5
「さあ遠慮せずに入って下さい」
まこちゃんに促されて長屋へとお邪魔する。
玄関を入るとすぐに台所があり六畳間の狭い部屋には必要最低限の生活道具のみ。もちろん長屋だからトイレも風呂もない。
「狭苦しいところだからとっとと帰れよ」
「兄さん! そんなこと言ったら大和さんにも部屋を貸してくれてる千鳥様にも失礼ですよ」
「わあってるよ。こいつはともかく千鳥様には感謝してるっての」
ふんっ、とふてくされる馬頭。野郎がふてくされても可愛くない。
というか今こいつ変なこと言ってなかったか。
「なあ? 千鳥様ってのは紫苑のことか? 柚子姫の方じゃなくて」
「もちろん紫苑様に決まってるだろ。あの方ほど民思いの優しい殿様はいないぜ。なんたって俺っち流民を受け入れてくれて住む場所を提供してくれたお方だからな」
優しい? あの女ほどその言葉が似合わないやつはいないだろ。こいつら騙されてるのか。可哀想に……。
「流民を受け入れたぐらいで大袈裟だなぁ」
「何言ってやがる! 今は戦国乱世。どこの国も戦争してんだぞ。普通流民なんて受け入れたら流民に扮した敵国の忍びや間者がやってくるだろうが。おかげで俺っち流民はどこの国でも受け入れられない。それなのに千鳥様は流民を受け入れてくれたんだぞ」
あれっ? もしかしてあいつって意外にいいやつなのか? ……いや、俺はもう騙されんぞ。
「どうせ何か思惑があったんだろ? 流民を兵士にしようとしたりとか」
あの女が善意だけで動くとは思えん。
「紫苑のやつはろくでもない女だからな」
「おい、今なんて言った? 確かに俺っちは先代の悪政のせいで減った兵の代わりかもしれない。だがお前にわかるか? 目的地もなく各地を転々とする人間の気持ちが!」
馬頭は急に声を荒げる。何を怒ってるんだ?
「俺っちはこの国に来るまで何人もの流人の死を見てきた。あるやつらは獣に無残にも食い殺された、あるやつらは食うものがなく飢えで死んだ、あるやつらはそう言った人間を見てきて終わりのない流民生活に絶望して自害した。それに比べたら兵として戦うなんて屁でもねぇ、むしろ守るべき家族を守るために死ねるなら本望だ。そんな死に場所を与えてくれた千鳥様を侮辱するのは俺っちが許さねえ]
「……」
俺は言い返すことができなかった。
こいつはこいつで今まで流民になって辛いことを経験していたんだ。終わりのない過酷な流民生活から救ってくれた紫苑に恩義を感じるのは当然なのかもしれない。
それなのに俺は無遠慮に紫苑の悪口を言ったからこいつは怒ったのか。あの女はムカつくがこいつにあたっても仕方がない。
「悪かったな」
とりあえず謝罪する。俺は謝れる男だからな。
「いや、こっちこそ悪かった。お前の格好を見たら碌な育ちの人間じゃないってわかってたのにむきになっちまった」
とそっぽ向いて言う馬頭。
こいつ謝ってるのかケンカ売ってんのかどっちなんだよ。
「もう、兄さんったら」
馬頭の態度にまこちゃんがあきれるようにため息を吐く。
「それじゃあわたしは今からご飯の準備をするんで二人とも喧嘩せずに待っててくださいよ」
そう言ってまこちゃんはご飯の支度をする。
うーん、女の子のまともな手料理なんて初めてだ。家では俺が料理を作ってたからな。たまに母親に料理を作るように頼んでも出てくるのはカップ麺、妹にいたっては排水溝にあった生ゴミを出してきたからな。
それにしても大変そうだな。まこちゃんは火打ち石を使って火を起こそうとしていた。ガスも電気もないから火を起こすだけでも一苦労だな。
「……ちっ」
馬頭がまこちゃんの調理の様子をみて忌々しそうに舌打ちしてきた。それにさっきから馬頭の貧乏ゆすりが激しい。どうしたんだ?
「小便でも漏れそうなのか?」
「違う!」
声を荒げて否定する馬頭。
せっかく人が親切で聞いてやったのに怒鳴る必要ないだろ。カルシウムでも足りないのか?
「あっ! 忘れてた。大和さんの分のお茶碗がないからちょっと借りてきますね」
火を付け終えたまこちゃんはそう言って長屋から飛び出ていってしまった。
ああ、待ってくれまこちゃん。こんな野郎と二人っきりにしないでくれ。
狭い長屋で野郎と二人っきりというシチュエーションに辟易してると馬頭と目があった。馬頭は俺をキッと睨み付けてきた。
「お前の目的はなんだ?」
「はぁ?」
唐突な問いに首を傾げる俺。何言ってのこいつ?
