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Walk Hand in Hand  作者: 阿瀬 ままれ
第五章 バルドロス帝国との死闘
27/66




 * * *




 空もすっかり暗くなり、アルテリア帝国の城下町はネオンの光で煌々と輝いていた。まるで地上にも星空が現れたかのように綺麗な光景だったが、アルテリア帝国騎士団の一員として七年務めているクレスにとっては、これもまた見慣れたものだった。

 他の騎士達が大広間に向かっている中、クレスは城から離れて、裏庭の方へ回っていった。ラースが父のお参りに行ったと、四階に戻った際にクロム国王から教えてもらったからだった。

 墓場の前に辿り着くと、いくつもの墓が並んでいる中で、ラースは奥にある一つの墓の前で腰を下ろしていた。その墓には父――ルーク・オルディオの名が刻まれているのだろうと、クレスは確認せずとも想像がついた。


「……ラース」


 名前を呼ばれ、ラースはクレスがいることにようやく気付いた。故人となった父の墓を前にしていながらも、振り返ったラースの表情から、寂寥感はほとんど感じられなかった。だが、そんなラースの様子を目にしても、クレスはそれを決して不可解には思わなかった。


 ラースとクレスには、父と共に過ごした思い出がただの一つもない。ゴンガノに母と三人で暮らしていた頃に、イーストで騎士として務めていることを母から聞いたくらいで、実際に会ったことはこれまで一度もなかったのだ。そしてそれは、十五年前の戦争で、バルドロス兵がゴンガノを襲撃してきたときも同じだった。

 母が絶命し、ラース達が命辛々リバームルへ逃げ延びる羽目になってもなお、父が二人のもとに駆けつけることはなかった。しかし、「何か来られない事情があったんだろう」と、ラース達はそのことに腹を立てたりなどしなかった。それどころか、もし父がまだ生きているのなら、一度でもいいから会ってみたいと、兄弟二人で話し合うほどだった。互いに青年になってからは、父のことに触れる機会はほとんどなくなってしまったが、一度会ってみたいという淡い願いは、ラースもクレスも幼少の頃から変わらず抱いたままだった。


 クレスが十五歳になってアルテリア帝国騎士団に入団した後、クロム国王と会話する機会があった際に、クレスは父のことを思い切って尋ねてみた。そして、その時初めて、父が既に亡き者となっていることを知ったのである。父の死を初めて知ったとき、クレスはショックを受けたものの、憂愁に浸ることはなく、その事実を受け入れるのにさほど時間は要さなかった。

 例え実の父であれ、会ったこともない人物の死を聞いて、いつまでも嘆き悲しむことができるものだろうか? きっとラースも同じように思ったに違いないと、今のラースの様子を見て、クレスは心境を察した。


「そろそろ夕食の時間だよ。お参りはもう済んだか?」


 クレスが訊くと、ラースは立ち上がってズボンについた草を掃い、返事を返した。


「あぁ。もうとっくに済ませたから大丈夫だよ」


 「そうか」と、クレスは安堵の顔を浮かべて言った。早速行こうかとクレスは呼びかけようとしたが、ふとラースが物憂げな顔をして俯いていることに気付き、踏み止まった。


「どうかしたのか? ラース」


 クレスが気になって尋ねると、ラースは「……あぁ」と小さく返事し、父の墓碑に再び目を向けながら言った。


「俺にとって、親父は血の繋がりがあるだけの、他人のような存在でしかなかった。けど、昨日兄貴に親父が死んじまってたって聞いて……それがバルドロス帝国の連中のせいだって聞いて……やっぱり悔しかった。バルドロス帝国が十五年前の戦争を引き起こさなければ、親父も、母さんも、きっとこんなことにはならなかったんだろうなって」

「……ラース」


 ラースは、決然たる目をクレスに向けた。


「こんなこと、あいつらの前で言うのは小っ恥ずかしいんだけどさ。俺、皆の仇を取ってやりたいんだ。親父や母さん、バーゴ、そしてここで眠っている人達、皆の無念を晴らしてやるためにも、今ものうのうと生きているバルドロス帝国の連中を、この手で捕まえたい」


