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前作Reversalの続編として書いてますが、未読の方にもわかるように話を作っています。久しぶりに書いたためわかりにくい部分もあるかと思いますが読んでいただけたら幸いです。
きれい、綺麗だ。
金色の髪に端整な顔立ち。白い肌。完璧だ。完璧な美だ。
私の天使……私の、私だけの。
この顔も、髪も、手も足も、全て私のものだ。私が作った、私だけの……。
だが、足りない。まだまだ未完成だ。
もっと、もっときれいな体にしなければ。もっと、もっとだ。
手はどの手がいいだろう。指はどの指がいいだろう。首はどの首がいいだろう。足はどの足がいいだろう。
楽しい。楽しい楽しいたのしいたのしい!!
外見だけじゃない。中身も完璧にしなければ。血は何色がいいだろうか。脳はどのくらいの大きさがいいだろうか。内臓は?
迷ってしまう。どれもとてもきれいだから。
愛しいほどに、みんな綺麗だ。
みんな、みんな……。
ああ、君の目は何て綺麗なんだろう。怯えていてもその瞳は美しい。流れる涙もきれいだ。
握るナイフに力が篭る。そして瞳を傷つけないようにナイフを突き立てると、響く悲鳴も綺麗だった。
「ごめんよ!」
突然、後ろから子供がぶつかってきた。帽子を深く被った十代前半の男の子といったところだろうか。ぼろぼろの布の服を着ている。その服しか持っていないのか泥だらけだった。
「おっと待った。そんなに急いでどこに行くんだい?」
俺は反射的に子供の腕を掴んでいた。その手には汚い茶色の財布が握られている。子供はまさか捕まるとは思っていなかったらしく苦々しげな表情を浮かべていた。
「俺の財布に目をつけるとはなかなかに良い目を持ってるな。だが残念。今日は空っぽだ」
子供から財布を取り返し、彼の目の前で財布の中身を開けて見せる。文字通り何も入っていなかった。
「は、放せ!」
子供は必死で俺の手を振り解こうとしているが、大人の男の力に敵うはずもなくしばらくもがいていたがやがて子供のお腹がぐう、と鳴る。
「はははは。腹減ってるのか。じゃあ、俺の家で何か食ってくか?」
「え……?」
「遠慮すんなって。ちょうど帰ってから飯にしようと思ってたところだし、一人分作るのも二人分作るのも同じだからさ、行こうぜ」
子供は戸惑っていたが、観念したのかやがて素直に「うん」と頷いた。
「子供は素直が一番だな。すぐそこなんだ」
俺が指差すと、看板のかかった建物があった。子供はその看板をじっと見つめていた。文字が読めないのだろう。
「しがない探偵事務所さ。さ、入った入った」
D探偵事務所。看板にはそう書かれていた。
「おにいさん、探偵なの?」
子供がおずおずと尋ねてきた。
「ああ、そういえば名乗ってなかったな。俺はアルフレッド=D=ロイド。お前は?」
「僕は……ジャック。苗字はない」
「そっか。よろしくな、ジャック」
俺が手を差し出すとジャックは戸惑った顔をしていたようだが、やがてその手を取った。
まあ、仕方ないだろうな。身なりと苗字がないことから、ジャックはおそらく貧民街の出だ。貧民街の子供は普通ならば嫌がられるだろうから親切にしてもらったことがないのだろう。
俺はジャックを事務所の中に入れると簡単な昼食を振舞った。
「いやー、こういうの久しぶりなんだよなぁ」
一心不乱で昼食にがっつくジャックを見て、俺は呟いた。その言葉に、ジャックは顔を上げた。
「あの、何で僕なんかに優しくしてくれるんですか?」
ジャックの質問に、俺は鼻の頭をかきながら照れくさそうに答えた。
「故郷にさ、俺の妹と弟たちが沢山いるから昔はよく俺が作った飯を食わせてやってたんだよ。だから、お前みたいな子供放っておけないんだよな」
「……妹」
「ん?」
「いや、何でもないです」
ジャックは首を横に振ると再びご飯を食べ始めた。
俺がそんなジャックを眺めていると、突然扉からノックの音が聞こえた。客かなと思い扉を開けるとそこにはスーツにコートを羽織った男が立っていた。
「何だ、カイトか」
「何だとはご挨拶だな。どうせ今日も暇してるんだろ?」
俺の態度に少しムッとしたカイトは、やれやれと言いながらため息をつく。
「悪かったな、今日も暇で。お前こそ店はどうしたんだよって、スーツってことはまた出張か?」
「ああ、ちょっとな。通り道だったから挨拶でもしておこうかと思って。ん? 来客中か?」
そこでカイトはようやくジャックの姿に気付いた。
「まあな。そうだ、お前昼飯まだだろ? 食ってくか?」
「いや、遠慮しておくよ。出張と言っても今日の夜までには帰ってきたいからあまり時間を取られたくないんだ。あ、そうだ。もし俺が遅くなるようだったらまたシフォンに餌、よろしくな」
「お前なぁ……まあいいや。とっとと行って早く帰って来いよ」
そう言いながら、俺はカイトに右腕を見せた。小さな引っ掻き傷がところどころについている。
「シフォンの奴、俺には全く懐かないじゃじゃ馬だからな。俺には面倒見切れないぜ」
「悪いな。そういう俺も、今朝やられたばっかだが……」
そう言いながら、カイトは前髪を上げて額に出来た引っかき傷を見せた。
「おい飼い主……」
俺が呆れると、カイトは苦笑した。
「ま、そういうわけだから頼んだ。あと、アル……」
カイトは俺の顔を真剣そうに見つめていたがやがて軽く首を横に振る。
「いや、なんでもない。また、近いうちに飲みにでも行こう」
そう言って、カイトは事務所から出て行った。
「なんだよ。いやに歯切れが悪いな……ま、いいや」
カイトの態度に、俺は違和感、いや、嫌な予感を微かに覚えていたが考えすぎだと思い軽く頭を振ってジャックの元へ戻った。
その日は、ジャックを帰した後もとくに来客もなく普通の一日だった。夕方にシフォンに引っ掻かれたこと以外は。
