四
日が沈んでからしばらく経ってもなお、りゅうがバルドロス帝国から戻ってくることはなかった。居ても立っても居られなくなったのか、あかね達が先に合流したのは、すっかり回復したりんとれなの二人だった。
「お前ら、じっとしてろって言ったはずだろうが!」
なぎさが叱るも、りんとれなの二人は首を横に振った。かすみが未だに行方不明だと分かっていて、何もせずにいられるはずがなかった。
なぎさは呆れた風にため息をついた後、りんとれなに改めて状況を説明した。かすみが戻ってこないと分かってから、りゅうにはバルドロス帝国に向かってもらい、その間、自分達はバルドロス帝国までの道中を隈なく捜した。しかし、どこを捜してもかすみの姿は見当たらなかったので、仕方なくりゅうが戻ってくるのを待っているのだと。
「もし、りゅうの身にも何かあったらどうしよう……」
心配するれなの肩に手を置き、励ますようになぎさは言った。
「かすみの二の舞は踏むなって、りゅうにはきちんと忠告してある。あいつがそんな柔な男じゃないって分かるだろ?」
それを聞いたれなはうなずいて納得し、黙ってりゅう達の帰りを待つことにした。この時ばかりは、さすがのあかねとあきらも、れなとりゅうのことでからかう気にはなれなかった。
それから、三十分ほど重い沈黙が流れたところで、ようやく変化が訪れた。それに逸早く気付いたあかねが、バルドロス帝国の見える方向を指差しながら声を上げた。
「見て! 向こうから誰かやってくる!」
あかねの声に、一同は顔を上げた。すぐにあかねの指し示す方向に目を向けると、何者かの影がこちらに近付いてきているのが見えた。
「りゅう兄ッスかね?」
目を凝らしながらあきらが言う。他のニンジャ達も、あの影はりゅうとかすみのものであると考えた──否、そう期待した。しかし、徐々に影が近付いてくるにつれ、一同はその影が期待しているものと違うことに気付いた。二人分にしては、影が大きすぎるのだ。
皆が何だろうと思っている最中、その影が何であるかに逸早く気付いたなぎさが、舌打ち混じりに呟いた。
「どうやら……最悪に近い事態になったみたいだな」
なぎさの言葉に驚きつつも、他のニンジャ達は影の正体を知ろうと、影を凝視し続けた。次第に、近付いてくる影の正体が露わになり、りん達は目を丸くした。
最初に見えたのは、りゅうの姿だった。そして、次に見えたのは……かすみの姿ではなく、五、六人は乗れるであろう大きな馬車だった。甲冑を身にまとった男が、馬二頭を手綱で従わせている。
「りゅうさん!」
りゅうが近くに来るなり、りん達はりゅうのもとに駆け寄った。
「皆……かすみは何とか生きている。だが……」
りゅうは、憤怒の表情で言葉を続けた。
「かすみは……バルドロス帝国の騎士に捕まってしまったんだ。今、かすみは奴らに人質にされている。俺も逆らえずに、奴らをここまで導いてしまった」
なぎさが、他のニンジャ達を掻き分け前へ出て、りゅうに言った。
「バルドロス帝国の連中は……俺らに取引か何かを持ちかけようとしている」
「ええ……おそらくは」
そう言ってりゅうがうなずいたとき、突然馬車の方から声が聞こえてきた。
「ようし。お前ら、そのガキを連れて降りろ」
悦に入ったような声と共に、一人の騎士が馬車から姿を現した。騎乗している騎士とは違い、その騎士は兜を被っていなかった。オールバックの黒い髪をした男だ。腰には細身の長いレイピアが下げられ、鎧にはバルドロス帝国のシンボルである緑色のマントがはためいていた。
その男に続いて、今度は兜を被った、おそらくは男の手下であろう騎士二人が、女の子を引っ張って馬車から降りて出た――両腕を縛られ、目を布で覆われた、人質としてのかすみの姿に、あかね達は息を呑む。
「ガキをよこせ」
あかね達の前に来るなり、男は騎士二人に目を向けることなく命じた。騎士二人は言われるがまま、かすみを乱暴に放って男によこした。かすみのぞんざいな扱いに腹を立てたあかねが、眉間にしわを寄せて男に怒声を飛ばす。
「お前! それ以上かすみに何かしたら……!」
おっと、と男が呟き、腰に下げたレイピアを抜いた。そして、かすみの後頭部をむんずと掴み、手にしているレイピアをかすみの首もとに近付けた。
「俺もこれ以上、このガキに何かするつもりはない……。もっとも、お前らが俺に余計な抵抗をしなければの話だが……」
