一
二人はしばらくの間、薄暗い森の中を歩き続けていた。セラがどれだけ周りを見渡してみても、見えるのは細々とした木々ばかりで、自分が今どこにいるのか見当もつかなかった。
不意に訪れる、ざわざわと木の葉の触れ合う音、ぱきりと小枝の折れる音に、セラは驚き身を震わせる。時折吹き付ける冷たい風が、セラの背中をなで、恐怖心をさらに募らせる。だが、ラースが先頭を切って歩いてくれたおかげで、セラはこの上ない安心感を覚えることができていた。
──ラースさんについていけば、森の中で迷うことはきっとないはず。その一心で、セラはひたすらラースの背中を追った。
「セラ、少しは落ち着いたか?」
足を止めることなく、ラースはセラに尋ねた。セラはうなずきながら答えた。
「は、はい。まだ少し怖いですが……大丈夫です」
「ならよかった。もう少し歩いたら、湖のある所に着くはずだ。そこで一旦休憩しよう。もう少しの間、頑張れよ」
「……頑張ります」
そう返事をして、セラはラースの少し後ろを歩いた。
しばらく、二人の足音だけが響き渡る。最初のうちは、暗い森の中にいることが怖くて仕方がなかったセラだったが、少しでも慣れてしまうと、それも退屈にすら思えてしまった。
おそらくは湖のある所に辿り着くまで、いや、コナン帝国に辿り着くまでは、この無言の状況が続くのだろう。その間にでも、セラは一つ訊いてみたいことがあった。
「ラースさん」
セラがラースの背中に向かって呼びかける。
「何か用か?」
変わらず、ラースは前を見ながら返事をした。セラはとことことラースの横に歩み寄り、顔を覗き込んで尋ねた。
「ラースさんって、何で世界を旅しようって思ったんですか?」
それを聞き、ラースは少しだけ驚いた。
「あれ……言ってなかったっけか? それ」
「はい。そういえば私も、まだラースさんに訊いてなかったなと思って」
微笑みながら、セラが答える。
「そっか……」
そう呟くと、ラースは自嘲するかのように鼻で笑った。
「多分、聞いてもつまらねえと思うぜ? それに、いまいち理解してもらえるもんじゃねえし」
「いいじゃないですか~。聞かせてくださいよ~」
変わらない様子のセラに、ラースは一つため息をつくと、仕方なく答えた。
「何のために剣があるのか、その答えを探している」
「……へっ?」
思いがけない回答に、セラは間の抜けた返事をしてしまう。
「まぁ、その反応が普通だよな」
一瞬だけ口の端を上げ、ラースは続けた。
「ある男が言ってたんだ。自分が人殺しだと分かっていてもなお、剣を振る。そうでもしないと守れないものがあるって。俺も小さい頃からずっと剣を振っていたけど、男の言うような、剣を振る明確な理由は今まで考えたことがなかった。
とはいえ、その男の言ったことを俺は理解したわけじゃない。剣は人を傷付ける道具だから。でも、剣は人を斬るためだけの道具じゃないとも俺は思うんだ。だから、世界を旅して答えを見つけたいんだ。人を殺さずして守れないものって何か。俺が何のために剣を振っているのか。その答えを」
ラースの旅の理由を聞き、セラは無意識の内に口をぽかんと開けてしまっていた。
「笑いたければ笑っていいぞ、セラ。俺も、自分で訳の分からないことを言ってるって自覚してる」
そう言って、ラースは口元を歪めた。セラはぶんぶんと首を振ったが、ラースはセラの反応を気にしていない様子で、言葉を続けた。
「それに俺、答えを見つけるために、具体的に何をすればいいのかすら、まだよく考えてねえし。だから、しばらくはセラの旅の手伝いをしようって思ってる。それで、セラの方で具体的に何をするかだが……セラ、お前に何か考えはあるか?」
「え、えっと……」
セラは自信なさげに述べた。
「昨日ネムヘブル村にやって来たのは、バルドロス帝国の騎士でした。敵国には行けないですけど、同じ二大帝国であるアルテリア帝国に行って事情を話せば、何か手伝ってくれることもあるんじゃないかって」
セラの考えを聞き、ラースは唸りながら反論した。
「でも、いきなり押しかけて、アルテリア帝国がこっちの事情を信じてくれなかったらどうする? 傍から見れば、俺達が騎士相手に喧嘩を売ったとも見て取れるだろうし」
「うっ。それは……そうですね」
納得して悄然とするセラに対し、ラースは励ますように笑いかけながら言った。
「そこでだ、セラ。一度兄貴に会ってみないか?」
ラースの提案に、セラは目を丸くする。
「ラースさんのお兄さん、ですか?」
「ああ。騎士になるって言って、イーストに行った兄貴さ」
騎士という単語を耳にし、セラは少し不安の表情を浮かべた。それを見かねて、ラースは一つ鼻で笑って言った。
「昨日のこともあるし、騎士って聞いてもあんまり快く思わないかもしれねえけど。それでも、兄貴だけは別だよ。兄貴は信用できる。いいやつだ。きっと、今回のことも力になってくれるはずだ」
