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如水城にある座敷牢の一室。そこにまこは捉えられていた。
牢と言っても罪人が入るような地下牢とは違い待遇はよく、特に手枷などで拘束されることもなく仕立ての良い上質な着物を着せられていた。もちろん食事もきちんと出される。それどころかまこが馬頭とともに暮らしていた長屋で食べて食べていた食事よりもはるかに質も良い食事だった。
家出をしたとはいえ仮にもまこは但馬の国のお姫様なのだから当然と言えば当然の待遇であった。
だがまこにとっては着飾った服やきちんとした食事よりも長屋で暮らしていた生活の方がはるかによかった。
自分が食べるために自分で働き一生懸命生きていくのはそれまで城で言われるがままに生きていたまこにとって信じられないほどの充実感があった。もちろんろくに食事を食べれないこともあったそれでもまこは昔の生活よりも長屋での生活の方がよかった。
傍からみれば贅沢な悩みだと言われるかもしれないが、まこにとってはただ言われるがままに生きていく生活よりもよかった。元々まこは妾の子であり黒駒の家では肩身の狭い思いをしており、自分が政略結婚の道具だと常々言い聞かされてきた。
自分は卑怯な人間だと思う。一人で家を出る勇気がなく出奔を言い渡された兄につき従う形で家出をした。それが兄に重荷になっているんじゃないかと不安はあったが家に戻るのが嫌で言い出せなかった。
「……兄さん」
助けを求める様に兄を呼ぶがもちろん返事は返ってこない。
その代わりに別の人物から声をかけられる。
「ご機嫌麗しゅう、まこ様」
まこの元にやってきたのは隻眼隻腕の長身痩躯の優男。自身を誘拐した張本人だ。
「どうしてあなたがここにいるのですか……」
予想外の人物の来訪に目を見開いて驚くまこ。
宗麟は本来ならまだらとかいう軍師とともに鳥綱軍との戦いの最前線にいるはずなのだ。
もしや鳥綱軍が負けたのかと心配になるが宗麟の次の言葉で違うのだとわかり少しだけ安心する。
「主の命でしてね。お館様に言伝を頼まれたのです」
「そうですか。なら早く蛟様のところにいってください」
「いえ、もう言伝は伝えてあるので問題はありません」
「では早くあなたの主のところに戻ったらどうですか」
突き返すような物言いに宗麟は肩をすくめる。
「つれませんね。せっかくいいものをお見せしようと思いましたのに」
「いいもの?」
楽しそうに語る宗麟にまこは怪訝そうに眉を寄せる。
「これに見覚えはありませんか」
と言って宗麟は布に覆われていたものから布をはずし一本の刀をみせる。
「それは……」
まこは思わずそんな馬鹿なと自分の目を疑いたくなる。
宗麟が見せた刀は大太刀。しかしそれは普通の大太刀ではなく全長二メートルを超える大太刀。刀のことには詳しくないまこだがその刀の持ち主のことについてはよく知っている。
「兄さんの……斬馬刀。でもどうしてあなたがそれを……。兄さんがその刀を手離すはずがない」
黒駒家の男児には成人すると同時にその時代でもっとも優秀な鍛冶師に作らせた斬馬刀が与えられる。兄はその斬馬刀をとても大事にしていた。流民として旅を続けるときにお金に困っても手離すことをしなかった大切な刀を兄がそう簡単に手放すはずがない。あの刀は兄にとってもう戻ることない故郷との唯一の繋がりなのだから。
「どうしてと言われましても。殺して奪ったからですよ」
「うそ! 兄さんが……兄さんが殺されるわけない!」
「嘘じゃありませんよ。残念ながら首はありませんけどこの刀が何よりの証拠でしょう」
「……うそっ」
信じたくはなかった。
妾の――それも平民の子として周囲から陰口をたたかれ死んだように生きていたころ、兄の馬頭だけは差別することなく接してくれた。
まこが泣いていたら「何泣いてんだ。悪口を言うやつなんて殴り飛ばせばいい。なんなら俺っちが殴ってやる」と励ましてくれた。もしかしたら本人はただ単に思ったことを口に出しただけかもしれないが、まこにとってはそれが嬉しかった。
周りの人間が馬頭のことを粗暴で短慮で考えなしで家督を継ぐにふさわしくないというが、まこにとっては最高の兄だった。
「いい顔ですね。その悲しみにそまった表情がたまらなくいいですよ。やはりあなたは悲しい顔が良く似合う」
両手で顔を覆い大粒の涙を流して悲しむまこを見て興奮するように言う宗麟。
もっと悲しむまこを見ていたいと思う宗麟だったがそれも叶わない。
どこかから聞こえてくる敵襲を知らせる法螺貝の音によって。
「……敵襲ですか。いいところだというのに」
名残惜しそうにそう言い残して宗麟は斬馬刀を持ち座敷牢を後にする。
「……兄……さん」
残されたまこは悲しみに暮れることしかできなかった。