あかねの口が止まる。かすみが騎士達の人質にされている以上、無闇に手を出すことはできなかった。男の言葉に従わざるを得ず、あかねは歯ぎしりをしながら男を睨み付けた。
「フッ……これは傑作だな。とっくに絶滅したと思われていたニンジャが、まだこんなにもしぶとく生き永らえていたとは……」
一方で、男はニンジャ達が自分に逆らえないのをいいことに、店舗に陳列する商品を眺めるかのようにニンジャ達を見ながら、にたりと薄笑いを浮かべた。
「……お前達の要求は何だ」
なぎさが重い口調で男に問うと、男はフッとまた鼻で笑い、そして答えた。
「要求は至ってシンプルだ。貴様らの中で一番の実力者をこちらに差し出せ」
「一番の実力者……?」
れなが怪訝な顔をして言った。
「あなた達が一体何を考えているのか、理解できない」
口の端を上げながら、男は言葉を返した。
「もっとも、それをお前らに話すつもりは毛頭ない……詮索は無用だ。お前らはただ、俺の言うことに黙って従っていればいい」
詰問しても無駄だと思い、れなはこれ以上追及するのを止めた。代わりに、れなはなぎさの方に視線だけ向け、今のリーダー、そして一番の実力者である彼の言葉を待った。
「なぎさ様、もし奴らの要求に従うのであれば、俺が代わりに行きます。誰が強いのかなど、こちらが正直に言わない限り、奴らには知る由もないはず」
決然たる顔でりゅうが言うも、なぎさは首を横に振った。
「いや、その時は俺が名乗り出る。お前が行く必要はない」
「なぎさ様……何も素直に奴らの言う通りに従う必要はないでしょう!」
「確かにお前の言う通りだ。だがそれでも、お前達が犠牲になるというのは、俺自身が許せん」
「ですが……!」
りゅうが食い下がろうとしたとき、不意にリーダー格の男が口を挟んだ。
「いつまでそうしているつもりだ? 三下を出してごまかすつそもりか? それとも隙を窺って忍術とやらを狙うつもりか? どちらにせよ無駄なことだ……。余計な小細工をすれば、このガキの命はないと思え」
あかねも変に探りを入れられないよう、自分達のリーダーであるなぎさを横目で覗き見た。なぎさは、何か他に手はないかあれこれ思案している様子だったが、やがて観念したように首を振った。今は下手に抵抗をしない方がいいと考えたのだろう。なぎさが歩を進めようとした途端――それと同時に、男が一人のニンジャの名を上げた。
「水無月りん」
突然の発言に、思わずなぎさの足が止まる。
「そう、このガキは白状したがな。一番強いニンジャは水無月りんだと……服従の魔法をかけた上での言葉だから信憑性はあるだろう。水無月りんはどいつだ?」
男の言葉に、一同はまたしても黙り込んでしまう。かすみが、なぎさでなくりんの名を答えたのは、りんがなぎさに次こそ勝ってくれると本気で信じていたから――かすみの誠実さ故だろう。その誠実さが、りんが指名されるという悪い結果を招いてしまったのだ。
「りん姉、あんな奴の言うことなんか、従わなくてもいいッスよ。嘘を通すなり、まだ他に手はあるッス」
相手に誰がりんなのかを悟られないよう、りんに顔を向けることなく、あきらは小声で言った。
「そうだよお姉ちゃん。何ならあたしが代わりに行っても構わない」
あかねもりんを庇う姿勢を見せたが、二人の言葉に対し、りんは首を横に振った。
「ありがとう、二人共。でもね、今の状況でごまかそうとするのはリスクが高すぎるわ。まずはかすみちゃんを助けることが先決よ」
「でも、それだとお姉ちゃんが……!」
りんが、あかねに顔を向けて表情を綻ばせ、言った。
「それとも、あかね。私がナンバーワンを名乗ることが不服かしら? 今日の決闘でも、私、なぎさ様に勝ってみせたじゃない?」
あかねは言葉に詰まってしまった。何としてもお姉ちゃんを止めなければと、あかねは何か言おうとしてぱくぱくと口を開きかけたが、りんはそんなあかねの返事を待つことなく、ぷいとあかねから顔を背け、二歩、三歩と男の方へ歩いていった。
「りん!」
なぎさが呼び止めるも、りんが足を止めることはなかった。ある程度男の近くまで来たところで、りんはようやく歩くのを止め、一定の間隔を保ちながら男を見据えた。
「貴様が水無月りんか。物分かりのいい女は嫌いじゃない……さあ、早くこっちに来い」
そう言って男が片方の手で招くも、りんの足が動くことはなかった。
