま習慣付いてしまっただけなのかもしれないが――本当、何で今も剣振っているのだか。

 重なった皿を流し台に置きながら、ラースは鼻でため息をついた。そして、流し台からまたダイニングルームに戻ろうとしたとき……ふと、ある人物に目が止まる。


 この街に限らず、宿屋を利用するのは、異国から訪れた商人や旅人がほとんどだ。当然、彼らの身形も異文化ならではの見慣れない格好のものばかりなのだが、今となってはラースもそういう客人に対して見入ってしまうようなことはあまりなくなっていた。だから、ここまで客人のことが気になってしまうのは、ラースにとって久し振りのことだった。

 小じわがあるが、それでも若々しさが残る顔立ちの男だ。闇夜を思わせる黒いマントを身にまとい、その腰には、身の丈ほどはある長い太刀が一本。肩甲骨の辺りまで伸びた黒髪をなびかせながら、その男は平然たる顔つきで、コップに注がれたコーヒーを口に運ぶ。

 男の放つ、落ち着いた、どこか独特な雰囲気に、ラースは無意識の内に呑まれてしまっていた。一人で旅をしているのだろうか……。他にも色んな想像が、ラースの頭の中で膨らんでいく。


「なんだ、そんなに私が珍しいか?」


 ラースが男の視線に気づいたのは、それからしばらく後のことだった。


「あ……えっと。まあ珍しいっちゃあ珍しい、かな」


 ラースは自分が無意識にやっていた行動を恥ずかしく思い、頬を少し赤らめた。


「そんな長い武器持ってるし、旅すんのに何か大それた理由でもあんのかなって」


 さり気なくラースが訊くと、男は目を瞑ってそっぽを向いた。


「……いや。私はただ、好きで世界を旅している。深い理由などない」

「ふーん。アンタ、出身は?」

「レクライナだ」

「はぁ、レクライナ……レクライナ? ここからめちゃくちゃ遠いじゃねーか!」


 この世界は四つの大陸で構成されていて、それぞれ、方角の位置から単純に『ノース』『サウス』『イースト』『ウェスト』と呼ばれている。

 ラースが住むこの街リバームルがサウスに位置するのに対し、レクライナはノースに位置する港町。つまり、ここからだと正反対の位置になるということだ。


「おいおい、そりゃ旅好きってのにもほどがあるだろ」

「フッ。なあに、旅をしてみれば、思うほど世界は広くないさ」

「はぁ……。なんか俺、アンタの思考回路についていけそうにねぇな」


 ラースのその言葉を聞いて、男はまた鼻で笑う。


「ところで君は、この街じゃ結構有名みたいだな」

「……は?」


 不意に出た、それも当て推量とも言える話題に、ラースは間の抜けた返事をしてしまう。だが、根拠は確かにあった。


「さっき、外で問題を起こしていただろう?」


 男の言葉に納得すると同時に、ラースは再び頬を赤らめる。


「その……あまりからかわないで欲しいんだけど」


 しかし、気まぐれな性格なのか、男はラースの恥じ入りをそっちのけて、急にラースの手の平を見つめ出した。そして、手の平から目を逸らすことなく、男はラースに向かって口を開いた。


「どうやら、剣もたしなんでいるみたいだな」


 初対面にも関わらず、男は見事に的中してみせた。


「なんでそれを?」


 ラースが訊くと、男は軽く笑いながら、ラースの右手を指差して答えた。


「その手のマメ……何かを握ってできたものだ。そして、親指付近にはマメがない。それに、君は私の剣に興味津々だったみたいだからな。それだけで大体想像はつくさ」


 男の鋭い洞察力に、ラースは呆気に取られた。


「まぁ、ちょっとな。昔からちょくちょく、外に出ては剣を振ってるんだ」


 ラースが自身の過去のことを話すと、それを聞いた男は、急に顔色を変えた。


「どうしたんだ?」

「……あぁ、すまない。少し、『あの頃』を思い出してしまった」

「『あの頃』?」


 ラースは首を傾げたが、またすぐ思い出したように声を上げた。

 ラース自身、すっかり忘れてしまっていたことがある。十五年前を生きた人々は皆、その歴史を『あの頃』と言葉を濁すのだ。脳裏から離れることのない、悪夢のような苦い記憶を。


