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空には爛々と煌めく星と三日月が登っていた。
蛇骨の軍勢は昨日蓮ちゃんのお兄さんが話していたとおり、明日にはこの城を攻めにやってくるようだ。
こんな道が狭くて数の利が活かせない城に愚直に攻め込むなんて敵は何を考えているんだか。
籠城戦ってのはハマグリみたいなものだ。力で無理やり開けようとしても殻が硬くて中々開かない。だから火で炙って殻が開くのを待つように籠城戦もどちらかが根をあげるのを待つしかない。
だというのに敵は強引に攻めてくる。
敵の頭がおかしいのか何かそれとも何か必勝の策でもあるのだろうか?
俺にはその策が思い浮かばないけどな。
まぁ恋愛においても待っているだけではダメだけど。時には強引にいかなければ振り向いてもらえない。かといって強引過ぎれば嫌われる。
まったく、恋愛ってのは戦争よりもはるかに難しいぜ。
「何を唸っているのですか。もうすぐ出陣ですよ」
俺が恋愛の難しさについて真剣に考えていると俺の隣にいた栞那があきれるような顔で話しかけてきた。
「いや、恋愛ってのはままならないなと思って」
「はぁ?」
何を言ってるのだこいつはといった目で見てくる栞那。
「まったくあなたという人はこんな時に何でそのようなことを考えているんですか」
「……ふむ。確かに何でこんなことを考えているんだろうな?」
俺にもわからない。
これから奇襲作戦のために出撃するというのに心は不思議と落ち着いている。普通ならこれから勝算の少ない戦に臨むことで不安と緊張でいっぱいいっぱいになるはずなんだけど。
「お前がいるからかな?」
「えっ?」
辺りを見回せばこの作戦の意味を十分理解して決死の覚悟で集まった精鋭ばかり。もし栞那いなければ俺も周りの空気に飲まれてもう少し固くなっていたかもしれない。
「ありがとうな、一緒に戦ってくれて」
正直栞那がこの奇襲作戦にいるとは思わなかった。栞那のことだから流民部隊の連中と一緒にここに残って戦うものだと考えていた。だから今日蓮ちゃんに召集されて集合場所に来た時に栞那がいて驚いた。
「べ、別にあなたに感謝される筋合いはありません」
そう言って栞那はそっぽを向くがこころなしか耳が赤い。
「……今のは……ずるいです」
「ん? 何か言ったか?」
栞那がぼそりと何かを呟いたが聞き取れなかった。おかしいなチカちゃんの言葉を聞き漏らさないために鍛えた聴力でも聞き取れないなんて。
「なんでもありません。それよりもこれで本当に川を下るのですか?」
そう言って栞那は自分が乗っているデカ鳥に視線を向ける。
そう、俺たちは全員デカ鳥に乗って今かと今かと出陣を待っている。
「川を下るって言ってもこの城の後ろにある川は敵が侵入できないように崖の下にあるから高さがかなりある」
目視でだいたい五〇メートルぐらいはある。
「そんなところに筏とか作っても降ろせないからな。もちろんデカ鳥の身体には竹筒を巻いて浮力を確保してあるから水に沈む心配はないはずだ……たぶん」
本来は人間に竹筒を巻いていくつもりだったけど川を下った後に移動手段が欲しいからデカ鳥に竹筒を取り付けることになったんだけど肝心のデカ鳥が水に浮かぶ実験も時間がなくてやっていない。一応念のために鎧とかは着ておらず持っていく物は最低限の武器のみ。後は全て現地調達だ。
「たぶんですか」
「……ああ」
俺自身不安がないといえばウソになる。
如水城までたどり着く以前にヘタしたらこの川を下るだけで命を落とす危険性だってある。辺りは暗く下の川までよく見えない。一応この辺りには岩もない比較的安全なポイントだが見えないということ恐怖だ。飛び降りる際に怖気づくことだってある。
そんな安心も安全もない不安定な中俺たちは進まなきゃならない。
俺だって死ぬのが恐くないわけない。生きて誰かを好きになって幸せな家庭を築いてみたい。だがその前に俺は何が何でも馬頭との約束を果たす。じゃなきゃ俺は自分を一生許せないだろう。
「栞那」
「何です大和」
「もし死ぬのが恐かったらここに残ってもいいんだぞ」
「何を馬鹿なことを言っているのですか。私は自分が死ぬよりも……」
栞那は言葉の途中でチラリと俺の顔を見ると突然押し黙る。
「どうした? 自分が死ぬよりもなんだ?」
「……いえ、それよりも蓮殿が来たようです」
栞那の言葉の先が気になったが栞那の言う通り蓮ちゃんがやってきた。蓮ちゃんの後ろには蓮ちゃんのお兄さんや紫苑の姿もあった。見送りだろうか。
「皆の者、準備はよいな」
夜の静寂の中蓮ちゃんの透き通った声が響き渡る。俺たちは敵に悟られないため声を出さず黙って頷く。
「我々はこれよりあの川を下り敵の居城である如水城まで一気に駆ける。これから先の道のりは険しく厳しい道のりだが一人たりとも遅れるな。我々が負ければ鳥綱の国に明日はない! そのことを胸に刻んで戦うのだ」
そう力強く明言すると蓮ちゃんは紫苑に頭をたれる。
「では紫苑様。行ってまいります」
「ああ。頼んだぞ」
と何でもないことのように紫苑は言うが、その瞳はどこかさびしげな光がおびているような気がする。俺の気のせいかもしれないが。
一方の蓮ちゃんは決意を強め表情が一層険しくなる。
「はっ! 行くぞ! 皆の者は私に続け!」
蓮ちゃんはそう宣言しデカ鳥を走らせ真っ先に暗闇で下の見えない川へと飛び込んでいく。そしてそれに続く様に俺たちは川へと飛び込んでいった。