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後編

 翌日の昼、私は学校に向かっていた。

 学校は今日から夏休み。私が休みの学校に行かなければならない理由はない。

 だが独りで家にいると一週間後に死ぬという恐怖に押しつぶされそうで、せめて残された余生を部活動などで登校してきた級友たちと過ごせればと思ったのだった。

 学校に着いた私はとりあえず食堂に向かった。今の時刻は十二時ちょっと過ぎ。部活動で生じた空腹を満たそうと、食堂に行く生徒も少なくないと考えられるからだ。

 案の定、食堂はジャージや道着を着た生徒でごった返していた。私は券売機に並び、今日のお薦めメニューになっていた「ねこねこそば」の食券を買った。

 二百円という価格はちょっと安すぎるので不安だったが、カウンターに並んで実際に受け取ってみると、なんのことはない、ただのきつねそばだった。

 なんだよ、ねこねこって……

 見知った顔を捜しながら、食堂を歩く私。食堂の中程まで着たところで、知っている人を発見した。

 その名は桜。一年生のころ私と同じクラスだった彼女は自称霊感が強いらしく、入学当初はしばしば彼女の発言に驚かされたものだった。


「あっ、古川さん、背中に霊が憑いてるよ」

 それが、私が聞いた彼女の最初の言葉だった。

「えっ、うそ?」

 振り返る吉川という女子生徒に、桜が続けた。

「私、霊感が強くて、霊とかいるとすぐに分かるのよね。古川さんにも憑いてるわ」

「え~、怖いわ。憑いてるとどうなるの?」

 震え上がる女子生徒に、桜が言った。

「そうね。迷ったときに道を教えてくれることがあるわね」

「えっ、それって便利じゃん?」

「そうよ」

「何か不利益はないの? 体力が奪われるとか?」

「特にないわ。無償のカーナビがついたと思えばいいわね」

「なんだ。よかった」

 胸を撫で下ろす女子生徒。


 そのやりとりを、私は少し離れたところから唖然として見ていた。霊が憑いてる? そんなことあるわけないだろう。

 彼女が私に話しかけてきたのは、その次の日だった。

「ねえねえ千鶴さん」

 私の制服の裾を引っぱる桜。

「はい?」

 振り返る私を、桜の青色の瞳がとらえる。桜は混血なのか、青色の目と金色の髪を持っていた。

 桜のか細い指が、窓の外を指差す。

「校庭の向こう側、鉄棒に袋が着いているでしょ?」

 目を凝らしてみると、校庭の端にある鉄棒に巾着袋のようなものがくくりつけられていた。そして、それは振り子のようにゆっくりと前後に揺れていた。

「それがどうしたの?」

「あれは風がないときもいつも揺れているのよね。以前この学校で死んだ人の霊が揺らしてるの」

 またこれか。しょうもない冗談を平然と言う人だ。

「何で霊が揺らすのよ?」

「揺らしたいから」

 さも当然のように言う桜。

「じゃあ、私に霊は憑いてる?」

 自分を指差す私。

 桜は首を振った。

「ううん。あなたの体はいたって正常ね」

「あら、そう」


 そんなやりとりをしたのが今から一年前。それからも時折、桜は霊や妖怪、お化けに関する話をしてきた。今はクラスが違うので、会ったのは久しぶりだ。

 私が彼女を見ていると、彼女も私に気づいたのか、彼女の青色の瞳と目が合う。

 私は彼女の向かいの席に座った。

「こんにちは。お久しぶりね」

 笑顔で話しかける私に、彼女は無感情な声で、

「お久しぶり。まさか呪われた状態のあなたとお会いするとは思わなかったわ」

 その言葉に、私は背筋が凍る思いをした。ちょっと待った。桜は今、何と言ったか。

 呆然とする私に、桜が口を開いた。

「どうしたのですか? まさかそれだけの呪いを受けて、気づいていないということはないでしょう?」

 私は自分が呪いをかけられたことを、家族はおろか、誰にも話していない。まさか、彼女の霊感とやらは本物だったと言うことか。

「ちょっと桜、わかるの?」

 その問いに、無言で頷く桜。

 着席した私は呪いをかけられた手を桜に見せた。

「まずい?」

「ええ」

 私は身を乗り出して、桜の耳に口を近づけた。まさかこんなところにあの魔法使いはいないだろうが、念のため。

「どうすれば解けるの?」

 ささやく私。

 桜は私の手をとり、まじまじと見つめた。

「かなり高度な技術でできてるわね。芸術品と言ってもいいくらい。かけたのはかなりの魔術師か、あるいは魔法使いね」

「夜の魔法使いって言ってたわ」

 それを聞いた桜の表情が曇る。

「あらあら、ずいぶんとまずいものと対面したわね。何があったの?」

 私は昨日起こった一部始終を話した。頷きながら聞いていた桜は、私の話が終わると、

「夜の魔法使いは、五千年以上続くある名家の魔法使いたちのことよ。卓越した魔法の能力を持ち、特に呪いの技術は世界一とも言われる、いわば魔法使い中の魔法使いね。ただの魔法使でも珍しいっていうのに、案外身近なところにいたものね。驚いたわ」

「どうすればいいの?」

「そうね。私の技術ではこの呪いは解けそうにないわ。下手にいじって発動させても大変だし、呪いに関しては放っておくしかないわね。一般に呪いを含めた魔法の効果は、それをかけた魔法使いが死ぬと失われるんだけど、相手が夜の魔法使いじゃ戦っても勝ち目がないわね」