「……あぁ。ありゃ本当に最悪だったよ」


 眉間にしわを寄せ、ラースは憤りを顕にする。それを受けて、男も暗い表情をそのままに言った。


「自国の勝利のために、多くの人々を犠牲にした……。つくづく人間の愚かさを感じるよ」


 多くの人々の犠牲――その言葉を聞いて、今度はラースが顔をうつむく。


「……すまない。少々口が過ぎたようだな」


 男の詫びに対し、ラースは首を横に振った。


「いいんだ。気にしないでくれ。大切な人が死んだとか、そういったことはみんなが経験してることだからな……」


 ラースの言葉を境に、少しの沈黙が流れる。それが気まずく思えたラースは、唐突に話題を変えた。


「なぁ! アンタ、旅してるんだろ? 世界には何か珍しいものってあったりするのか?」


 急な質問に男は一瞬目を丸くしたが、またすぐに平静を取り戻してから、ラースの質問に答えた。


「そうだな……。確かに、世界には様々な文化があったりするな。中には、ニンジャと名乗る者達もいるそうだが」


 『ニンジャ』――聞いたことのない言葉だが、あまり興味が湧かない。


「いや、そういうのじゃなくてさ。もっとこう、誰が聞いても信じらんねーような、現実的にあり得ないような話」

「現実的にあり得ないような話、か……。一つだけならあるな」

「本当か? 教えてくれよ!」


 そう言って、男の言葉に耳を傾けながら、ラースは空いている席に腰かけた。


「とある男から聞いた話なんだが――」


 聞いた話かよ、とラースは心の中で突っ込みを入れる。


「この世界のウェストには、遥か昔から存在すると言われる、聖なる洞穴が存在するらしい」

「洞穴?」

「そうだ。ウェストのどの位置にあるか、今も判明されていない所らしくてな。その地を探し求めて息絶えた者も少なくないんだとか」

「まぁ、ウェストに生身の人間が足を運ぶなんざ、自殺行為に等しいからな……」


 この世界で、ウェストの環境は四大陸の中で唯一過酷だと言われている。その悪天候は、ウェストで人間が生きることは不可能だと言われるほどである。


「何でそうまでして探す必要があるんだ? まさか、その洞穴の中に何か大それたものが隠されているとでも……」

「その通りだ」

「……あれ。今の結構、冗談のつもりで言ったんだけどな」

「まぁ、それも噂に過ぎないがな。その洞穴には、ある特殊な水が封印されているらしいんだ」

「はぁ……。それで、特殊な水って?」


 男は思い起こすようにして顔を上げた。


「その男はこう言っていた。『聖水に浸かりし者、万の病をも退かす力を得たり。例え死しても、聖水を含みし者、また新たなる生命を得たり』……と」

「ま、まさか! その『新たなる生命を得たり』ってのは……」


 ラースの問いに、男はうなずいて答えた。


「あぁ。それは恐らく、『復活』を意味するのだろう」


 男の言葉を聞き、ラースは空いた口が塞がらなくなる。


「アンタは……アンタは行ったことあるのか? ウェストに……」


 身を乗り出して尋ねるラースに対し、男は首を横に振った。


「いや。ウェストは言い換えれば、人に見放された大陸だ。私はそんな所に、噂を確かめる程度の理由で行く気にはなれない」

「……そうか」


 それを聞いて、ラースは込み上げた想いが沈静するように、どっと席に腰を下ろした。

 ――所詮、噂。そう自分自身に言い聞かせるが、その噂がもし事実ならどれだけ良かっただろうと、ラースは空想を描いた。それで母を生き返らせることができるのなら、これ以上望むものはない。