 クレスも力強くうなずくと、握り拳を固めてラースの前に差し出した。


「必ず、バルドロス国王とその一味を捕まえよう。十五年前の惨劇を繰り返さないためにも、僕達の手で終止符を打つんだ」

「あぁ。やってやろうぜ、兄貴」


 ラースも握り拳を固め、差し出されたクレスの拳にこつんと合わせた。




 その後、迷路のような城の通路をクレスに案内してもらいながら、ラースは二階の大広間へと向かっていった。大広間の前に着き、開放されていた大きな扉を潜ると、中には何列にも亘って長テーブルが並んでおり、多くの騎士が座って食事を取りながら、わいわいととりとめのないおしゃべりをしていた。アルテリア城での食事なのだから、それなりに豪華なものが出てくるかもしれないとラースは期待を募らせていたが、騎士達が食べていたのはカレー一皿のみで、期待外れであったことにラースは軽く落ち込んだ。

 奥の厨房でメイドにカレーを掬ってもらった後、ラース達は改めてセラ達を探そうと辺りを見渡した。セラ達は隅の方でひっそりとカレーを食べていたので、ラース達が二人を探し出すのにそこまで時間は要さなかった。セラ達の隣に座りながら、「何でこんな隅っこに座ってるんだよ」とラースが尋ねると、あかねは苛立ちを露わにしながら、騎士達を指差して言った。


「あいつら。あたしやセラのことをずっと見てくるんだよ」


 それを聞き、ラースも周囲を見渡してみると、確かに騎士達がひそひそ話をしながら、ちらっちらっと興味深げな目をセラ達に向けていた。特に、セラの方は容姿が可愛らしいこともあってか、色恋沙汰がない騎士達の注目の的となっているようだった。困った様子のセラを見かね、騎士達が下心を持ってセラを見る度、ラースとあかねはセラに指一本触れさせまいと、騎士達をギンと睨みつけて威嚇した。

 しかし、そんなラース達の威嚇をものともしない人物が一人だけいた。突然、クレスの横に山盛りのカレーが乗ったトレイを置き、どかりと腰を下ろすと、その騎士は「よう、クレス! それとお連れさん!」と威勢よく挨拶した。

 角張った顔に太い眉毛、そしてもじゃもじゃに生えたあごひげと、何ともむさ苦しい雰囲気の男だなとラースは感じた。大きながたいが勢いよく座ったりするものだから、椅子が潰れてしまわないかひやひやものだった。


「お疲れ様です、カルロス殿」


 その男を目にするなり、クレスは爽やかな笑みを向けながらお辞儀した。


「お知り合いですか? クレスさん」


 セラの問いに対し、クレスは当然と言わんばかりに答えた。


「知ってるも何も、この方はアルテリア帝国騎士団の二番隊隊長さ」

「へぇ……」


 感心の色を見せるラース達に対し、カルロスと呼ばれた男は大げさに手を振って謙遜した。


「とはいっても、俺は長年アルテリア帝国騎士団に務めていたから、その功労が称えられただけにすぎねえのさ。二十年以上かけてやっとこさ二番隊に認められたってのに、こいつはたった五年ちょいで三番隊だからな~」


 大きな手でがしがしとクレスの頭を鷲掴みにしながら、カルロスは意地悪そうに笑って言った。さすがは兄貴だと感心するばかりで、クレスが目で救いを求めていることにラースは気付かなかった。


「あ、そういや言い忘れるとこだった」


 思い出したように声を上げ、カルロスはクレスの頭から手を放して言った。


「お前が言ってた闇商人、どこにいるか目星がついたみたいだぞ。これから交渉に入って、爆弾作りに必要な素材を集めていくそうだ」

「それ、本当?」


 身を乗り出すあかねに対し、カルロスはにっと笑いながらうなずいてみせた。


「おう! 多分、今日中には一通りのもんが揃うんじゃねえか? 元々大っぴらにできねえようなことをやってた奴だから、目を瞑ってやるって言やあ、こっちの要求にも素直に従ってくれるだろうよ」


