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前編

 丘の上には魔法使いがいる。――千鶴がそんな噂を聞いたのは、今から三年前のことだった。

 町の外れには、町全体を見渡せる高い丘があり、古びた教会が建っている。今はもう使われなくなったその教会には、二人の美しい魔法使いが住んでおり、姿を見た者は命を奪われてしまうという。

 噂は当時の町で盛んにささやかれ、見目麗しい魔法使いを一目見ようと、多くの人々が丘に押しかけていった。だが知られている限り、その誰一人として魔法使いを目撃することも、命を奪われることもなく、無事に帰ってきた。

 当時小学五年生だった千鶴もその一人だった。好奇心旺盛だった千鶴は噂を聞きつけると、クラスの友人たちと丘に登ってみた。

 学校から一時間ほどのところにあるその丘には、確かに古びた教会が建っていた。だが、何度ノックしても、引っぱっても、その扉が開くことはなかった。窓から見える教会の中は寂れており、何者かが住んでいる様子は感じられなかった。他に丘の上にあったのは、魔法使いを探しにやってきた人が捨てたと思われるごみだけ。意気揚々とやってきた千鶴は、泣く泣く丘を後にしたのだった。

 それから次第に、その噂は聞かれなくなっていった。隣町の中学校に進学し、魔法使いを捜しに丘に登ったことさえ忘れていた千鶴が再びその噂を耳にしたのは、それから三年後のことだった。


「ねえ知ってる? 隣町の丘の上には教会があって、二人のきれいな魔法使いが住んでるんだって。だけどその姿を見た者は、口封じに殺されてしまうんだって」

 夏休みの一日前。終業式が終わり、下校しようとしていた千鶴を、遥香が呼び止めた。

「はい?」

 足を止め、きょとんとした表情をする千鶴。

 あまりに突拍子もない内容のせいか。あるいはそんな噂があったことさえ、完全に忘れていたせいか。千鶴は即座には返すべき言葉が見つからなかった。

 遥香はそんな千鶴の手をとると、

「ねえ、今日から暇じゃん。魔法使い捜しに行こうよ? 田村君も行くって言ってるよ」

 遥香は千鶴の一年生のころからの友人だ。入学して初めてのクラスで席が隣だったのをきっかけにつきあい始め、二年生の今も同じクラスだ。

 手を引く遥香に、以前、自分が魔法使いを捜しに丘に登ったことを想い出した千鶴は、首を振った。

「ああ。そのことなら、丘の上に魔法使いなんていないわ」

 せっかくの提案を一蹴されたことが不満だったのか、遥香は頬をふくらませた。

「むっ。そんなの行ってみないと分からないでしょうが。田村君も現に見た人がいるって言ってたよ」

 田村とは千鶴たちと同じクラスの生徒だ。座席の近い遥香とは仲がよいようだが、千鶴はあまり交流がなかった。

 千鶴が言った。

「見ると殺されるなら、何で見た人がいるのよ?」

 意表をつかれた顔をする遥香。

「え? ……あ、それもそうだね」

 千鶴の手を放す遥香。

 だがすぐにポンと手を打つと、

「あ、でも見てすぐ携帯で誰かに人に伝えて、その後に殺されたって可能性もあるんじゃない?」

「携帯を使って連絡するいとまを与えてる時点で、魔法使いと呼ぶに値しないと思うんだけど」

 むむ、と押し黙る遥香。遥香はどうしても千鶴と魔法使い捜しに行きたいらしく、引き下がる気配を見せない。

 呆れた様子の千鶴が言った。

「それに、私も小学生のころ丘に登ってみたけど、魔法使いなんていなかったわ」

「えっ、そうなの?」

「ええ。私、その隣町の出身だけど、小学生のころ同じような噂が流れて、友達と一緒に上ってみたの。だけど、あったのと言えば古びた教会くらい。見たところ中はもぬけの空だし、魔法使いなんて影も形もなかったわ」

「へ~、そうだったんだ。前からあったんだ、そういう噂」

 ちょうどそのとき、遥香の後ろの方から足音が聞こえてきた。遥香が振り返ってみると、田村が鞄を抱え、こちらに走ってきていた。

「いやあ、遅れてすまん。忘れ物しちまって」

 息を切らす田村に、遥香が言った。

「大丈夫だよ。だけど、遠藤さんが言うには魔法使いはいないって」

 千鶴の言ったことを説明する遥香。それを聞いた田村は、千鶴に向き直ると、

「いつごろ上ったの?」

「そうね。小学生のころだから、もう三、四年前かしら」

「いや、そうじゃなくて時間」

 人差し指を口元に当てる千鶴。

「時間? ええと、丘の上についたのがたしか正午だったと思うわ」

「ああ。それじゃだめなんだよ」惜しそうな顔をする田村。「魔法使いは夜にならないと現れないんだ。夜の魔法使いっていう種類らしいからな」

「あっそ」

 呆れた千鶴は適当にうなずくと、

「じゃあ、私はこれで」

 遥香に言った。

 だが歩き始めた千鶴は、すぐに遥香に手を引っぱられた。遥香は千鶴の耳に口を近づけると、

「一緒に来てよ。夜遅く行くんだよ? 田村君頼りないから、お化けとか出たら怖いじゃん」

 お化けも魔法使いも似たようなものじゃないかと思いつつ、千鶴が遥香に耳打ちした。

「だったら行かなきゃいいじゃない」

「でもほんとにいたら大発見だよ? 撮影してネコネコ動画にアップロードすれば、再生回数百万回いくかもしれないよ?」

 千鶴は呆れた顔で、

「はあ。何を企んでるのよ、あんたは……」

「いやいや、もしそうなれば魔法使いの発見者である私のもとには取材が殺到。新聞やテレビにも取り上げられ、一躍人気となった私は晴れて芸能人としてデビューを――」

「できないって」

「そんなこと分からないもん。実際にネコ動からデビューした人いるもん」

 頬をふくらませる遥香。

「そもそも、あんたにどんな芸ができるっていうのよ?」

「あらあら、知らないの? 私ダンスうまいのよ。去年の学芸際で踊ったときなんか、ステージの前に人だかりができて、それはもう大変な騒ぎだったんだから」

 昨年の学芸際に遥香が出たのは千鶴も知っていた。だがステージ前に大量の男子生徒が集まったのは、遥香のダンスがうまかったからというより、遥香のスカートが短かったからであることも知っていた。