「フッ、ハハハハハハ!」


 ラースの様子を見ていた男が、急に高らかに笑い声を上げる。その男の反応に、ラースは少なからず苛立ちを感じた。


「何だってんだよ?」

「ああ、すまない。こんな噂話をここまで真に受けてくれるとは思わなくてな」

「うっ……」


 男の釈明に納得するのと同時に、ラースはまた自分が恥ずかしくなった。


「よほど大切な人だったんだな。君にとって……」


 赤くなっていたラースの頬が元に戻っていく。


「……丁度、『あの頃』のことだ。俺は母さんを失ったんだ。俺の故郷が騎士共に攻め込まれて、その時に、ガキだった俺達を助けるために、犠牲になって……」


 ラースの言葉を、男は黙ったまま傾聴する。


「『あの頃』の俺はまだ五歳だった。だからその時は、母さんを失ったことを現実として受け入れられなかったんだ。今になっても信じたくないんだがな」


 男は真剣な顔でうつむいた。それを見兼ねて、ラースはまた変な空気にしてしまったと思い、にっと笑ってはぐらかした。


「まぁ、アンタからすれば、こんなのよく聞くような話だろ? 気にすることねぇって」


 男は同情するように首を振った。


「いや。『あの頃』の私は二十五だったから。幼少期が『あの頃』と重なっていたら、私はおそらく堪えられない」


 気持ちはありがたかったが、重苦しい話題を長く続ける気がなかっただけに、ラースは参ったなと言わんばかりにぽりぽりと後頭部を掻いた。

 自分から持ち出した話題とはいえ、もう少し明るい話をしたいのだが――さてどうしたものか。


「……お客様に対して何やってんだいアンタは!」


 不意に、ラースの頭に鈍器で殴られたかのような激痛が走る。頭を抑えながら振り向くと、つい先ほど二階に上がっていったはずのフェルマーが、目の前に仁王立ちで構えていた。


「げっ、いつの間に……!」

「全く……。皿を全部流し台にすら運んでないのに、よくペラペラと喋っていられるね!」


 フェルマーはラースの耳を引っ張り上げながら立たせた。同時に、男に頭を下げて謝罪する。


「スミマセンお客様! ご迷惑をおかけしました」

「いえ。大丈夫です」


 その一方で、ラースはそっぽを向きながらふて腐れていた。


「ほら! アンタも頭下げなさい!」


 フェルマーがラースの後頭部をわし掴みにし、無理に頭を下げさせる。


「うぐっ……ご迷惑を、おかけしました」


 二人のやり取りに、男はフッと鼻で笑った。


「もうあたしが皿洗ってあげるから。アンタはさっさと残りの皿を持ってって掃除しなさい!」


 ラースの頭から手を放してそう言うと、フェルマーは頭から湯気を立てながら、ずかずかと流し台へ向かって行った。


「あの化け物、いつまで生き延びるんだ……?」


 フェルマーを横目にそう呟きながら、ラースは乱暴に扱われた耳を手で解した。


「君、名前は?」


 突然、ラースは男に名前を問われた。それがあまりにも急だったので、ラースは少し戸惑ってしまった。


「あ、えっと……。ラース、だけど」

「そうか。ラース、今日は久々に楽しく話ができた。礼を言わせてくれ」

「あ、あぁ……」


 ――あれが果たして楽しいものだっただろうか? そんなことはなかったと、ラースは確信を持てた。

 しかし男は、そんなラースの考えることなど知らぬ様子で、椅子から立ち上がり、言葉を続けた。


「さて。今、ここにいては邪魔なようだから、私は部屋に戻らせてもらうよ」


 そう言い残した男の顔はとても穏やかで。

 出入口の方に向かうと、男は扉を開けて、その場を後にした。


「……変な奴」

「ラース! 早く皿を持って来なさい! 昼御飯も抜きにしてほしいのかい?」


 つんざくような声が耳に入る――あぁ、これ以上あの婆さんを怒らせたら敵わないな――そう思いながら、ラースは一つ大きなため息を吐く。


「分かったよ、今行く!」


 そして、ラースはフェルマーに返事を返すと、せっせと手元の皿を重ね、流し台へと運んだ。

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