次の日の夜、俺は窓を小さく叩く音に目が覚めた。
うるさいなと思い、寝なおそうとするが音はずっとしておりなりやむことがなかった。
俺は仕方なく音のする方の窓に行き、そっと窓を開けた。
「うわっ!」
窓から突然何かが飛び掛ってきて俺は驚いてその場に腰を落とす。右肩が重くなり、右側から猫の鳴き声が聞こえた。
「なんだ、シフォンかよ。驚かせやがって。って、こんな時間に何でこんなところに。お前、ご主人様はどうしたんだ?」
だが、シフォンは俺の右肩で鳴き続けるだけである。俺は猫に聞いても仕方がないなと思い、その場に立ち上がった。
「こういうときは大抵腹が減ってるときなんだよなぁ。待ってろ、すぐにご飯食べさせてやるからな」
欠伸を殺しながら、俺は簡単なご飯を作ってやった。皿に盛り付けると、ようやくシフォンは俺の肩から降りてご飯をがっつき始める。
俺はそんなシフォンを眺めていた。黒く整った毛波にしなやかな体。俺は撫でようとして手を伸ばすがいつものごとくシフォンに引っ掻かれて手を引っ込める。他の猫とは違う、気位というのが感じられる。
シフォンが食べ終わると、俺は窓に連れて行き主人のもとへと帰るよう促した。だが、シフォンは俺の部屋から動こうとしなかった。
「ご飯以外に他に用事でもあるのか?」
俺をジィッと見つめるだけで何もしないシフォンに、俺は欠伸しながらも諦めて寝ることにした。
再びベッドへ戻り横になるが、シフォンがベッドに飛び上がってきたことに気付いたが放っておいて寝ることにした。
だが、シフォンは何を思ったのか俺の服の裾を引っ張りだした。そして再び鳴き始める。
「ったく、何なんだよ……」
俺はあまりの煩さに寝ることを諦めて起き上がった。するとシフォンは玄関の方へ歩き出した。どうやらついてこいと言っているらしい。
仕方なく、俺は着替えると玄関の方へと向かった。そして外に出るとシフォンは時折こちらを見ながら歩き出した。
しばらくついていき、気付いた。この方向はカイトの店の方角である。
やがてカイトの店の前でシフォンは止まった。夜もすっかり更けており、こんな時間に尋ねるのはマナー違反も甚だしかったが、俺は仕方なく呼び鈴を鳴らした。
……………………。
しかし、いつまで待っても人が出てくる気配はない。
「まさか、カイトの奴……あれから帰ってないのか?」
昨日の夜までには戻るとか言っていたが、シフォンが飯をねだりに来たこととあわせて考えてみると、今もいないことからどうやら帰ってきていないようだった。
後ろからかけられたシフォンの泣き声に気付き、俺は彼女の頭を撫でてやった。
「そうか。お前はこれを伝えたかったんだな。大丈夫だ、お前のご主人は俺が探してやるからな」
俺がそう言うと、シフォンは今度は引っ掻くこともなく一声鳴いた。
「しっかし、あいつ何してるんだ? 店もほったらかしで。まあ、とりあえず今日は帰って寝るか。お前はどうするんだ?」
シフォンに尋ねると、シフォンは再び俺の右肩に乗りあがった。
まるで自分の特等席であるというように俺の肩に上って目を閉じる。
「あ、そう。じゃあ、帰るか」
俺が事務所兼自宅へ戻ると、玄関の前に一人の子供が立っていた。
こんな時間に、子供が一人?
俺は怪訝な顔をしたが、声をかけてみることにした。
「おい、こんな時間に何やってるんだ?」
声をかけると、子供はびくっとしたあと顔をあげた。子供の顔には見覚えがあった。
「ジャックか? 何やってるんだ? こんな時間に」
「あなたが……アルフレッドさんですか?」
「あ、ああ」
「あの、あたし……リアって言います。ジャックの双子の妹です。あの、アルフレッドさんにお願いがあって……」
リアと名乗ったジャックの妹は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ジャックの妹? とりあえず、中に入ってくれ。こんな夜更けに女の子の一人歩きは危ない」
俺はそう言うと事務所の中に彼女を招き入れた。
シフォンをベッドに下ろし、俺はリアにお茶を出した。
「で、ジャックの妹が俺に何の用なんだ?」
「あの……兄が、兄がいなくなったんです」
児童連続失踪事件。
十代前半の子供たちが相次いで失踪している事件がここ最近相次いでいた。町の警察も躍起になって事件を追っているみたいだが特に進展はなさそうな感じだ。特に依頼は受けていなかったが、俺も空いているときに調べるようにはしていた。
金持ちのご令嬢から貧民街の子供まで。被害者の共通点はいずれも十代前半の子供。特に脅迫もないことから誘拐ではなく失踪事件とされていた。町の人たちは神隠しにでもあったのではないかと噂している。
ジャックは事務所から出て一度リアの元へ戻っているが、また出かけてそれからは一度も帰って来ていない。リアはジャックから俺のことを聞いており、また俺のところへ来ているのではないかと思ったらしい。リアの依頼はジャックを探してほしいということだった。結局、夜も遅かったので一晩リアを泊めて話は朝ゆっくり聞くことにした。
新聞の情報によると、今月だけで既に十人もの被害者が出ているらしい。
ジャックは勝手にいなくなるような人間ではないし、今までどんなに見入りがなくとも帰らない日はなかったのだという。
とりあえず、俺はジャックのことは探してみることを約束してリアを帰らせた。
簡単に描いたジャックの似顔絵を持って、聞き込みから始めることにしたのだが、やはり貧民街出身であるため似顔絵を見せると顔を渋る人間が多かった。掏りの常習犯であるため、彼の顔は意外と知られていたが、行方を知る人は一人としていなかった。
途中、カイトの店に寄ってみたがやはり帰ってきてはいない。
まさか、カイトまで失踪してしまったのでは……。だが、カイトは二十代だ。失踪事件とは無関係なのかもしれない。