 カルロスの言葉を聞くなり、突然ラースはまじまじとあかねを見つめ出した。


「な、何だよいきなり……」


 気味悪がるあかねに対し、ラースは口角を上げながら言った。


「いや、そういやお前も泥棒紛いなことをやってたんだったなって。アルテリア帝国に引き渡せば、聞き分けの悪い態度も少しは直るんじゃねーか?」


 蒼白になるあかねを見て、クレスとカルロスもにやりと意地悪げな笑みを浮かべた。


「そうか……。確かあかねさん、ノアールで行商人から金銭を盗んでいたんだってね?」

「それが本当なら、お前さんのしたことも立派な窃盗罪になるな。ちゃんと反省するまで牢獄に入ってもらっていてもいいんだぞ?」


 あかねはたまらずセラに泣きついた。


「た、助けてよセラ~! こいつらあたしのこといじめてくる~!」


 セラはクスクスと笑って言った。


「え~。でも、人から物を盗むのは悪いことですよ?」

「セラまでそういうこと言うわけ? これからお姉ちゃん達を助けに行くってときに!」


 ショックを受けるあかねに対し、セラは首を横に振った。


「私達と同じように生きてほしいってことですよ、あかね。今みたいに、あかねがこれからも一緒にいてくれるのなら、私、本当に嬉しいですもの」

「そ、そう……?」


 セラの優しい言葉に、あかねは照れくさそうに頬を赤らめながらにやついた。そして、もし自分が人間と同じ生活を送ったら……そんなことを、あかねはほんの少しだけ真剣に考えてしまった。

 これまで、人間に干渉せずにニンジャとして生きてきた誇りは、そう簡単に手放せるものではない。だが、それでセラと一緒にいられるというのなら――これまでの生き方を捨てて人間として暮らすのも、決して悪いことばかりではないのかもしれない。


「もしかしてお前、牢獄に入る気になったのか?」


 怪訝そうな顔を浮かべて尋ねるラースに対し、あかねは無表情のままバシンと頬を張った。これにはさすがのクレス達も、ラースを擁護するようなことはしなかった。




 夕食のカレーを食べ終えて、騎士達がぞろぞろと大広間を後にしてもなお、ラース達が一緒に席を外すことはなかった。爆弾作りもこの大広間で行うらしいから、闇商人との交渉が終わるまで待っていてくれと、カルロスから言われたからだった。

 交渉に向かった騎士達が戻るまでの間、ラース達は特にすることがなく手持ち無沙汰だったが、セラだけはカルロスとの閑談に夢中になっていて、退屈していない様子だった。互いに打ち解けやすい人柄だからというのもあるだろうが、聞き耳を立ててみると、馬が合う理由はどうもそれだけではないようだった。


「えっ! コナン帝国の城下町にいた花屋さんが、カルロスさんのお兄さんなのですか?」

「ハハハ、そうだよセラちゃん! あいつは腕っぷしもあるけど、性格がどちらかっていうと温厚でなぁ。俺達みたいに剣を振り回すよりも、園芸やってる方が性に合うんだとよ」

「そうなんですね。……言われると確かに、顔立ちとかが花屋さんとそっくりです」

「言われて良い気はしねえんだがな」


 セラとカルロスの会話は自然と弾んでいった。そうでなくとも、兄弟のラースとクレス、そしてニンジャのあかねが一緒にいることもあり、話題がなくなって困ることはないようだった。ラースとクレスの幼少期のことや、あかね達ニンジャの生活のことなど……いろんなことを話し込んでいるうちに、カルロスが話していた爆弾作りの時間もすぐに訪れた。

 最初に大広間の扉から姿を見せたのは、相変わらず厳格な顔をしたジュード騎士団長だった。その後ろから、多くの材料を抱えた数人の騎士達がついて来ていた。よく見るとビックスとウェッジの二人組も交じっており、クレス達の存在に気付くなり、二人は強張っていた表情を少しだけ緩ませた。


