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馬鹿面(ばかづら)

作者: 埴輪庭
掲載日:2026/02/01

 ◆


 御庭庭オニワバという男がいる。本名を玉袋 順次といい、都内のとある電子部品メーカーで経理職に就く三十四歳の独身男である。


 この男には趣味があった。


 ウェブ小説の執筆である。小説投稿サイト「めるめる」を主戦場とし、日々せっせと駄文を量産しては投稿を続けている。趣味と言い条、その情熱たるや並々ならぬものがあり、仕事から帰宅するや否やパソコンの前に陣取り、深夜まで執筆に没頭するのが常であった。休日ともなれば朝から晩まで食事の時間すら惜しんでキーボードを叩き続ける。傍から見れば立派な依存症の様相を呈しているが本人にその自覚は皆無である。


 御庭庭の実績を記せば、決して芳しいとは言えぬまでもそこそこの成果は収めていた。


 二〇二四年三月には「今時のサバサバ冒険者」なる作品がコミカライズされ、単行本の第一巻が発売されている。


 同年十一月には第二巻も出た。第十二回ウェブ小説大賞では二次選考を突破し、最終選考で落選。


 キネティックノベル第十二回でも二次選考まで進んだが、当該年は受賞作なしという憂き目に遭った。


 第六回一二三書房では一次選考を通過したものの、諸般の事情により取り下げ。


 ノート創作大賞二〇二五では、約八万作中の八百という狭き門である中間選考を突破しながらも最終落選。


 第六回HJ前期は一次通過の二次落ち。


 しかしPASH! 十周年大賞では入賞を果たしている。これは書籍化確約だ。


 更に、全年齢向けの作品だけではなく、R18方面もそれなりに書ける。


 先日などは、とある熟女ものが第三十六回フランス書院官能大賞の一次選考を通過した。


 要するに、そこそこは書けるのだ。そこそこは。


 しかし大当たりはしない。バズることはない。つまるところ、中途半端な男なのである。商業デビューこそ果たしたがそれが大ヒットに繋がったわけでもない。コンテストでは選考を通過するが大賞には手が届かぬ。かといって箸にも棒にもかからぬわけでもなく、微妙な位置をうろうろしている。本人は「趣味の範疇」と嘯いているがその実、心のどこかで一山当てることを夢見ているのは明白であった。


 さて、そんな御庭庭が最近、機嫌を損ねていた。原因は単純明快──とあるユーザーの存在である。


「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」


 意味不明な名前であった。何がいとおかしなのか、なぜピーチ姫なのか、ラブマイジュースとは一体何を指すのか。考えれば考えるほど脳味噌が溶けそうになる代物だが問題はそこではない。このユーザーが御庭庭の投稿する作品に毎回のように低評価をつけてくるのである。


「めるめる」の評価システムは十段階制を採用している。十が最高、ゼロが最低。一見すると妥当な仕組みに思えるがこのサイトには厄介な特性があった。作品の平均評価によって、評価バーの色が変わるのである。平均八以上なら赤、それ以下は徐々に色が落ちて寒色系へと移行する。そして読者の多くは赤バーの作品しか読まないという習性を持っていた。


 つまり、評価八以上を維持できなければ、その作品は日の目を見ぬまま埋もれていく。いくら内容が優れていようと、青や緑のバーでは見向きもされぬ。逆に言えば、たとえ内容が陳腐であろうと、赤バーであれば読者が集まる。なんとも歪んだ仕組みではあるがそれがこのサイトの現実であった。


 御庭庭の新作を投稿するたびに「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」は律儀に評価をつける。その数字は大抵、五か六。たまに七をつけることもあるが八以上は皆無であった。おかげで御庭庭の作品はいつも評価バーが微妙な色合いになってしまう。


 ユーザーの評価履歴は公開されている。御庭庭が「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の評価分布を確認したところ、以下のような有様であった。


 ☆10:4

 ☆9:22

 ☆8:30

 ☆7:421

 ☆6:3000

 ☆5:16981

 ☆4:2141

 ☆3:700

 ☆2:187

 ☆1:21

 ☆0:10


 圧倒的に五と六に集中している。基本的に低評価のユーザーなのだ。御庭庭とて、この分布にはある種の理があることは理解していた。五を「普通」という基準として見た場合、この分布はむしろ健全と言える。世の中の作品の大半は「普通」であり、突出して面白いものは一握り。その観点からすれば、「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の評価姿勢は正しい。


 しかしそれはそれである。それはそれなのだ。


 御庭庭はある晩、パソコンの前で歯噛みしていた。今日も新作に五をつけられた。しかも感想欄には「まあまあ」の四文字のみ。まあまあとは何だ、まあまあとは。こちらは三日三晩かけて書いた渾身の一作なのである。それを「まあまあ」の一言で片付けられてはたまらない。


 いや、百歩譲って「まあまあ」はいい。問題はこの手の評価が毎回続くことだった。御庭庭が何を書こうと、どれほど推敲を重ねようと、「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の評価は変わらない。まるで機械的に五か六をつけているかのようである。