「その前に、かすみちゃんを解放しなさい」
険しい口調でりんが言うのに対し、男は眉間にしわを寄せた。
「コイツは大事な人質だ……そう簡単に手放すものか」
「私を連れていくんでしょう? それなら私を人質にすればいい」
男が拒否するも、りんは決して食い下がらなかった。意地と意地の張り合いが続く。
「黙れ。どうしようと俺の勝手だ」
「かすみちゃんを解放しなければ、私はあなたの指示に従わないわ」
「貴様に指図される筋合いはない……!」
「聞こえないの? かすみちゃんを早く解放しなさい!」
男が怒気を露わにするも、りんは臆するどころか、より強い口調で反発した。りんは、人一倍プライドの高いニンジャでもあるのだ。このままでは埒が明かないと思った男は、とうとうりんに屈し、鼻でため息をついて言った。
「……いいだろう。ならば貴様を縛り上げるまで。それまでコイツは人質だ。貴様を縛り終えたら、望み通りコイツを解放してやろう。少しでも妙な真似をしたら、即座にこのガキの喉を掻っ切ってやる」
分かったわ――そううなずくと、りんは腰に巻いているウエストポーチを外し、地面に放り捨て、両手を挙げて無抵抗であることを示した。男の指示を聞くと、手下の騎士二人はりんを地面に押さえ付け、手にしている捕縄でりんの体を縛り始めた。
「お姉ちゃん!」
あかねが叫んだ。姉がバルドロス帝国の連中に連れ去られようとしている中、ただ見ていることしかできないのが、あかねには耐えられなかった。すぐにりんのもとに向かおうとしたが、りんの大喝がそれを遮った。
「あかね! こっちに来ちゃダメ。今は我慢して!」
「でも……!」
言葉を返そうとしたが、思わずあかねの口が止まった。リーダー格の騎士が、あかねに冷酷な目を向け、捉えている。とても冷たい、死神のような目だった。かすみのように人質にされているわけでもないのに、あかねは心臓を掴まれるような恐怖を覚えた。
少しでも変な真似をすれば、その瞬間殺してやると、そう男の目が語っているように思えた。――あの男が危険であることを、りんはすでに察知していたのだ。でなければ、ここまで従順に取引に応じたりはしないだろう。
「あかねちゃん。気持ちはよく分かるけど……今は素直に従うしかないよ」
れなの言葉で、あかねはようやくりんを助けることを断念した。りんの手、足、腕ががんじがらめに縛られていく様子を眺め、あかねは自分の無力さに悔し涙をこぼした。
「さて……」
手下二人がりんを縛り終えるのを確認するなり、男は口を開いた。
「確かに、貴様は体の自由を失った……条件通り、このガキは解放してやろう」
そう言って、男は手にしているレイピアで縄を切り解き、かすみをあかね達の方に放った。ふらふらと、かすみはおぼつかない足で歩み、やがて、あかね達の前でどさりと前のめりに倒れた。
「かすみちゃん、大丈夫?」
れなが逸早く駆け寄り、かすみの上半身を抱きかかえて、安否を尋ねた。かすみの体に力は全く入っていなかった。立ち上がるどころか、まともに口を利くことすら難しいほどに、かすみの身体、精神はずたずたにされていた。必死に酸素を掻き集め、わずかな力を振り絞って、かすみは言った。
「皆……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
私のせいでりんさまが……と、かすみは弱々しい声で謝り、そしてぽろぽろと涙を流した。
「お前が悪いんじゃない」
りゅうの言葉に同意し、れなもうなずいてかすみに言った。
「そうだよ。こんなことになったのは全部、バルドロス帝国の連中のせいじゃない」
りゅうとれなが、騎士達に敵意のこもった目を向けると、ちょうど騎士達が、身動きの取れないりんを抱え、無造作に馬車へと運んでいる最中だった。
「さらばだ、猿共。せいぜいそこで、この女に別れの言葉でも告げているんだな」
りんを抱えた騎士達を先に馬車に乗せた後、リーダー格の騎士は見下すような冷笑を浮かべ、取り残されたあかね達に言った。その言葉が、あかね達の怒りをさらに買った。
行けるものなら、すぐにでもりんを助けに行きたいとあかね達は考えた。だが、りんが人質にされている今、下手に動くのは危険である。それにりん自身の意思でもあったため、あかね達はりんを信じ、助けに行きたい衝動をぐっとこらえた――否、我慢できなかったニンジャが一人だけいた。
