四
外が満天の星空に包まれるようになった頃、ラースは一人で村長の家へと向かっていた。
近くまで来たところで、ラースは村長の家を見上げる。村長の家はとても小さく、家というより小屋と言った方が相応しいほどだった。火で明かりを得ているのか、小窓から見える光がゆらゆらと見え隠れしていた。
「ここか……ここに村長さんがいるのか」
そう呟くと、ラースは戸口の扉へ歩み寄り、コンコンと二回ノックした。ギイと木の軋む音が聞こえた後、ほどなくして扉が開かれ、杖を突いたしわだらけの老人が姿を現した。この人が村長かとラースは察した。
「おや……見ない顔だが、誰かね?」
温かみのある声で、村長はラースに尋ねた。
「いきなり邪魔して悪い……俺はラース。今日、この村に来たばかりの旅人だ」
そう答えると、村長は思い出したように「あぁ」と声を上げ、うなずいた。
「聞いておるよ、おぬしのことは。セラやニーナを助けてくれたんじゃろう?」
ありがとうと礼を言い、村長はラースを快く家の中に招き入れた。
中は一部屋だけだった。床にはふかふかの赤いじゅうたんが敷かれていて、隅では暖炉の火がパチパチと音を立てて燃えている。居心地のいい所だなとラースは感じた。
「何もない所じゃが……さ、かけなさい」
暖炉の前にある揺り椅子に腰かけながら、村長はそばに置いてある四本足の丸椅子を手で示し、ラースに座るよう促した。言われるがまま、ラースは丸椅子に腰かけ、村長と向き合った。
「わしに何か用かな?」
ゆっくりと前後に揺れながら村長が問うと、ラースはこくりとうなずき、おもむろに口を開いた。
「アンタなら、きっと何か知っているんじゃないかと思ってな」
「何をかね?」
首を傾げる村長に対し、ラースは前のめりになって言った。
「セラ・マリノアのことだ」
揺り椅子の動きがぴたりと止まった。
「騎士は王命に従って動く……そう騎士達は言っていた。それが本当なら、騎士達がセラを連れ去ろうとしたのは、国王の意思によるものだってことになる。セラに何か秘密があることを、帝国の王は既に知っているんだ」
「うむ……」
村長は眉をひそめ、うつむきながら唸った。
「俺も、思い当たる節がある」
ラースの言葉を聞き、村長は顔を上げた。
「セラの使う、傷を癒す能力……あれはただの魔法なんかじゃない」
確信を持って、ラースは話した。
「俺は昨日、とある男が魔法を使っているところを見た。魔法は呪文を唱えることで発動する――。その男も、魔法を使うときはブツブツ呟いて、呪文を唱えていた。
だが、セラの方はどうだ? アイツは『呪文を唱えてなんかいない』……ただ、『手をかざしただけ』なんだ。それだけで普通、魔法を発動させることはできない。だけど、セラにはそれができた……。もしかすると、セラの秘密はそれに関係していることなのかもしれない」
村長は視線を落とし、鼻で一息ついた。
「……おそらくは、おぬしの言う通りなのじゃろう」
少しして、村長が口を開いた。
「アンタは……セラの秘密を知っているのか?」
ラースの問いに対し、村長は首を横に振った。
「すまんのう。おぬしと同じで、わしもあの子については『何か秘密がある』ということしか分からぬのじゃ」
それを聞いてラースは気落ちしたが、ふとあることに気付き、すぐに別の質問をした。
「なら、アンタがそれに気付いたきっかけは何だ?」
セラが騎士達に襲われたのは、つい十数時間前に起こった出来事である。セラに秘密があることを村長がすでに知っているということは、今日の事件よりも前に、セラのことを知るきっかけとなる出来事があったということになる。
「なかなか鋭い若造じゃて」
どうもその通りだったらしく、村長は肩を揺らしながらそう言った。そして、村長は思い出すかのように顔を上げ、呟いた。
「あの時のことは、その場に居合わせていた者達だけの秘密にしておくつもりだったのじゃが……今となってはそうも言ってられんの」
「教えてくれるか、じいさん? その時のことを」
ラースが訊くと、村長はラースに顔を向けて「うむ」とうなずき、語り始めた。
「『あの頃』の……そう、ちょうど十五年前の話じゃ」
「『あの頃』……だと?」
目を丸くするラースに対し、村長は「左様」と言ってうなずいた。
「帝国の騎士が、見境なく世界中の村や街、国々を襲撃してきた『あの頃』……ネムヘブルにも騎士が押し寄せて来ての。その時のわしらは、自分達の村を守ることでいっぱいいっぱいじゃった。