 千鶴は溜息をつくと、

「大丈夫よ。私が行ったときはお化けもいなかったわ。行きたいなら二人で行けばいいじゃない」

「ええ~、不安だよ」

 千鶴は遥香の手を放し、踵を返した。

 遥香はその後を追い、耳打ちした。

「じゃあ、こういうのはどう? もし来てくれたら、清水君と別れてあげてもいいよ」

「えっ」

 一瞬、言葉を失った千鶴。足を止め、その場に立ちつくす。

 清水は千鶴や遥香とと同じクラスの生徒だ。千鶴は一年生のころから恋心を抱いていた。だが、それは千春かも同じだったらしく、気づけば千鶴よりも遥香が先につきあい始めてしまっていたのだった。

 千鶴は遥香はおろか誰にも、自らが清水が好きだと言ったことはなかった。にもかかわらず、それを友人であり恋敵である遥香に見破られた千鶴は、驚きのあまり何も言えずにいた。

 千鶴が言った。

「いつもあんたを見てれば分かるわ。好きなんでしょ、清水君? なんなら次は千鶴とつき合うようにし向けてあげてもいいのよ」

「……そ、そんなことできるの?」

 遥香に耳打ちする千鶴。

「簡単じゃない。まず私が辛くあたって、清水君を傷つける。そこであんたが優しい言葉をかければ、清水君はあんたに惚れるわ」

 それはかわいそうでは? と思った千鶴。

 遥香が続けた。

「清水君は優しいわよ。この前私の誕生日にブランドの時計くれたし。でも私はそんなに好きじゃなくて、単に金目当てだったから、あんたがほしいって言うなら、あげてもいいのよ」

 千鶴はしばらく考えた後、

「わかったわよ」

 千鶴がそう決めたのは、そこまでしても清水とつき合いたかったからではなく、そんな遥香とつき合っている清水がかわいそうで、早く別れさせてやれねばと思ったからだった。

 その時、田村の声が聞こえた。

「なあ、何話してるんだ?」

 振り返る遥香は、笑顔で言った。

「あ、遠藤さんも行くって。いいよね?」

「ああ、構わないよ」

 そうして三人は今日の午後七時、隣町の駅で待ち合わせをすることを決め、解散した。



 千鶴はこの地方では名の通った家柄の娘であり、広大な敷地に両親の他、女中や運転手など十数人の使用人と暮らしていた。

 六時半ごろ、外出の支度を終えた千鶴は、使用人の運転する黒塗りの乗用車に乗って屋敷を後にした。

 千鶴の家から駅までおよそ半時間。教会のある丘は駅と反対方向にあるため、千鶴にとっては遠回りになるのだが、遥香と田村を迎えに行く必要があるためやむを得なかった。

 千鶴が駅前に着いたのは、七時ちょうどだった。人口の少ない町とあって、行き交う人は少ない。待っていた遥香と田村に手を振って合図し、車に乗せる。遥香が千鶴の隣に、田村が助手席に座った。

 車はUターンし、千鶴の家のある方向に向かった。

そして千鶴の家の近くで道を曲がり、丘のある方角へと向かう。夜遅いせいか、すれ違う人はほとんどいなかった。

「ネコ動で生放送するの」

 遥香は笑顔で、千鶴にスマートフォンのyPhoneを見せた。

「はいはい。たぶんいないと思うけどね」

 呆れた千鶴はそれ以降、目を閉じて眠っていた。千鶴が目を覚ましたのは、車が丘の舗装されていない坂道にさしかかり、揺れ始めたときだった。

 千鶴が目を開けると、車は教会へと向かう坂道の途中にあった。前の方に身を乗り出してみると、前方には三年前、千鶴が見た古い教会がそびえていた。



 三人の乗った車が、教会の前に止まった。千鶴は運転手に待機するよう言うと、遥香、田村とともに車から降りた。

 空には星が輝いていた。夏だというのに、辺りは肌寒かった。吹きつける風が古い教会にあたっては、ひゅーひゅーと音を立てていた。

 千鶴は外套の襟を立てた。

「ああ、早く帰りたい」

 寒いのが苦手な千鶴は、意気揚々と教会に向かっいく遥香と田村にはついて行かず、車の側で待っていた。

 どうせ魔法使いなんていない。二人はすぐに帰ってくるだろう。

 そう思った千鶴は教会とは反対側の、切り立った崖になっているところに近寄ってみた。町全体を一望できるその場所からは、闇に浮かび上がる明かりが見えた。三年前に来たときは昼だったから分からなかったが、今思えば夜景がきれいな場所だと思った。

 千鶴の住む町はいわゆる過疎地であり、教育機関や企業はほとんど存在しない。町の子供は学校を卒業すると、皆どこかに行ってしまう。今は隣町の中学校に通っている千鶴も、卒業後は都会に移り住む予定だった。

 ここも見納めだし、来ておいてよかったかな。

 眼下に広がる夜景を写真に収めようと、千鶴は携帯電話を取り出した。夜風に吹きつけられながらも、夜景を携帯電話の画面に収め、シャッターボタンを押そうとした。

 そのとき、

「千鶴ーっ、魔法使いいたよっ!」

 遥香の声が聞こえてきた。

 カシャリと鳴るシャッター音。遥香のあまりに予想外で突拍子もない言葉に、画面上の夜景は手ぶれで見るに堪えなくなっていた。

 あらためて携帯を構える間もない。子供のように無邪気な声で名前を呼ぶ遥香に、千鶴は振り返った。見ると、教会の扉から顔を出した千鶴が、こちらに手招きしていた。

「千鶴、早く早く」

 以前来たときは扉は開かなかったはずなのに、おかしいな。それに、魔法使いがいたとはどういうことだろう。

 千鶴は携帯電話をしまい、教会の方に歩いていった。そして、扉のところで待っていた千鶴に手を引かれ、教会に足を踏み入れた。

 日中も陽の当たらないそこは、外にましてひんやりとした空気が漂っていた。窓から差し入るわずかな月明かりを頼りに、目をこらす千鶴。三年前、窓の外から眺めた礼拝堂は、依然として古いまま。およそ生気の感じられないそこからは、何者かの住んでいる気配は感じられない。