「じゃあ、もう助からないってこと?」

「残念だけど、余生を楽しむことを考えるべきね」

 あらら。せっかく希望の光が差したかと思ったのに。

 私はしかたなく、今まで手をつけていなかった「ねこねこそば」とやらを口にした。だが、麺がすっかり伸びてしまっていてあまりおいしくない。

 沈黙を破るため、私が言った。

「ところでこれ、『ねこねこそば』って言うんだって」

「ええ、猫好みの味付けらしいわね」

「そうなの?」

「この前掲示板に出てた『食堂からのお知らせ』という紙に書いてあったわ」

「何で猫なの?」

「猫は健康志向で、カロリーや塩分の低いものを好むからって書いてあったわ。要するに、ダイエット用ね」

 そうだったのか。どおりであっさりしているわけだ。

 それから数刻の沈黙の後、桜が言った。

「ん、待てよ。確か夜の魔法使いの弱点って、猫だったような……」



「――ええと、夜の魔法使いは黒猫を不吉なものと考えており、大の黒猫嫌いである。黒猫を見ると気が動転し、即座に退散するとされる、か」

 ここは部長を務める華道部の部室。誰もいないから話すのに便利だと、桜に連れてこられたのだ。活動は午前中で終了したらしく、今は私と桜の二人しかいない。

 桜は横文字の表紙のついた、「魔術辞典」とかいう本を読んでいる。私は何もすることがないので、桜の向かいのテーブルに座り、出されたお茶をすすっていた。

「やっぱり、夜の魔法使いは黒猫に弱いみたいね。黒猫を利用して呪いを解かせる方法はないかしら?」

 私を見つめる桜。

 いや、助言を求められても困るけど……

「そうは言っても、黒猫を見るとすぐ逃げちゃうんでしょ? だったら呪いを解かせる間もないと思うけど」

「そうなのよね」

 湯飲みを傾けた桜は、それきり何も言わなくなった。

 沈黙の中、部活動のものと思われるかけ声や球を打つ音だけが聞こえている。

 せっかく私の呪いを理解してくれる人に出会えたかと思ったのに、活路を見いだせないとは残念だ。

 私の湯飲みが空になったのに気づいた桜が、急須のお茶を注いだ。

「どうも」

「いいえ」

 ところで桜は一体何物なのだろう? 自称霊感が強い少女だそうだが、魔法にも明るいようだ。

「――ねえ、ところで桜って何者なの?」

 単刀直入に尋ねる私。

 桜は不思議そうに、

「中学生だけど」

 それは知ってるって。私もそうだし。

「いや、そうじゃなくて何か特殊な身分のかなって……」

 少なくとも一般的な中学生は呪いにも気づかないし、「魔術辞典」なる書物も所有していないはずだ。

 桜が言った。

「そうね、又の職業は魔法使いかしら」

 魔法使いなのか。どおりで。――というか、

「桜も魔法使いだったの!?」

 思わず立ち上がる私。後ろの方で椅子の倒れる音がする。

 そんな私を見上げた桜は、さも当然のように、

「ええ」

 昨日魔法使いに会っただけでも驚きだったというのに、まさかこんな身近なところにも存在しているとは。

 桜は茶を一口飲むと、

「まあ座りなさいって」

「はい」

 倒れていた椅子を元に戻し、着席する私。

 桜が言った。

「魔法使いといっても大したことないのよ。魔術師程度の能力しかないし、世界に名だたる夜の魔法使いとは比べものにならないわ」

 ん? 魔法使いと魔術師は違うのだろうか?

 私の疑問を察したのか、桜が続ける。

「魔術師っていうのは魔術を使う人のこと。魔術は魔法に劣るから、言うなれば魔法の廉価版ね。もっとも魔術は不可能を可能にする非科学的な力という点では魔法と共通だけど、その効力や発生の原因などにおいて本質的に魔法と異なるわ。一方、魔法使いっていうのは魔法を使う生き物のこと」

「生き物?」

「ええ、魔術師が人間であるのに対し、魔法使いは人間でないとされているの。だから、生き物」

「――ということは、桜は人間じゃないの?」

「ええ、そういうことになるわね」

 これは驚いた。まあ、人間を食料としているかの夜の魔法使いが人間であったら困るけど……

 まじまじと桜を見つめる私に、桜が言った。

「どうしたの?」

「いや、桜が人間じゃなくて魔法使いだったなんて意外だなって……」

「魔法使いといっても、私は純血じゃなくて人間との混血だから実質的にほとんど人間と変わらないわ。人間を食べる趣味もないから安心して」

「あ、そうなの」

 胸をなで下ろす私。

 ところで魔法使いと人間は子供が作れるのか。確かに魔法使いの見た目は人間そっくりだけど。

 私が言った。

「ねえ、魔法使いって人間と性交できるの?」

「ええ、そうらしいわ。夜の魔法使いは人間を嫌っているそうだけど、魔法使いの中には自らが魔法使いであることを隠し、人間との共生を図るものもいるわ。私の母親もその一人で、私が母親からそのことを打ち明けられたのは七歳のころ。その時初めて自分が魔法使いとの混血だって知ったし、魔法の使い方も教えてもらったわ。もっとも父親には言わないようにってきつく言われているから、父親には教えないし、魔法を見せることもしないけどね」

 へえ、そうだったのか。

「じゃあ桜が人間と子供を作ると、その子も魔法使いになれるの?」

 桜は湯飲みを傾けてから、

「さあ。魔法使いと人間との混血は、純血の魔法使いに比べ力が劣るから、私が普通の人間と子供を作れば、その子はもう魔法使いと言うに値しないかもしれないわね」

「その場合は魔術師になるの?」

「ううん。魔法使いと魔術師は全くの別物よ。魔法使いの子どもでなければ魔法使いになれないのに対し、自らの努力で魔術を修得する魔術師は必ずしもそうでないそうね。もっとも魔術師の家柄に生まれないと魔術の修行が受けられないし、魔術の才能も多少は遺伝するらしいから、実際には魔術師も世襲みたいなものらしいけど」

「ということは、桜が自分の子どもを魔法使いにするには、魔法使いの男と結婚すればいいわけね。……あれ? 魔女って言うのはいるけど、魔法使いの男っているの?」

「いるらしいけど、私の知り合いにはいないわね。もっとも魔法の遺伝子は伴性遺伝だから、魔法使いは女に生まれたときにのみ魔法が使えるの。魔法使いの男は魔法が使えないから、端から見ると普通の人間と区別がつかない。このため人間の数が爆発的に増加した現代においては女の魔法使いが相手を見つけづらく、魔法使いの数が急速に減少する原因になっているそうよ」

 そうだったのか。日本の将来は少子化で大変だそうだが、魔法使いの世界も大変そうだ。

「ところで、純血の魔法使いってみんな人間食べてるの?」

 もしそうなら人間にとって大きな脅威だ。人類は一丸となって戦わなければならないだろう。もっとも冷戦が終わり、核兵器をもてあましているアメリカとロシアにはちょうどいいかもしれないけど。

 桜は湯飲みを傾けてから、

「ううん。夜の魔法使いのような上級の魔法使いは、その身体を維持するために人間しか食べないそうだけど、それ以外の魔法使いは必ずしもそうではないわ。実際、私の知っている魔法使いにラベンダーしか食べないのがいるわね」

 ラベンダーって食べられたのか。私は花屋の娘だけど知らなかったぞ。

「そういえば千鶴って花屋の娘じゃなかった?」

 と桜。

「ええ、そうよ」

 私はこの地域ではわりと名の通った花屋の娘だ。花屋というと個人経営の小さなお店を思い浮かべるかもしれないが、私のところは違う。地代の安い過疎地に広大な敷地を有し、最新鋭の農業機械を利用して、他品種かつ大量の花を育てる大規模花畑経営業だ。ガーデニング用から冠婚葬祭で用いる花まで、広く全国からの需要を賄っている。

 桜が言った。

「ラベンダー扱ってる?」

「ええ、扱ってるけど……」

 それがどうしたのだろう?