「そうやって笑ってられるのも今のうちッスよ……」
横からぼそりと呟く声が聞こえたので、あかねは声のした方を振り向いた。あきらが十字の刃物──手裏剣を片手に、今まさに馬車へ乗り込もうとしているリーダー格の騎士に狙いを定めている。あかねが引き留めようとする前に、あきらは眦を決して手裏剣を振り上げた。
「りん姉は返してもらうッスよ!」
あきらが手裏剣を放った。手裏剣は弧を描くことなく、鋭く直線的に進み、男の後頭部に目掛けて飛んでいった。あきらの手裏剣に対し、男が身をひるがえすことはなかった……代わりに、男は腰のレイピアを抜き、振り返って視認することなく、飛んできた手裏剣をレイピアで弾き飛ばした。
あきらが動揺を隠せないでいる中、男はゆっくりと口を開く。
「しつけのなっていない猿がいるな……」
男が、先程あかねにも向けた、死神のような冷たい目をあきらに向けた。男の冷酷な目に、あきらは思わず息を呑んだ。恐怖であきらの体は竦み、心臓は激しく脈を打った。
立ち竦んだままのあきらにレイピアの先端を向け、男は呟いて呪文を唱える。途端、男のレイピアが瞬く間に炎に包まれ、その炎の一部が、レイピアの先端から稲妻のように激しく飛び散った。炎は蛇のごとくスルスルとあきらを追いかけ、あきらの腕に触れた途端、炎の蛇は爆発を起こし、弾けた。
「うわああああっ!」
爆風であきらは大きく吹っ飛ばされ、地面にしたたかに叩き付けられた。
「あきら!」
りゅうが、立ち上がらないあきらのもとに駆け足で向かった。傍まで来て膝をついたところで、男の憎たらしい高笑いが耳に入り、りゅうは男の方に顔を向けた。
「全く馬鹿な猿だ……今回は大目に見てやろう。だが、もしまた同じような真似をしたら、水無月りんも無事では済まないと思え」
そう言って、男は再び高笑いを上げながら、馬車に乗り込んだ。あかね、りゅう、れな、なぎさの四人は、その場を動くことができなかった……付け入る隙がない。
馬がいななき、りんを乗せた馬車が去っていくのを、あかね達はただ見ていることしかできなかった。――今は、りんが無事であることを祈るしかない。そう思い、あかね達は見えなくなった馬車の背面から、あきらの方へと視線を移した。
「あきら、大丈夫か!」
りゅうが身の安否を問う。意外なことに、あれだけの爆風をもろに浴びたにもかかわらず、あきらはほとんど外傷を負っていなかった。
「お前……怪我はないのか?」
りゅうが問うと、あきらはへつらって笑いながら答えた。
「大丈夫ッス……戦闘バカが水の忍術で守ってくれたッス……」
よく見ると確かに、あきらの周囲は水浸しになっていて、男の放った炎は、その水によって鎮火してしまっていた。横を見てみると、なぎさが忍術の印を結んでいるのが見え、りゅうはほっと安堵の息を吐いた。
「……これからどうする?」
印を結んでいた指を解きながら、なぎさは深刻な顔をして、ニンジャ達に尋ねた。
「決まってる! お姉ちゃんを助けに行かなきゃ!」
あかねが真っ先に答えた。しかし、あかねの意見に対し、なぎさ達は素直に首を縦に振らなかった。
「だがあかね。今俺らがりんを助けにバルドロス帝国に向かったとして、それを騎士の連中が想定しないと思うか? さすがに奴らもそれは想像つくだろう……そして当然、城周辺の警備を固めてくるに違いない。今バルドロス帝国に突っ込むと危険だというのは目に見えている」
なぎさの反論にあかねは一瞬躊躇したが、勢いのままに言葉を続けた。
「もちろん分かってる……。でも、今すぐに助けに行かないと、お姉ちゃんが奴らにどんなことされるか分からないだろ? あたし達がここでぐずぐずしている間に、お姉ちゃんが傷付けられてしまうかもしれない! 殺されてしまうかもしれない!」
あかねの主張に、今度はなぎさ達が納得させられた。もう、得策が何だのと考えている場合ではない。りんを逸早く助けるためにも、自分達には『すぐにバルドロス帝国に向かう』という選択肢しか残されていないのだ。
「戦闘バ……な、なぎさ様。俺もあかねちゃんと同じ意見ッス。すぐにでもりん姉を助けに行きたいッス。いや、行くべきッスよ」
りゅうの手を借りずに自力で立ち上がりながら、あきらがなぎさに言った。なぎさもようやく首を縦に振った。