「ジュード騎士団長!」


 ジュード騎士団長の姿を目にするなり、クレスとカルロスはすぐに立ち上がり駆け寄った。


「闇商人との交渉に、成功したのですね」


 クレスが訊くと、ジュード騎士団長は厳格な顔を崩すことなくうなずいた。


「あぁ。奴らのこれまでの罪を、ひとまず見過ごす結果にはなったが……おかげで素材を揃えるのに時間は要さなかった」

「なら、これからすぐにでも爆弾作りができるってわけか」


 遅れてセラ達と一緒に駆け付けながら言うラースに対し、ジュード騎士団長はまたこくりとうなずいて言った。


「そうだ。早速ですまないが、カルロス隊とクレス隊、そしてラース達、ここにいるメンバーで作業に取り掛かってもらう」

「これらを使って、でありますな!」


 その言葉と共に、ビックス達は各々の抱えていた素材をテーブルの上に置いて並べた。袋の中に入れられた黒っぽい粉末、穴が空いた丸い鉄の器、真ん中に紐が通った鉄の円盤と、どれも素人から見ると奇妙に思えるものばかりだ。


「これらで、爆弾を一晩で作ってしまうのですか? 私、すぐに作れるのかどうか、ちょっと自信がないです」


 爆弾の材料を一通り眺めながら、不安げな顔を浮かべるセラに対し、あかねはにっと励ますように笑って答えた。


「そういう心配はいらないってば、セラ。単純に、火薬を丸い鉄の器に入れて、紐付きの円盤で蓋をするだけでいいから。あたしでも作れるくらいだから、セラにでも簡単に作れるって」

「そう、ですか……。ありがとうございます、あかね」


 セラも微笑みながらあかねに礼を言った。


「マニュアルもここに置いておくのです」


 ウェッジが、懐からあかねの持っていた爆弾製造マニュアルを取り出し、素材の横に置いた。


「私もざっくりと目を通したのですが、火の元に注意する以外は、あかね殿の言う通り難しい作業ではないのです。一人でも、おおよそ三十分あれば爆弾一個は作れるはずなのです」

「となると、この面子で作ればあっという間だろうな! どのくらい作ればいいんだ?」


 もじゃもじゃのあごひげを親指でなぞりながら尋ねるカルロスに対し、あかねは腕組みして考え込みながら言った。


「あんまり多く持って行くと、潜入に支障が出るから困るんだよね。爆弾一個だけでも壁に穴を空けるくらいの威力はあるから……そうだなぁ。五、六個くらいあれば十分かも」

「六個だな。造作もねえこった!」


 カルロスは腕をめくって力こぶしを作り、意気込みを露わにした。「爆弾作りに力はいらないですからね、隊長」と、カルロス隊の騎士二人がおどおどしながら突っ込みを入れた。


「では皆、よろしく頼む。私は私室にいるから、作り終わったら一言かけてくれ」


 ジュード騎士団長の言葉に、ラース達はこくりとうなずいてみせたが、あかねだけは強く反発した。


「ちょっと! せっかくなんだから少しくらい手伝ってくれてもいいじゃん」


 ラース以上の無礼な物言いに、クレス隊とカルロス隊は顔を真っ青にしていたが、ジュード騎士団長は決して怒ることなく、フッと鼻で笑って答えた。


「すまないが、少々面倒な仕事を今抱えていてな。……サウスの行商人から盗難届がたくさん上がっているんだ」

「……あっ」


 ジュード騎士団長の言葉に、あかねは心当たりがありすぎて、思わずポカンと口を開けた。今、ラースにお預けされている金銭のほとんどが、ノアールの森で行商人から盗み取ったものなのだから。


「騎士団長様。このバカニンジャが盗んだお金がこちらになります」


 敬語をなかなか使わなかったラースがあからさまに畏まりながら、あかねから取り上げた金をジュード騎士団長に差し出した。


「ばっ……何てことしてくれてんだ! 金は返してくれるって言ったじゃん!」

「必要なもんは一通り揃ったんだし、もうこんな金持っていたって仕方ねーだろ?」


 あかねが金を取り返そうと暴れ出したので、ラースとジュード騎士団長はあかねの手に届かないよう、手を高く上げて金の受け渡しをした。これにはさすがのカルロスとクレスも失笑するしかなかった。


「感謝する、ラース。爆弾作りの方も頼むぞ」


 あかねの盗み取った金を手に抱えながら、ジュード騎士団長はそう言い置き、大広間を後にした。「承知しました」という騎士達の返事と共に、ラース達も床にへたり込むあかねを無視してこくりとうなずき、ジュード騎士団長の後ろ姿を見届けた。