「とぼけんな! うちの妹に取り入って何を企んでやがる。まこに絡んできたチンピラもどうせお前の手先なんだろ? じゃなきゃわざわざ流民を助けてくれるやつなんていないからな」
なるほど。こいつは初めっから俺のことを妹にちょっかい出す怪しいやつだと疑ってたのか。
まあ普通こんなどっかの蛮族みたいな格好をしたやつのことなんて信用できないもんな。
それに、もしかしたら馬頭達は流民というだけで過去に似たようなことがあったのかもしれない。
だからやたらと俺に突っかかってきたのか。それでまこちゃんがいなくなった隙に俺にこんなことを問い詰めてきやがったのか。
「なんか勘違いしてるみたいだから言っとくけど、俺はまこちゃんに取り入ろうともしてないし見返りも求めていない」
「じゃあなんで……」
何の見返りも求めていないという俺の言葉が信じられず馬頭は怪訝な目で俺を観察する。
俺がまこちゃんを助けた理由? それはもちろん……。
「まこちゃんが可愛かったからだ。可愛い女の子が困ってたら助けるのは男なら当然だろ。可愛ければ流民だろうがムーミンだろうが身分は関係ない」
いや、ムーミンは違うな。人間じゃねーし。
「……」
堂々と言い放つ俺を見て馬頭は毒気を抜かれたかのように呆気にとられていた。
何だよその態度。腑に落ちないな。そこは賛同するところだろ。
そしてしばらくして馬頭の口が開く。
「はぁ。お前には恥じらいってもんがないのかよ。まあ確かに俺っちの妹は世界一可愛いけどな」
やれやれとといった感じで言う馬頭。
なにこいつ? シスコン過ぎて気持ち悪い。
「ったく、変な奴だなお前」
と馬頭が言ってきやがった。
「テメェに言われたかねーよ」
だって重度のシスコンだし。
「ってかそもそもお前らはもうここに住んでるだから流民じゃねーだろ」
「いや、俺っちはしょせんよそ者だからな。元々ここに住んでいた連中からしてみれば俺っちは流民なんだよ」
馬頭は苦笑する。
「ふーん」
なんか色々あるんだろうな。
「ただいま」
おっ! まこちゃんが帰ってきた。心なしかまこちゃんの顔が赤い。
たぶん馬頭の世界一可愛いとかほざいていたのが聞こえたんだろう。声が無駄にデカかったし。
しっかし妹が世界一可愛いなんてあんな小っ恥ずかしいセリフよく言えたもんだ。さすがシスコン。
「もうすぐできるんで待っててくださいね」
「はーい」
女の子の手料理か。楽しみだなぁ。
でも完成するのが早い気がするのは気のせいかな? だってお湯しか沸かしてないよ。いや、きっと気のせいだ。
「はい、お待たせしました」
と言って運ばれてきたのは茶碗に白米と白湯をぶっかけたもの。
えっ? なにこれ? 嫌がらせ?
「けっ! やっぱり湯漬けか。ガキのくせにいっちょまえにませやがって」
「ち、違うもん! 大和さんには助けてもらったから少しでも良い物を食べてもらおうと思っただけだもん」
良い物? この湯漬けが?
「それがませてるって言うんだよ。こいつにはいつも通りの冷や飯で充分だろ。こんな格好してるから普段生肉ばかりで白米なんていい物食ったことないかもしれないぞ」
ほほぉ、俺をバカにしてんのか馬野郎。馬刺しにして食ってやろうか。
「お前だって湯漬けは初めてだろ?」
「まあ」
茶漬けなら食ったことあるがお湯をぶっかける湯漬けなんて食ったことない。美味いのか?
「だろうな。なら俺っちに感謝して食うんだな」
テメェは感謝どころか謝罪しやがれ。俺を殴ったこと忘れちゃいねぇんだからな。
まあとりあえずこの世界に来てからろくにメシを食ってなかったからさっさと食べよう。
「いただきます」
ずるずるずる。
味は白米にお湯をかけたそのまんまの味だ。ぶっちゃけ美味しくない。
だが湯漬けをかきこむ俺の姿をまじまじと観察するまこちゃんが見てるから美味しそうに食べる。
そう、この世界にはコンロもなければポットもない。彼女は俺にこの湯漬けを食わせてくれるために火打ち石で火を起こしてお湯を沸かしてくれたんだ。
俺の母親なんてお湯沸かすのすらめんどくさいからってカップ麺をそのまま食わせようとするし、妹にいたっては食材がもったいないとか言って生ゴミ食わせようとするし……もう意味わかんないあの子。
料理で大事なのは味ではなく心。相手に美味しい物を食べてもらおうとする心が大事なんだ。そう思うとほろりと涙がこぼれてきた。
まこちゃん、俺は君が作ってくれた湯漬けなら百杯はいける。
「たかが湯漬けぐらいで涙流しやがって……。どんだけ碌なもんを食ってなかったんだよ」
美味そうに食う振りをする俺を見て馬頭が憐みの視線を向ける。
おい、そんな目で俺を見るんじゃねぇ!
「だ、だね」
まこちゃんは若干引きつったような表情で馬頭に同意する。
そんな、まこちゃん……。