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「なんや、えらい早く来たな」
紫苑が神鳥に乗って大沼の屋敷までやってくると葛籠を背負った商人――亜希が声をかけてくる。
「お前か。わざわざ大沼の屋敷の近くで火を起こして謀反を知らせる必要はなかったんじゃないか。皮肉か?」
紫苑はつまらなそうに言う。
「まああれはついでやったからな」
亜希は八重歯を見せて楽しそうに笑うがすぐに真顔になる。
「それよか例の件頼むで」
「例の件?」
「忘れたとはいわせんで! 窮鼠の国への食糧支援や。今あの国は飢饉のせいで支援がなきゃ民が飢えてまう。せやからうちが大沼を失脚させたら支援するって言うたやろ」
紫苑がとぼけたように言うので亜希が食って掛かる。
「あれはお前じゃなくて大和がやったんだろ」
大沼の一件については妹の柚子姫から文をもらって知っていた。
「あの一件にはうちも一枚噛んでたわ。それに、こうやって大沼の謀反を伝えてやったやろ」
と亜希は大人しく引き下がるつもりはない。
「……わかってる。ほら」
紫苑は肩をすくめると腰巾着を亜希に投げ渡す。
「中に割符が入ってる。それを港町で海運を仕切ってる天海に渡せばすぐに食料の輸送を開始する手筈になっている」
「……なんか準備が良すぎへんか?」
あまりの手際の良さに訝る亜希。
窮鼠の民が飢えないだけの食糧をたった数日なんかで用意できない。もっと前から、それも亜希と約束した時から準備していなければこうはいかない。
「なんだ、自信がなかったのか?」
「はっ! いい性格しとるな!」
「それほどでもないさ。それよりもお前はうちに仕官するつもりはないのか? いつまでも自分を見限った国に尽くすことはあるまい」
「断る。うちにはやらなきゃあかんことがある」
「やらないといけないことか……。国のために奔走した挙句主君に逆賊とまで言われて国を追い出されてもなお民のために働くのがお前のやるべきことなのか」
「せや。うちは何としてもあの国の腐敗を正さなあかん」
即答する亜希の目は真っ直ぐでぶれていない。
窮鼠の国は亜希の言った通り腐敗している。国を守るべき君主は道楽にふけり家臣は民たちに重税を課して自分の懐を潤す。
亜希はそれを正そうとした。しかし亜希は優秀だが若かった。自分の利権を守るために汚い手を使う人間がいることを知らなかった。そのせいで亜希は仲間だと思った人間にハメられ下剋上を画策する謀反人として国を追われた。
「……難儀なやつだ」
紫苑は国を追い出されてもなお民のために奔走する亜希の生き方に苦笑する。
「大きなお世話や! ほなうちはいくで」
と言って亜希は割符を天海という人物のところまで行こうとするが何かを思い出して立ち止まる。
「そや、もし大和がまだ屋敷におったら手を貸してやってや」
「なんだ、あの男に惚れたか?」
「……せやな」
「……」
紫苑は軽口で言ったつもりだったが、亜希の恥ずかしそうに頬を掻く仕草に少し呆気にとられる。
「ほなな」
紫苑が呆気にとられている間に亜希は行ってしまう。
「ったく、あの男め。余計なことをしてくれる」
やれやれと愚痴をこぼす紫苑。
以前までの亜希だったら仕官の話をしても即答はしなかったはずだ。亜希自身自分の道に迷っていた。だから恩を売って自分に仕えるように手筈を整えていた。なのに大和のせいで亜希の悩みは吹っ切れたようだ。
「千鳥様、どうかなさいましたか」
亜希と入れ替わるようにやってきた蓮が紫苑の呆れた表情を見て訊ねる。
「恋は人を強くするか……」
「はい?」
紫苑の言葉に蓮が首を傾げる。
「なんでもない。それよりも首尾はどうだ」
「はっ! 屋敷の包囲が完了したようです」
「わかった」
蓮からの報告を受けて紫苑は神鳥を走らせ整列している兵の前に立つ。
その数八〇〇。大沼の屋敷を包囲してる数を合わせれば千。
三〇〇人の山賊相手には多い数だが大沼の裏で動いている黒幕を警戒してこれだけの数を整えた。
兵たちの顔は不安や恐れはなく今か今かと紫苑からの号令を待っていた。
「みなのもの! 準備は良いな! あの男にはみなも苦汁を強いられてきたことだろう。だがそれも今日までだ。これより大沼成助を討つ!」
「「「「「わああああ!」」」」」
紫苑の号令を聞いて湧き立つ兵たち。その号令に夜襲を警戒していなかった屋敷にいた山賊どもは混乱する。
「まずは工作部隊前へ。ただちに門を破壊せよ」
「うおおおお!」