戦争が終わった後も同じじゃ。再び騎士が襲撃してくることを恐れ、わしらは常に細心の注意を払っておった。そんなときじゃよ、あの男がやってきたのは」
「あの男?」
ラースが口でなぞると、村長は無言のままうなずき、そして言葉を続けた。
「一人の男が、女子を背負ってネムヘブルにやって来たのじゃ」
村長の言葉に、ラースは息を呑む。
「わしらが騎士の襲撃を警戒していた最中……突如として、その男は現れおった。はじめ、そのことを村の者から聞いたとき、戦争で家を失った者がここに流れ着いてきたのだとわしは考えた。じゃがの、寝床を探すのならば、リバームルやコナン帝国など、ここよりももっと豊かな場所があったはずなんじゃ。
そこがどうも引っかかっての。わしはその男に会ってみることにした。男の背中には、二つ、三つほどの子がすやすやと眠っておった。じゃが、肝心の男の方は、藁にも縋る思いというより、何か思い詰めている様子での。自分の寝床を探してさまよっているようにはとても思えなかったのじゃ。
だから、わしはあえて『何の用じゃ』とだけ尋ねた。そしたら、予想通り斜め上の返答が返ってきたよ。その男は、『この子をネムヘブルの一員にしてほしい』と言ったのじゃ。『おぬしはどうするのじゃ』と訊いたら、男は『私にはまだやるべきことがある』と答えた。
その『やるべきこと』が何なのか……男は答えようとしなかった。男は固く口を閉ざしおった。そして地面に跪き、『どうかこの子を引き取ってほしい』とだけ言って、男は頭を下げたのじゃ。強い信念を持った男じゃと、わしは思ったよ。男の懇願を断ることもできず、結局わしは、その子を村の一員として迎えることにしたのじゃ」
両手の感覚を取り戻すように握り拳を作りながら、ラースは口を開いた。
「……その時にアンタは知ったんだな? その女の子の名前が、セラ・マリノアであることを」
「そうじゃ」
村長はうなずいた。
「男が名を教えてくれた。そして、女子に別れを告げると、男は足早にネムヘブルを去っていった。
それから、その男が再びここに訪れたことはない。託された子はしばらくわしが預かり、十五を越えた頃には、空いた家を与えて住まわせた。……今となっては、あの男のことなどもうどうでもよいとさえ思えた。あの娘はネムヘブルで生まれ育ったセラ・マリノアなのだと……本気でそう思えるようになったのじゃ」
村長が肩を落としながら、言葉を続けた。
「じゃが……ここに来て、ある一つの出来事が起こった」
「騎士……だな?」
ラースが言うと、村長はゆっくりとうなずき、そして大きくため息を吐いた。
「あの時の記憶をようやく忘れ去れそうってときにじゃよ……。おかげで、あの記憶が逆に根強く残ってしまったわい」
うなだれる村長に対し、ラースはどう声をかければよいか分からず、うつむいて黙り込んでしまう。
「……じゃがの」
村長の言葉に、ラースは顔を上げた。
「今日までに忘れてしまう前に、おぬしのような者にあの娘のことを話せて良かった……わしはそうとも思っておるよ」
「……じいさん」
途端、村長が揺り椅子ごと体をラースに向け、目の色を変えて言った。
「おぬしに頼みたいことがある」
「何だ?」
ラースが問うと、村長は真剣な態度をそのままに答えた。
「あの子を……セラ・マリノアを、おぬしの旅に連れて行ってあげてほしいのじゃ」
「セラ……アイツをか?」
ラースは思わずぽかんと口を開けてしまった。
「おぬしが旅のついでに確かめてあげるという方法もあるやもしれぬが、それよりも、あの子もイーストに行くことで、あの子自身が何か気付くことがあるのではなかろうか? ……わしはそう思うのじゃ」
「あ……」
村長の言う通りだとラースは納得した。
「じゃが、かといってあの子だけで旅をさせても、あの子に何があるか分かったものではない。もしおぬしがセラと一緒に行ってくれるというのであれば、これほどありがたいことはない……」
ラースはそっぽを向いて、後頭部を掻きながら言った。
「つまり……セラを守ってくれと。そう言いたいのか?」
「うむ、その通りじゃ」
村長は大きくうなずいて言った。それを聞き、ラースは軽くため息を吐いた後、村長に目を向けて言った。
「まぁ、俺としては別についてきても構わねえんだが……俺らだけで決めることじゃねーだろ。まずはアイツ自身がどう思っているか、確かめるべきじゃないのか?」
「そういうことだったら心配ないぞ」
突如、玄関の方から第三者の声が聞こえた。驚いたラースが、声のした方に目を向けると、視線の先にはトーマスの姿があった……なんと、セラも一緒だ。
