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大和が蓮と信助と話をしている頃、蛇骨の国の軍勢の譜代家臣達が集まっている陣幕の中に一人の人物が入って来た。
その人物の顔は幼く、格好も黒で塗りつぶした陰陽服で、折れた肋骨が痛むのか歩くたびに激しい苦痛に襲われ表情が歪むが歩みを止める様子はなく瞳は怒りの感情を灯している。
「どういうつもりです」
陣幕に入るなり声を荒げるまだら。
そんなまだらの登場にこの陣幕で一番上座に座る男――蛟艦水が小馬鹿にしたように笑う。
「はて? どういつもりとはなんのことだ? 評定の邪魔をするというのなら出て行ってもらおうか軍師殿」
「何が評定です? 僕はこのまま態勢を整えつつ蛇斑城をを包囲し敵の兵糧が尽きるのを待てばいいと指示を出したはずです。敵の数からいって一月もあれば兵糧も尽きるのですから評定などする必要はないのでは」
まだらはそう言って周囲にいる武将達を見回すが、ニヤニヤと笑みを浮かべる者や俯いてこっちを見ない者ばかりで眉をしかめる。
「一月ねぇ」
そんなまだらの思考をさえぎるように艦水は意地を悪い笑みを浮かべる。
「お前の言葉は本当に信用できるのか? 先の戦であれだけ策を弄したにもかかわらず結局敵には逃げられちまったお前の言葉をよ? もしお前の予想が外れて二月も三月分の兵糧があったらどうすんだ? 俺たちはその間ずっとここにいなきゃならないんだぞ。戦だってただで出来るわけねーんだ。長引けば長引くほど金が余計にかかっちまう。だったら多少強引でも力攻めで短期に戦を終わらせた方が安上がりじゃねーか?」
「若の言う通りですな」
家臣の一人が艦水の意見に同意するとそれに続いて他の家臣達も艦水に賛同する。
「そうですな。敵はもうすでに死に体。ここは一気に攻めるのが上策かと」
「確かにその通りですな」
「若の意見に賛成ですな」
「……」
そんな様子を見ながらまだらは汚物でも見るかのように賛同する家臣に下げ荒んだ視線を送る。
今賛同した連中は次期当主である艦水に媚を売ろうとしている連中ばかりで先のことなど何も考えていない。
「死に体とはいえ相手はあの千鳥家の当主です。迂闊に手を出せば足元をすくわれ火傷ではすまないかもしれません」
「はんっ! 何が千鳥家だ。父親を殺して家督を奪ったあの紫苑ってやつに何を恐れてやがる。あんなやつより俺の方が優れているに決まっている」
「その通りです!」
「親殺しという大罪を犯した人間が若より優れているはずがありませぬ」
「ははっ! そうだろう」
家臣におだてられていい気になる艦水。それを見てまだら心底呆れる。
「……愚かな」
思えばまだらはこの艦水という男が大嫌いだった。
何かにつければ次期当主ということを掲げて我儘放題にやり、自分の都合のいいことしか言わない人間の話を聞き諌言には耳を貸そうともしないお山の大将。自惚れて問題ばかりを起こす馬鹿。
親である傭水もそれを知っているからこそ家督を譲ってはいないが、傭水は子宝に恵まれず跡目は必然的に艦水ということになる。そしてその傭水も病に伏しており余命は長くはない。
今回の戦でも本来なら総大将を任されるのは跡取りの艦水だったのだが、あまりにも考えなしのためまだらが総大将として戦に赴くことになったのだ。
名将と名高い蛟傭水の唯一の汚点、それが息子蛟艦水なのだ。
その点千鳥家の当主である千鳥紫苑は末恐ろしい人間だ。民を顧みず国を滅ぼしかけた愚かだった父を殺し当主になってからは次々と改革を行って国を建てなおした傑物。だからこそここで息の根を確実に止める必要がある。もしこのまま紫苑が生き延びれば跡取りに問題のある蛇骨の国は間違いなく滅ぼされる。だから千鳥紫苑を確実に殺す必要があった。
そしてそれが孤児であった自分を育ててくれた傭水への恩返しなのだとまだらは考えていた。
「いいですか。敵の籠城する蛇斑城は小さいですが山と川に囲まれた城で攻めにくく守りやすい城です。そのような城に迂闊に手を出せばこちらの兵の犠牲が増えるだけです。お館様はそのようなことは望んではない。多少の金銭よりも兵の命を優先するのがお館様の方針でもありますから」
毅然とした態度で反論するまだら。そのまだらの態度が気に入らなかったのか艦水は床几から立ち上がるとまだらの元へと歩み寄る。
「ああそうだ。親父ならそうするだろうよ。民あっての国。ってのが親父の口癖みたいなものだからな。けどな、親父は今ここにはいねぇ。つまりこの中で一番偉いのは俺だ。わかるか?」
「わかりません。僕はお館様から此度の戦の全権を任されています」
と言ってまだらは蛟家の家紋が入った軍配をみせる。
「この軍配は蛟家の家宝の一つ。それを僕が持っているということはお館様の信頼の現れ。次期当主だろうと勝手は許しません」
ピシリと軍配を艦水の眼前に突きつけるまだら。
「あー、そうかい。残念だなぁ」
軍配を突きつけられた艦水はやれやれと肩をすくめてると、まだらに向けて蹴りを繰り出す。
「っ!」
まだらはとっさに呪術を発動させようとするが折れた肋骨の痛みに気を取られて術を上手く発動できなかった。
「……かはっ!」
抵抗できずに蹴り飛ばされたまだらはそのまま地面を転がると艦水に顔を踏まれる。
「お前がもっと従順だったらこんなことをしなくてすんだんだけどな」
「……っく。こんな……ことをして……お館様は黙ってないぞ」
「残念だが親父にはお前は先の戦の怪我が原因で死んだって報告しておいてやる。戦場じゃ別に珍しいことじゃないだろ」
戦場で受けた傷が悪化して死ぬなど戦場ではよくあることだ。
しかしまだらも艦水が愚かだと思っていたが味方である自分にここまで愚かなことをするとは思っていなかった。
「くそっ……たれ……」
「はっ! まだ意地を張れるのか」
と艦水は言って腰に差していた刀を抜く。
「敵には感謝だな。目障りなお前を負かしただけでなくこうやって始末しやすいように怪我まで負わせてくれたんだからよ」
ねめつける様に刀をまだらの身体にはわせて恐怖を煽ろうとする艦水。そしてそこで艦水はあることに気が付く。
「……ん? お前女だったのか。道理で整った顔立ちをしているわけだ」
まだらが女だということを知って艦水はいやらしい笑みを浮かべて唇を舌で舐める。
「……どうした? 早く殺せ」
「気が変わった。お前には女の悦びを教えてやろう。おい! こいつを拘束しておけ。呪術が使えないよう拘束具をつけておけ」
「この下衆め」
「この戦が終わったら愉しんでやるから女であることに感謝するんだな」
と艦水は言うとまだらの折れた肋骨を思い切り蹴りつける。
「……っ!」
まだらはそのあまりの激痛に気を失った。