セラは少し迷ったが、やがて、ラースの提案に対しこくりとうなずいた。情に厚いラースがそう言うのだから、ラースの兄もきっと同じような善人に違いない。
「問題は、その兄貴が今どこにいるかなんだよな……」
ぽりぽりと後頭部を掻きながら、ラースはぼやいた。
「もしかしたら、何かの任務でイーストを離れているかもしれねえし……。兄貴がバルドロス帝国の方に付いている可能性もある。おそらくはアルテリア帝国の方だと思うんだけどな」
「どうしてアルテリア帝国だと思うんですか?」
セラの問いに対し、ラースは一瞬答えるのをためらったが、隠すことでもないなと思い、仕方なしに話した。
「別に大した理由じゃねーよ。俺の親父がアルテリア帝国の騎士だったんだ」
「えっ……!」
セラは息を呑んだ。
「生まれたときから、ずっとイーストにいて一度も会ったことのない親父だ。アルテリア帝国の騎士だってのも、俺がガキだった頃に母さんから口伝てに聞いただけで、どんな人物なのか全然知らねえ。十五年前に俺らが戦争の被害に遭ったときも、親父は助けに来てくれなかった──来られない事情があったんだろうけどな。もしかしたら、とっくに死んでしまってるのかもしれない」
「そ、そんな……」
セラが暗い顔をしたのを見て、ラースは慌てて話題を戻した。
「とにかく、俺が言いたいのは兄貴がアルテリア帝国の騎士団にいるだろうって話だ。だから、まずはアルテリア帝国をまっすぐ目指そうぜ。城内に入ることはできなくても、兄貴が騎士団にいるかどうかの確認だけでもできるはずだ」
そう言って前を向くと、先の道が下り坂になっているのが見えた。ラースは顔を綻ばせて安堵した。
「やっと着いたか……セラ、さっき言った湖の所に着いたぞ」
ラースの呼び声に、セラは顔を上げた。下り坂を下りると、道は円状に広がり、その真ん中には、大きな澄んだ湖があった。木の葉に覆われずに差し込む日の光を受け、湖はきらきらと光り輝いていた。
「綺麗……!」
ノアールの湖を初めて見て、セラは顔を輝かせた。
「休憩するにはうってつけの所だろ?」
ラースが言うと、セラはあどけない笑顔でうなずいた。セラがまた元気になってくれたのを見て、ラースは胸を撫で下ろした。
バッグを地面に下ろし、湖の近くに来て見てみると、湖は向こう側の端まではっきりと見えるほどに透き通っていた。中にいる小魚達も、心なしか気持ちよさそうに泳いでいるように見えた。
「んじゃ、しばらく休憩だな……」
ふうと一息ついて、ラースは湖の前に腰を下ろし、後頭部で手を組んで仰向けに寝そべった。セラも続いて、ラースの横にちょこんと座った。
ラースが目を閉じてみると、森の鳴き声が耳に入ってきた。小鳥のさえずりが頻りに聞こえる。樹木達は、森の中を掻き分けて通るそよ風に揺られ、その枝葉を踊らせていた。一つ、鼻で大きく深呼吸を試みると、鼻を通過する森の空気は純然さに満ち、微塵も汚れを感じさせない。
森の中も、案外悪くないもんだな──。心地よい気分を留め、ラースは身体中に巡らせた空気を、また鼻を伝って吐き出した。
ふと、これからのことについて考えてみる。前にラースがリバームルの人達とここに訪れたとき、この場所はノアールの中間地点でもあるという話を聞いたことがあった。それが本当ならば、先程と同じ時間をかけて歩けば、ノアールの森を抜けることができる。だが、それはノアールの中での話であって、森を抜けてからのことを考えると、コナン帝国に辿り着くのにはまだまだ時間がかかることだろう。
今の時刻が気になり、ラースが左腕に着けている時計に目をやると、その短針は十一時を差していた。
──あまり、休んでばかりいるわけにもいかないか。
ここから先の道のりの中で、この場所のように休憩できるような所はなく、ここからコナンまではノンストップで歩く必要がある。その事を考えると、やはり、今のうちにやれることはやっておいた方がいい──そう思い、ラースは今やっておきたいことはないかなと、考えを巡らせた。
「昼飯……」
考えた末、思い浮かんだことがそれだった。
「セラ、ここでもう昼飯を食べよう」
上半身をむくりと起こして、ラースはセラに言った。
「お昼ご飯ですか?」
「あぁ。どうせここ以外に、休憩できる所はないだろうしな」
「……あっ」
すると急に、セラはあることに気付き声を上げた。
「ら、ラースさん! ごめんなさい! お昼ご飯のこと、考えてなくて……用意するのを忘れてしまいました!」
慌ててセラは謝ったが、そんなセラの言葉に動じることなく、ラースは鼻で笑う。
「大丈夫だよ。どうせそうだろうと思ってな、ちゃんと二人分持ってきた。まぁ、昨日と続いてのサンドイッチだけどな」
「えっ……ほ、本当ですか?」
