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Separate Memory  作者: 水瀬輝夜
Separate Memory

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13/25

12


藍華から藤ノ井へと戻るリク電の車内。

窓の外を流れる夜の景色を眺めながら、二人は隣り合って座っていた。

和翠は、一輝が気を利かせて先に帰ったことを聞き、「もう、あの子ったら……」と少し照れくさそうに、けれど愛おしそうに笑った。

その笑顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。

駅で和翠と別れ、優也は一人で家路につく。

街灯が灯り始めた夕闇の街。

見慣れたはずの景色が、記憶という色を得たことで、今日からは全く違う風景に見えた。

優也は玄関で立ち止まったまま、肺の奥に溜まった熱い空気を吐き出した。

これから口にする言葉が、この家に保たれてきた「静かな平穏」を壊してしまうかもしれない。

両親が自分を気遣って、あえて触れずにいてくれた優しさを無下にするのではないか__そんな葛藤が、優也の足を一瞬だけすくませた。

けれど、藍華で和翠と交わした約束、そして脳裏に焼き付いた花桜梨の笑顔が、背中を強く押した。

意を決して玄関を開けると、台所から夕飯の支度をする母・静流しずるの、規則正しい包丁の音が聞こえてきた。


「ただいま」

「おかえり優也。早かったわね」


静流が手を休めずに声をかける。

優也は靴を脱ぎ、リビングの入り口で立ち止まった。

その背中から漂う空気の変化に、静流は直感的に何かを感じ取ったのか、ゆっくりと手を止めて振り返った。


「母さん。……父さんはいるか?」

「ええ、さっき帰ってきたところよ」

「着替えてるのか?」

「ええ、おそらくね。……あら、改まってどうしたの? お小遣いの前借り?」


静流しずるが少しおどけた調子で聞き返したその時、廊下の先から父親の博臣ひろおみが、ネクタイを緩めながら姿を見せた。


「小遣いだって? また使いすぎたのか、優也」

「父さん……」

「お、帰ってたのか。なんだ、その深刻な顔は」


博臣が軽く笑いながら歩み寄ってくる。

その日常的な光景が、かえって優也の胸を締め付けた。

素直に打ち明ければ、二人を再びあの悲しみの日に引き戻してしまう。

言わなければ、自分だけが嘘の中で生き続けることになる。


(……逃げるのは、もう終わりだ)


優也は拳を握りしめ、真っ直ぐに二人を見据えた。

その瞳に宿ったかつてない強さに、博臣と静流は息を呑み、自然と居住まいを正した。


「父さん、母さん。……話があるんだ」


夫婦が並んで息子を見つめる。

優也は一言ずつ、己の魂を刻印するように噛みしめて告げた。


「思い出したんだ。……花桜梨のこと。あの日、何があったのか。……全部」


静流の持っていた菜箸が、カランと床に乾いた音を立てて落ちた。

博臣の緩めようとしていたネクタイの先が、その手のまま止まる。

家の中を流れていた平穏な空気が、一瞬にしてあの日__止まっていた時間の色に染まっていく。


「……そうか。思い出したんだな」


両親は、息子が記憶を失ったことで救われた部分もあると、どこかで自分たちに言い聞かせてきた。

だが、再びその重荷を背負う覚悟を決めた息子の瞳を見て、二人はただ「おかえり、優也」と、二度目の、本当の帰宅を祝う言葉を贈った。





翌日。学校が終わると、優也は真っ直ぐに「あの場所」へと向かった。

向かった先は、かつての自分の家よりも通い詰めた場所。

八重家の玄関チャイムを鳴らす指が、わずかに震える。

扉が開くと、そこには驚いた表情の妹・桜が立っていた。


「あ……優也くん? 久しぶり」

「……久しぶり、桜ちゃん。お父さんとお母さん、いるかな」


奥から出てきた桜雅と花梨は、優也の顔を見た瞬間、すべてを察したように目元を緩ませた。


「優也くん。……よく、来てくれたね」


仏間に通されると、あの日、葬儀の席で見ることができなかった遺影の花桜梨が、最高の笑顔で優也を迎えた。

優也は膝をつき、深く、長く頭を下げた。


「……遅くなって、本当にすみませんでした。今まで、逃げていました」


その声は震えていたが、逃げ出したいという弱さはもうない。


「あの日からずっと、僕は自分を許せなくて……忘れることで、自分を守っていました。でも、もう逃げません。花桜梨が残してくれた時間を、僕は精一杯、生きていこうと思います」


花梨が優也の隣に座り、その背中を優しく撫でた。


「いいのよ、優也くん。花桜梨はね、きっとあなたが笑ってくれるのを、ずっと待っていたんだから」


すると桜雅が、棚の奥から数冊の、少し表紙が擦れたノートを取り出してきた。


「優也くん。これを持って行ってくれないか。……花桜梨が大切にしていた日記だ。君との思い出が、たくさん詰まっている」


差し出された日記。

優也はその表紙に触れようとして、寸前で手を止めた。


「……いえ、それは受け取れません。これはおじさんたちの、大事な形見じゃないですか。僕なんかが……」

「いいんだ。これは花桜梨が、いつか君に読んでほしくて書いていたようなものだからね」


桜雅は寂しげに、けれど確信を持って言った。


「僕たちが持っているより、君が持っている方が、花桜梨も喜ぶと思うんだよ。頼む、受け取ってやってくれ」

「でも……」


優也はなおも固辞しようとした。

自分が彼女の命を奪ったも同然だという思いが、その「宝物」を奪うことを躊躇わせた。

しかし、花梨までもが優也の手をそっと握り、ノートを包み込むようにした。


「優也くん。あなたがこれを持っていることが、私たちの救いにもなるの。……お願い」


二人の切実な眼差しに、優也はついに根負けし、その日記を胸に抱きしめた。


「……ありがとうございます。一生、大切にします」


家を出た優也の頭上には、澄み渡る夜空が広がっていた。

カバンの中にある日記の重みが、かつて彼女と繋いでいた手の温もりのように感じられた。

優也は一歩、また一歩と、確かな足取りで前へ進み出した。


to be continued.

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