「いっぱいある?」

「ええ、メジャーな花は大量に作ってるから、たぶんいっぱいあると思うわ。今が旬だし」

 それを聞いた桜は目を輝かせた。

「ちょうどいいわ。私の知っているラベンダー好きの魔法使いに、大量のラベンダーと引き替えに夜の魔法使いをやっつけるのに協力してもらうっていうのはどう?」

「えっ、そんなことできるの?」

 声を弾ませる私。

「ええ、どちらかというと自分の利益で動くタイプだから、聞いてみる価値はあるわ。純血の魔法使いだから、能力的にも私よりましだし」

「やったあ」

 九死に一生を得られる可能性に、思わず飛び上がる私。私の命ためならきっと両親も喜んでラベンダーを提供してくれるだろう。



 私が学校に再び足を運んだのは、それから三日後のことだった。

 二日前に桜から電話があり、例のラベンダー好きの魔法使いと連絡がとれ、話をするために私たちの学校まで来てもらうことになったという。

 夕方、私が桜に指定された時刻に部室に行くと、中には桜と白銀の髪を持つ少女がいた。

 少女の背は高く、目は桜と同じ青色。差し入る夕日に映える肢体は驚くほど細く、今にも折れそうだ。

「ちょっと、早く閉めなさいよ」

 桜が言った。

「えっ、ああ」

 ドアを閉める私。少女のあまりの容姿の良さにに見とれ、閉めるのを忘れていたようだ。

「ただでさえこまで来るの大変だったんだから」

 頬をふくらませる桜。

 桜が苦労するのも無理はない。これだけの美少女に校内を歩かさせたら人目を引いて大変だ。どうも魔法使いというのは美しすぎていけない。

 私が少女に歩み寄ると、少女はにこやかにほほえみかけ、

「Hallo, ich bin Julia.」

 鈴の音のような声で、私には理解できない言葉を口にした。

「はい?」

 目を点にしたまま、立ちつくす私。桜や夜の魔法使いと違い、外国語しか話せないのだろうか。だとすれば大変だ。私は今聞いた言語はおろか英語もできないし、意思の疎通は困難だろう。

 戸惑う私に桜が言った。

「こらこらユリア、ちゃんと日本語で話しなさい」

 ユリアと呼ばれた少女はクスリと笑うと、

「はじめまして、ユリアです」

 なんだ。よかった。

 ユリアが手を差し伸べてきたので、私も手を伸ばし、木の枝のような細い手と握手をする。

 夜の魔法使いも痩せていたが、このユリアという少女もずいぶんと細身だ。魔法使い同士の戦いには詳しくないが、こんなにか弱くて大丈夫なのだろうか?

 桜が言った。

「ユリアはリヒテンシュタイン在住だけど、日本に留学していたこともあって、日本語は話せるから安心して」

「へえ、そうなの」

 わざわざ外国からとはご苦労なことだ。無事私呪いが解ければ、お礼として大量のラベンダーを与えねばならない。

 桜はユリアに向き直ると、

「ちょっと桜の呪いを見てくれるかしら? あなたが解けるなら、何も夜の魔法使いと戦うまでもないわ」

「そやね」

 とユリア。

 そやね? 聞き慣れない言葉遣いだ。テレビでしか聞いたことないぞ。

「ちょっと失礼」

 ユリアは、そのか細い指で私の手をとり、じっと見めると、

「あら、これはだめやねー。何重にも安全装置がかかって、下手に解除しようとすると発動してまうわー」

 ちょっと待った。発言の内容への失望はともかく、明らかに変わった言葉遣いだ。

 手を放すユリアに、私が言った。

「あの、どちらに留学されてたんですか?」

 ユリアは不思議そうな顔で、

「京大やけど」

 なるほど。どおりで。

 だが、そうなると桜とユリアはどこで出会ったのだろう? 桜は一年生のころからずっとこの学校いたし、関西に行ったという話も聞いたことがない。

 私は桜に向き直り、

「ユリアさんとはどこで知り合ったの?」

「魔法協会っていう、魔法使いの集い。魔法使いの世界における国際会議みたいなもので、各地の魔法使いが集まってくるの」

 へえ、そんなものがあるのか。

「それって夜の魔法使いも入ってるの?」

「加盟はしているみたいだけど、会ったことはないわね。協会では新しく開発された魔法についての情報や人間との共生に関する意見の交換を行っているけど、夜の魔法使いのように単独で力のある魔法使いには、そんなの必要ないってことかしら」

 そう私に話す桜の袖を、ユリアが引っぱった。

「ねえ桜、例のラベンダー畑見せてよ」

「そうね、あらかじめ報酬を確認しておく必要があるわね。千鶴、連れて行ってくれるかしら?」

「うん、いいけど」

 私は昨日のうちに花畑を経営する両親に事情を説明し、畑のラベンダーの処分を任されていた。

 こうして私は桜とユリアの二人と、うちの花畑へと向かうことになった。

 花畑へと向かう車の中、後部座席の端に座っていた私は真ん中の桜に耳打ちした。

「ねえ桜」

「ん、何?」

「夜の魔法使いといい、ユリアさんといい、桜といい、魔法使いってみんな美しいけど、どうしてなの?」

 桜は少し考えてから、

「美しいというか、単に千鶴の趣味に合ってるだけじゃないの? もともと魔法使いはあまり力仕事しないから痩せてるし、昔から人目を忍んで暮らしてきたから、日に当たらず肌が白いだけだよ」

 そういうものかな? 何かそれ以上の美しさを感じるけど……

 腑に落ちないという表情をする私。

 ユリアが口を開いた。

「あら桜、知らないの? 魔法使いの中には、自らをきれいに見せる魔法をかけるのもいるんやよ。人間が化粧をするのと同じやね」

「え、そうなの?」

 目を丸くする桜。

 桜でも知らないことがあるらしい。

「夜の魔法使いなんてその代表格よ。人間を食べて得た魔力で自らを美しく見せることを生き甲斐にしているらしいから。そんなことに命をかけていなければ、いくら高級な魔法使いとはいえ、そう頻繁に人間を食べる必要なんてないわ」

