10
大沼成助。
紫苑の父である先代に取り入って急激に力をつけた豪商でここら一帯の商人を牛耳っている商人であり、流民排斥派の筆頭だ。
大沼は商人に、流民には通常の倍以上の値段で売るように指示をしたり、チンピラをけしかけて嫌がらせを行って流民を苦しめていた。
しかし大沼の思いとは裏腹に、中々流民は出て行かなかった。その状況に大沼は苛立っていた。
そして大沼が次に嫌がらせの標的にしたのは流民の顔役である馬頭とその妹のまこちゃんだ。流民たちのリーダー的存在が失脚すれば流民たちの結束は崩れて追い出すのは容易だと考えたようだ。
一方流民を受け入れて無能な先代のおかげ失った国力を回復させたい紫苑としてはそんなことをやめさせようと動いているのだが中々上手くいっていない。なぜなら近頃山賊が頻繁に暴れていて山賊狩りで手一杯であまり手を付けられないとのこと。
さらに兵を動かせばそれだけ金が必要になる。しかし先代である紫苑の父親が散財したおかげで国庫には金がない。だからといって山賊を見逃せば村が襲われ流通に支障がきたす。
その山賊狩りの費用を大沼が肩代わりしているおかげであまり紫苑も大々的に大沼を責められないようだ。
まあ元をたどれば大沼が先代を乗せて散財させたらしいんだが。
紫苑だったら邪魔くさい大沼のクソ野郎をぶっ殺しそうなものだがそうもいかないらしい。今は先代のおかげで国の基盤が揺らいでいるうえに他国が戦争をしかけてきているようで軽率な行動はとれないとか。上に立つ人間ってのはめんどくさそうだ。
とまあそんなことを亜希はまこちゃんに話していた。さすが商人だけあって色んな情報を知ってるな。
「ってなわけで気いつけやまこ。あのど腐れ外道はどんな手段を使ってくるかわからへんからな」
「わかった。心配してくれたうえにわざわざ忠告に来てくれてありがとう」
まこちゃんは亜希の話を聞いて自分が狙われていると知ってもいつもと変わらない調子でお礼を述べる。
「ちゃうちゃう。うちはまこのことやなくて、まこに投資した分の銭が台無しになるのが嫌なだけや。そこは勘違いせんといて」
「そうなんだ。でもありがとう」
とまこちゃんが屈託ない笑みを浮かべてお礼を言うと亜希はむず痒そうに頭を掻く。
「やっぱまこの性格は商人に向いとらん。家で大人しくしていた方がええんとちゃう? 大和もそう思うやろ」
「そうか? 大事なのは向き不向きじゃなくてやりたいという本人の意思だろ」
かくいう俺もチカちゃんが野球をやってる人が格好いいと言えば野球をやり、サッカーをやってる人が格好いいと言えばサッカーをやり、カバディをやってる人が格好いいと言えばカバディをやり、医者が格好いいと言えば医者になろうと身体検査の日に医者と入れ替わって周囲に変態扱いされたもんだ。今となってはそれもいい想い出か。
「さすがうちの旦那や! 言うことがちゃうわ!」
「誰が旦那だ」
「だって本人の意思が大事なんやろ?」
「こっちの意思も考えろ」
やれやれと呆れるとチラリと視界にまこちゃんが見えた。
まこちゃんは少し元気がなさそうだ。きっとド腐れ商人の……泥沼だっけ? そいつのことが気になってるんだろう。いたいけな幼女を怯えさせるなんてそいつこそ規制されるべきだ。
「おい、串を一本くれ」
とそこへ今にでも人を殺しそうな殺意のこもった口調で注文を受ける。
「……」
ようやく客がきたと思い客の顔を見て俺は呆れる。
鍛え抜かれた体躯に顔には馬の仮面。そして特徴的な馬顔の輪郭。
こいつ馬頭じゃねーか。わざわざ変装してまで妹のために買いにきたのかよ。つーか兵士としての仕事はどうした。
「あっ! いつもありがとうございます」
まこちゃんは馬頭に気が付いていないのかさっきまでの元気のなさが嘘のように普通に接客している。
というかいつもってことは常連かよ!? シスコンにもほどがある。
そしてなぜか俺に対して殺意を抱いているように思える。何でだ? 聞いてみるか。
「なあばと――?」
「げふんげふん! 俺は通りすがりの馬左衛門といものだ。ばなんとやらとは一切関係ない」
「いや、どう見たってお前はばと――」
「おっと、俺っちはこれから用事があるからこれで!」
「あっ! まだ焼けてないのに」
馬頭はまだ生焼けの串焼きをまこちゃんから奪うと口に頬張りながら逃げていった。
……何なんだあいつ。
「おいおい、流民が懲りずにまだ店を出してるのかよ」
馬頭と入れ替わるようにやってきたのは昨日まこちゃんに絡んでいたチンピラ二人組。
そういえば結局昨日は代金払ってなかったな。代金を払う気になったのか。まこちゃんに暴力を振るうのを禁止されてなかった速攻で代金を回収できたのに。
「ふんっ、みずほらしい店だ」