「……そうだな、考えるまでもないことだった。すぐにりんを助けに行こう。りんを長く待たせるわけにはいかない」
なぎさの言葉を聞き、あかね達は返事の代わりにうなずいてみせた……ただ一人、かすみを除いて。騎士達の拷問によるダメージで、かすみは口を利くことすらままならないまま、なおもれなの腕の中でぐったりと横たわっていた。
「かすみ、お前はここで待ってろ。今の状態でバルドロス帝国に乗り込むのは無茶だ」
弱ったかすみを見かね、りゅうがそう指示するも、かすみはふるふると首を振った。
「りゅうさま、行かせてください……」
かすみがれなの腕から離れ、よろよろと立ち上がりながら言った。
「私が招いた事態なのに……。ただここで待っているだけだなんて……。そんなの、我慢できません!」
拷問を受けたばかりで、かすみはまだダメージが完全に抜けたわけではなかった。だがそれでも、かすみは根性でそのダメージを克服しようとした。なぎさは悩んだが、かすみの断固たる意志に屈し、かすみも一緒に連れていくことを決めた。
びゅうと強めの冷たい風が吹き、辺りに広がる草花をざわざわと震わせた。なぎさが一歩前に出て先頭に立ち、皆に背を向けたまま、指示した。
「お前ら、額当てを締めろ」
りゅう達がうなずき、自身の額当てを手に取って額に付けた。なぎさも、羽織の内側から額当てを取り出し、ぎゅっと力強く結んだ。
「いいか、お前ら。さっきも言ったが、奴らに感付かれている以上、今バルドロス帝国に乗り込むのは危険だ。奴らに見つかって、その場で刺し殺される可能性だって十分に考えられる」
ごくりとあきらの唾を飲み込む音が聞こえた。
「だから、あらかじめ言っておく。もしバルドロスの兵に見つかったら……その時は全力で逃げるんだ。なりふり構わず、自分の身を守ることだけを考えろ。いいな?」
なぎさの指示を受け、りゅう達は「了解」とうなずいた。しかし、あかねは返事しながらも、バルドロス帝国の連中に見つかったときのことを考えてなどいなかった。
――必ず、お姉ちゃんを救い出してみせる。すぐに行くから待っててと心の中で呟きながら、あかねは囚われの身である姉を見越して、曇りがかった夜空を見上げた。
* * *
地平線の彼方が、ぼんやりと桃色に染まり始めた頃。外は未だ、夜の静けさが漂っていた。そよそよと下風が草原をさまよう中、一つ大きな欠伸をしてみせたのは、バルドロス帝国の一般兵だ。
今、バルドロス帝国の騎士達は、帝国近辺の巡回に当たっていた。バルドロス兵の日課の一つでもあった。そして、この騎士が指定された場所は、バルドロス帝国の外回り――巡回をする上で、一番つまらないポジションだった。
むにゃむにゃと口を動かしながら、騎士はうつろな目で、すぐ近くにあるバルドロス帝国を見上げる。城下町も含め、バルドロス帝国は高さ二十メートルほどの防壁に囲まれている。サウズのコナン帝国ほどではないが、侵攻を防ぐためには十分すぎる高さだった。ただでさえ見渡しの良いこの場所から、わざわざ時間をかけて防壁をよじ登ってまで、帝国内に侵入しようと考える人間はいないだろうと、騎士は考えていた。
しかし、その理屈は侵入者が『人間』でなければ成立しないことを、この騎士は気付いていない。ましてや、二度目の欠伸をしようとしている間に、一人の『ニンジャ』が距離を詰めていることなど、知るよしもないことである。
今、忍び足で騎士の背後に回っているニンジャは、卯月れな。普通の人間が、見渡しの良い草原で足音だけ気を付けても、すぐ騎士に見つかってしまうのだろうが、れなの場合は、それだけの意識で十分だった。自身の姿を背景に溶け込ませ、カメレオンのように身を隠す。ニンジャ達にとって基本となる技であり、れなはこの技を最も得意としていた。
騎士の真後ろに辿り着いたところで、れなは足を止め、印を結ぶ。すると、どこからともなく石の破片が飛んで来て、れなの右手に集結し、合体して大きなハンマーへと姿を変えた。ここでようやく、騎士が背後に違和感を覚えるも、既に遅かった。騎士が振り返る間もなく、れなは石のハンマーを振り上げ、騎士の後頭部に強烈な一撃をお見舞いした。誰に攻撃されたのかも分からぬまま、騎士は殴打された衝撃で床に倒れ、失神して動かなくなった。