 そうだったのか。どおりできれいに見えるわけだ。

 ん? だけど夜の魔法使いだけじゃなくて、ユリアや桜もきれいに見えるのはどうしてだろう? もともとなのかな? うらやましいな。

 ユリアが続けた。

「まあ、かく言う私も子どものころ、見た者を魅了する魔法をかけたんだけど、まだ効果が残っているみたいね」

 む、そうだったのか。

 桜が言った。

「へえ、そうだったの? 毎日化粧する手間省けて便利じゃない。私にも教えてよ、その魔法」

 ユリアは桜の顔を見つめ、不思議そうな顔で言った。

「桜はもうかかってるように見えるけど? 初めて会ったときから」

「えっ、かけてないよ」

 ユリアは人差し指を伸ばし、ちょんと桜の頬に触れた。

「かかってるけど?」

「えっ、うそ?」

 自分の頬に触れた桜は、腑に落ちないという顔をした。

 ユリアが言った。

「かけた覚えないの?」

「うん」

「じゃあ桜のお母さんが、桜が子どものころにかけてくれたんじゃない? 質にもよるけど、一度かけると効果ははしばらく持続するから。自らを美しく見せる魔法は結構な技量を要するから、混血の桜が自分でかけるには難しいという配慮だったんじゃないかしら」

「そっか。ありがたいわね」

 嬉しそうな顔をする桜。

 うらやましいぞ桜。私もそんな魔法かけてほしい。

 私は身を乗り出して言った。

「ねえユリアさん、私にもその魔法かけてもらえませんか?」

「あら、残念だけど普通の人間にかけても意味ないんやねー」

 がーん。

 桜が言った。

「いいじゃない。桜はもともときれいなんだから」

「そやよ」

 とユリア。

 そんな会話を弾ませるうち、車窓からは私の両親の経営する畑が見えてきた。



 見渡すばかりのラベンダー畑に、ユリアは目を輝かせていた。

 私の車に乗って、私たち三人は私の両親が経営する花屋の畑にやってきた。ユリアは車から降りるやいなや、近くのラベンダーに駆け寄っていき、じっくりとその品質を確かめていた。

 花の一つ一つに顔を近づけ、じっと見つて歩くユリアに私が言った。

「どうです? お気に召しますか?」

 ユリアが気に入ってくれることを願う。私はここにあるラベンダー以外提供できないから、もし気に入ってくれなければ、ユリアの助けを借りて生き延びる計画は白紙に戻ってしまう。

 不安そうに見つめる私に、ユリアが言った。

「一つ味見させていただいてもよろしいですか?」

 あ、今度は標準語だ。方言以外も話せるらしい。

「ええ、どうぞ」

 私がそう言うと、ユリアはその恐ろしいほど細長い指を、一輪のラベンダーの茎にからませ、

「よいしょ」

 引っこ抜いた。

 パラパラと根っこから土が落ちる。ユリアは花を顔に近づけて匂いをかいだあと、花の部分を食べ始めた。

 あ、生で食べるのか。

 ユリアが花の部分をすべて食べ終えてしまうのを、私は呆然と眺めていた。

 ユリアは花を食べ終わると、私に向き直り、

「うん、おいしいやねー」

 混ざってないか? 標準語と方言。

 私は指摘すべきか戸惑っていると、ユリアは次のラベンダーを引っこ抜き、むしゃむしゃと食べ始めた。

 桜が言った。

「ちょっと、あとは千鶴を救ってからにしなさいって」

「はひ」

 花びらを頬張ったまま、頷くユリア。手にしていた花をすべて食べ終わると、私に言った。

「無農薬栽培のようですね。品質は申し分ありません。千鶴さん、本当にあなたをお救いすれば、ここにあるラベンダーをすべてべいただけるのですね?」

「ええ」

 頷く私。高々数ヘクタールの花で命が助かるなら安いものだ。

「わかりました。では、あなたに力を貸しましょう」

 にっこりと微笑み、ユリアが言った。

 よかった。夜の魔法使いに捕まったときはどうなることかと思ったが、私にも希望の光が差してきたようだ。

 桜が言った。

「よし、これで契約は成立ね。さっそく千鶴を救う作戦を考えるとしましょう」

 車に戻った私たち。助手席に乗った私が運転手に再び学校に向かうよう指示し、走り出す出す車。

 広がる畑の間を風を切って走る車の中、桜が言った。

「あなたが呪いを解除できない以上、千鶴を救うには夜の魔法使いを殺害し、呪いの効力を失わせるしかないと思うんだけど、あなたはどう思う?」

 ユリアは少し考えてから、

「そやねー。私も夜の魔法使いとは相対したことがないので、どれほどの能力が分かりませんが、一般に伝えられるところの強さを有しているなら、殺害は困難だと思います。しかし殺害は不可能にせよ、こちらの戦力を示すことにより、千鶴さんの呪いを解かなければ痛手を被ると思わせ、呪いを解かせるのがよいかと」

「そうだね、最初はその戦法でいこうか。ところで夜の魔法使いは黒猫嫌いって魔術辞典に書いてあったけど、本当かしら?」

「たぶん本当やね。一説によれば、一七世紀前半のヨーロッパで起こった魔女狩りにおける黒猫の虐殺は、夜の魔法使いが人間を扇動して起こしたものだそうよ。夜の魔法使いの黒猫嫌いは尋常じゃないわ」

 そうだったのか。黒猫もいい迷惑だ。

「だけど、どうして夜の魔法使いって黒猫が嫌いなんですか?」

 私は黒猫もかわいいと思うけど。

 桜が言った。

「何となく不吉な感じがするからじゃないの? 真っ黒だし、やわらかいし」

 いや、やわらかいのは関係ないだろう。

 ユリアはその細長い人差し指を口元に当てて、

「人の好みはそれぞれやから。ひょっとしたら昔かみつかれたことがあるのかもしれませんし。とはいえ私には、さして害のない小さな虫を嫌悪する人間も不思議に思えるのですが……」

 それもそうだけど。

 桜が言った。

「じゃあ、黒猫持って行くといいかもしれないわね。持っている限り不用意に接近されないわ」

「そやけど、夜の魔法使いの攻撃の主力は魔弾やそうやから、向こうから近づいてくる可能性は低いんじゃないかしら。むしろ接近した方が魔弾の利用を封じられへん?」

 魔弾って何だろう。魔法的な弾丸ってことかな?

