夏語り ~確かに恋だった~
私の想いに「ごめん」と言った。
振られたのは私なのに、彼は私以上に傷ついた表情をしていた。
幼かったあの頃の事を、今でも鮮明に思い浮かべれる。
--あの日、私は君という運命と出会った。
北条唯10歳、北浦拓12歳。
幼いながらも、確かにあれは、恋、だった。
蝉の鳴き声が響き渡っていた。陽射しはきつかったけど、時折吹く風で幾分は涼しく感じられる。ああ、夏だなと当たり前の事をぼんやりと思いながらも、それらの風景は私にとっては当たり前のことだった。市町村で区別するとここは村で、車で30分は走らせないと娯楽施設はおろか、大きい商店もない。何もない村だ。こんなのどかな田舎町は遊ぶところがないからつまらないと大人は言うけど、広い野原は花摘みや影踏みをして遊べるし寝転がり空を眺めているだけで色々な空想して遊べるよと思う。そういうと、子供は無邪気で良いと言われるけど大人になっても空は見上げられるし、子供のように遊んだって良いと思うのはやはり私が子供だからだろうか。
その日も何時も遊んでいる空き地にぽつんと置いてある土管にちょこんと乗って空を見上げていた。空というものは不思議で雲は常に流れているし飛行機だって飛んでいる、昨日と今日、今日と明日、瞬きする前と瞬きした後と、まったく同じ空なんてない。空を飛んで遥かかなたに行けたらいいな、そしたらどこに行って何をしようと空想しながらずっと見続けていても飽きることはない。
「さっきから何を見てるの?」
と声をかけられるまでは暑さも雑音も私の世界にはなかった。現実に引き戻され、ぼうっとする頭のまま声の持ち主を見やる。
「聞こえてる? 何か面白いものでもあった?」
私と同い年か少しばかり年上だろうかの見知らぬ少年がこちらを見ていた。
「空、見てた。空って面白いよ?」
ふうん、と相槌を打ちながら少年は私の隣に座り、同じように空を見上げた。あの雲、お花の形に見えるでしょ?あれは、と少年に話しかける。本当だと笑顔になる少年を見てるとそれだけで嬉しかった。もともとこの村は子供の数が少なく、10人にも満たない。それゆえ皆が皆の仲が良いが、家の用事や勉強やらで夏休みは毎日誰かと遊べるとは限らない。今日も私以外の子は何かしら用事があるらしく、一人で空を見上げている事にしたのだ。
「君、どこから来たの? この辺の子じゃないよね?」
空を見上げたまま、視線だけ少年に向け聞いてみる。少年がこっちに向きなおしたのをみて私も真正面から向き直す。「東京から」と彼は言った。
「僕は北浦拓。母さんと二人で東京から来たんだ。母さんが昔ここに住んでた事があったんだって。だから」
「東京からなんて、すごいね。でもここは何もない所だから詰らなくない? よく大人の人が言うんだよ。都会と比べるとここは何もなくて詰らないって。あ、私は北条唯だよ」
何がすごいのか良くわからないまま、私は東京から来たということに興奮していた。そんな唯に拓は困ったような表情をして「別に凄くないし」とだけ返した。
そうしてまた取り留めのない話をしながらも、先ほどと同じように夕闇が訪れるまで飽きることなく空を見上げていて、「また明日」と翌日の約束をして別れた。
次の朝、朝食を食べに台所へ向かった私を見て、昨日からやけに楽しそうねと母が不思議がった。いつもは何かがあると母に話す私が、何故か拓と知り合ったことだけは誰にも言う気にはなれなかった。なんとなくだがあの出会いを誰かと分け合うことなく自分だけのものにしていたかったのだ。ちょっとね、と言葉を濁す私を訝しがったが、問いただすことなく、外へ行くならちゃんと帽子をかぶって行きなさいと注意しただけだった。
約束の場所に着くと、拓はもう来ていて、私に気づくと「おはよう」と手を振って笑った。私も笑顔で駆け寄って「おはよう」と返す。私がかぶっている麦藁帽子を見て、可愛いね。似合ってる。と言ってくれた。買ったのは去年だったが、隣町のデパートに連れて行ってもらってアレでもないコレでもないと選びに選んだお気に入りの麦藁帽子だったので余計に嬉しかった。