「さっき、セラちゃんが俺に同じことを相談してくれたんだよ」
「同じことだと?」
トーマスの言葉に、ラースは目を丸くする。
「あぁ。だから、そういうのは本人に直接打ち明けたがいいんじゃないかって……ほら、セラちゃん」
トーマスが、後ろにいるセラに促した。それに対しこくりとうなずくと、セラはゆっくりとラースに歩み寄り、すぐそばで足を止めた。
「ラースさん……」
ラースを真剣な眼差しで見つめながら、セラは言った。
「私も一緒に、旅に連れて行ってもらえないでしょうか?」
村長と全く同じ言葉に、ラースは唖然とした。しかし、セラのまっすぐな目を見て、彼女が本心でイーストに行くことを望んでいるのだということをラースは理解した。
「……今日、俺達は騎士に喧嘩を売った。これから先、どんな奴らが俺らに牙を剥くのか分からない。それでもいいんだな?」
ラースの言葉を聞き、セラの目が揺らぐことはなかった。
「……分かったよ」
大げさにため息をついて、ラースは言った。
「構わねえぜ。ついて来ても別に」
「あ……ありがとうございます!」
断られると思っていたのか、セラは心の底から安堵し、そしてラースに頭を下げて礼を言った。
「よかったなぁ、セラちゃん」
そうトーマスが声をかけると、セラはトーマスに晴れやかな笑顔を向け、大きくうなずいた。トーマスもセラに笑顔を返したが、その笑顔が無理して作られたものであることに、ラースは気付いた。
それもそのはずである。セラがネムヘブルを旅立つということは、トーマスも含め、村の者達がセラと離ればなれになるということなのだ。そんなことを、トーマスが望むはずがない。しかし、それでもトーマスは、自分の気持ちを押し殺してセラの意思を尊重したのだろう――そうラースは察した。今のトーマスは、昨夜のマルクと同じである。
「ごめんな、トーマス。俺らの勝手な都合で……」
「う……うるせえ! 別に何とも思ってなんかいねーよ!」
ラースが詫びると、トーマスは自分の気持ちを隠すように怒鳴りながら、ラース達に背を向けた。
「セラちゃんが行きたいならそうさせる、それだけのことだろ! いちいちそうやって謝ることなんかないじゃないか!」
トーマスの言葉を聞き、セラがはっとした表情を見せた。ようやく、セラもトーマスの本心に気が付いたのだろう。そして、それを知ってセラが何も感じないはずがない。トーマスに体ごと向け、セラは心底申し訳なさそうに言った。
「トーマス……ごめんなさい……」
トーマスは目を見開いた。セラから謝罪されるなど、トーマスにとって考えもしなかったことだった。
しかし、セラは確かな理由を持って旅に出ようとしている――何も間違ってなどいない。セラがイーストに行きたがっているのを、自分の都合だけで止めることの方が大きな間違いだと、トーマスは分かっていた。分かっていたからこそ、セラを止めたくても止めることのできない今の状況が、トーマスは耐えられなかった。
「……俺、もうここにいなくていいよな。先……帰るよ」
セラ達の方を振り向くこともないまま、トーマスはそう言い残して、とぼとぼと村長の家を後にした。
「トーマス……」
セラはやりきれない様子だった。うつむいて閉口するセラに対し、ラースは何と声をかければよいか分からなかった。しばらく、その場は重苦しい沈黙に包まれた。
「……ラースと申したな。わしらの頼みを受け入れてくれたこと、感謝しておるぞ」
しんみりとした空気の中、村長が話を切り出した。
「あ、あぁ……」
ラースはぎこちなく返事を返した。
「それで、出発はいつにするのじゃ?」
村長が問うと、ラースは腕を組んで考え込んだ。
「そうだな……俺自身、ここに長くいるわけにもいかねえ。もしセラも特に問題がなければだが……明日にはもうここを出ようかと思ってる。セラ、それでいいか?」
ラースが訊くと、セラは「分かりました」と言ってうなずいた。
「決まりだな」
そう言って、ラースは立ち上がり腰を伸ばした。
「セラの家に戻ろう。とっとと身支度をして、明日の朝にはここを出られるようにしとこうぜ」
「あ……ラースさん!」
セラが急にラースを呼び止めた。
「その……ここを離れる前に、一つやっておきたいことがあるんです」
セラの言葉に、ラースは首を傾げた。
「別に構わないが……何だ?」
ラースが訊くと、セラは寂しげな笑みを浮かべながら、答えた。
「子供達に……頼みたいことがあるんです」
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