俺はとりあえずジャックの聞き込みを優先して回った。一日かけたが、彼に関してわかったことといえば、最後に目撃されたのは教会の中という情報しか集まらなかった。
日が暮れる前に、俺は一度教会に足を運ぶことにした。
ちょうど、聖歌隊が教会で歌を歌っているところだった。その天使の歌声に、誰もが息を呑んで聞き入っている。中央で歌う少女は別格らしく、他の聖歌隊とは違う華やかな衣装を身にまとっていた。
やがて彼女がソロで歌いはじめると、音楽に全く関心が無い俺でも鳥肌が立つような素晴らしい歌声であることは理解できる。それに、彼女はまるで本物の天使のような綺麗な顔立ちをしている。更に赤と緑の目を持っており、彼女が特別な人間であることを物語っていた。
昔からオッドアイ持ちは特別な力を持っていると言われている。彼女の場合、この歌声なのだろうなと俺は勝手に納得してしまった。
やがて歌が終り、周囲がざわつきはじめると俺は近くにいた人間に似顔絵を見せて聞き込みを開始した。
「ああ、その子だったら私見たわ。昨日ここで聖歌隊の歌聞いて涙ぐんでたもの。でも、それからどこに行ったのかは、知らないわね」
どの人間の答えも似たり寄ったりな答えだった。
どうやらジャックはここを出た後で失踪したことになる。教会以降の足取りが全くつかめなかった。
「それにしても、彼女の歌声は素晴らしいですね。まるで本物の天使ですわ」
いかにも金持ちといわんばかりの上等な生地の服と宝石を身にまとった中年女性が大きな声で少女を絶賛していた。女性の前には牧師の服を着た青年が立っている。牧師の顔は目元が垂れていていかにも頼りなさそうな顔をしていた。
その牧師の前にはソロで歌っていた少女が無表情で立っていた。
「あのおばさん、またやってるのか」
ぼやいたのは近くにいた中年の男性だった。
「また?」
「ああ。ティファを自分の屋敷に召抱えようとしてああやって何度も牧師に交渉してるんだよ」
「ティファ?」
「にいさん、ティファを知らないのかい? あの歌姫の名前だよ。何でも、牧師の妹らしくてね。最近聖歌隊と一緒に歌うようになったんだよ」
そんなことを話していると、ティファと牧師が俺たちの前を通りかかった。俺の前を通り過ぎるところで突然ティファが前に倒れる。俺は咄嗟に腕を出して彼女の体を支えた。驚くほど軽かった。
「大丈夫か?」
前のめりに倒れたせいで、彼女のうなじにある傷が俺の目に入った。
「…………」
「すみません! ありがとうございます」
黙る彼女に代わって、牧師の青年が慌てて何度も頭を下げた。
二人はそのまま教会から出て行ってしまった。
結局、教会でも情報を得ることはできなかった俺は事務所に戻ることにした。
シフォンに餌をあげていると、扉をノックする音が聞こえた。日はすっかり暮れている。誰かと思い扉を開けると、そこには黒と白を貴重としたふりふりのドレスと赤いバラを飾った黒い帽子をかぶった少女がいた。
「おひさ~。お邪魔しまーす」
少女は勝手にずかずかと中に入ってきた。
「誰かと思えばリリーか。珍しいな、どうしたんだ?」
「なぁに? あたしが来たら悪い?」
「誰もそんなこと言ってないって……」
俺が肩をすくめると、少女はソファにどっかりと腰を下ろした。
彼女の名前はドレッタ=リリー。自分の店で人形を作って売っている人形師だ。黒く長い髪を巻いており顔には化粧でバラの模様を描いており、いつも自分を自分が作っているような人形と同じように見せている。
以前、ちょっとした事件で知り合いになり、たまに飲みに行ったりするが恋人とかそういう関係ではない。傍から見ると十代後半だが、彼女曰くとっくに成人しているとのこと。歳は何度聞いても教えてくれない。
リリーはソファに座ってしきりに自分のつけ爪を気にしている。そんな彼女に擦り寄るように、ご飯を終えたシフォンがやってきた。
「きゃー! 可愛い! 何? この子あんたが飼ってるの?」
シフォンに気付いたリリーが笑顔を浮かべてシフォンを抱き寄せる。人見知りのシフォンだったが、何故か嫌がる素振りを見せないままリリーに大人しく抱かれた。
「いや、知り合いの猫だ。俺が飼ってるんじゃないよ」
「ふーん。知り合い、ね……」
「で、お前は何の用だ?」
「なぁに? お客に対してお茶も出さないの?」
「客って、何か依頼でもあるのかよ?」
「違うけど……」
「違うのかよ……お前、ほんとに何しに来たんだよ」
俺が再度尋ねるが、彼女は答えることなくシフォンとじゃれあっている。俺はひとつため息をつくと仕方なくお茶の準備を始めた。
すると、再び扉を叩く音がした。今度のノックは大きく、ドンドンという音で少し煩いくらいの音だった。
「はいはい。今開けますよっと」
扉を開けるとそこにはよく見知った男がいた。
「あれ? マスターどうしたの? こんな時間に」
彼は近くのバーのマスターで、俺とリリーそしてカイトの顔なじみであった。
マスターはよほど急いで走ってきたのか肩を切らしている。
「あ、ああ……アル君。良かった、事務所にいたんだね……」
「どうしたんですか? そんなに慌てて。とりあえず中に入って落ち着いてください」
中に入るよう促すが、マスターは首を横に振った。
「よく、落ち着いて、聞いてくれ……カイト君が、カイト君が死んだそうだ」
「……は?」
マスターが何て言ったのか理解できなかった。
「カイト君が、川下で死体で発見されたんだよ」
もう一度言ってくれたマスターの言葉でようやく俺はカイトが死んだという言葉を理解した。
「とにかく、一緒に来てくれ。身元の確認がしたいそうだ」
「あ、ああ……」
俺はリリーの方を見るが、リリーは何も言わずに無言でシフォンと遊んでいる。俺は彼女を事務所に残してマスターについて事務所を飛び出した。
俺とマスターが現場に到着すると、そこは人だかりが出来ていた。
