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「ふぁーあ」
いつもと変わらないのどかな風景に城門を守る門番の男は思わずあくびをもらす。
「暇だなぁ」
前線では鳥綱軍と戦を繰り広げているというのに本城は争いとは無縁でいつも通り平和だ。
つい先日、もしからしたらここを鳥綱軍が奇襲をかけてくるかもしれないとお館様に言われて警戒をしているが何かがやってくる気配はない。
ここ最近で唯一警戒したのが一昨日来た薬売りの連中ぐらいなものだ。けどそれもただの迷子で頭のおかしい連中だったが特段気にすることはなかった。
本当に奇襲を仕掛けてくるのか疑わしいものだと門番の男は思う。
如水城の守りは完璧だ。周囲は湖に囲われていて攻めることはできず、正面から攻めることしかできない。その正面も頑丈に造られた城門に守れている上に呪術部隊が敵を足止めして城壁から矢で一斉掃射する鉄壁の守りなのだ。もしこの城を落とすのなら万の軍勢を率いてこなければ無理だ。しかし鳥綱軍の総勢は万には遠く及ばない。
だからついつい気が抜けてしまうのも仕方がない。
「おーい、ちょっといいか?」
「あん? どうした?」
門番の男は城門の脇にある潜戸からやってきた同僚に声をかけられめんどくさそうに返事をする。
「なんか腹の調子が悪くてよ、お前薬持ってないか? お前一昨日あの奇妙な女を連れた薬売りから薬をもらったんだろ? その際にいくつかくすねたんじゃないのか?」
「ああ。残念だったな。あの薬は全部お館様にお渡しした」
「ちっ! なんだよつかえねーな」
「うるせーよ。だいたい薬なんて高価なものを使うほど大した身分でもない……あっ! いや待てよ」
悪態をつく同僚にあきれながら答える門番だったが忘れていたことを思い出す。
「んっ? なんだ実はくすねてたのか?」
「いや、薬をお館様に献上した時にいらないから処分しとけって言われて返された薬があったな。ちょっと待ってろ」
そう言って門番の男は急ぎ足で潜戸から城に入りしばらくして戻って来る。
「あったあった。ほら、これがその薬だ。薬なんてめったにお目にかかれるもんじゃないから一応残しておいたんだ」
「これか? なんか糞みたいな臭いがするぞ。大丈夫なのか?」
同僚は門番の男が持ってきた薬を見て疑わしげに眉を寄せる。
「大丈夫だろ。薬売りが持って来たもんだしな。臭いは強烈なんだから効果も強烈なんじゃないか」
「本当かよ」
胡乱げに受け取った薬を見る同僚は意を決したようで薬を一気に飲みこむ。
「……っ! うげぇえええ!」
同僚の男はあまりのまずさに悶える。
「そんなにひどいのか?」
「ひどいってもんじゃねーって! まるで馬の糞を煮詰めたみたいな味だ」
「良薬口に苦しって言うけど、さすがに馬の糞の味は勘弁して欲しいな」
「くそっ! 薬は不味いとは聞いていたがこんなにもきついのか」
「それで腹の調子の方はどうなんだ?」
「……心なしか楽になった気がするかな?」
「本当かよ?」
「たぶん。けど口の中が最悪だ。……ん? おい、誰かが城に向かって走って来るぞ」
「なに?」
もしや鳥綱軍の襲撃かと思い門番の男は城に向かってくる人物に目を向ける。
「あいつは……いつぞやの薬売り」
門番の目には入って来たのは葛籠を背負ってこちらに向けて慌ててかけてくる薬売りの男。そしてその後ろには以前にも見た頭のおかしい女たちの姿の他にも三人ほど別の人間の姿もあった。
「どうしたんだお前ら? 前みた時とは人数が増えているがまた迷子にでもなったのか」
自分の前までやってきた薬売り達に間抜けなやつだなぁといった調子で声をかける。
「ち、違う」
そんな門番とは対照的に薬売りの男は肩で息をしながら切羽詰まった口調で言う。
「て、敵だ。鳥綱の軍勢が……た、たくさんの兵をつれて攻めてきている」
「なに!?」
鳥綱軍の襲撃と聞いて顔色を変える門番の男。
「それは本当なのか!」
「大きい鳥に騎乗していたから間違いない」
「ちっ! 神鳥か。なら鳥綱軍で間違いない。お館様の言う通りになったか」
「そう言ってるそばから来たやがったぞ」
同僚の男の視線の先には遠くの方から砂埃が舞っているのが映った。砂埃の量からいって三〇〇はいるだろうか。
「敵襲! 敵襲だ。鳥綱軍が攻めてきたぞ」
門番の男は大声で城の中にいる人間に敵襲を知らせる。
するとすぐさま法螺貝の音が響き渡り如水城に敵襲を知らせる。
法螺貝の音が響き渡るとさっきまでのどかだった如水城は蜂の巣をつついたかのように慌ただしくなる。
「俺らも一旦城に戻るぞ。ここにいたら危険だ」
「そうだな」
同僚の言葉に門番の男は同意する。
「あ、あのー、私たちはどうしたら?」
城の中に入ろうとする門番の男たちに薬売りの男が遠慮がちに尋ねる。
「……ちっ! 本来なら城に入れるわけにはいかないがお前らには敵の襲撃を知らせてくれた借りがあるからな。特別に如水城の中で敵を追い返すまで置いてやる。その代わり薬ぐらいは提供してもらうがな」
「ありがとうございます」
薬売りの男が感謝を言うと、門番の男たちに連れられて潜戸から城内に入れられる。
「お前はあの薬売り達を兵舎まで連れて行け」
「え? 俺がかよ」
門番の男の指示を受けて同僚の男がめんどくさそうに答える。
「薬の借りがあるだろ」
「わーったよ」
渋々ながら了承する同僚。
「おいお前ら、俺についてこい」
「わかりました。ですが口が臭いので近寄らないでもらえますか」
薬売りの男が鼻をおさえながらそう答える。
「てめぇさらっとひどいこというじゃねー。ぶっ殺すぞ」
「いや、お前の口が臭いのは事実だぞ」
「本当かよ!? おい、あんた、今の俺は口が臭いのか!」
門番の男にまで言われて同僚は若干落ち込みながら近くにいた女に声をかける。
「殺すぞ」
「そんなにかよ! 殺気を向けられるほど臭いのかよ!」
「ごちゃごちゃうるさい。今は緊急事態なんだぞ。早くそいつらを連れて行け」
「わ、わかったよ」
門番の男に叱られて同僚の男は重い足取りで薬売りの一行を連れて行く。
「……そういえば一昨日見たときにいなかった連中がいたがあれは誰なんだ?」
薬売りの一行を見送った門番の男がふと疑問に思ったことを口にするが、そんな些末なことよりも今は迫りくる鳥綱軍のことだと頭を切り替える。
そして門番の男は城壁に上がり敵の様子を伺うと、城門の前には鳥綱軍の軍勢の姿があった。偵察なのか数は四〇ほどと少ないが、あいにく敵は弓の射程外で待機していてこちらも手出しはできない。
今は敵がどう出るのか待つしかない。
「はっ! この鉄壁の城に入れるものなら入ってみやがれ。返り討ちにしてやる」
と息を巻く門番の男だったが、男は知らなかった。すでに敵の兵が城の中に潜入しているということを。さらにその敵を手引きしたのが自分だとはこの時は想像だにしなかった。