騎士が気絶するのを確認するなり、れなは土の忍術を解くと、ちょいと手招きをして、すぐそばに隠れている仲間達に合図を送った。程なくして、近くの茂みから他のニンジャ達が現れ、一斉にれなのもとに駆け寄ってきた。
「もう大丈夫なのか?」
りゅうが問うと、れなはりゅうに顔を向けることなく、うなずいた。
「うん……他に外の見張りはいないみたい」
そう言って、れなが見上げるのはバルドロス城の背面である。長年の経験から、城内に潜入するときは、警備の少ない後方から忍び込むのがベストだということを、ニンジャ達は知っていた。高さ二十メートルほどの防壁が唯一の障害としてあったが、ニンジャにとってみれば、その防壁を乗り越えるのはハードル一台を跳び越えることと同じくらい容易かった。
「行くぞ」
なぎさの指示に、一行は無言のままうなずいた。シノクニを出発したときから、できるだけ負担をかけないようにと、りゅうはかすみを背負い続けていたのだが、バルドロス帝国の周辺に辿り着いたところで、かすみは「もう大丈夫です」と言ってりゅうの背中から離れた。
壁を登るのは、木登りをするのと同じ要領だ。手を使わず、足だけを使って一気に駆け上がる。印を結ばない、ニンジャとしての基礎中の基礎である技の一つだった。なぎさが先導して登り、その後を追うように、あかね達も二十メートルの壁を駆け上がった。
防壁の頂に到達すると、バルドロス城の全容が見えてきた。六面体の角に四つの尖塔、そのてっぺんには緑色の旗がはためいていた。ざっと見渡した後、なぎさ達は鉤縄を取り出して防壁の角に引っかけ、それを使ってスルスルと降下していった。一足先に着地し、他の五人が地面に降り立つのを見届けたところで、なぎさはバルドロス城を見上げ、指を差しながら言った。
「あそこから中に入れるな……」
なぎさが指差したのは、少し高い位置に取り付けられた窓だった。大きな窓が四つ、横一列に並んでいる。
「ここからは三手に分かれるぞ」
侵入口を確認したところで、なぎさはあかね達に顔を向け、指示を始めた。
「あかねは俺に、あきらはりゅうに、かすみはれなについて行け。俺の記憶が正しければ、バルドロス城は一階、二階、三階、そして地下一階の四階構造になっているはずだ。俺らは下二つを捜すから、れな達は二階、りゅう達は三階を捜してきてくれ」
「了解!」
六人は小声で返事を返した。
「よし……じゃあ行くぞ」
なぎさが再び、バルドロス城の窓を見上げる。あかね達も一緒に、同じ一点を見据えた。仲間を再び先導するため、なぎさが先に城の壁へ足をかけた、その時だった。
突然、左右から何者かの声が響いた。大勢で呪文を唱える声だった。ニンジャは呪文を唱えたりなどしない――これは敵の、騎士達の声だ。
敵に見つかってしまったことを悟り、あかねは頭が真っ白になった。背後を振り向くと、数人のバルドロス兵達の手から、赤い稲妻が迸り、挟み込むように迫って来ていた。万事休すと思い、あかねは恐怖のあまりぎゅっと目を瞑った。
何かにのしかかられるような重み、大きな轟音……。敵の攻撃にやられたと錯覚したが、しばらくして、まだ意識が残っていることにあかねは気付いた。ぱちりと目を開けると、なんと、なぎさがあかねの上に覆い被さっていた。
あかねは瞠目したままだった。把握しているのは魔法で襲われたのだという一点、後のことは自分が助かったのかどうかすらよく分からない状態だった。必死に状況を理解しようとしている中、横から何者かの甲高い笑い声が聞こえてきた。
「全く馬鹿な猿共だ! 貴様らの考えていることなどお見通しだ!」
あかねが視線だけを向ける。声のした方には、バルドロス兵達を率いるリーダー格の騎士の姿があった。オールバックの黒い髪、腰に細身のレイピア……その人物は紛れもなく、水無月りんを連れ去ったあの男だった。
あかねがゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。すぐそばでは、れな、りゅう、あきら、かすみ、なぎさの五人が、先程の稲妻にやられてか、地面に倒れながら呻いていた。
その一方で、あかね自身の体は何ともなかった――否、なぎさが体を張って助けてくれたのだ。シノクニから出発する前に、「危なくなったらなりふり構わず逃げろ」と言っていたくせに、自分は逃げる気なんかさらさらなかったんだと、あかねは自分の未熟さが嫌になり、ぽろぽろと涙をこぼす。