町の警察が出張ってきており、野次馬が中に入らないように規制している。マスターが近くにいた警察官に事情を話すと、俺とマスターは死体のところまで案内された。
そこでまた、見知った顔に出くわした。
「何だ、知り合いってお前のことか」
げ、という言葉を飲み込んで俺は「お久しぶりです」と挨拶した。
彼はドルイード。刑事ではなく、この前昇進したと聞いたので警部補だ。以前関わった事件でたびたび顔をあわせていたのでちょっとした知り合いになっていた。
「とりあえず早く確認してくれ。身元保証人がいないから、知り合いに確認してもらうしかないんだ」
死体には大きな布がかけられていた。俺が布を取って確認する。いつもかけている眼鏡はなかったがスーツにコート。顔もカイトそのものだった。
「間違いありません。カイト君です」
マスターが言った。
「…………」
カイトの死体を見て、俺は何か違和感を覚えた。
「死因は何ですか?」
ドルイード警部補に尋ねると、彼は重いため息をつきながらも答えてくれた。
「見たままだ。川で溺れたことによる溺死だな。ただ、後頭部を強く殴られた後がある。おそらく、後ろから殴られて気を失った後で川に放り込まれたのだろう。もしくは川の側を歩いているところを後ろから殴られて突き落とされたか……」
確かに、よくよく見ると頭に殴られた後があり髪が血で染まっている。流されたときにできたのか体にはところどころに傷ができていた。だが、顔は真っ白く傷ひとつないきれいなままだった。
だが、何かひっかかる。何だろう。
俺がカイトの顔を見ながら考え込んでいると後ろから「その死体はカイト=ダンヴァスで間違いないんだな?」というドルイードのいらいらした声が飛んできた。
「え、はい……間違い、ありません」
「よし。いいぞ、運べ」
ドルイードは部下に死体を運ぶように命じる。
「カイト……」
再び布をかけられ、物のような扱いで運ばれていくカイトに、俺はただ黙って見送ることしか出来なかった。
「ま、今回は犯人も捕まってるからな。お前が出る幕じゃないな」
肩を叩いてくるドルイードに俺は驚いて振り返った。
「犯人、捕まってるんですか? 誰なんです?」
「お前も知ってるんじゃないか。アンナ=フェルメート。フェルメート家のご令嬢だよ」
名前だけは知っていた。フェルメート家はこの町一の資産家だ。
だが、どうしてフェルメート家の令嬢がカイトを……?
「とにかく、アンナは自分がやったと認めてるんだ。お前の出る幕はないからさっさと帰れ帰れ」
半ば追い出されるような形で、俺とマスターはその場を後にした。
「まさかカイト君が殺されるなんて……」
マスターは信じられないという言葉を繰り返し呟いている。
「…………」
俺はマスターと別れ、事務所に辿り着くまでずっと考え込んでいた。
事務所に入ると、既にリリーの姿はなかった。ただ、シフォンが俺の顔を見て寂しそうに一声鳴いた。
次の日、俺はリリーの店にやってきた。結局何の用だったのか聞きだすためだ。放っておいてもいいのだが、無性に気になってしまったのだ。
店のショーウィンドウの前で、知った顔を見つけた。
「あれ、君は……」
ショーウィンドウを覗いているティファだった。今日は一人なのか近くに牧師の姿はなかった。
ティファは俺に気付くと頭を下げた。つられて俺も頭を下げる。
「人形、好きなの?」
俺が尋ねると、ティファは相変わらず無表情のまま俺の顔を見上げた。
「……好き、なのかな。わからない。でも、この子たちは、私の兄弟みたいなものだから……好き、なのかもしれない」
「兄弟……?」
「…………」
「それって、どういう意味?」
彼女の言いたいことがわからず、尋ねるがティファはもう一度頭を下げると、そそくさとその場から去って行ってしまった。
「何だったんだ? それに……あの子、あんな顔だったっけ?」
一度しか見ていない顔だが、どことなく彼女ではないような気がした。どこが違うのだろうか……。
俺はしばらく考え込んだが、結局違和感を拭い去ることはできなかった。まあ、一度しか見ていないのだから他の子と勘違いしたのだろう。
俺はショーウィンドウに並べられている人形を見た。女の子から見れば可愛いのだろうが、やはりいつ見ても気味が悪い。
リリーの作る人形は職人芸なのだろうがまるで生きた人間そのままだ。特に目なんか、ずっと見ていると吸い込まれそうなくらい生々しい。彼女が作る人形にはどれも顔にはバラの模様が彫りこまれている。
自分の顔にも化粧でバラを描いているあたり、大方自分がこの人形たちの親玉だという彼女なりの主張なのだろうと思っている。
俺はそんなことを思いながら、店の中に入った。
中に入ると予想通り客はなく、暇をもてあましているリリーの姿があった。
「いらっしゃい……って何だ、アル君かぁ。営業スマイル作って損した」
「おい……」
「まあ、ゆっくりしていきなよ。お茶くらいは出すからさ」
「いや、今日は少し寄っただけだからすぐに行くよ。で、昨日は一体何の用だったんだ?」
「特になにも。ただ、顔を見に寄っただけよ」
「それだけか?」
「ええ。それだけ。でも、昨日は大変だったわね……まさかカイト君が……」
「…………」
カイトの名前を口に出されるだけで、俺は何も言えなくなってしまった。未だに実感がないのだ。カイトが死んだことに対する実感が。
重い空気が店を包んでいた。そんなところに、扉に飾ってある鈴が鳴った。誰か来たようだ。
「客みたいだな。俺は行くよ。また今度な」
「ええ……」
軽く手を振って外に出ようとすると店に入ってきた客の姿が目に入った。
銀色の長い髪の美青年だった。歳は俺より少し上といったところか。初めて見る顔だった。
「あら、シオンじゃない! おっひさ~!」
奥から嬉しそうな声で出迎えるリリーの声がした。リリーの知り合いのようだ。
はて、この町にあんな美青年いただろうか。俺は店の外に出て少し考えてみたが思い当たらなかった。