 遥香に手を引かれ、千鶴は敷き詰められた長椅子の間を前方へと進んでいく。椅子の背もたれの一つに触れてみたところ、指先にほこりがついた。

「ほんとにいるの? 魔法使いなんて」

 指先に付いたほこりを払いながら、千鶴が言った。

「うん、今田村君が話してるよ」

 そんなことあるはずない。誘っておいてやっぱり魔法使いがいなかったでは面目が立たないから、田村が独り演技をしているだけだと千鶴は思った。

 魔法使いを発見できたことが嬉しいのか、鼻歌を歌いながら進んでいく遥香に手を引かれ、千鶴は礼拝堂の端に到着した。遥香は突き当たりにあった小さなドアを指差して言った。

「この中にいるの」

「へぇ」

 子供の背丈ほどのドアの中は、おそらく倉庫だろう。ドアには錆びた取っ手が着いていた。千鶴がよく見てみると、その部分にはほこりがついていなかった。遥香たちが触ったせいだろうかと千鶴は思った。

 遥香が取っ手に手をかけ、ドアを開ける。すると、中から光りがあふれ出た。

「えっ?」

 誰もいないはずの教会に、なぜ光りがあるのか。田村は懐中電灯を持っていなかったし、そもそも懐中電灯の光りにしては明るすぎると千鶴は思った。

 身を屈め、中に入って行く遥香。千鶴もその後に続いた。

 中は十畳ほどの部屋だった。中央にはテーブルがあり、シチューのような食べ物が湯気を立てていた。テーブルには田村が着席し、そのシチューと思われるものを口に運んでいた。

 そして何よりも千鶴を驚かせたのは、田村の前の席と、部屋の片隅に二人の少女がいたことだった。

「うそっ」

 思わず声を上げる千鶴。こんなところに人がいたことだけでも驚きだというのに、その少女たちの美しさは千鶴をさらに驚愕させた。

 年齢は千鶴たちと同じか、少し上くらい。白菊のような純白の肌に、純金でできているかのような金色の長髪を持つ少女たちは、端正な目鼻立ちに、小枝のような細長い指を有していた。

 立っていた少女の瞳が千鶴をとらえる。千鶴は金縛りにあったかのように、身動き一つできない。魔法使いと思われる人物に出会ってしまった恐怖からではなく、その少女があまりに美しかったから。

 少女に見とれている千鶴に、少女が近づいてきた。

「ようこそ」

 スカートの裾をつまみ、恭しくお辞儀をする少女。

「お食事の準備ができています」

 テーブルの方を差す。テーブルには田村が食べているシチューの皿の他、さっきはなかった皿が二つ載っていた。

「あ、あの……」やっとの思いで口を開く千鶴。「あなたは、魔法使いですか?」

 少女はにこやかにほほ笑むと、

「ええ、そうです」

 魔法使いなどいるはずないと思っていた千鶴。だがそんな千鶴でさえ、この二人の並々ならぬ美しさを目にしては、魔法使いの存在を認めざるを得なかった。

 テーブルの近くにいた遥香が、手招きした。

「ずっとここに住んでるんだって。お食事用意してくれたみたいだから、一緒に食べようよ!」



 遥香と田村が魔法使いの少女二人と会食を始めてから、半時間が立とうとしていた。

 四人はおいしそうにテーブルの上の食べ物を頬張っていた。食べ物はなくなると自動で出てくるらしく、食べても食べてもなくならない。

 出てくるものは最初にあったシチューの他、スパゲッティーやローストビーフといった洋風のものもあれば、寿司など和風のものもあった。デザートにはプリンやスイカ、ケーキなどもあった。

 空になったカップには自動で飲み物が注がれるらしく、中身を飲み干す度にワインやコーラなど、その都度違った飲み物が注がれていた。

 千鶴はというと、そんな会食を続ける四人とは離れたところにたち、腕を組んで様子を見ていた。

 もっとも魔法使いとて、千鶴に食事を勧めなかったわけではない。

 魔法使いの言うところによると、彼女たち魔法使いは古くからこの教会で平穏に暮らしており、人間に危害を加えるつもりは毛頭ないという。人里離れた古い教会に住む彼女たちにとって、時折訪れてくる人間をもてなすのがささやかな楽しみのなのだという。