「じゃあこういうのはどう? 一人が教会の一方から中に黒猫を放ち、飛び出してきた夜の魔法使いを、反対側の出口で待機していた他方が刀剣で迎え撃つの」

「そりゃええな。ほな、黒猫を用意せなあかんですね」

「あ、黒猫のいるところなら知ってるよ」

 私が言った。

 天気のいい日には、昼休みに校舎の裏側にいる猫たちに弁当を分けることを楽しみにしていた私は、校舎の裏側に何匹か黒猫がいることを知っていた。いつも弁当をお裾分けしているお礼として、力を貸してもらうのも悪くないだろう。

「どこ?」

 桜が言った。

「校舎の裏側だよ。三匹くらいいたはず」

「捕まえるものを用意せなあかんですね」

 とユリア。

 桜が言った。

「それって大人しいの?」

「うん。……というか、あまり運動しない感じね」

 校舎の裏側にいる猫たちはとても大人しく、私が抱っこしても文句一ついわない。天気のいい日はいつもそこにおり、寝っ転がったまま暇そうにあくびをしている。

「じゃあバケツに入れて持っていけばいいかな? 華道部にあるわよ」

「うん、たぶん大丈夫」



 学校に着いた私たちは、いつも授業で使っている校舎の裏側に向かった。昼過ぎということもあって、多くの猫たちが寝っ転がっていた。

 私は来る途中に買ってきたキャットフードの缶を取り出し、ふたを開けて猫たちの中心においた。すると、今まで眠っていた猫たちがむくりと起きあがり、缶を取り囲んだ。真剣な眼差しでキャットフードを頬張る猫を見つめながら、桜が言った。

「へえ、こんなところに猫いたんだ」

「ええ、入学したときからいたわよ」

 昼休みにここにいる猫にえさをやりに来る生徒は、私を含め三人ほど。

 缶詰に集まってきた猫のうち、黒猫の数を数えてみると三匹だった。だがよく見てみると、そのうち一匹はお腹の部分が白かった。

 私がユリアに言った。

「白が混ざってるのあるけど、大丈夫かな?」

 ユリアは首を振った。

「いえ、伝えられるところによれば、夜の魔法使いが嫌がるのは真っ黒な猫だけ。ちょうど二匹いるようですし、これで十分でしょう。いざというときにいなくなっていると困りますから、今のうちに確保しておきましょう」

 猫が缶詰を空にするのを待った私たちは、華道部から持ってきたバケツを二つ、それぞれ黒猫の近くにおいた。

 そして私が後ろからそっと忍び寄り、一匹の黒猫を抱き上げてバケツに入れた。すると、猫は大人しくバケツの中に収まってくれた。

 お、よかった。

 続けて、もう一匹の猫もバケツに入れる。今度の猫も大人しくバケツに入ってくれた。

「よしよし。いい子ね」

 私は一方のバケツの中でまるまる黒い毛玉をなでてから、バケツを持ち上げた。もう一方のバケツを桜が持ち、華道部へと向かう。


 華道部についた私たちは、とりあえず猫を室内においたまま、作戦会議を始めることにした。

 私の生きられる残りの日数が限られていることを考慮し、桜はできる限り早く夜の魔法使いのもとに行くことを主張。ユリアもこれに同意した。

 だが、夜の魔法使いは簡単に交渉に応じる相手ではないと考えられるため、どのようにして私の呪いを解かせるかが問題となった。

 桜は、まずは三人で教会に押しかけていって、夜の魔法使いに呪いを解くよう求め、応じなければ武力で制圧し、呪いを解かせることを主張。

 だがユリアは、夜の魔法使いが相手であれば、不意打でない限り打撃を与えることは不可能で、むしろ返り討ちにされる危険があると述べ、奇襲攻撃を主張。

 二人の議論が五分ほど続いた挙げ句、ユリアの主張どおり奇襲作戦をとることになった。

 次に、どのように奇襲を行うかが問題となった。そして、これもユリアの提案通りに決まった。

 まず、桜が教会の玄関付近で身を潜めて待機。私とユリアが猫を持って教会の後ろに回り、窓などから黒猫を中に入れる。そして、すぐに教会の全面に引き返し、ユリアは玄関の真正面に待機。私は桜と同じく玄関付近で待機。

 放たれた猫に気づいた夜の魔法使いたちが教会から飛び出してきたところで、教会の真正面にいたユリアが魔弾を発射。

 魔弾というのは魔法使いが用いる基本的な遠距離の攻撃手段だそうで、体力すなわち魔法使いにとっての魔力を弾丸のように体外に放ち、敵に当てるものを言うらしい。

 そして、突然の攻撃によって動揺した夜の魔法使いたちを、玄関脇に潜んでいた桜と私が刀剣で攻撃。ユリアもこれを援護し、夜の魔法使いたちを観念させる。

 本来ならば魔法使いでない私を戦闘に参加させるべきでないが、ただでさえ強力な魔法使いが二人も相手という状況に鑑み、私も戦わなければならないというのが桜とユリアの一致した意見だった。

 ただ、少しでも私が魔法使いと対等に戦うことができるよう、ユリアが事前に私に魔力に耐えられる力、魔力耐性を持たせる魔法をかけてくれるという。

 刀剣は大抵の魔法使いは持っているらしく、桜も持っているそうだが、持っていない私はユリアが魔法で作ったものを利用させてもらうことになった。

 そして作戦の日時は、私の寿命が残り少ないため、失敗した場合に出直す日数を考慮し、今日の深夜となった。私の提案で、夜までの間は私のうちで過ごすことになった。

 作戦を立て終えた私たちは、猫の入ったバケツを持ち、私の家へと向かうため、部室を後にした。



 夜十一時を回ったころ、私たちは作戦決行のため、丘の教会に向かうことにした。

 私の部屋の中には、私の他に桜とユリアの二人と、バケツに入った二匹の黒猫がいる。

 ユリアは私に魔術耐性を持たせる魔法をかけるため、目をつむって立つように言った。私が言われたとおり目をつむって直立すると、後ろからユリアの凛とした声が聞こえてきた。

「Anfaenge, es verlo, verstaer!」

 その直後、私は自分の身体が少し温かくなったように感じた。

 ユリアの声が聞こえる。

「はい、もういいですよ」

 目を開ける私。視界に入ってきたのは、いつも通りの部屋と、心配そうに私を見つめる桜の顔。

 私は振り返ってユリアを向いた。

「えっ、もうできたんですか?」

「ええ、今は通常の状態よりも、魔弾をはじめとする魔法による攻撃の効果が多少軽減されるようになっています。もっとも、剣で切られるといった魔法とは直接無関係の攻撃には効果がありませんし、魔法による攻撃の効果をすべて減殺できるわけではありませんから、過信しないでください」