と言ってきたのは昨日見なかった顔だ。チンピラ二人組に守られるように佇んでいるのは高そうな着物を来た肥え太ったおっさん。
あいつ……。
俺はあのおっさんを知っている。あいつは俺が紫苑にデカ鳥で引きづられているのを見て小馬鹿にするように笑ったやつだ。俺の絶対許さないリストにランクインしてるから間違いない。俺は復讐を忘れないからな。
どうやって復讐してやろうか考えていると、亜希が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あかん。あいつ大沼や」
大沼? どっかで聞いたことがあるな。誰だっけ? 泥沼なら知ってるけど。まあ似たようなもんだし泥沼ってことにしよう。なんかあいつ泥みたいにドロドロしてそうだし。
「手を出したらあかんで」
と俺とまこちゃんに注意してくる亜希。
泥沼はチンピラどもを下がらせると見下した目で俺とまこちゃんを見る。
「貴様らが例の兄妹か」
なにっ! 俺とまこちゃんが兄妹!? 俺もまこちゃんが妹だったらどんなに嬉しいことか。
「確か馬頭とまことか言ったな」
「あん!?」
誰が馬頭だ! あの野郎と一緒にしやがって。殺すぞ。名前を間違えるとか人として恥を知れ! しかもよりにもよってあのバカと間違えるなんて。
「落ち着いてください」
ギロリと泥沼を睨み付けるとまこちゃんが俺を宥める。
ちっ! 今回はまこちゃんに免じて許してやろう。
「これだから育ちの悪いやつは。お前らのようなやつらがいるから私の町の雰囲気が悪くなる。それに臭うしな」
うへっと言わんばかりに鼻をつまむ泥沼。
「臭う? 自分の体臭がそんなに臭いのか? だったら湯浴みでもしろよ。ばっちいな」
「私ではない! 貴様ら流民が臭うのだ!」
泥沼が顔を真っ赤にして怒り狂う。
「そうか?」
クンクン。まこちゃんのにおいを嗅いでみるがクサくない。
「別に臭わないけどな。むしろいい匂いだ」
「……うう」
まこちゃんが下を向いてしまった。
おのれ! 女の子にクサいなんて言うからまこちゃんが落ち込んじゃったじゃないか。まこちゃんを傷つけるならぶっ飛ばすぞ。
「ちっ! 減らず口を言いおって! 流民ごときが調子に乗るな!」
と泥沼の野郎が怒鳴ると屋台を蹴ってきやがった。おい、何しやがんだ。
「やめてください」
俺が泥沼の野郎を止めるよりも早くまこちゃんが泥沼を止めに入る。
「汚らわしい流民の餓鬼が私に触れるなっ!」
「……っ!」
バシンッ!
泥沼は止めに行ったまこちゃんを裏拳で殴り飛ばした。そう、あのクソ野郎はか弱い女の子であるまこちゃんを思いっきり殴り飛ばしたのだ。それがたとえ鍛え上げられていない脂肪だらけのおっさんの攻撃でも男は男だ。女の子であるまこちゃんは簡単に吹っ飛ばされる。
「まこ!」
亜希が悲痛な声をあげる。
「おいテメェ!」
まこちゃんを殴られカッとなった俺は泥沼の野郎に殴りかかろうとする。
「殴っちゃダメです!」
何にも屈しない強い意志と気迫のこもった叫び声が俺を止める。まこちゃんだ。
そこで俺は冷静になる。
ここでやつをぶん殴るのは簡単だ。だがむしろそれがこの野郎の狙いだ。殴ればそれを理由に流民を追い出そうって魂胆だ。この野郎はわざとこっちを怒らせて殴らせようとしてきたのだ。そのためにチンピラどもを下がらせたんだ。
まこちゃんはそれに気付いて自分が怪我をしている無視して俺を止めたのだ。まこちゃんの愛らしい顔は痛々しいほどに腫れていて鼻からは血が垂れ流しながらも痛いなどと泣き言を一切言わずに。
俺は悔しさと惨めさで行き場を失った拳をギュッと握り締める。
「ふんっ! 腑抜けた野郎だ」
俺達が何もしないのを見ると泥沼は面白くなさげに呟く。そして何もしない俺達を見てつまらなそうに立ち去って行った。
「ごめんなさい。わたしがどんくさいせいで心配かけちゃって」
泥沼がいなくなるとまこちゃんは本当に申し訳なさそうに謝罪をしてきた。
「んなことよりすぐに治療せな」
亜希が葛籠から薬箱を取り出してまこちゃんの治療をする。
「いつつ!」
塗り薬を塗られて痛そうに顔を歪めるまこちゃん。
クソッ! 怒りで腸が煮えくり返りそうになる。
どうして必死に頑張ってるまこちゃんが殴られて謝ってるんだ。どうして流民だからという理由でこんな理不尽な目にあってるんだ。どうしてあんなに優しい子が……。
あのクソ野郎はこっちが手を出せないと思って調子に乗りやがって!
このままじゃ近いうちにまた何かしらのことをやってくるかもしれん。そしたらまたまこちゃんが傷つくかもしれない。
……これ以上まこちゃんが苦しむのを見てられない。
ならやられる前にやるしかない。
「こうなったら戦争だ!」