旅人だろうか。
職業上聞き込みをする上で俺は様々な人間と話す。大抵一度話しをした相手の顔は覚えているのだが、彼に関しては一度も見たことがなかった。
「……ま、いっか」
俺は頭を振り払うと、ジャックに関する聞き込みを再開した。
新聞では、カイトが殺された事件が大々的に取り上げられていた。まあ、犯人が資産家の令嬢だから仕方ないとは思う。
俺はため息をついて新聞をとじた。
ジャックの捜査に進展もなく、カイトの事件の詳細を面白おかしく書かれていれば、気が滅入るのも無理はない。
ジャックがいなくなって二日経った。リアの家に行き、たずねてみたがやはり一度も戻ってきていないらしい。
日が経つにつれて、どんどん諦めモードになっていく。
俺が諦めたら駄目だ。最後まで希望は捨てない。俺が諦めたら、そこでおそらくジャックの死が確定してしまうだろう。俺以外に彼を探しているのは妹のリアだけなのだから。
頭を振って気合を入れなおす俺をよそに、シフォンが突然玄関のドアを引っ掻きだした。どうやら外に出たいようだ。
俺は仕方なく立ち上がり、扉を開けた。するとシフォンは一目散に外へ飛び出してしまった。
「あんなに慌ててどうしたんだ?」
俺はシフォンの行動が気にかかり、後を追うことにした。
外に出ると、近くの広場にシフォンの姿があった。何かを探しているのか辺りをきょろきょろ見回している。
俺は走ってシフォンがいるところに駆け寄った。同じように俺も辺りを見渡してみると、気付いた。こちらをジィッと見つめる一人の人間の姿に。
その人間は俺と目が合うとその場からすぐに立ち去る。俺は慌てて後を追うが、追いつくことはできなかった。
「あれは……」
全身をフードがついたローブで覆っていたが、一瞬だけ顔が見えた。紛れもない、カイトの顔だった。
「まさか……幽霊か?」
途端に背筋が寒くなった。
そんな俺の肩を、うしろから叩かれた途端ビクッとして振り返った。
「あ、あの……」
おずおずと声をかけてきたのは、意外な人物だった。
「あなたは、教会の牧師さんですよね?」
「はい。あなたは、昨日教会に来てらっしゃった方ですよね。こんなところで何をされているんですか?」
「へ……?」
改めて辺りを見渡して、俺は絶句した。
いつの間にか、俺は見知らぬ場所にいた。今までいた広場ではない。どこかの路地裏に変わっていた。
「な……ここは……?」
近くの建物を見渡してみると気付いた。近くにあるのは教会の建物だった。どうやらここは教会裏手の路地らしい。
俺はどうやってここまで移動したんだ?
事務所近くの広場から教会までは結構な距離がある。少なくとも一瞬で移動できるような距離ではない。俺は狐につままれたような気分になりながら、なんでもないと牧師に対して誤魔化した。
「ここらは、あまり治安も良くないようです。日が暮れないうちに戻られた方がいいですよ」
教会付近なのに、治安が良くない。
俺は訝しげながらも牧師に対して頭を下げるとそそくさとその場を後にした。
しかし……。
俺は完全に牧師の視界に入らない場所まで歩くと、振り返って教会の方を見た。
ここ数日の間に、色々なことがありすぎている。ジャックの失踪に、カイトの死、そしてさっきの出来事……。偶然かもしれないが、カイトが出かけてから色々なことが起こりすぎている気がする。
だが、それを整理するよりも気になることが一つある。
「あの牧師……」
俺はその場で日が落ちるのを待つことにした。
そして日が落ち、辺りはすっかり真っ暗になった。
裏路地は人通りもなく、辺りはすっかりと静まり返っている。
俺は極力音を立てないように教会裏手に置いてあったゴミ捨ての箱に近寄った。箱の中には黒い袋が沢山置かれている。
「うっ……」
袋の中から漏れているのか、凄まじい臭気に俺は思わず鼻を覆った。酷い臭いだった。
普通の生ゴミではここまで酷い臭いはしない。
俺は顔をしかめながら袋を開いた。
「…………っ!」
感触から大体予想はついていたが、実際に目にすると身体中を嫌悪感が駆け巡る。吐くまでには至らなかったが、それでも胃がむかむかしていた。
袋の中に入っていたのは切断された沢山の人間の腕だった。腕だけが何十本も詰められているのだ。他の袋も開けて確かめたかったが、触った感触が全てを物語っていた。
しかし、予想以上だった。
俺はさっき、牧師の服の裾に小さくついていた赤い染みが気になって調べにきたのだが、やはりあれは血なのだろうか。
しかし、これが牧師が捨てたものであるのかはわからない。捨てる現場を見たわけではないのだ。
どこかの偏執狂が勝手に捨てていっただけなのかもしれない。あの服についていた血も牧師が怪我をしただけなのかもしれない。このパーツと牧師を結びつけるものは現状はない。
直接問いただせばいいことなのだろうが、白を切られたらそこで終りだ。
俺は袋の中から腕を一本取り出した。
大きさから見て、子供の腕と同じ大きさだった。男のものか女のものかはわからなかった。それに気付いて、俺はすごく嫌な想像が思い浮かんだ。
まさか、児童連続失踪の……。
俺は最悪の想像をしてしまい、頭を横に振りかぶった。
いや、まだそうと決まったわけではない。
だけど……。
最悪の事態を想定して悲観視することはあまりよくないのだが、楽観視もできない。
だが、この時俺は気付いていなかった。切断された腕に気を取られていて、俺を見つめる一つの目があったことに。
「……ん?」
俺はその場から離れようとしたが、箱の下に置いてあった袋に足をぶつけた。
この袋も同じなのだろうかと思ったが、足にぶつけたときの硬さが気になり中を確かめることにした。
「これは……」
中に入っていたのは、人の足がたくさん入っていた。しかし、さっきの腕とは違ってその足は陶器のように冷たく硬いものだった。
人形の足か?