 ほほ笑むユリア。

 桜が近づいてきて、私の身体をまじまじと見つめた。

「ふ~ん、よくできてるじゃない。ここまできめ細かく編まれた魔法は見たことないわ。千鶴の呪いを除いては」

 どうやら魔法使いにはかけられている魔法の品質が理解できるらしい。

 桜が続けた。

「さ、次は千鶴が使う剣を作ってあげて」

「そやね」

 ユリアはそう言うと、静かに目をつむった。そして片方の手を上に上げ、

「Anfaenge, xade von sacrif!」

 ユリアの手に、稲妻のような閃光が走る。次の瞬間、振り下ろされたユリアの手には、手の移動した奇跡と重なる形の剣が握られていた。

 わずかに湾曲した、両刃の剣。その切っ先は鋭く、端で見ている私でさえ恐怖を覚えるほどの攻撃性が感じられる。生命を殺傷することのみを目的とし作られたそれには、恐ろしいほど無駄が感じられない。その完成された形状の美しさに、呆然と見とれていた私は、ユリアがその剣を差し出すのにも気づかずにいた。

「千鶴さん、どうぞ……」

 戸惑った顔のユリアが言った。

「あ、はい」

 剣を受け取った私は、その羽のような軽さに驚いた。

 ユリアが言った。

「千鶴さん華奢そうなので、なるべく軽く作ってみました。いかがですか?」

 試しに振ってみる私。その鋭い剣は空気抵抗をあまり受けず、またとても軽いため、非力な私でも十分に振り回すことができた。おそらくアルミニウムで同じものをつくっても、これほどの軽さにはならないはずだ。魔法恐るべし。

「うん、問題ないわ。ありがとう」

 私が剣を下ろすと、桜が私の手にしてる剣に顔を近づけ、じっくりと眺めた。

「ちょっとユリア、軽いのはいいけど強度は大丈夫なの? 折れそうじゃない」

「そやね。軽さを重視して作ったから、強度はそれほどでもないです。夜の魔法使いの剣の技量にもよりますが、四、五回の撃ち合いなら耐えられると思います」

「えっ、それじゃ危なくない?」

 と桜。

 確かに心配だ。

「せやけど、そもそも重くて夜の魔法使いとの撃ち合いについて行けなかったら意味がないでしょう」

 それもそうだ。夜の魔法使いの並々ならぬ俊敏さは、実際に素手で戦った私がよく理解している。剣を持ったところで敵う保障はないが、魔法使いの持つ剣が重く、その俊敏さが少しでも鈍れば、少しは対等に戦えるかもしれない。

 私が言った。

「桜、いいわこれで。壊れる前に勝負を決めるしかないわ」

 万一壊れてしまったら、魔法使いでない私に次の手段はない。失敗は許されない。

 桜が言った。

「わかったわ。じゃあ行きましょうか」

 黒猫の入ったバケツをユリアと桜が手分けし手持ち、私たちは魔法使いとの決戦のため、丘へと向かう車に乗り込んだ。



 静まりかえった夜。丘の教会へと続く道を、一台の車が上っていく。

 魔法使いに気づかれないよう、すべてのライトを消してある。わずかな月明かりだけを頼りに、徐行していく車。

 今日はどういうわけか、頭上の月がひときわ大きく見えた。それはまるで、空高く輝く月が私たちを応援するかのよう。

 助手席の私は、膝の上で丸くなる猫をなでていた。猫は大人しく車に揺られながら眠っている。後部座席に座る桜の膝の上の猫も眠っているようだ。世話がかからなくてよかった。

 丘の上に到着した車。車から降りた私たちは、トランクからバケツと剣を取り出した。そしてバケツに二匹の猫を入れると、私は運転手に帰るように言った。無関係な人間に迷惑はかけたくなかったからだ。

 心配そうな顔をした運転手は、車をターンさせ、丘を下っていった。

 一方の私とユリアは、猫の入ったバケツを持って教会の裏側に回った。猫を中に入れるのに都合のよい窓がないかと捜していると、

「にゃあ」

 突然、私の猫が鳴いた。

 驚いた私は口に指を当てて、

「ちょっと、静かにしてて」

 ここで魔法使いに気づかれたら作戦が大なした。新たな作戦を考えて出直す余裕など私たちにはない。

 私は猫が不安がらないよう頭をなでながら、先を行くユリアの後に続いた。

 しばらく進んだところで、ふと足を止めたユリア。暗がりの中、私がユリアの視線の先に目を凝らすと、換気用と思われる小さな窓があった。

 だがどうやって開けよう? 下手に割ってはガラスが飛び散り、中に入れた猫がケガをするおそれがある。私が戸惑っていると、ユリアはその細長い人差し指をちょんとガラスにあて、

「Katzeglass, faette zu Wasser!」

 呪文を唱えた。

 すると、窓枠にはまっていたガラスがくにゃりと水飴のように柔らかくなったかと思うと、次の瞬間、水になってぴしゃりと飛び散った。

 おお、すごい。

 驚いている場合ではなかった。ユリアは私の耳に口を近づけると、

「魔法の防犯装置が作動したおそれがあります。急いで」

 ユリアは自分のバケツから首根っこをつかんで猫を取り出すと、ぽいと窓の中に投げ入れた。

 おっと、もう少し優しく入れてくれ。私が生きて帰れたら、回収して元の場所に返すのだから。

 私も自分の猫を中に入れると、すでに教会の正面へと駆け出していたユリアの後に続いた。

 私が教会の前につくと、そこには正面ドアの脇で剣を構える桜と、教会から離れた崖のあたりでドアに向かって立つユリアの姿があった。

 私は置いておいた自分の剣をとり、桜は反対側の教会の側面に身を潜めた。

 息を殺して待つこと五分。突然、教会の中から悲鳴が聞こえてきた。

「きゃーーーーっ! クロネコっ!」

 猫が発見されたらしい。

 夜の魔法使いは黒猫を見ると逃げるらしいから、恐れをなした夜の魔法使いたちが教会の外に出てくるのも時間の問題だ。

 上がる脈拍、震える手。教会の前で待つ桜とユリアにも緊張が走る。

 私は剣の柄を握りなおした。

 その時、ばんっと音を立て、勢いよく教会の扉が開いた。そして、二人の夜の魔法使いが飛び出してきた。

 それが、戦闘開始の合図だった。

 まっすぐに夜の魔法使いに向けられたユリアの指先に、蒼白い光りが灯る。それは周囲の空間を飲み込み、バレーボールくらいの球になった。そしてユリアが短く呪文を唱えた瞬間、光りの球は夜の魔法使い目がけて飛んでいった。

 それが音速を超える速度なら、躱わせる道理はない。息を切らす無防備な妹の魔法使いに、直撃する光りの球。

 大きな爆音と閃光。攻撃を受けた魔法使いがよろめくのが見える。これが魔弾と言われる武器の威力だろうか。

 ふらつく妹の魔法使いに、切りかかる桜。そうして驚くほどあっさりと、妹の魔法使いはその場に倒れ伏した。

 おっ、やった。

 だが安心している場合ではなかった。桜が妹の魔法使いを倒している間に、姉の魔法使いの放った光りの球がユリアに向かっていた。瞬時に放たれたというのに、姉の魔法使いの魔弾はユリアの魔弾の数倍の大きさ。まるでライオンのように、轟音を上げながらユリアに襲いかかる。