そして――涙を流したまま、あかねはきっとリーダー格の男を睨み付けた。水無月りんが連れ去られたのも、他の仲間が傷付いたのも、全てこの男によるものなのだ……。そう思うと、あかねは憎しみの感情を抱かずにはいられなかった。あの悦に入った顔をぶん殴りたいという衝動に駆られたが、あかねはその気持ちを精一杯押し殺した。
事実、あきらの不意打ちを易々と見切るような男に、自分なんかでは敵わない。仲間達全員がやられた今、数の差でも分が悪い。逃げるしか手がないのは目に見えていた。ただ……自分の何もできない無力さが、あかねは悔しくて仕方がなかった。
「ほう? まだくたばり損ないがいるようだな?」
あかねが無事であることに気付き、男は嫌みたらしい笑みを崩すことなく言った。それを境に、部下である騎士達が歩み出し、じりじりとあかねに詰め寄っていく。後方からも足音が聞こえた――挟み撃ちだ。もう考える猶予は残されていなかった。
歯を食いしばり、腕でごしごしと涙を拭い、あかねは仲間達に言った。
「皆……ホントにごめん。必ず助けに来るから……!」
ボン! という小さな爆発音と共に、辺りが一瞬にして白い煙に包まれた。あかねが放った煙玉だ。
煙によって、騎士達は視界を奪われ、その場で咳き込みながら足を止めてしまう。その隙に、あかねは煙の中を抜け、先程降りてきた防壁を駆け上がっていった。
防壁を乗り越え、はぁはぁと息を切らしながら、あかねは芝生の上に降り立った。何とかあの場から逃げ切りはしたものの、その代償はあまりにも大きかった。
「私のせいだ……」
膝に手をついて息を整えながら、あかねは呟いた。
「私が『すぐにお姉ちゃんを助けに行こう』って言わなければ……私のせいで、皆が……」
言葉にすればするほど罪悪感ばかりが募っていき、あかねはたまらず、大粒の涙をこぼした。いくら謝っても謝りきれなかった。皆に迷惑をかけてしまったというのに、自分だけが助かったことが、何とも情けなく、そして腹立たしかった。
ふと、あかねが空を見上げると、姿を露わにした朝日が空に漂う雲を突き破り、あかねに力強い光を放っていた。しかし、今のあかねは、その光に希望を抱くことができなかった。
なぎさも、りゅうも、れなも、かすみも、あきらも、そして姉も……皆いなくなった。隣に仲間がいないということが、これほど心細いものだとは思わなかった。これからのことをいくら考えても、絶望感しか芽生えてこなかった。
再び涙を拭うことすら煩わしくなり、あかねは頬を涙で濡らしたまま、とぼとぼと元来た道を引き返した。これからどうしよう? といくら自問しても、これといってまともな返答は返ってこなかった。五里霧中の状態に陥っている中、ふと頭をよぎったのは、姉――水無月りんの、六年前の姿だった。
六年前、りんは初めてなぎさに決闘を挑み、惨敗を喫し、自室で一晩中泣き続けた。そして、りんが打倒なぎさを掲げたのも、その翌朝のことだった。
あの睦月なぎさを打ち負かすなど、普通ならば考えられないことだ。当時の姉も、その目標はあまりにも高いハードルだったに違いないとあかねは思う。それでもりんは、決してくじけることなく、勝つための努力を六年間重ねた。その時のりんの姿を、あかねは振り返る。
あの時の姉にあって、今の自分にないものは何かと、あかねは黙考する。そして、しばらくしてようやく気付いた。なぎさの背中を追いかけている姉は、ひたすらにがむしゃらだったのだ。立ち止まってなどいない。あの時の姉は、前に進むことだけを考えていた。対して自分はどうだろう? ただ現状に絶望し、めそめそと泣いているだけではないか――。
あかねは顔を上げた。そして頬を伝う涙を拭った。覚悟を決め、もう涙を見せることはなかった。
今は絶望的な状況でしかない。だが、それでも前を向き続ければ、いつかきっと、希望の光が見えてくるような気がした。そんな根拠のない希望をあかねが持てたのは、他でもなく、りんの懸命な姿を間近で見てきたからこそだった。
――これまで何度も、そして今も、お姉ちゃんには多くの勇気をもらった。今度はあたしが、お姉ちゃんを助ける番だ。その決意を胸に、あかねは駆け足でシノクニへと向かった。まだ具体的に何をするかは決めていなかったのだが、それでも、もうあかねの心に迷いはなかった。
* * *