確かに、リリーの店は教会から近いところにある。
他の袋も確かめてみると、人形のパーツである胴体部分、頭部、腕などがまとめられている。
ここはもしかしたら、教会のゴミ捨て場というよりも共用のゴミ捨て場なのかもしれない。
共用ゴミ捨て場に捨てられていた人形と人間のパーツ。これが何を意味しているのか考えていると、突然後ろから服を引っ張られた。
咄嗟に振り返ると、そこにはティファの姿があった。
「や、やあ……」
彼女から見れば、俺は不審者以外の何者でもないだろうが、ティファは大声を出すこともせずジィッと俺を見つめていた。それが返って不気味さを浮き立たせている。
「ここは危ないから、早く帰った方がいい」
「え……?」
「早く、帰った方がいい。早く、帰った方がいい」
ティファはただその言葉を繰り返している。まるで壊れたラジカセみたいに繰り返す彼女は、俺でも若干の恐怖を感じた。
その時、ティファを呼ぶ牧師の声が聞こえてきた。また牧師に見つかったら不審な目で見られることは間違いない。もしかしたら警察まで呼ばれるかもしれない。
「わ、わかった。帰るよ」
俺は慌てながらも小声でティファにそう言うと、音を立てないようにその場から立ち去った。
だが……俺は歩きながらティファの目について考えていた。さっき会ったときは赤と緑色の目だったのに、今は赤と青色の目になっている。カラーコンタクトでもつけているのだろうか。だとしたら、何故……。
考えても、答えは出なかった。
事務所に戻ると玄関の前でシフォンが俺の帰りを待っていた。扉を開けて中に入れてやり、シフォンに餌をあげながら、今日起こったことを考える。
近所の広場でカイトらしき人物を見つけて追いかけたら突然教会の裏路地にいたこと。そこにいたのは服に血がついた牧師。彼のことが気になり教会裏のゴミ袋を調べたら人間の腕などのパーツが入っていた。
いや……待てよ?
何で俺は血がついていただけで牧師が疑わしいと思ったんだ? 何でゴミ袋なんか調べたんだ?
その時は気付かなかったが事務所に帰ってきて落ち着いて考えると俺は自分の行動に疑問を持った。まるで、何かに導かれるようにゴミ袋の中を調べたような、そんな変な感じだ。突然教会裏に移動したこともそうだ。
何かがというか、全部おかしい。
「何だ。何が、どうなっているんだ……?」
まあ、突然別の場所に移動したことに関しては今考えても答えが出るはずも無い。
俺はいったんその問題を置いておくことにして、今度はゴミ袋に入っていた人間のパーツと人形のパーツについて考えてみる。
普通に考えれば、教会の牧師が捨てたものと考えるのが自然だが人形のパーツが入っていたことから牧師が捨てたものだとは一概にはいえない。むしろ、人形のパーツがあったことから、ありえないとは思うがリリーが人形のパーツと一緒に人間のパーツを捨てた可能性もある。もしくは、リリーが人形のパーツを捨てることを知っていた第三者が捨てた可能性。
リリーに関しては昔から変な噂があった。彼女は本物の人間を使って人形を作っているのではないかという噂だ。彼女の作る人形はあまりにも人間にそっくりだ。人形と知らなければ人間に見えるほどの精巧さがある。リリーと親交がある俺だからそれはないと断言できるが、捨てられていた人間のパーツを見せられては、その噂も本当なのではないかと思ってしまう。そして、その捨てられていた人間のパーツがもし児童失踪事件の被害者のものだったとしたら。リリーが児童を攫って人形を作っているという話にもなってしまう。
本人に直接話を聞くべきだろうか。
俺は時計を見た。まだぎりぎり、リリーの店が開いている時間帯である。飲みの誘いを口実に行ってみるのもいいかもしれない。
俺は再び外に出て今度はリリーの店へと向かった。
リリーの店の前の通りまで来たところで、俺は彼女の店から出てきたリアの姿を見た。
リアは何やらきょろきょろとやたらと辺りを見渡しながら店から出て行った。何やら人目を気にしているようだ。
俺はリリーの店に入るかリアの後を追うべきか迷ったが、リアの後を追うことにした。店から出てきたリアの様子は普通ではなく、何やら焦っているようだったので気になってしまったのだ。
リアに見つからないように後をつけると、彼女は俺がさっきいた裏路地から教会の中に入っていってしまった。
教会に何の用なのだろう。
俺も彼女のあとを追って裏手から教会の中に忍び込む。
「鍵がかかってないなんて無用心だな……」
俺は音を立てないように中に入った。
明かりはついていなかったが、窓から差し込む月の光があったため何も見えないというわけではなかった。
そういえば今日は満月だったことを思い出す。
裏口から入ると中は通路が一本あり、左右には部屋の入り口である扉が締め切られている。
どこに行ったのだろう。
俺は近くの部屋の扉を開けようとするがどれも鍵がかかっていた。通路の最奥にある扉は少し開いているようで中から明かりが漏れていた。
奥の部屋から話し声が聞こえてきた。だが、何て言っているのかわからない。俺は忍び足で近づき、そっと部屋の中を覗いてみる。
「あたしは知ってるんだ! お前が失踪事件の犯人なんだろ! ジャックを返せ!」
リアの声だった。リアの目の前には牧師の姿がある。
牧師の表情はいつもの頼りなさそうな表情ではなく、彼とは思えないほどに冷たい表情をしていた。だが、何かを答えることはなく無言でリアを見つめている。そんな彼の様子を見て俺の脳裏に嫌な予感が過ぎった。
兄を返せというリアを牧師は見つめていたが、やがて彼の口端が吊り上った。そして、牧師は凶悪な笑みを浮かべて狂ったように笑い始める。
「うくく、くくくくくっ。ふふ、ふふふふふふふふ……」
それを見た俺は背筋を凍らせた。リアはあまりの牧師の変わりように絶句している。
そんな彼女の顔を牧師はガシッと掴んだ。リアの肩がビクッと大きく揺れる。
「これだ……これだよ……ようやく、ようやく……見つけた、見つけた……みぃつけた」
「ひいっ!!」
リアの悲鳴と同時に俺は扉を開けて中に入った。
だが、牧師は特に驚いた風もなくただ乱入してきた俺を見つめるだけだった。
「ああ、またあなたですか……先ほどお会いしましたね」
「アルフレッドさん!」