 だが子供のころ、魔法使いを見た者は命を奪われてしまうという噂を聞いていた千鶴は、魔法使いの提供する食事の安全を信じられずにいた。

 それゆえ千鶴は、次から次へと生じてくる食べ物をおいしそうに頬張る遥香たちを見つめながら、ずっと仁王立でいた。

「ほら千鶴、大丈夫だから食べなよ。おいしいよ」

 見かねた遥香がフライドチキンを片手に言った。

「いいえ、結構。何にもないところから食べ物が生じてくるなんておかしいわ」

「えー、でもなんてことないよ。ねえ、田村君?」

 鳥の丸焼きとの格闘に夢中になっていた田村は、何も言わずに頷いた。

「ほら、田村君も大丈夫だってよ。せっかくなんだからごちそうになろうよ。千鶴の好きなイチゴとリンゴと蜂蜜入りのクレープもあるみたいだよ。ほら」

 クレープの載った皿を差し出す遥香。千鶴が見てみると、確かにそれは学校近くのクレープ店で売っている、千鶴の大好きなクレープだった。

 だがそれは千鶴の通う学校の生徒にはあまり人気がないらしく、九百円という価格の高さも手伝ってか、そのクレープを食べている人を千鶴は見たことがなかった。

 それほど人気のないクレープが、なぜここにあるのか千鶴は疑問に思った。

「なんであるのよ?」

「知らないけど、自然に出てくるよ」

 千鶴が皿を受け取らなかったので、遥香は皿をテーブルに戻した。

「もったいないなあ」田村が横から手を伸ばし、クレープを口にした「うん、結構うまいじゃん」

「どう考えてもおかしいでしょうが」

 眉をひそめる千鶴。

「でも安全上の問題はないみたいだよ。私たち普通に食べてるけど」

 と遥香。

 すると、食事を楽しんでいた魔法使いの一人が口を開いた。

「ええ、私たちが魔法を使い、丹誠込めてつくった料理です。安全に問題はありません」

 もう一人の魔法使いが言った。

「人里離れたこの場所に住む私たちにとって、客人をお迎えすることは何よりの楽しみ。安全には十分気を遣っています」

 千鶴が言った。

「だけど、ここに住んでいる魔法使いは、姿を見た人を殺してしまうという噂がありますが……」

 魔法使いの一人が、くすりと笑った。

「どうぞ安心してください。それは人間の流した根拠のない噂にすぎません。私たちにとっては迷惑この上ありませんが」

 ワイングラスを傾ける魔法使い。

 それでも魔法使いを信じられずにいた千鶴は、しかたなく話題を変えることにした。

「なぜこのようなところに住んでいるのですか?」

 千鶴が思うに、その美しすぎる容姿を除いては、魔法使いの見た目は普通の人間と変わりない。ならばなぜ都心部に住まず、こんな寂れた教会に住むのか千鶴は不思議に思った。

 もう一人の魔法使いが言った。

「ごらんの通り、魔法使いの魔法は、人間の科学とは本質的に相容れないものです。歴史を通じ、他の種族や民族に敵対的であった人間が私たちの存在を知れば、きっと私たちを滅ぼそうとするでしょう。私たちは人間と戦って滅びるほど弱くはありませんが、無益な争いは避けたい。ですから、こうして人気のないところに住居を構え、時折訪れてくる純粋な子供をもてなす場合を除き、人間とは接触しないようにしているのです」

 なるほどと半分納得しつつも、遥香が純粋な子供に該当するかは疑問だと千鶴は思った。遥香は確か、魔法使いの画像を撮影し、ネットにアップロードしようとしていたのではなかったか。

 心配になった千鶴が言った。

「ではもしも私たちが、あなたたちのことを誰かに言おうとしたらどうしますか?」

 魔法使いは、手にしていたナイフを動かすのをやめた。魔法使いと千鶴の間に一陣の沈黙が舞った後、

「そうですね。そのときは残念ですが……」

 魔法使いはそこで言葉を切った。

 千鶴は、彼女たちに私たちを害する意思はないが、もし私たちが彼女たちの存在を公にするなら、殺害される可能性があると思った。

 千鶴は遥香のすぐ後ろに近づき、

「ねえ遥香、例の計画はやめた方がいいわ」

 耳打ちした。

「ん、何のこと?」

 振り向くことなく、チョコレートケーキを頬張っている遥香。どうやら食事に夢中で、魔法使いと千鶴のやりとりを聞いていなかったようだ。

「ほら、ネコ動のことよ」

 中継なんてしてないでしょうねと言うため、遥香の耳にさらに口を近づけようとした千鶴。遥香の肩に手を乗せたところ、あまりの熱さに驚いて手を放した。

「え? ちょっと、遥香――」

 身を乗り出し、遥香の顔を見つめる千鶴。

「ん? どうしたの?」

 そう言う遥香の顔はどうも熱っぽい。

「遥香、調子悪くない?」

「……うん、そう言えば」

 言われて気づいたのか、遥香は食べかけのケーキを皿に置いた。

 千鶴が遥香の額に手を当てると、火のように熱かった。

「ちょっと。田村君、大変」

 同じくケーキを頬張っていた田村が、遥香と千鶴を見る。

「遥香、熱あるみたい」

 そう話しかける千鶴の腰の辺りに、何か熱いものがぶつかった。驚いて千鶴が振り返ると、辛そうに息をする遥香が倒れていた。


「遥香っ、大丈夫!?」

 倒れた遥香の肩に手をかけた。苦しそうに息をする遥香の身体はとても熱く、服の上からでさえ触れるのがやっとだ。

「た、助けて千鶴……」

 息も絶え絶えながら、遥香が私に手を伸ばす。私の足をつかんだその手は火のように熱い。

「待ってて」

 私は立ち上がると、テーブルの向かい側に座る二人の魔法使いを睨みつけた。

 すました様子で私の視線を受け止める魔法使い。悶絶躄地する遥香とは対照的な、あまりの冷静さに、私は背筋に悪寒を感じた。

 だが、苦しみ悶える遥香を放っておくことはできない。私は意を決し、口を開いた。

「食べ物に、毒が入っていますね?」

 しんと静まりかえった部屋に、私の声が響く。

 魔法使いの一人は、さも当然であるかのように、

「ええ」

 とだけ言った。

 私はテーブルに両手をつき、身を乗り出した。魔法使いの驚くほど長い睫を持つ目の中に、怒りで紅潮した私の顔が映る。

「どうしてですか? 遥香があなたたちのことを誰かに言うと思ったのですか?」

 事実、遥香は彼女たちの存在を公にしようとしていた。だが遥香とて言い聞かせれば分からないわけではない。見たところ遥香はまだ放送を開始していなかったようだし、遥香をこんな目に遭わせる必要はない。すぐに毒を解いてもらわなければ。