「……セラさん、どうかしたのかい?」


 ふと、セラがずっとにこにこと笑みを浮かべていることに気付き、不可解に思ったクレスが尋ねた。


「あ、いえ。……ラースさん達と話しているときの騎士団長様、何だか嬉しそうでした」

「嬉しそうだって?」


 セラの言葉に怪訝そうな顔を浮かべるラースだったが、それでもにこにこ顔を崩さないセラを見て、嘘を言っているわけではないのだとラースは感じた。「変なの」とあまり気に留めるようなことはせず、ラースは皆と一緒に爆弾作りに没頭した。




「……何とか六個、形にはなったな」


 両手を組んで軽く伸びをしながら、ラースはそう呟いて一息ついた。ラース達が囲うテーブルの上には、丸い鉄板の中に火薬が詰まった、ソフトボールほどの大きさの爆弾が六個、綺麗に並べられていた。


「思いの外、時間食っちまったよな。火薬の分量が微妙すぎて、調整すんのが面倒ったらありゃしねえ!」


 細かい作業が苦手だったのか、カルロスはこりごりだと言わんばかりにストレスで拳を震わせた。「力はいらない作業ですから、隊長!」と、カルロス隊の騎士二人があたふたしながら突っ込みを入れた。


「でも、こうして問題なく爆弾が出来上がったわけですから」


 そう言って、爆弾とマニュアルの完成図を見比べながら、セラは満足そうにうなずいた。


「ですが、一つだけ気掛かりに思うのであります……」


 爆弾からほんの少しだけはみ出ている紐を指でなぞりながら、ビックスは怪訝な顔を浮かべた。


「爆弾をバルドロス城に設置するところまではいいとして、これら全てに着火する方法が分からないであります!」

「た、確かに……。誘爆させる以外に良い方法がなさそうなのです」


 ウェッジも不安の色を見せたが、そんな二人の疑問にもあかねは全く動じることなく、ふふんと鼻を高くしながら答えた。


「あたしだって、そのくらいのことは考えているってば! これを使うの」


 一同は、あかねがウエストポーチから取り出したものに注目した。見てくれはしわくちゃの小さな紙切れだったが、紙面を覗いてみると、先程の爆弾製造マニュアルに書いてあったような読める文字とは違う、見たこともない独特な文字が、黒いインクのようなものでびっしりと書かれていた。ニンジャの間で使われていた古語か何かだろうかと、ラースは想像を膨らませた。


「一枚だけ、実際に使ってみせてやるから、見てなよ」


 どんな代物であるのか見当がつかない様子のラース達を見かねて、あかねは腰につけていた小刀を抜きながら言った。


「これを使うには、まず、あたし達ニンジャの血が必要なの」


 そう言うと、あかねは引き抜いた小刀を逆手に持ち、左手の親指に小さな傷を入れた。傷口から血が滲み出すのを確認すると、あかねは小刀を納めて近くに置いていた紙切れを再び手に取り、それに自身の血を塗りたくった。


「じゃ、今から火をつけるから、アンタ持ってて」


 あかねは紙切れをラースに放り、ラースはそれを受け取った。血で汚れたニンジャの文字を眺め、すぐにあかねの方に視線を戻してみると、あかねは両手の指で色々と奇妙な形を作り、早速何かを始めようとしていた。表情は真剣そのものだったので、決してふざけているつもりではないらしいが……。


「あれは『印』って言って、ニンジャが『忍術』を使うときに結ぶものだそうですよ」


 不思議がるラースを見かねて、セラはラースにこっそりと耳打ちして教えた。


「へぇ。人間が魔法を使うときに唱える呪文みたいなもんなのかな」


 そんなことを呟いているうちに、あかねは火を起こす準備を整えてしまったようだ。最後に、人差し指と中指を立てて両手を組むと、あかねはラースが手にしている紙切れを見据えながら念じ始めた。

 途端、紙切れに書かれた文字が呼応するかのように光り出したかと思うと、紙切れの角からマッチほどの小さな火が上がり、煙を立てながら紙切れを焦がし始めた。突如指先に襲い掛かる熱気に、ラースが「熱っ、熱!」と慌てふためくのを見て、それを計らっていたのか、あかねはけらけらと愉快そうに笑っていた。