リアが俺を見て声を上げる。
「ああ、あなたが例の探偵さんですか……困りましたね」
言葉と裏腹に対して困ったような顔をせず、牧師は静かに取り出したナイフをリアに突きつけた。
「うっ……」
「アルフレッドさん、後ろ!!」
リアの叫び声と同時に俺は横に飛んだ。突然後ろから現れた気配に気付いたからだ。俺に向かって振り下ろされた花瓶は空を切った。
花瓶で殴りかかってきたのはティファだった。彼女は花瓶を持ったまま無言で俺を見つめている。
「ちょうどいい。ティファ、ちょっと遊んであげなさい」
牧師はリアにナイフを突きつけたまま奥の部屋に行ってしまった。それを追おうとするが、ティファが再び花瓶で俺に殴りかかる。
俺はそれを避けて、何とか牧師を追おうとしたが奥の部屋につながる扉を塞ぐようにティファが立ちはだかった。
「兄さんのところには行かせない」
「兄さん? あの牧師のことか……」
だが、早く行かなければ。あの牧師、リアをどうするつもりなんだ。
俺は仕方なくため息をつくと、瞬時にその場からティファの前まで移動すると彼女の鳩尾に拳を叩き込む。だが、手ごたえがない。
「……?」
全く表情を変えないティファの口が開いた。そして彼女の口からこの世のものとは思えない声……いや、歌が紡がれる。それは不協和音が何十も重なったような旋律でとても歌とは思えなかった。あまりの不快さに俺は咄嗟に両耳を塞ぐ。だが、不快感は増すばかり。次第に意識がぐらつきはじめる。
やがて視界がぼやけてきて俺の意識はそのまま闇に落ちた。
耳をつんざくような悲鳴で俺は目を覚ました。
起き上がろうとするが両腕と両足を縄で縛られ身動きが取れない。
辺りを見渡すとまず目に入ったのは部屋のところどころについている赤黒い染みだった。それを見た途端、つんとした鉄の錆びたにおいに気付き顔をしかめる。
さっきから聞こえている悲鳴はどうやら近くの部屋から聞こえているようだった。おそらくリアの声だろう。
俺は何とか這いずって部屋から出ようとするが鍵がかかっているらしく、出ることが出来ない。
「くそっ……どうすれば」
突然、リアの悲鳴が止んだ。
すると、近くの部屋から誰かが出る扉の音が聞こえた。そして、その誰かの足音が俺のいる部屋に近づいてきた。
俺は慌てて扉から離れる。
そしてその誰かは俺がいる部屋の前で止まると扉の鍵を開けて中に入ってきた。
「……っ!!?」
その誰かを見て、俺は絶句した。
俺の前に立ったのは、おそらくティファだった。
何故おそらくなのか。それは、頭がなかったのだ。
頭の無い人間が、俺の部屋の鍵を開けて中に入ってきたのだ。おそらく、リアの悲鳴の原因はこれなのではないかと思う。
そいつはテーブルに置いてあったナイフを取ると、俺に近づいてきた。そして俺の体をしばっていた縄を切り始める。
「お前……なんで……」
だが、そいつは口どころか頭そのものがないため何も答えない。
俺がそいつをジィッと見つめていると、再びリアの悲鳴が響いた。俺はすぐに立ち上がると部屋から飛び出してリアの悲鳴が聞こえた部屋の中に飛び込んだ。
だが、中にはリアしかいなかった。だが、リアは顔を真っ青にしてその場に腰を抜かして座り込んでいる。
「どうした、リア?」
俺が声をかけると、テーブルの上を指で指していた。
そしてそれを見て俺も絶句する。
テーブルの上には人間の頭が置いてあった。
「うぐっ……」
俺は目の前のグロテスクなそれについ吐きそうになる。
それは目と脳をくり貫かれた人間の子供の頭部だった。いや、よくよく見てみると耳もない。
髪型や、顔立ちからそれはどうやらジャックの頭部のようだった。
リアはすぐに気付いたのだろう。自分の兄の末路を見てひたすら嗚咽をこぼして泣き崩れている。
「…………」
最悪の結果に俺は下唇を噛み締めるが、ここに長居するのは危険だと判断し、リアを連れてここから逃げ出すことにした。
俺は泣きじゃくっているリアの腕を掴むと、突然開けっ放しだった扉が閉まる音がした。そして無機質な機械の音が部屋を満たす。
おそるおそる振り返ると、そこにはチェーンソーを持った牧師の姿があった。相変わらず目には狂気の色が宿ったままだった。
「いけない子たちだ……勝手に出ちゃ駄目じゃないか……」
「俺たちをどうする気だ?」
「ん? 君は正直どうでもいいんだけど。まあ、余計なものまで知られちゃったし……ねえ?」
「……」
俺はリアの腕を掴んだまま彼女をかばうように牧師に対峙する。
「児童連続失踪事件の犯人がお前だったとはなぁ……リアの後をついてきて良かったよ。なあ、牧師さん、俺だけにこっそり教えてくれないか? 攫った子供たちをどうしたのか……」
「……簡単なことさ。殺したんだよ。そのテーブルに乗っている子と同じようにね」
俺はジャックの頭部を見た。
「しかし、彼と同じ顔のしかも女の子がいたなんてね……その頭のうなじを見てごらんよ」
牧師に促されてうなじの部分に当たるところを見てみると、俺は絶句した。うなじには見覚えのある傷があった。そう、先日教会で見たティファのうなじにあるものと同じ傷だ。
「まさかそんなところに傷があったなんて気付かなかったんだよ。それがどうにも気に入らなくてね……だから」
そう言うと、牧師は俺の後ろにいるリアに視線を移した。
「ちっ、そういうことか……。風の噂で聞いたことがある。機械人形を作ることができる魔術師。お前のことだな、アンドレッド=ダンテ。お前、機械人形の素材に人間を使いやがったな」
「魔術師、ねぇ……」
牧師――ダンテは面白そうにくすくす笑った。
「まあ、いいや。自己紹介が遅れて申し訳ない。僕の名前は君の言うとおりアンドレッド=ダンテだ」
アンドレッド=ダンテ。
一度は誰でも聞いたことのある名前だ。機械人形作りの専門家で彼が作る人形は市場で高値で取引されている。
情けない話、俺はジャックのうなじを見るまで全くわからなかった。ティファの頭部が、ジャックの頭部で出来ていたことに。
「ティファはね、僕の生涯での最高傑作になるんだ。人形の素材に人間を使ってはいけないなんて、誰が決めたんだ? 法か? 人か? 神か? そんなことは関係ないのさ。金さえ払えば、人間なんていくらでも手に入るのだからね……」
「……?」
金さえ払えば……?