 だが、魔法使いは首を振った。

「いいえ」

「ではどうし――」

 言いかけたとき、隣で大きな音がした。見れば、苦しみに顔を歪め、田村が床に倒れ伏していた。

「どうしてこんなことを?」

 魔法使いを睨みつけ、言った。

 すると、もう一人の魔法使いが口を開いた。

「端的に言って、あなたを除くその二人は、罠にかかったのです」

 私は恐怖のあまり、声が出なかった。そんな私を見たもう一人の魔法使いがくすりと笑った。

「二人に効き目が現れる前に、あなたも食べ物を口にしてくれれば手間が省けたのに、残念ですわ」

 どうやらこの魔法使いたちは、最初から私たちに毒を盛るつもりだったらしい。

 私が言った。

「では、人間を客人として迎えるのが楽しみというのは嘘ですか?」

 魔法使いは眉一つ動かすこともなく、

「ええ」

 そのあまりの冷淡さに、私は身の毛がよだつ思いがした。どうやら魔法使いとは、人間を騙すことに何のためらいも感じない生き物らしい。

「あなたたちの目的は何ですか?」

 怒気を含んだ声が、室内に響く。私が怒っているのは、そうでもなければ、恐怖に押しつぶされてしまいそうだから。

「魔法使いの好きな食べ物が何だか知っていますか?」魔法使いがくすりと笑った。「人間ですよ」

 人間? まさか、私たちを食べるつもりだろうか。

 もう一人の魔法使いが言った。

「私たちは人間たちの間に、丘の上には美しい魔法使いがいるとの噂を流し、のこのことやってきた人間を食べているのです」

 なるほど。どおりで変な噂が流れているわけだ。

 魔法使いの一人が、もう一人に言った。

「姉さん、どうしますか、残った一人は?」

 どうやら二人の魔法会は姉妹らしい。姉さんと言われた方の魔法使いは少し考えると、

「あまり好みではありませんが、実力行使しかないでしょう」

「そうですね。では、私が」

 ゆっくりと立ち上がる妹の魔法使い。その動作は、獲物を仕留めようとする獣にしてはあまりに遅い。否、それほどの余裕を持ってしても捕らえられるほど、私という獲物の抵抗など意味をなさないということか。

 ゆっくりと、一歩一歩着実な足取りで、魔法使いはテーブルを周り、私に近づいてくる。

 もう一人の魔法使いが言った。

「傷つけないよう気をつけてください。大切な食料ですから」

「ええ、分かっています」

 どうやら私たちは、最初から食料としか見られていなかったようだ。

 だが私とて、みすみす捕らえられるわけにはいかない。魔法使いがやってくる方とは反対側の出口目指して、一直線に駆け出した。

「ごめん、遥香。すぐ助け呼んでくるから!」


 教会の外には運転手が待たせてある。車で丘を下り、助けを呼ぼう。車の置いてあるところまで、捕まらずに逃げなければ。

 倒れ伏す田村を飛び越え、部屋の出口にたどり着いた私は、ドアを開けようとした。だが、ドアはぴくりとも動かない。

 私がこの部屋に入ったときに鍵をかけた覚えはないし、遥香や魔法使いがかけた様子もなかったのに。

 背後から聞こえる足音が、次第に大きくなっていく。

 一刻も早くここから立ち去らねばならない。少しでも無駄なことをすれば命はないと、早鐘を打つ心臓が伝えてくる。必死の思いで開けようとするも、ドアは最初から壁に貼り付けられた鉄板であったかのように動かない。

 私が部屋に入った時点で勝手に鍵が閉まるようになっていたのか。あるいは離れたところから鍵を閉めことができるのか。いずれにせよ、これが魔法使いの魔法使いたる所以なのかと、こんな丘の教会にやってきたことを後悔した。

 小さなドアの前で、狂ったようにドアノブを回す私の肩に、何か冷たいものが触れた。見れば、魔法使いの白く細長い指先が、私の肩に添えられていた。その氷のような冷たさに、私は骨身が凍る思いがした。

「諦めなさい。大人しくするなら、苦しませずに食べてあげるわ」

 踵を返す私。魔法使いの指が肩から離れる。すぐ目の前にいる魔法使いは、何も言わずに私の返事を待っていた。

 考えるまでもない。私の今までの人生は決して楽ではなかったし、生きていてよかったと思ったことも一度もない。だが迫り来る死を前にして、私の答えはおかしなほど単純だった。

 魔法使いが口を開く。

「ふふ、恐れることはありません。食べられたあなたは、私たちの血肉として、永遠に生きられるのですから」

 その言葉を魔法使いが言い終わるか終わらぬうち、私は魔法使いを蹴ろうと、足を上げていた。

 私は今までの人生でこれほどまでに、生きているということ、ただそれだけがどれほど幸せなことか感じたことはなかった。だからこそ、この命が尽きるまで、必死に生きなければならないと思った。

 高く上げられた私の左足が、魔法使いの頭に近づいていく。私のとっさの反撃を予想していなかったのか、魔法使いはノーガードだ。まるで吸い込まれるように、魔法使いの頭に進んでいく私のつま先。

 勝った。私は確信した。

 魔法使いの力がどの程度のものなのか、私は知らない。だが高速で飛来する物体に画面面を直撃され、無傷でいられる生物などいないはずだ。眼前にいる魔法使いが華奢ならばなおさらだ。少なくとも逃げる時間くらいは確保できるだろう。

 あとわずかで私の靴の先端が魔法使いの瞳に直撃するという瞬間、ぱしっという乾いた音ともに、私の足は魔法使いの手でつかまれていた。

 頭が真っ白になる。魔法使いとはこれほどまでに俊敏に動けるものなのか。

 魔法使いは私の足を放そうとしない。魔法使いの指が、私の足首に食い込んでいく。普通の指ならまだしも、小枝のように細い指だ。痛いどころではない。

 骨が折れるのではないかと思うほどに、締め付けられる足首。私の足をつかみながら、無感動な目で私の様子を観察していた魔法使いは、不意に手を放した。

 その場に倒れる私。痛みのあまり、立つことができない。片足を押さえながらその場にうずくまる私を見下ろして、魔法使いが言った。

「まだやりますか?」



 私は魔法使いの一人によって、牢屋のような場所に運び込まれてしまった。

 辺りは真っ暗。足首を怪力でにぎられた痛みで意識がはっきりしない中を背負われてきたため、ここが教会のどの部分に当たるのかは分からない。周囲に窓がなく、座っている床がひんやりとしているところからして、おそらくは地下だろう。

 外部と連絡をとろうと携帯電話を取り出そうとしたが、いつの間に抜き取られていたのか、ポケットの中は空だった。

 私を連れてきた魔法使いは何も言わずに帰って行った。魔法使いたちは私たちを食べると言っていたが、少なくとも私は今すぐに食べられそうな状況にはない。

 会食をしていた部屋に残された遥香と田村のことが心配だ。二人ともあの弱った様子では逃げられそうにないし、もしかすると既に食べられている可能性もある。遥香には自業自得のきらいがあるとはいえ、食べられるのはかわいそうだ。

 いや、遥香は痩せているからもも肉くらいしか食べられないはずだ。食べがいがないと思って見逃してくれていないだろうか?