 クレスが咄嗟に差し出してくれた水入りのコップに紙切れごと指を突っ込ませ、次にラースが額に血管を浮かべながら拳を振り上げたときには、あかねは数メートル上にある天井のランプにしがみつき、攻撃の手から逸早く逃れてしまっていた。


「さっきお金を返してくれなかった仕返しだよーだ」


 そう強気に言い、あかねはラースに対しべえと舌を突き出した。ラースはもう執念深く追うようなことはしなかったが、「あの野郎、後で覚えとけよ……」と眉をひくひくさせながら呟いた。


「と、とにかく。これなら着火のことで悩む必要はないね。頼もしいよ、あかねさん」


 話を逸らすようにクレスは言ったが、あかねはそれを聞き、突然気落ちした様子で俯いた。


「……ほんとはね。この道具を使うの、あんまり褒められるようなことじゃないんだ」


 天井のランプから軽快に飛び降りて着地しながら、あかねは言った。


「魔法を使えるあんたらにとっては簡単なことかもしれないけど、あたし達ニンジャにとって、忍術だけで火を起こすのは相当難しいことでさ。あたしはまだ、道具を使わないとまともに火を起こせないの。この道具も、あたしでも簡単に火を起こせるようにって仲間が作ってくれた物なんだけど……。今のリーダーが、『こんな道具なんぞに頼るのは愚か者のすることだ』って」


 昔にそのリーダーに言われたことを思い出してしまったのか、あかねはすっかり落ち込んで重いため息を吐いた。あかねに一発拳骨をかますつもりのラースだったが、落ち込んだ様子のあかねを見て気が変わったのか、「しょうがねえな……」と後頭部を掻きながら呟き、あかねに言った。


「安心しろ。遠くの狙った場所に火を起こせる奴なんざ、俺達人間の中にだってそうそういねーよ。例えお前らニンジャの世界じゃ恥なことだとしても、今回ばかりはその道具が必要な状況なんだ。違うか?」


 まさかラースが励ましてくれるとは思わず、あかねだけでなく他の皆も、ラースを見つめながら唖然としてしまった。


「ったく、下らないことで変に気を遣わせるなよな。調子狂うだろ」


 決まりが悪くなったのか、頬を染めながら文句を言うラースに対し、あかねも赤くなりながら「う、うるさい!」と向きになって反発した。なかなか素直になれない二人に和まされ、セラとビックス、ウェッジの三人は思わず顔を綻ばせた。

 パンと手を叩き、睨み合っているラースとあかねを注目させながら、クレスは皆に言った。


「二人とも、喧嘩はおしまい。騎士団長への報告は一人で事足りるから、セラさんと一緒に騎士団の寝室を借りて、今日はもう休むといいよ。ビックスとウェッジもね。カルロスさん達も、報告は僕に任せて先に休んでください」

「分かりました、クレスさん」


 セラはこくりとうなずき、横にいたビックスとウェッジ、そしてカルロス隊の部下二人は恐縮しながら頭を下げた。カルロスも一つ大きなあくびをしながら礼を言うと、突然近くにいるラースの頭を右手で鷲掴みにし、わしゃわしゃしながら呼びかけた。


「お前らももう寝ちまうんなら、寝室に案内してやるから俺らについて来いよ。俺が顔を利かせりゃあ、ちったあマシな部屋が取れるかもしれねえしな!」

「助かるよ。……ついでにその手も退けてもらえるとありがてえんだが」


 ラースはかなり迷惑そうに頼んだが、カルロスはラースの頭をどうも気に入ったらしく、左腕でがっちりと固定してわしゃわしゃを続けながら、上機嫌に大広間を後にした。ラースが強引に引っ張られていく様に、あかねは意地悪な笑みを浮かべ、セラ達はクスクスと密やかに笑いながら、二人の後に続いた。


 ラース達が去っていくのを見届けると、クレスは早速、ジュード騎士団長への報告に向かう支度を始めた。ショルダーバッグに入れていた布の袋を取り出し、その中に爆弾を積めようと手を伸ばしたとき、クレスはふと近くに置いてある水入りのコップに目が留まった。あかねが試しに燃やしてみせた紙切れが、コップの中でのんびりと浮き沈みしている。