「今日も空を見上げるの?」そう拓は訊いてきたが、ううんと頭を振る。じゃあ何して遊ぶ?と問いてくる拓に、行きたいところがあるから付いてきてと笑って言った。
この麦藁帽子をかぶる時に、あの場所へ連れて行くと決めた。私のお気に入りの場所へと拓を連れて行く。気に入ってくれればいい、否、気に入ってくれるはずだと確信している。
ここだよと彼を案内する。そこは一面の黄金・太陽を思わせる向日葵畑だ。畑といっても手入れをされている訳ではなく、昔誰かが植えた一輪の向日葵が育って広がったもの。誰が、どんな気持ちで植えたのか、その人の思いがこんなにも広がったんだなどと想像するだけで楽しい。
「うわぁ凄いや」
思った通り、いいやそれ以上に拓が驚き、喜んでいる笑顔を見てると連れて来て良かったと思う。
「ね、きれいでしょ? ここね。私の秘密の場所なの。村の人もあんまり来ないし、内緒にしてね」
今迄この景色の中に誰にもいて欲しくなかったからここには何時も一人で来ていた。それくらいの自分にとっての大切な場所だった。けれど拓に見せたいと思った。向日葵畑にいる拓を見てると嬉しくてはしゃぎたくなった。連れてきて正解だったと思った。
それから毎日拓と向日葵畑で遊んだ。「じゃあね」「また明日」と次の日の約束をする。約束したから翌日もまた会える、と、それがずっと続くのだとそう信じて疑わなかった。
だけどその日、待ってても彼は来なかった。昨日別れる際に明日も遊ぼうねと笑顔で約束をしたのに。
そのうち来るだろうと膝を抱えてずっと待ってた。けれど夕暮れになっても拓は来なかった。どうしてと悲しくて泣きながら帰った。
家に着くと涙の訳を聞かれるだろうとびくつきながらも「ただいま」と声をかける。だけど私が泣いていた理由を聞かれることはなかった。何故か母も泣いていたからだ。いつも笑っているか怒っているかの母が泣くなんて見たこと無かったから驚いた。慌ててどうしたのと声をかける。衝撃が強すぎて私の涙は引っ込んでいた。
「お友達がね、……亡くなった、と連絡が来たの」
母の昔からの友人が癌にかかり、末期で手の施しようが無くなったこと。生まれ育ったこの村で最後を迎えたいと戻ってきていたという事を母は語った。
ああ、と唐突に思った。だから彼は今日来なかったんだとわかった。そして私の足は向日葵畑へと踵を返した。背後からどこへ行くのと問う母の声が聞こえたけど立ち止まれなかった。きっと私が帰った後に彼は来たと思ったから。
向日葵の根元に彼は膝を抱えて座っていた。その顔は次から次へと溢れる涙で濡れていた。
「…私、拓が好きだよ。だから拓は私の前から居なくならないで」
どう声をかけたらいいのかわからなかったけど気がついたらそう呟いていた。拓がこのまま私の前から消えそうな気がしたから。そう言わずにはいられなかった。
拓は一瞬驚いた表情をしたけれど、直ぐに悲しそうな表情に戻って「ごめん」と呟いた。
何故だか私よりも傷ついたような表情の拓を見ていると、そう、としか言えなかった。
どこか遠くで蝉が鳴いている。けれどもう夏も終わりだ、とただそれだけがぼんやりと頭に転がっていた。
お葬式の後、拓は父親に連れられすぐに東京へと戻っていった。
それ以来、私は彼と逢っていない。けれど、向日葵畑で遊んだ思い出は、そこで育った想い出は、私の記憶から消えることは無い。
空を見上げる度に思い馳せれる。太陽に恋した向日葵のように。チャベルの音を聞きながら大人になった今も。
悲恋物が書きたかったんですが力不足を痛感しました。
一つ二つの歳の差が、見えるものと見えないものがあるように、その時距離が見えたか見えないかの結果でもあります。
あとちょっとラストを改編。以前のだと続きを書こうとすれば書けれるかもと思えたので。
本当はもっと色々エピソード・最初の一輪を植えたのは誰だとか、
のを入れたかったんですが、それを書くと短編じゃなくなりそうなのでこの話はコレでおしまいです。
ご拝読ありがとうございました。