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「……はぁ」
翌朝、朝の日差しが燦々と降り注ぐ自室で栞那は昨夜のことを思い返しため息を吐いていた。
「なんで大和はあの時私に一緒に戦ってくれと言ってくれなかったのだ」
昨夜大和が栞那に言った作戦は成功する見込みは限りなくゼロに近く生き残れる可能性はほとんどない行き当たりばったりのひどい作戦だった。そんな戦いに赴けば死が待っているだけだ。しかしそれでも栞那は大和とともに戦いたかった。
だというのに大和は自分にこの城で待っていてくれと言った。
栞那にはそれが悔しくてたまらなかった。
「……大和の馬鹿」
布団に顔をうずめながらそうぼやく栞那。
とそこへ栞那の部屋へと誰かがやってきた。
「起きているかい栞那?」
「その声は梗殿」
部屋にやってきたのは馬頭の元で栞那と共に足軽組頭をしていた梗だ。
「朝早くにすまないね。調子はどうだい」
と言って梗は部屋に入ると栞那の近くに腰を降ろす。
栞那も佇まいを正して向き合う。
「梗殿、わざわざ足を運んでいただきありがとうございます。万全とは言い難いですけどなんとか動けるほどには回復しました。梗殿の方の調子は……よくはないみたいですね」
梗の目の下にうっすらとできている隈を見てそう言う栞那。
「まぁね。ここ数日は負傷兵の治療や食事の手配で慌ただしかったからね」
馬頭の代理として城に残った梗だったが、城で待っている間紫苑たちが城に逃げ込んてきた時のために食事の手配や寝泊りをする場所の確保に追われていた。
「お力になれずにすいませんでした」
「この程度の苦労なんてあんたらに比べたら大したことないさ」
と梗は言って遠い目をする。
「あいつらは勇敢に散って逝ったんだろ」
その目に映るのは死んでいった仲間たち。
始めは生まれも育ちも違う者同士諍いは絶えなかった。
問題を起こして国を追い出された者や食い扶持を求めてやってきた者、理由は様々だったがみな居場所を失った者同士、時が経つにつれてだんだんと打ち解けて行って仲間と呼べるほどの関係になっていた。
「……はい」
栞那はそんな梗の心情を察し俯きながら答える。
「そうかい。それならいいんだよ」
梗はふっと目を閉じ気持ちを切り替えると栞那に告げる。
「それで病み上がりで悪いんだけど籠城の準備を手伝ってもらうよ」
「籠城の?」
「ああ。敵がいつここに攻めてくるかわからないからね。あたいら流民部隊が指揮をとって籠城の準備をするようにと紫苑様から直々の指名だ」
「我々が?」
梗の話を聞いて栞那は若干驚いた表情を浮かべる。
「そうさ。この辺りの土地にはあたいらの方が長くいるからその分詳しいからってことらしい」
「しかしそんなことをすれば味方に反感を買われるのでは? 鳥綱の兵からしてみれば私たち流民は所詮よそ者なわけですから」
元々鳥綱の兵には流民部隊はよく思われていない。
自分の国を守るのは自分たちだという意識が強く紫苑が流民を兵士として使うことに不満を漏らす者の少なくはなかった。
酷い時には嫌がらせの様なことも何度かされたりもした。今回の囮作戦もその嫌がらせのようなものでもあったわけだ。
だから栞那は自分たちが指揮をとったら反感を抱くのは間違いないと思った。
しかし続いて告げられる言葉に栞那は再び驚く。
「いや、それがそうでもないようだ。馬頭たちのおかげでね」
「えっ? 馬頭殿たちのおかげで?」
栞那はいったいどういうことなのだろうかと食いつく。
「そっ。あいつらが命を賭してまで紫苑様を助けたに来たことと窮地を救ってくれたことで鳥綱の兵たちの間で意識が変わりつつあるのさ。まっ、流民を強固に反対していた頭の固い連中がこの戦で大半が死んじまったってのもあるんだろうけど」
と最後に皮肉を込める梗。
「そんなわけであたいらが籠城の指揮をとることになったんだ」
「……そう……ですか」
と、何か思うところがあったのか栞那は歯切れが悪そうに答える。
「どうしたんだい? 何かあったのかい?」
梗もその様子が気にかかり問う。
「……あっ、いえ……ただ、我々はこの戦に本当に勝てるのでしょうか?」
不安そうに答える栞那に梗は目を細める。
「へー。あんたにしちゃえらく弱気な質問だね。臆したのかい?」
「いえ。私が死ぬことはいいんですが……」
そこまで聞いて梗は栞那の気持ちを察し訊ねる。
「あの男――大和が死ぬのは恐いのかい?」
「……っ」
栞那は大和の名を出されてピクリと反応する。そして小さな声で首を縦に振る。
「……はい」
「ふーん。なるほどねぇ」
そんな栞那の様子を観察していた梗はニヤリと口角をあげる。
「あんた、あの男に惚れたのかい?」
「な、何をいってるんですか! 梗殿!?」
突然のことに栞那は驚きで目を見開くと早口でまくしたてるように言う。
「別に惚れるとかそんなんじゃなくて命を助けてもらった恩人として生きて欲しいというわけで好きとかそんなんじゃないです! それは……助けられた時にちょっと格好いいとか思ったりもしましたけどあんな自分勝手な男は私は大嫌いですから! だって紫苑様から受けた奇襲作戦に私を一緒に連れて行ってくれないんですよ。一緒に来てくれいえば私だって喜んで死地へといくのにあの男は私にこの城で待っていろってって言ったんですよ。ひどくないですか。だいたいあの男は――」
「わかったわかった。あんたがめんどくさい女だってことがよくわかったから」
梗はまだ何か言おうとする栞那の言葉をめんどくさそうに遮る。
「めんどくさい女ってどういうことですか梗殿。私のどこがめんどくさいんですか」
そういうところがだよ、という言葉を飲み込む梗。そして栞那が口走った言葉を思い返す。
「紫苑様が評定で言っていた逆転の策ってのがその奇襲なのかね」
「……評定? 梗殿。どうして梗殿が評定に出てるんです?」
と栞那は問う。評定に出られるのは最低でも足軽大将以上のはずだ。足軽組頭である梗が出られるはずがない。
「言ってなかったか? 馬頭の代わりにあたしが足軽大将に任命されたんだよ。さすがに大将がいないってのも問題だからな。その流れで評定にも出たのさ」
「なるほど」
「そういえば評定の際にその策をやるときに有志を募るかもしれないっていってたね。あんた志願してみたらどうだい?」
「えっ? しかし籠城の準備もありますし……」
さすがにそこまで我儘は言えない。籠城の準備を疎かにして瑕疵があったりすれば敵がそこにつけ入り城が落ちてしまうかもしれないのだ。
「いいさ。どうせあんたの隊は前の戦でみんな死んじまってるしね。いや、一人さちって子が生き残ってたか。けど一人二人いなくなったところで変わらないさ。それに何より後で後悔しても遅いからね」
と梗は寂しげに言う。
「梗殿……」
「あんたにはあたいみたいな思いはしてほしくはないからね」
そう言うと梗は部屋から出て行った。