「忍術……ニンジャにしか使えない技、か」


 黒焦げの紙切れを見つめながら、クレスはぼそりと呟いた。クレスもまた、忍術を目にするのは初めてだったので、忍術がどのようなものなのか、密かに興味を覚えていた。

 ――忍術の動力となるエネルギーは、魔法のエネルギーである魔力とは違うものなのだろうか? 仮に違うものだったとして、そのエネルギーは指を組む仕草とどのように結びつき、忍術となるのだろうか? クレスの疑問は尽きなかった。


「……もしかしたら、僕も同じように指を組めば、忍術を発動できるかもしれない」


 クレスは至って真面目な表情で、紙切れを手で摘み取りながら呟いた。濡れた紙切れをテーブルの上に置き、クレスは両手の人差し指を立て、早速組んでみることにした。

 先程あかねがやっていた指の組み方を真似し、一通り組み終えた後、クレスは紙切れに意識を集中して念じる……が、紙切れは萎れたまま何も起こらない。その時、近くでカチャンと金属がぶつかり合う音が聞こえ、クレスは指を組んだまま振り向いた。


「……あ」


 クレスの近くにいたのは、あどけなさが残る顔立ちの若いメイドだった。どうやら彼女は、騎士達の食べ終えた皿を片付けている最中だったようだ。そして、忍術に夢中になっているクレスの横で、拾い上げたスプーンをうっかり落としてしまったらしい。


「そ……それって、確か血を塗る必要があったんですよね」


 当惑した様子で頬を赤らめながら、おずおずと言うメイドに対し、クレスは後頭部を撫でながら照れ笑いした。


「アハハ。僕もまだまだ修行が足りないみたいだね」


 クレスの気さくな冗談に、メイドも釣られてクスクスと笑った。




 * * *




 天井のシャンデリアが消灯している薄暗い廊下に、コツコツと甲高い足音がこだまする。窓から漏れる真珠のような月光を浴びながら、青年は一人で大理石の床を歩いていた。半開きの窓を横切れば、外から忍び込む気紛れな風が、青年の羽織る深緑のマントをなびかせた。

 一つため息をつくと、青年は首にかけていた懐中時計の蓋を開け、月明かりを頼りに覗き見た。……時刻は午後十時過ぎ。普段なら自室で書物を読みながら静かに過ごしている頃だが、最近は胸騒ぎが起こり、読書をする気分になれなくなることが多くなっていた。青年はその度に、外に出て涼むことで、焦燥に駆られた心を少しでも和らげようと考えた。


 曲がり角に差し掛かったところで、青年は懐中時計の蓋を両手で静かに閉じた。この角を曲がった先に謁見の間があり、曲がらずに進めば下りの螺旋階段に差し掛かる。その螺旋階段を一つ降りた所にルーフバルコニーがあるのだが、青年はすぐ階段に向かおうとせず、曲がり角の手前で急に足を止めた。謁見の間へと続く廊下の方から、誰かの話し声が聞こえてきたからだった。

 靴底を大理石の床にぴったりとくっつけながら、足音を立てないように摺り足で移動し、青年は曲がり角からこっそりと顔を覗かせた。すると、青年が想像していた通りの人物達が話しているのが見えた。

 一人の、高貴なローブを身にまとう男は、カーツ・クルエル・バルドロス。二大帝国の一国である、バルドロス帝国を統治する王だ。そしてもう一人の、腰に細身のレイピアを下げている鎧姿の男は、クリード・トレヴィズ。バルドロス帝国に仕える騎士団の長を務めている男である。

 クリードの姿を目にするなり、青年は立ち止まってみて正解だったと安堵の息を吐いた。もし考えなしに飛び出してしまえば、クリード達に自分の存在を気付かれ、絡まれてしまっていたことだろう……青年はクリードを密かに嫌っていた。一昨日、見せしめに部下の一人を焼き殺したという噂を耳にした後では尚更だった。