「本当だって。だから安心しな」
それを聞いて、セラはほっと胸を撫で下ろした。
──まぁ、セラの作ったものを食べるつもりがなかっただけだけどな……。
セラに見えないように、ラースは冷や汗をかきながら口の端を上げる。二人分作ったのは、そのついでなのだとはセラに言うまい。
「どうするセラ、ここで食べちまうか? まだ早いってんなら、後で歩きながらでも構わねえけど」
ラースの問いかけに、セラは首を横に振った。
「いえ。私、今からでも大丈夫です」
「そっか。じゃあ早速昼食にしよう」
そう言って、ラースはバッグからサンドイッチを取り出すため、バッグの置いてある方に手を……。
「あれ?」
バッグを置いていた方を向いて、ラースは目を丸くした。つい先程、自分達がそこに置いたはずの荷物が、忽然となくなっていたのだ。
「オイ……ちょっと待てよ……!」
ラースは焦りを募らせた。すぐに立ち上がって辺りを見渡してみるが、それらしき物は見当たらない。
「どうかしましたか?」
事態にまだ気付いていないセラが、きょとんとした顔でラースに尋ねる。
「セラ、大変だ。俺らの荷物がない!」
「えっ……!」
ラースの言葉を聞き、セラも唖然した。
「クソッ……! あれがないと、宿に泊まる金すらねぇぞ!」
憤りを露にしながら、ラースは再び自分達の荷物を探す。セラもラースと一緒に、辺りを見渡し始めた。
「ら、ラースさん!」
不意に上げられたセラの声に反応し、ラースはセラに顔を向けた。
「あそこに……誰かいます!」
そう言って、セラは周囲に生えている木々のうち一本を指差した。
「何……?」
すぐさま、示された方向を確認してみる。
すると、はっきりは見えないが、確かに人影があった。その人影は、目にも止まらぬ速度で、木の幹を一気に駆け上がっていった。一瞬にして枝葉のところに辿り着くなり、人影は方向を変え、隣にある木々の枝に次々と飛び移る。
しかし、三本目の枝に足を踏み込んだところで、人影は足を滑らせた。
「あっ」
人影の重心が崩れる。
「ぎゃーっ!」
人影は、枝葉を巻き込みながら落下していった。呆然とするラース達の視線の先で、その人影は地面に腰をしたたかに打ち付けながら、姿を現した。
「ったた……」
打ち付けたところを手で擦りながら、その人物は苦痛で表情を歪ませる。人影の正体は、ラースの肩にも届かないほどの、かなり小柄な女の子だった。
ラース達は、女の子の身なりにしばらく見入ってしまった。ポニーテールの髪型で、額には額当てを巻いている。格好は、鎖帷子に黒のスパッツ、その上に袖のない布地の服と、何とも異質なものだ。だがそれ以上に、ラース達はある物に目が行った──女の子の右手には、自分達の荷物が二つとも握りしめられていたのだ。
すると、ラース達の視線にようやく気付いたのか、女の子は顔を上げた。ラースと目が合い、数秒の沈黙が流れる。
「……ゲッ」
「オイ、お前……」
声をかけようとした瞬間、女の子は腰に着けていたポーチから白い玉を取り出し、それをラース達に放った。小さな音を立て、その玉からは勢い良く煙が噴出した。
「うわッ!」
突如、辺り一面を覆った煙に、ラース達の視界は一瞬にして遮られてしまった。煙が喉の奥を刺激し、二人は何度も咳き込んでしまう。
「へへーんだ! あたしがそう簡単に捕まるわけないだろ?」
煙の外側から、女の子がラース達に向かって叫ぶ。
「女ニンジャ水無月あかね、シノクニの誇りを胸に、只今参上! アンタらのお荷物は、あたしが頂くからね~!」
そう言い残し、女の子は樹間をかき分けて、奥の方へ逃げて行った。
あかねと名乗った女の子が姿を消したことに、ラース達が気付いたのはそれからしばらく後のことだった。ようやく煙が落ち着き、再び目を開けた頃には、既に女の子の姿はなかった。
「ヤロォ……誇りを胸に、とか言いやがったな……?」
ただのこそ泥に大層な決め台詞を言われ、ラースは煽られているとしか思えずに青筋を立てた。
「セラ! すぐにあの泥棒猫を取っ捕まえるぞ!」
ラースが怒りを露わに呼びかける。しかし、そんなラースとは対照的に、セラはその泥棒猫に目を輝かせていた。
「凄い……あんな子がいるなんて……!」
「いや、何感心してるんだよ。このまま逃げられたら、旅が続けられなくなっちまうんだぞ!」
「あっ……そうでした、スミマセン」
そう詫びると、セラは目の色を変えた。
「泥棒はよくないですっ!」
何だか言っていることがずれている気がしたが、ラースは突っ込みを入れるのを控えた。
「追いかけるぞ!」
この際、時間がどうとか言っていられない。二人は後を追うため、道を逸れて樹木の生える方へと駆け出した。
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