工作部隊は指示を聞いて雄叫びをあげながら破城槌を門へと叩きつける。
大沼の屋敷の門は商人の屋敷にしては無駄に頑丈に作られていた。しかししょせんは商人の屋敷。城や砦の門と比べれば大した強度はない。
工作部隊が数度破城槌で門を叩けばあっさりと破られる。山賊は門があっさりと破られてますます混乱する。
「今が好機だ! 突撃部隊はあたしに続け! 山賊を狩りつくす」
紫苑が神鳥に乗って駆け出すとその後ろに蓮が率いる騎鳥隊が後を追う。そしてその後に足軽を率いる足軽大将の馬頭たちが続く。
馬頭は妹のことが心配だったが大和を信じて目の前の戦いに集中する。
山賊たちも必死になって応戦しようとする。
だがしょせんは無法者の集団。混乱してまともに状況把握ができないうえに統率もとれていない。対して紫苑の兵は訓練を積んだ兵。三〇〇人いた山賊だったがあっという間に駆逐される。
「妙だな」
あっさりとしすぎる展開に紫苑は勘繰る。
「ちっ! 敵はなにを企んでいる 蓮! 蓮はいるか」
「どうなさいましたか千鳥様」
紫苑の声を聞いて返り血にまみれた槍を携えた蓮が駆けつける。
「蓮! この場の指揮を任せた。あたしは屋敷に入って様子を見てくる」
「はっ!」
紫苑は神鳥から飛び降りて屋敷の中へと入る。屋敷の中は外の喧騒と比べてやけに静かだった。
「おい、屋敷の現状はどうなっている」
気になった紫苑は先に屋敷の中に入っていた家臣に訊ねる。
「私どもが屋敷に入った時にはすでに家内の者どもは全て殺されてました」
「なるほど。どいつもこいつも急所を一突きで死んでるか」
家臣に案内させて部屋を見て回るが使用人どもの死体が転がっていた。手口からして自軍相当手練れの者だと予想できる。
家内の者を皆殺しにされたということは大沼は敵に見限られたのだろうと推測する。
他に家臣からの報告を受けた限り屋敷内に敵はもういないようだ。というよりも屋敷に入ったらすでにもぬけの殻だったらしい。
紫苑は状況を把握するため屋敷内をうろつく。
するとある部屋で転がっている首を発見する。その首は散々この国を苦しめた大沼の首だった。
「利用するだけ利用されてこの様か。不様なものだな」
フンッと自嘲する紫苑。
こうして大沼の死体を見ても紫苑は何の感傷も抱かなかった。
そしてその首の近くに二匹の蛇が交差する家紋の入った扇子がわざとらしく置いてあった。
「これは蛟家の家紋。……なるほど。そういう筋書きか」
扇子を手に取って紫苑は忌々しそうに呟く。
敵は二つの策を用意していた。
一つはもし紫苑が帰ってこなければ山賊を利用して城を奪う策。
もう一つは紫苑が攻め込んでくれば屋敷に蛇骨の国が後ろで動いていた証拠を残して鳥綱の国が攻める大義名分を与えるため。
「これで蛇骨の国と戦をしなければいけなくなったか」
今の国力では蛇骨と戦をしても勝つのは難しい。今の鳥綱が持つ兵数は五〇〇〇。だが他国を警戒して動かせるのは多くて三〇〇〇。それに対して迎え撃つ蛇骨の兵数は一〇〇〇〇。
だがもしここまでされて蛇骨の国と戦をしなければ国が割れる。他国にいいように扱われて戦をしないなど家臣が納得するはずがない。
そして国が割れたところを狙って蛇骨が攻め込んでくるはずだ。
おそらく蛇骨の国と大沼が関わった証拠はこれからどんどん出てくる。もう戦は止められない。
敵の思惑がわかり至急対策を立てるべく部屋をあとにしようとして気が付く。死体だと思って気に留めていなかったが明らかに屋敷にある死体とは違う死体があることに。
全身血まみれで倒れている死体。どうすればここまでずたぼろになるのか疑問に思うほどだ。
大沼の首に気を取られていて気が付かなかったが全身血まみれで倒れている男は見覚えのある男だった。自分に対して生意気な口をきいた男――大和だった。
「馬頭の妹御を助けに単身潜入したと聞いたが返り討ちにあったか」
「……うう」
死体だと思っていた男の口からうめき声が聞こえる。
「まだ生きているのか。しぶとい男だ」
紫苑は迷う。
大和は治療しても生き延びれるかわからないほどの重体だ。それならいっそこのまま楽にしてやるべきかどうか。
刀に手をかけるがすぐに離す。
「お前を楽にしてやる道理はないな」
そう言うと紫苑は家臣を呼んで至急手当をするように指示を出す。
「あとはお前の生命力次第だ」
一区切りついたので明日の投稿は休みです。
明日は作品の推敲してキャラのプロフィールとかを上げる予定です。
もし投稿できる分だけの話が書ければ投稿するかもしれませんが……。