「……それで、『ディアナ』は今どこにいるのか分かったのか?」


 腕組みしながら問うカーツに対し、クリードは胸に左手を当ててお辞儀したまま答えた。


「はい。先刻、『ディアナ』がアルテリア帝国騎士団の人間と共に、馬車でアルテリア城へ向かっていくのを、近辺の兵が目撃しています。ラース・オルディオ、そしてニンジャの生き残りも同行しているとのことです」


 カーツはそっぽを向き、不快そうに顔を歪めながら言った。


「クロム共の目が届くところにいる以上、うかつには手を出せそうにないな。だが、放置していても構わんだろう。バルドロス帝国がニンジャの一味を捕らえている以上、奴らは一味を救出しようと、自ら行動に出るはずだ……。主導権を握っているのはあくまで我輩の方よ」


 クリードが左手を下ろし、顔を上げて言った。


「では、奴らに攻め入られる前に、こちらも手を打たなければ……。兵達には、いつでも迎え撃てるように備えておくよう伝えましょう。それと、ゼブラの魔力で可能な限り、あの女の複製(コピー)は用意しておいた方がよろしいでしょうか?」


 カーツは不敵な笑みを浮かべながら言った。


「そう易々と手の内を見せるものではないわ、クリード。そんなことをせずとも、アルテリア帝国とバルドロス帝国の勢力差は歴然だ。その上、アルテリア帝国の精鋭部隊は、十五年前の戦争で息の根を止めた……もうこの世にはいない。あの装置を使うのは、『ディアナ』を我が手中に収めたときで構わん」


 クリードは小さく鼻で笑い、また胸に左手を当てて一礼しながら言った。


「承知しました。ゼブラにはそのように伝えておきます。全てはカーツ国王のために……」


 青年が再び曲がり角から覗き込んでみると、クリードが踵を返し、一人で螺旋階段を下りていくところだった。鉄靴(てっか)の足音が遠退いていくのを確認してから、青年はようやく覗き見るのを止め、曲がり角から姿を現した。


「おぉ……息子よ。こんな時間に何をしているのだ?」


 青年の姿を目にするなり、カーツは髭面の表情を緩ませながら尋ねた。


「夜風に当たりに行こうとしていたところです、父上」


 青年は素っ気ない態度で返事した。


「この城にも直にアルテリア帝国の兵が押し寄せてくるだろう。十五年前の戦争で勢力を削がれたアルテリア帝国の軍勢をねじ伏せることなど造作もないが、それでも無事で済む保証はない……。お前もそのつもりで防護を固めておくとよい」


 歩み寄りながら忠告するカーツに対し、「お気遣いいただき感謝します、父上」と、やはりカーツに視線を向けることなく、青年は頭を下げて言葉を返した。決まりが悪くなったのか、少しでも青年の気を引かせようと、カーツは話題を変えた。


「計画は順調だぞ。ニンジャの連中もひっ捕らえ、まだしばらくかかる予定だった複製製造装置もついに完成した。

 あとは『ディアナ』を我が手中に収め、彼奴の力でニンジャの複製(コピー)を量産してしまえばもうこちらのものよ。忌々しいアルテリア帝国の連中を根絶やしにし、全世界を支配下に置くのも遠い未来ではないわ――」


 カーツの声が上ずっていくのを感じ、青年はちらとカーツの顔を覗き見た。カーツは野望を語るのに夢中で、青年が向けた視線にまだ気付いていないようだった。

 血走った目を見開き、狂犬の如く歯を剥き出しにして笑っている……なんと醜悪で、なんと貪欲な顔なのだろう。父と同じ立場だったなら、自分も同じような表情を見せていたのだろうか――そんなことを想像し、青年は無意識に唇を噛みしめた。


「それまでの辛抱だ。もう少しだけ待っていてくれよ、エドウィン……」


 そう言って青年の頭に手を置くと、カーツは上機嫌にその場を後にした。甲高い足音と共にカーツが曲がり角から姿を消すのを見届けながら、青年は首の懐中時計を固く握りしめた。

 アルテリア帝国騎士団が制圧され、彼女が父の手に渡ってしまったら――。力を強奪せんと拷問され、死よりも耐え難い苦痛を味わったら――。疾うに心を静めている暇などなかった。




 * * *




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