 ユリアの細長い手が、向かってくる魔弾に伸びる。ユリアが呪文を詠唱すると同時、ユリアと魔弾との間に、ガラスのような透明の半球が生じた。

 だがぶつかる魔弾に、半球は一瞬にして砕け散った。そして横に飛び退こうとするユリアに、直撃した魔弾。

 はじき飛ばされたユリアは、谷の縁まで転がっていった。ぴくりとも動かないユリアの身体。焼け焦げた肌や服が、夜の魔法使いの魔弾の威力を物語っていた。

 身震いする私。魔法使いのユリアでさえ耐えられなかった魔弾に、生身の人間である私が耐えられるわけがない。本来なら私がここで加勢することになっていたのだが、足がすくんで動かない。

 姉の魔法使いが魔弾を撃った一瞬の隙を狙い、一足で間合いを詰める桜。振りかぶった剣を、目にもとまらぬ速さで振り下ろす。

 おっ、倒せそう。

 だが剣先が魔法使いの身体に触れようとした瞬間、魔法使いは後ろに飛び退くと、さらに宙返りして二メートルほど間合いをとった。

 魔法使いが片手を振ったかと思うと、次の瞬間には、その手には剣が握られていた。私や桜が手にしているのと違い、大きく湾曲した片刃の剣。

 魔法使いは桜の接近を牽制しながら、

「何者だ」

 怒りのこもった声で、睨みつけた。

 桜はその視線を敢然と受け止め、凛とした声で言った。

「あなたがたが私の友達にかけた呪いを解いてほしいのです」

 魔法使いは少し驚いた顔をした。だが、すぐに元の表情に戻ると、

「なるほど。だから私はあの人間を帰すことに反対したのです。もっとも、ああなっては自業自得ですが」

 横目で倒れた妹を見る姉の魔法使い。妹の魔法使いの周囲は血の海になっていた。

 だが、私の手にはまだ呪いの印が残っている。呪いをかけた魔法使いが死なないと呪いは解けないため、まだ息がある証拠だろう。

「大人しく呪いを解くならば、命は助けましょう」

 桜が言った。

 しまった。桜は私に魔法をかけた魔法使いが、既に桜に斬りつけられ、死にそうな方だと気づいていない。桜は私にかけられた呪いを評価していたから、それほどの魔法が使える魔法使いがあれほど簡単にやられると思ってないんだ。

 どうやって桜に既に倒れた魔法使いにとどめを刺すよう伝えよう? ここから桜に手で合図するのも手だが、桜の視線に気がついた姉の魔法使いが私を攻撃する可能性もある。

 桜の言葉を聞いた魔法使いは、片手を口に当てて笑い出した。

「あははは。命の心配をするのはむしろあなたでしょう。我々夜の魔法使いの屋敷に黒猫を放っておいて、生きて帰れるとお思いですか?」

 そう魔法使いが言い終えるか言い終わらぬうちに、間合いを詰めた桜が剣を振り下ろす。

 軽やかな金属音とともに、弾かれる桜の剣。桜の攻撃を防いだ魔法使いは、目にもとまらぬ速さで反撃に出た。魔法使いの湾曲した剣が、光速を以て桜に襲いかかる。

 即座に後ろに飛び退く桜。逃げ遅れた桜の長い髪が、切り落とされる。

 間合いを詰める魔法使い。奔流のごとく続けざまに繰り出される魔法使いの剣を、桜は必死に捌いていく。

「見たところ魔法使いと人間との混血のようですね。食料としては悪くありません。例の人間もどこかに隠れているでしょうし、一緒にいただくとしましょう」

 余裕の言葉遣いを見せる魔法使いとは対照的に、剣を捌く桜の表情は苦しい。

 桜を圧倒する夜の魔法使いの剣技。遠距離に比べ接近戦ならまだ対等に戦えると考えていたが、誤算だったようだ。

 大きく振りかぶり、振り下ろされた夜の魔法使いの剣。自らの剣でそれを防御した桜は、衝撃を殺しきれずに大きく後ろに跳ね飛ばされた。

 地に倒れ伏し、苦痛に顔を歪ませる桜。そんな桜に向け、魔法使いはすっと手を伸ばす。

 まずい。魔弾を打つ気だ。あんなのをまともに受けたらひとたまりもない。

 次の瞬間、私は夜の魔法使い目がけ突進していた。魔法使いの前方がぱっと明るくなるのが見える。魔弾の発射まであとわずかだ。

「えいっ」

 走っていては間に合わない。そう直感した私は、手にしていた剣を魔法使い目がけて投げつけていた。やり投げの槍のように一直線に飛んでいく、ユリアの魔法で作られた剣。

 桜にとどめを刺そうとする魔法使いの無防備な背中に、剣があと一メートルで届くというとき、突如として振り返った魔法使い。まるで背中に目がついているかのように、くるりと反転した魔法使いは、指先の小さな光りの球を、瞬時に剣目がけて放った。

 魔弾に触れ、一瞬にして蒸発する剣。そして剣だけでは飽き足らないのか、その後ろの私目がけ、魔弾は突き進んできた。

 避ける間もない。私の身体に触れ、爆発する魔弾。私は自分の身体が宙に舞うのを感じた。ああ、頭上に見える月がやけに大きい。

 地面に落ちた私は、全身が痛くてたまらなかった。目の前は真っ暗。自分がどの程度傷ついているのかさえ把握できない。だが、意識があるということは生きている証拠。私は痛みを堪え、上体を起こしてみた。

 魔弾は胸の辺りで爆発したのか、服が焦げていた。だが身体には耐え難い痛みとわずかな出血以外、支障はないようだった。ユリアが魔力耐性の魔法をかけてくれたのと、夜の魔法使いが身を守るために急遽未完成の魔弾を放ったためのようだ。ありがとう、ユリア。

 魔法使いはあらためて桜に向き直り、第二の魔弾を放とうとしていた。

 ああ、もうだめだ。

 今にも放たれようとする魔法使いの魔弾。先ほどの小さな未完成の魔弾とは違い、今度は十分に大きくなっていた。これほど大きな魔弾の直撃を受ければ、桜といえど命はないはずだ。