 そもそも魔法使いは人をどう食べるのだろう? 生で食べるのだろうか? ……いや、動物を生で食べるのはよくない。そうすると茹でるのだろうか。いや、火で炙るという可能性もあるな。

 ――様々な調理補方が頭に浮かんでは消えていく。だが、そのいずれも残酷であるという点には変わりなかった。自分もいずれ食べられる身であることを考えると、身震いせずにはいられなかった。

 何とか脱出しなくっちゃ。

 立ち上がろうとした私は、天井に頭をぶつけてしまった。

「痛っ、もう……」

 手探りで調べてみると、天井の高さは私の背丈ほどもなかった。私は床を這い、出口がないか確認することにした。

 四つんばいになって進むこと一メートル。突如、私の頭は何か固いものにぶつかった。

 お、壁か? 

 手で触ってみると、ごつごつした岩でできた壁らしきものであることが分かった。方向を変え、壁づたいに進む私。

 しばらく進むと、また何かにぶつかった。調べてみると、やはり壁のようなものだった。

 もう一度方向を変え、進む私。しばらくしてまた壁にぶつかり、向きを変え、又壁にぶつかったところで、この空間にはおよそ出口らしきものは存在しないことに気がついた。

 おかしい。ここに来たときはどこかに入り口らしきものがあったのに。

 私は自分の通ってきた道をもう一度進み、何か手がかりがないか調べてみた。

 だが、結果は何もなし。辺りは固く冷たい壁で覆われているだけで、外へと続いていると思われる箇所は発見できなかった。

 出口のない部屋。これも魔法か何かなのだろうか。だとすれば抵抗するだけ無駄だ。次に魔法使いと相対したときに備え、今は体力は消耗しない方がいいだろう。

 私はその場に寝そべった。床はとても冷たく、体温が失われていくのが分かる。ひょっとすると魔法使いはここで私が餓死や凍死するのを待っているのかもしれない。

 こんなところに来るんじゃなかったと、後悔の念が過ぎる。思えば、私が初めて丘の上に来たのは三年前。その時無事に帰れたのは幸運だった。本来ならその時死んでいてもおかしくなかったのだから、余計に三年間生きられたのはましと思うべきか。

 ところでなぜ三年前は魔法使いが出てこず、今回は出てきたのだろう? 丘の上に魔法使いがいるという噂は当時からあったのだから、やはりそのころも魔法使いはいたはずだ。

 当時の私のような子どもは食べがいがないから、もう少し大きくなるのを待とうと思ったのだろうか? ……いや、あの魔法使いたちに、過去に私に会ったことがあるという様子は感じられなかった。

 目を閉じ、あれこれ考える私の頭に、一つの言葉が浮かんだ。


「魔法使いは夜にならないと現れないんだ。夜の魔法使いっていう種類らしいからな」


 冗談と思い聞き流していたが、確かに田村はそう言ったはずだ。

 夜にならないと現れない。――それが、三年前に私たちが魔法使いに会えなかった理由か。

 だが夜にならないと現れないということは、昼には消えるのだろうか? いや、消えないにしろ、「夜の魔法使い」という種類である以上、その活動時間は主に夜のはずだ。

 私はつけていた腕時計の文字盤を点灯させるスイッチを押した。暗闇の中、蛍の光のように腕時計の文字盤が浮かび上がる。

 時刻は午前二時。日の出が六時なら、夜はあと四時間しかない。魔法使いの活動が夜に限定されるならば、魔法使いたちはまず遥香や田村を食べ、夜が明けるまでに食べきれない私をここに閉じこめたとも考えられる。もしそうなら、私が食べられるのは早くて今日の夕刻ということになる。

 焦るのはまだ早い。そう思った私に、疲れがどっと押し寄せてきた。思えば魔法使いとの対面といい、格闘といい、今日は人生で初めての出来事が目白押しだった。

 まずは休んでから作戦を考えよう。目蓋を閉じた私は、消え入るように眠りについた。


 大地には、さんさんと降り注ぐ日光を受けた、まばゆいばかりの牧草が生えていた。見渡す限りの緑に染まった大地を、澄み切った空気が駆け抜けていく。

 生い茂る牧草は、昔から手つかずのまま存在していた。人間に踏み荒らされることも、動物に食い荒らされることもなかった。その場所には誰も足を踏み入れることができなかったから。

 今、一匹の子羊が、その場所へと続く橋を渡ろうとしていた。下には底が見えないほどの谷があった。丸太で作られた橋は、向こう側に渡ることはできるが、引き返すことはできない。

 羊が橋の中程まで来たところ、谷の下から声が聞こえてきた。声は地響きのように大きく、声の主が一言発するたびに谷が震え、側面の土がぱらぱらと落ちていった。

「私の橋を黙って渡るのは誰だ」

 小さな羊は身を震わせた。

「勝手に橋を渡るやつは生かしておけん。食べてくれるわ」

 大地が揺れ、羊の載った橋が揺れる。羊は身を屈め、橋にしがみついた。

「待ってください。後からもっと大きな羊が来ます。そっちを食べてください」

 羊が言った。

 谷からの声が言う。

「ふむ。本当か? 嘘であれば、帰りにここを通るときに食べてくれるぞ」

「本当です」

 羊がそう言うと、谷からの声は聞こえなくなった。羊はおそる丸太の上を歩き、牧草の生い茂る反対側にたどり着ついた。

 間もなく橋の上に現れた次の羊は、同様の手段で難を逃れ、最後に現れた大きな羊は、谷に潜む声の主をやっつけてしまった。



 ――そんな夢を、見ていた。

 私の耳に入ってきたのは、凛とした魔法使いの声。見れば、魔法使いの一人が私を見下ろしていた。

 魔法使いが来る前に逃げ出す作戦を考えようと思っていたが、どうやら寝過ごしてしまったらしい。腕時計に目をやると、時計の針は午後六時を指していた。真っ暗な部屋にいたため、時間の感覚を失っていたようだ。