「君はその子の保護者なのかい? ならばその子を買い取ろうではないか。取引しよう。その子を引き渡して僕のことは他言しないと約束してくれるなら、君の言い値を支払おう」
「……」
俺はどう答えるべきか考える。
答えは決まっている。ノーだ。だが、ここで返答の言葉回しを間違えば、最悪彼女を逃がすことができなくなってしまう。
どうしたものか。
「どうだい? 悪くない取引だろう?」
「…………」
俺が黙り込んでいると、遠くの部屋で何かが盛大に割れる音が響いた。そして何やら焦げ臭いにおいが鼻をつく。
「何だ……?」
やがて室内温度があがり、黒煙が隙間から入ってきたことでこの建物に火がつけられたことを知る。
「ティファ……? ティファ!!!」
そのことに気付いたダンテは俺たちを放り出して血相を変えて部屋から飛び出した。
「いくぞ、リア」
俺はリアの腕を引っ張って部屋から出た。ところどころに火が飛び移っていた。早く外へ出なければ。
だが、窓がないことからどうやらここは地下のようでどこから地上に上がればいいのかわからない。迷っている間にもどんどん火は建物をつたって広がっている。
「こっちだ」
そんな俺に後ろから声がかかった。
振り返ると、そこにはフード付のローブを着たカイトの姿があった。
「カイト!?」
だが、彼は無表情のまま「こっちだ」という言葉を繰り返している。
俺はついていくべきか迷ったが、状況が状況なだけに迷っている時間が無い。リアの腕をしっかり掴んだままカイトについていくことにした。
俺とリアは何とかカイトの誘導のおかげで教会の外に出ることができた。
「げほっ、げほっ……!!」
黒煙を吸い込んでしまったのか、咳が止まらない。
「か、カイト……?」
俺はきょろきょろと辺りを見渡すが、既にカイトの姿はなかった。
教会の火事で人が集まりつつある。俺はリアを連れてそのまま事務所へ向かって走った。
次の日、教会から二人の焼死体が上がったという話を聞いた。
一人は牧師の遺体で、一人は首のない少女の遺体だ。
だが、何故か置いてきてしまったジャックの頭部やおそらく地下に保管されていたであろう人形のパーツである他の人間の遺体は発見されることはなかった。
結局、教会の火事は暖炉の不始末の事故として片付けられてしまった。
疲れきっていたリアを事務所に泊めたのだが、朝になると彼女の姿は消えていた。
貧民街に戻ったのだろうと思い、貧民街へ足を運んだのだがリアの姿を見つけることはできなかった。
教会の火事以降、児童失踪事件はぴたりとなくなった。
結局、失踪した子供たちは見つからないまま、この事件は噂の中に埋もれて行き、やがて消えた。
わからないことが多すぎる。
カイトのこともそうだが。あのあと、教会でダンテとティファに何があったのだろうか。
俺はジャックのために小さな墓を買った。遺骨はないが、助けてあげられなかったのだ。俺のせめてもの罪滅ぼしだった。
ジャックの墓に花を供えて合唱した。
明日はカイトの葬儀がある。色々忙しくなるためダンテの件を調べることは当分できそうにないが、俺は諦めない。絶対に。
何年かかろうと今回の事件は必ず解明してみせる。
俺はそうジャックの墓に誓うと、墓地を後にした。
「冗談じゃないわ!」
リアは激昂した。彼女の前には金貨が入った袋が置かれている。
「あたしはあんたの言うとおりに動いて命を落としかけたのよ。これっぽっちのはした金、冗談じゃない!」
「…………」
リアの真向かいに座る人物はただ黙って彼女の言葉を聞いている。
「見くびらないでよね。あたしの情報を高値で買い取ってくれる人間なんか沢山いるんだから!」
「……そんなにお金が欲しいのかね? まあ、それは愚問か。お金のために実の兄弟を売り渡した君のことだ。そう言うだろうとは思っていたよ」
リアの激昂に、その人物は無表情のまま自分の爪をつまらなそうに見つめている。
「だが、これ以上のお金を出すことは出来ない。そういう契約だ。君も覚悟の上でサインをしたのではなかったのかね?」
「こんなに危険な目にあうなんて聞いてないわ!」
「……」
「もういいわ! あんたから金を貰うより、情報売った方がいい金になりそうだしね」
バン、と両手でテーブルを叩いて立ち上がると、リアは部屋から出て行こうとする。
「ふむ。ここから出て行くというのかね?」
「ええ! 安心して。もう来ないから!」
「……残念だ」
その言葉と同時にリアの首が飛んだ。そして血が噴水のように噴出す。やがて体がどさりとその場に倒れた。
「これでいいのかね?」
リアの死体を一瞥すらしないその人物が声を上げると、部屋の中に一人の男が入ってきた。
「ありがとうございます。師匠」
入ってきたのはダンテだった。
ダンテは転がっているリアの頭部を拾い、愛しそうに撫でる。
そんな彼を見て、いつの間に現れたのか最初からいたのかわからないが、長い銀髪の美青年がくすくす笑いながら未だに自分の爪をながめる人物に声をかけた。
「しかし、今回はえらく手間がかかったね。こういうのはめんどくさいから苦手だって言ってたような気がするんだが……」
「なに、単なる気まぐれさ。ただのね。でも、すまなかったね。君の手まで煩わせてしまった」
「いやいや、なかなかに面白かったよ。いいものを見せてもらった」
青年は満足そうに笑うとその場から立ち上がった。そして横に控えていたローブをまとったカイトが青年に上着を差し出した。
「やけにご執心のようだね。その新しい人形に」
「なんて言ったって彼は私のお気に入りだからね。先に言っておくけど、いくら君の頼みでも彼を売ることはできないよ」
「…………」
青年はにっこりと微笑むと「ごきげんよう」と言い残し、カイトを連れて部屋から出て行った。見送りのために一緒にダンテも部屋から出て行く。
部屋にはリアの死体と彼女を葬り去った人物だけが残された。しばらくリアの首の無い遺体を眺めていたが「つまらないなぁ」と呟くとその場から立ち上がった。そして彼女の遺体に靴の踵を力強く押し当てるとそこから血が流れ出し更に床の絨毯を汚した。それを見て不愉快そうに顔を歪ませるとそのまま部屋から出て行った。
リハビリ的なノリで一万文字を目安に書いていたのですが、結局二万文字になってしまいました。こんなに長い文章を最後まで読んでくださった方に本当に感謝です。駄目だし、感想等お待ちしております。