 だが魔弾が魔法使いの指を離ようとした瞬間、他の魔弾が魔法使い目がけて一直線に進んできた。

 襲いかかるが魔弾なら、迎え撃つも魔弾。魔法使いは瞬時にくるりと向きを変えると、襲いかかる魔弾目がけて、自らの魔弾を放った。

 だが魔法使いの指を離れた魔弾は、十分に魔法使いから離れないうちに、他の魔弾に直撃された。これ以上ないほど強力な魔弾が、魔法使いの至近距離で爆発する。

 よろめく魔法使い。雪のように白かった肌が焦げているのが見える。

 剣を杖に身体を支える魔法使いの睨みつける先には、ユリアがいた。崖の縁に立つユリアは、肌こそ焦げていたが、凛とした眼差しで魔法使いの視線を受け止めていた。

 よかった。生きてた、ユリア。

 だが安堵している場合ではない。夜の魔法使いはすぐに次の魔弾を放とうと、ユリアに手を向ける。

 私は咄嗟に、近くにあったバケツの一つを取り、

「ていっ」

 思いっきり、夜の魔法使い目がけて投げつけた。

 魔法使いに対抗しようと、次の魔弾を撃つため手を構えるユリア。夜の魔法使いに、私の投げたバケツに構っている暇はなかった。

 こつん。

 緩やかな放物線を描きながら飛んでいったバケツは、指先に大きな魔力の塊を生じさせている魔法使いの腰に当たった。

 だが夜の魔法使いは無視。ユリアが放とうとする魔弾を打ち落とそうと、魔弾の生じた手を前方に向けたままだ。

 私は次のバケツを取り、

「ていっ」

 投げつけた。

 その瞬間、魔弾を放ったユリア。そして、同時に魔弾を放つ夜の魔法使い。

 放たれた二つの魔弾は急接近し、両魔法使いの中央で爆発が起こった。そして、爆煙の中から現れたのは、夜の魔法使いの放った魔弾。

 そして、その魔弾はユリアの魔弾を消滅させたに飽きたらず、轟音を放ちながらその先のユリアに襲いかかった。

 その時、山なりの軌道を描くバケツが魔法使いの頭に直撃。一瞬ふらついたように見えた魔法使いは、すぐに体勢を立て直した。

 同時に、丘の縁の方で爆発音がした。見れば、炎に包まれたユリアが衝撃で崖の下へと落ちていった。崖の高さは相当なものであり、助かることがないのは明らかだった。

 私に向き直った夜の魔法使いの、ぴんと伸ばされた指先が光るのが見える。それが魔弾の光りであるのは明らかだった。

 ああ、もうだめだ。

 桜は倒れ伏したまま。ユリアも、ユリアの作ってくれた武器も失い、呆然と立ちつくす私。あと数日の寿命だったとはいえ、恐怖で涙がこみ上げてくる。

「焼き尽くしてくれる」

 怨嗟のこもった声。魔法使いの指先に生じた光りの球は、すでに魔法使いの身長ほどになりかけていた。人間一人殺すのにこれほどの大きさは不要なはず。その不必要なまでの大きさに、魔法使いの私に抱く怒りの大きさが感じられた。

「死ね」

 魔法使いの指から、今にも魔弾が放たれようとする。

 死を覚悟し、目を閉じる私。せめて痛くないよう、一瞬で天国に行けますように。

 すると、

「にゃあ」

 ちょうどその時、どこかで聞いたことのある鳴き声が聞こえた気がした。

 数秒の間、魔弾が飛来することもなく、不気味な沈黙が続いた。

 ん、どうしたんだろう?

 私が恐る恐る目を開けると、そこには真っ青な顔をした夜の魔法使いと、教会のドアから出てきたと思われる二匹の黒猫がいた。

 いつも学校で生徒たちにえさをねだるときのように、夜の魔法使いの脚に頬をこすりつけている黒猫たち。

 そういえば昼間に餌をあげてから、ずっと何も食べさせていなかった。

 凍りついたかのようにその場に固まる夜の魔法使い。ただでさえ白い肌が、ますます色を失っていく。

 そしてそのわずかな瞬間に、残された力を振り絞って起きあがった桜が、夜の魔法使いをばっさりと斬りつけた。

 体勢を崩す魔法使い。巨大な魔弾の塊は消滅し、魔法使いはその場に倒れた。

 魔法の効力は、魔法使いが死ぬと失われる。魔法で作られた魔弾が消えたということは、夜の魔法使いが絶命したと見ていいだろう。

 よかった。

 安堵のあまり、その場にへたりと膝を折った私。

 駆け寄ってきた桜が、私に抱きついた。その場に横になる私と桜。

私の髪をなでながら、桜が言った。

「よかった、助かって」

 桜の頬を涙が伝う。

 私も嬉しくて泣き出しそうだ。

 だが、その前にやることがある。私の手の甲にある呪いの印はまだ消えていない。これは、呪いをかけた妹の魔法使いがまだ生きているからだ。私は涙を堪え、姉の魔法使いの後ろで倒れる妹の魔法使いを指差した。

「桜、あっち」

 その言葉を聞いて、桜は私の指についた呪いの印に気がついた。

 桜は立ち上がると、妹の魔法使いに近づいていった。その後に続く私。

 仰向けに倒れる妹の魔法使いの周囲は血の海になっていた。だがその胸はわずかに上下しており、まだ息があることをうかがわせていた。

 とどめを刺そうと桜が剣を振り上げたその時、魔法使いが目を開いた。

「待って、呪い解くから……」

 今にも消え入りそうな、蚊の鳴くような声。

 桜は首を振った。

「その傷じゃ助からないでしょう。もっとも、夜の魔法使いなどという、きわめて珍しい品種を殺すのは惜しまれますが」

 それだけ言うと、桜は剣を振り下ろした。魔法使いが何か企んでいるかもしれないし、桜の判断は悪くない。

 破れた心臓から飛び散った血。

 見れば、私の手の呪いの印は消えていた。

 桜が呪文を唱えると、桜の手にしていた剣が消滅した。桜は私に向き直ると、私の手をとった。

 呪いの印が消えていることを確認した桜は、私にほほ笑んで言った。

「よかった」

「ありがとう、桜」

 桜を抱きしめる私。桜の後ろに、大粒の涙が落ちる。

 私を抱きしめる桜の嗚咽する声が聞こえた。

 吹きつける風は冷たく、開け放たれた教会のドアがかたかた音を立てていた。

 そのまましばらく抱き合っていた私たちは、頭上に光る月に見守られて丘を下った。


 それから三年の歳月が経った。

 中学校を卒業した私は、進学のため都会に引っ越していた。今は桜と同じ高校にいる。

 かつて夜の魔法使いとの戦いで私を救った二匹の猫たちは、今や私の大切な家族になっていた。

 私は毎年欠かすことなく故郷に帰り、あの教会のある丘を訪れていた。私を守って死んだ魔法使いに、実家の畑でとったラベンダーの花束を手向けるために。

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