 魔法使いが言った。

「よく眠れましたか?」

「ええ、まあ」

 私がそう答えると、魔法使いは片手で私の腕をむんずとつかみ、引き上げた。細身の割に、相変わらずの怪力だ。

「来なさい」

 魔法使いに腕をつかまれたまま、歩かされる。部屋には昨日確認したときにはなかった、人の背丈ほどの穴が開いていた。

 穴を通り、しばらく階段を上がると、昨日遥香と魔法使いたちが食事をしていた部屋にたどり着いた。

 部屋には姉と呼ばれていたもう一人の魔法使いが椅子に座っていた。その魔法使いに勧められ、私は向かいの椅子に座った。私が逃げないようにするためか、もう妹の魔法使いが後ろに立った。

「さてどう食べましょうか、姉さん?」

「そうですね――」

 私を見つめる向かいの魔法使い。頭の先から胸の辺りまでじっくりと見つめた後、私の後ろに視線を向け、

「希望はありますか?」 

 妹の魔法使いは片手で私の胸の辺りに触れ、

「見ての通り大変痩せています。塩漬けにするのも面倒なので、そのままでよいのではないしょうか?」

 そのままということは、生きたままがぶりということだろうか? ……恐ろしい。

 姉の魔法使いが言った。

「そうですね。しかし昨日の雌といい、最近の人間は痩せている。近年は食糧事情が悪いのだろうか?」

「そのようですね」

 どうやら魔法使いはダイエットという言葉を知らないらしい。

 妹の魔法使いが言った。

「食べる部分の分け方はどうしますか?」

「私は心臓ともも肉をもらえれば結構よ」

「むっ。姉さんはいつもいいとこ取りです。たまには私にもも肉を……」

 頬をふくらませる妹の魔法使い。

「あなたには残りをすべてあげるわよ」

 妹の魔法使いは私の胸の辺りに触れ、

「ですから、胸肉が全然ないと」

 どうも失礼な感じだ。

「内臓を食べればいいじゃない。肝臓にはグリコーゲンが貯蔵されているから栄養があっていいわ」

「いつもいつもそればかり。もう食べ飽きました。なら心臓をください」

「しょうがないわね……」

「では姉さんからどうぞ。先に心臓を食べて血が飛び散るといけませんから」

「はいはい」

 立ち上がる姉の魔法使い。テーブルを周り、ゆっくりと私の方に近づいてくる。

 魔法使いが後数歩の距離に迫ったとき、私は何とか時間を稼ごうと口を開いた。

「――あの、遥香はどうなったんですか?」

「はるか?」

 姉の魔法使いが言った。

「あ、えっと、雌の方です」

「食べたわよ」

 あっさりとした口調の魔法使い。

「ど、どうやってですか?」

「あなたと同じよ」

 私の腕をつかむ魔法使い。魔法使いの細長い爪が、肌に食い込んでいく。

「……で、では雄の方は?」

「あっちは少し大きいし、塩漬けにしてるわ」

 魔法使いは私の腕を引き、私を床に座らせた。

「と、ということは、まだ生きているのですか?」

 私の上半身を倒し、床に寝かせる魔法使い。

「もう死んだでしょう。塩漬けですから」

 魔法使いは私の足を開かせると、

「じっとしてなさい」

 太ももに口を近づけた。大きく開かれた魔法使いの口に、犬のように鋭い牙が光るのが見えた。

「……ちょ、ちょっと待ってください」今までの人生で、これまでにないほどの恐ろしさを感じた私が言った。「い、痛いですか?」

「さあ」あっさりと言う魔法使い。「私は人間でないし、食べられたこともありませんが、動物である以上、大動脈を切断されて痛くないということはないでしょう」

 私は魔法使いの頭に手をやり、脚から遠ざけた。

「た、食べないでください。お願いします」

 震える手を合わせて懇願する。そして、こうなればもう陳腐な言い訳でも言わないよりはましだと、夢で耳にしたような台詞を口にしていた。

「私を逃がしてくれたら、私より大きい人間を連れてきます!」



 私を食べなければ、代わりに私よりも大きな人間を連れて来るという私の提案に、魔法使いたちは戸惑っていた。

 当初、姉の魔法使いは、私が約束を守る保障がないと一蹴した。だが妹の魔法使いは、人間の食糧事情が悪くなり、肥えた人間が食べにくくなった今、この少女の提案に乗ってみるのも悪くないと述べた。

 魔法使いたちの議論は十分ほど前から続いている。私は床に寝かされたまま、姉の魔法使いが足下に座り、妹の魔法使いが頭の近くに立っている。

 妹の魔法使いは私の提案にかなり前向きなようで、うまくいけば太った人間が毎日食べられるようになると姉を説得。一方、姉の魔法使いはもし提案に乗るのであれば、私が確実に約束を履行するような手段を設けなければならないと言っている。

「――そうですね、何かいい方法はないでしょうか?」

 今にも折れそうなほど長い人差し指を口元に当て、妹の魔法使いが言った。

「難しいわね。調子いいこと言って逃げるつもりかもしれないわ」

 疑い深い目つきで私を睨みつける姉の魔法使い。

 魔法使いが疑うのももっともだ。私は自分が助かるために、他人を犠牲にするつもりなど毛頭ない。逃がせば最後。私は二度とこの丘には訪れず、人里離れた地域に引っ越し、安穏と暮らすつもりだ。

「やはり無理ね。ふつうに食べましょう」

 突如、私に飛びかかり、馬乗りになる姉の魔法使い。細身とはいえ、身体の上に飛び乗られるとかなり痛い。

 しまった。見抜かれたか。

「まずは黙らせないといけないわね」

 私の首に口を近づけてくる魔法使い。大きく開けられた口から、狼のような犬歯が現れる。

 もうだめだ私は思った。だが、その牙の先端が私の首に触れた瞬間、妹の魔法使いがポンと手を打った。

「あっ、姉さん。待ってください」

 姉は口を離した。いぶかしそうな顔で妹を見つめる姉。

 その視線に答えるように、妹が言った。

「いい方法を思いつきました。この少女に死の呪いをかけるのです。ただし発症までに一定の期間を設けておいて、期間内にこの少女が他の人間を連れてくれば、期限を延ばすのです。そうすることにより、約束を破らせることなく、何人でも連れてこさせることができます」

