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紫苑の攻め落とした城の一つ――丸蛇城にて、一人の伝令が主のいる広間へとドタドタと慌てた様子でやってきた。
「殿! まだら殿から合図の狼煙が上がりました」
「それはまことか!」
伝令からの報告を受けると丸蛇城の城主を一時的に任されている羽鳥家の当主――羽鳥平兵衛は喜色の笑みを浮かべて勢いよく立ち上がる。
「はっ! 間違いございませぬ」
「そうか」
「お待ちください!」
嬉しそうに笑う平兵衛に息子の幸近が慌てて割って入る。
「なんじゃ幸近? そんなに慌ててどうしたのだ?」
「それは本当にまことのことですか? 予定よりも少し早い気がします。何かの罠では?」
「何を言っておる! 予定は多少前後するとまだら殿も言っておっただろう。むしろ儂からしてみれば予定よりも早く憎き紫苑を討つことができるのだ! これほど喜ばしいことはない。お主。大義であった」
「ははっ! お褒めの言葉光栄の至りでございます」
「うむ。お主はそのまま全軍に出撃の指示を伝えよ。捉えておった蛇骨の国の連中にもな」
「はっ!」
伝令は恭しく返事をして出ていく。
幸近は伝令が出ていくのを見届けると父に意見を申す。
「父上は本当に紫苑様を討つつもりですか? 国を裏切るのですか?」
「何を言ってるのだ! 先に裏切ったのはあの女ではないか! 長年千鳥家に仕えていた当家を、たかだか農民を蔑ろにした程度のことで罰則と申して当家の所領を半分に減らされたのだぞ」
平兵衛は当時のことを思い出して顔を真っ赤にして怨みを喚き散らす。
「しかし父上、事前にそういう御触れを出していたのも事実です。父上もご存じだったではありませんか」
「なぜ下っ端の農民どもから税を多めにぶんどった程度のことで我らの様な名門が罰せられねばならぬ!おかしいではないか! その程度のことなどあの女が当主になる前は容認されていたことだぞ」
「ですが名門である我らが罰せられたことで国内でそういったことをする輩が劇的に減ったのも事実。おかげで農民の生産性も向上して国力は回復したではありませんか。おまけにそういった境遇に胸を痛めていた雲雀様が大事な孫娘を当家に差し出そうとしてくれているではありませんか」
幸近がそう言うと平兵衛は鼻で笑う。
「何が心を痛めてだ! あの糞爺の目的は当家を不穏な動きがないか監視するためだ! だから今まで理由をつけてこっちは婚姻を延ばしてきたのだ! そもそも紫苑の腰巾着であるあんな化物のような女を嫁に貰いたくなどないわ! 女とは男の後ろを黙ってついてくるのがいいのだ」
「でも父上!」
「……っ!」
平兵衛は自分の意見にやたらと否定的な息子に対して若干苛立ち混じりに睨み付ける。
「なんだお前は! さっきから父に反論ばかりしおって! 羽鳥家当主である儂の決定に不満があるのか! あの紫苑と同じように親殺しでも企んでいるのか!」
「そ、そんなことはございませぬ」
父のものすごい剣幕に押され幸近は額を床につけて反論の意思がないことを示す。
親殺しは忌避すべきことである。例えどんな事情があろうとも肉親である者を殺すことは許されることではない。
「ふんっ」
平兵衛は土下座をする息子を一瞥すると戦の準備をするべくドスドスと足音を立てて出ていく。
一方幸近は頭を下げていたまま申し訳なさそうに呟く。
「……紫苑様。どうか不甲斐なき自分をお許しください」