あかねの沈黙を紛らわすかのように、ひんやりとした風が木々の枝葉をざわざわと揺らした。――あれからもう、一ヶ月は経ってしまったのだろうか。まさか自分が、あの時のことを人間に打ち明けるなんて思いもしなかったなと、あかねは失笑する。
「なんか、ごめんね。元気付けるつもりだったのに、こんな暗い話しちゃって」
ため息をつきながら謝るあかねに対し、隣で話を聞いていたセラは首を横に振った。
「……あかねさんはすごいです。私が同じ窮地に立たされたら、きっと心が折れて、何もせずに泣き続けていたと思います。でも、それでもあかねさんは、くじけないで一人でバルドロス帝国に立ち向かうと決めて……。本当に、強い人だと思います」
「そ、そうかな……?」
唐突に褒められて、あかねは何だか照れくさくなり、視線を逸らして頬を赤らめた。
「……だけど」
セラの声に反応し、あかねがセラの方に視線を戻す。
「一人でできることは限られています。私も、ラースさんや皆に助けてもらってばかりです。ラースさんに助けてもらっていなければ、私はここまで辿り着くことができなかったと思います。クレスさんがいなければ、ビックスさんとウェッジさんの誤解を解くことはできなかったと思います。たった一人の力は、あまりにもちっぽけです」
セラの言葉を聞き、あかねは思わずうつむいてしまう。
「でも……あたし一人しかいないんだもん。お姉ちゃんもなぎさ達も、皆連れていかれちゃったから……。あたしが何とかしないと、皆を救い出すことはできないもん」
涙声で反論するあかねを見て、セラはくすりと笑った。
「あなたは一人なんかじゃありませんよ。私がいます」
ぽかんと口を開けながら、あかねは涙ぐんだ目をセラに向けた。セラが、あかねの冷えた手を優しく取り、言葉を続ける。
「私だけではありません。ラースさんやクレスさん、ビックスさんにウェッジさん……助けてくれる人はたくさんいます。だから、何もかも一人で抱え込まないでください。もっと私達を頼ってください。私達は、いつでもあなたの味方ですから」
あかねは呆然とした。仲間達を助け出せるのは自分しかいない、協力してくれる味方は誰もいないのだと、今までそう考えていただけに、セラの発言はあかねにとってあまりにも衝撃的だった。同時に、あかねはセラの言葉に救われた気がした。
仲間達と離ればなれになってしまったあの日、あかねはたった一人で戦う決心をした。しかし、完全に覚悟ができていたわけではなかった。……装備を整えるだけの資金は、すでに集まっていたはずである。それでも行動に移せなかった理由を、あかねは改めて考えた。――何を備えるかといった、具体的な案が思いつかなかったからではない。単純に、一人でバルドロス城に乗り込むのが怖かったのだ。最後の最後で、一歩踏み出す勇気が持てなかったのだ。
バルドロス城に乗り込んだ後のことを考えても、悪いイメージしか浮かんでこなかった。自分一人だけでは心細かった。だからこそ、セラのかけてくれた言葉が、握ってくれるセラの手が、あかねにはとても温かく感じた。
「ありがとう……ホントにありがとう……」
目に涙を浮かべながら言うあかねに対し、セラはにこりと穏やかな笑みを浮かべた。
「感謝したいのは私の方です。あかねさんが来てくれなかったら、私は今も落ち込んだままでした。あかねさんの忍術のおかげです」
途端、セラがあかねの手を放して立ち上がった。誰かの大きな呼び声が聞こえてきたからだ。あかねが声のする方に顔を向けると、ラースが木々を潜り抜けて、こちらに走って来るのが見えた。宿屋でのことを謝るラースに対し、セラは「もう大丈夫です」と首を振った。
「行きましょう、あかねさん。皆が私達のことを待ってます」
セラがあかねに手を差し出した。照れながらも、あかねは躊躇することなく、差し出された手を掴んだ。引っ張って起こしてくれたセラに対し、あかねは「ありがとう、セラ」と礼を言った。セラを名前で呼ぶことに、あかねはもう抵抗を感じなくなっていた。
ラースが踵を返し、先頭を切って宿屋へ向かっていった。その後を追うように、セラはあかねの手を握ったまま、走り出した。
セラに引っ張られながらも、あかねはセラの手を拒みはしなかった。人間であるセラを、初めて友達と認め、心を許した瞬間だった。
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