 それでは私が一生飼い殺しになってしまうではないか。そもそも私は他人を犠牲にしてまで生き延びたいとは思わないのに。

 だが、

「なるほど、それはいい考えです。呪いは我々夜の魔法使いの十八番ですから」

 姉の魔法使いはあっさり賛成してしまった。

 妹が言った。

「では、私が呪いをかけましょう。ですが期限はどうしましょうか?」

 こうなったら仕方がない。いずれ死ぬのは不本意だが、今死ぬよりはましだ。できるだけ長い期限を設定してもらい、せめてその期間は余生を楽しむとしよう。

 姉が言った。

「明日の夜でいいでしょう」

 さすがにそれは短すぎる。

 私が口を開いた。

「……あ、あの、一週間くらいにしてもらえませんか?」

 同時に私を睨みつける二人の魔法使い。

「一週間? ほんとにやる気あるの?」

「そうよ。そんなに要らないでしょうが」

 私は一瞬、返答に窮したが、

「私の通う学校、あ、人間の集まるところなんですけど、そこは今日からしばらく休みなんです。休みにはあまり多くの人とは会えないので、連れてくる人を見つけるには少し時間がかかるんです」

 我ながらもっともらしい理由だ。

 姉の魔法使いは妹を見て、

「お腹も空いたし、やっぱりすぐ食べましょう」

 しまった。逆効果だったか。

 だが、妹の魔法使いは首を振った。

「ですが、しばらくは昨日の雄の人間が残っていますが……」

 そうだ、塩漬けにされたという田村がいるじゃないか。田村のせいでこうなったのだから、しばらくはそれを食べて我慢してもらうしかないだろう。

「……ええ、あっちの方が私よりおいしいと思います」

「ふんっ、適当なことを言って。食べたことないくせに」

 姉が言った。

 それはそうだ。

「やっぱり信用できないのではないか?」

 と姉。

 妹が言った。

「まあまあ姉さん、一週間くらい与えてもよいのではないでしょうか? その間に他の人間を連れて来られなければ絶命するだけですから、約束を破るということはまずないと思います」

 姉の魔法使いは私の顔をしばらく見つめた後、

「分かったわ」

 私の上から下りた。



 妹の魔法使いは、その細長い指先で私の片手をつかむと、彼女のもう片方の手を私の手の甲に乗せた。

「これから呪いをかけます。いいですね?」

 私を見据える魔法使い。

 ここで首を振れば、私はこの場で食べられることになるだろう。呪いという得体の知れないものをかけられることは遺憾だが、この場で死ぬよりはましだ。

 私は頷いた。

 瞬間、魔法使いに触れられている手に、電流のような衝撃が走った。その衝撃は瞬く間に前身を駆けめぐり、苦しくなった私は悲鳴を上げた。

 それきり、衝撃は消えた。まるで感電したときのように、身体に入った電流が、地を伝わり、どこかへ出て行ってしまったかのように。

 手を放す魔法使い。

 放された手をおそるおそる見てみると、甲の中心部に赤いあざのようなものがついていた。これは呪われた印だろうか?

 まじまじと自分の手を見つめる私に、魔法使いが言った。

「期限は来週の二十四時。期限が到来すると絶命します。それまでに他の人間を連れて来れば、期限を延長します」

 それだけ言うと魔法使いは踵を返した。

 もう帰っていいということか。そう思った私が帰ろうとすると、想い出したように魔法使いが振り返った。

「ああそうそう。呪いを解こうなどとは考えないことです。我々夜の魔法使いの呪いは魔法における最高芸術。解こうとすれば、その時点で絶命します」

 そう言い残して、妹の魔法使いと姉は奥の部屋に消えてしまった。

 もっとも、私は呪いの解き方なんて知らないけどね。

 独り残された私は部屋を出た。埃をかぶった長椅子の間を歩き、教会の出口へと向かう。

 さて、教会の外に私の車はあるだろうか? 私が教会に入ったのが昨日の夜。あれから丸一日近く経っているのだから、もう屋敷に引き返しているかもしれない。両親が心配しているかもしれないし、早く帰らないと。

 出口にたどり着いた私が扉を開けると、正面には私の車が待機していた。

 あれ? まだ待っててくれたのか。ご苦労なことだ。屋敷に戻ったら割り増しの給料をやらないと。

 私が車に近寄ると、運転手が中からドアを開けた。乗り込んだ私が言った。

「待たせたわね。大変だったでしょう。お疲れ様。帰るわよ」

 私の言葉に戸惑う運転手の表情が、バックミラー越しに見えた。

「いえ、待つも何も、すぐお戻りになったではないですか。もうよろしいのですか?」

 と運転手。

 え? 目が点になる私。

「ちょ、ちょっと待って。私、すぐ出てきたの?」

「ええ、友人の方に手招きされて教会に入ったかと思ったら、もう出てきましたが……。お二方はよろしいのですか?」

 そうだったのか。どうやら教会に入っている間は時間の進み方が違うようだ。これも魔法か何かの影響だろうか?

 ともかく運転手に余計な心配をかけても仕方がないし、これ以上言及するのはやめておこう。

「……そ、そうよね。二人は自分で帰るから、もういいって。さ、屋敷に戻って」

「かしこまりました」

 エンジンがかかる車。広がる夜景をその車窓にとらえながら、丘を滑り降りていく。

 バックミラー越しに小さくなっていく教会を眺めると、私の心は少し落ち着いてきた。

 だが同時に、後悔の念が過ぎる。魔法使いは見たものを殺してしまう。――そんな噂を知っていながら、私は教会に行くという遥香を止めることができなかった。

 頬を伝う涙。自分の余命さえあと一週間という身ながら、遥香という入学以来の友人を失った悲しみは小さくなかった。

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