「こいつ、俺のことが嫌いなのか」


 御庭庭は真剣にそう疑った。しかし嫌いならばそもそも読まなければいい話である。にもかかわらず、「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」は御庭庭の新作を欠かさずチェックし、律儀に評価をつけてくる。まるでストーカーのような執念であった。


 いや待て、と御庭庭は思い直す。ストーカーはどちらかと言えば自分のほうではないか。相手の評価履歴を逐一確認し、評価分布まで把握している。これは明らかに異常な執着である。だがそんな自己認識は数秒で霧散した。悪いのは向こうだ。こちらは被害者なのだ。


 御庭庭の思考回路はおよそこのような具合であった。


 ある日、御庭庭は一計を案じた。「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の正体を突き止めてやろうと。相手が何者であるかを知れば、何らかの対処ができるかもしれぬ。少なくとも得体の知れぬ存在に評価されるよりは実態を把握したほうが精神衛生上好ましい。そのような理屈を自らに言い聞かせ、御庭庭は調査を開始した。


 まず試みたのはSNSの検索である。「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」という名前で検索をかければ、何かしらの情報が出てくるのではないか。そう踏んでの行動であった。


 結果は惨敗。当たり前である。こんな珍妙な名前をそのままSNSのアカウント名にする者がいるはずもない。Xで検索してもヒットせず、インスタグラムでも見つからず、フェイスブックに至っては論外であった。御庭庭は舌打ちをしながら、別の手段を模索し始める。


「めるめる」のプロフィール欄を確認しても大した情報は載っていなかった。自己紹介文は「読書が好きです。よろしくお願いします」という素っ気ないもの。性別は非公開、年齢も非公開、居住地も非公開。まるで正体を隠すことに全力を注いでいるかのようである。


 御庭庭は次に「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」が書いた感想を片っ端から読み漁った。このユーザーは二万件以上もの評価をつけており、その多くに短い感想が添えられている。そこから何らかの手がかりが得られるのではないか。


 しかしこの試みも徒労に終わる。感想はどれも簡潔で「面白かった」「まあまあ」「惜しい」「もう少し」といった定型句の羅列であった。たまに長めの感想もあるがその内容は純粋に作品についての言及のみ。個人を特定できそうな情報は皆無である。


 御庭庭は焦燥感に駆られていた。調査すればするほど、相手の姿は霧の向こうに消えていく。まるで実体のない幽霊を追いかけているような心持ちであった。


 そんなある夜のこと、御庭庭はビールを飲みながら、「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」という名前をぼんやりと眺めていた。意味不明な文字列。何の脈絡もない単語の羅列。しかしふと、ある考えが脳裏をよぎる。


「これ、アナグラムじゃないか」


 アナグラム。文字を並べ替えて別の言葉を作る言葉遊び。「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」という文字列を並べ替えれば、何か意味のある言葉が出てくるのではないか。


 御庭庭は急いでメモ帳を開き、文字を書き出し始めた。「い」「と」「お」「か」「し」「ピ」「ー」「チ」「ひ」「め」「ラ」「ブ」「マ」「イ」「ジ」「ュ」「ー」「ス」。記号と読点を除けば十八文字。これを並べ替えて意味のある言葉を作る。


 狂気の沙汰であった。十八文字のアナグラムなど、組み合わせの数は天文学的になる。まともに考えれば不可能な作業である。しかし御庭庭は酔いも手伝って妙な確信を抱いていた。絶対にこれはアナグラムだ。相手はわざと文字を並べ替えて、本名を隠しているのだ。


 三日三晩、御庭庭はアナグラム解読に没頭した。会社では上の空で仕事をこなし、帰宅するなり紙とペンを手に取る。あらゆる組み合わせを試し、意味が通りそうな言葉を探し続けた。


 結論から言えば、御庭庭の推理は完全に的外れであった。「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」は単なる思いつきの羅列であり、アナグラムでも何でもない。しかし御庭庭は偶然にもある文字列を発見してしまう。


「星井桃子」


 並べ替えの過程でこの名前らしき文字列が浮かび上がったのである。もちろん、これは完全なこじつけであった。


「ピーチ姫」から「桃」を連想し、「いとおかし」の「い」と「し」、「ラブマイジュース」の「ジュース」にいたっては「井」がジュースの缶に似ているというキチガイ染みた理由である。「星」は「★」から取った。残りの文字は都合よく無視している。論理も何もあったものではない。


 率直にいってイカれている。


 だが御庭庭はこれを天啓だと信じた。


「星井桃子。これだ。これが奴の本名だ」


 興奮のあまり手が震えていた。早速、この名前でSNSを検索する。すると、驚くべきことにヒットしたのである。


 Xに「星井桃子」というアカウントが存在した。アイコンは桃のイラスト。プロフィールには「小説書いてます。よろしくお願いします」とある。投稿内容を見ると、執筆の進捗報告や、読んだ本の感想などが並んでいた。


 御庭庭は自分の推理力に酔いしれた。やはり正しかった。「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の正体は星井桃子なのだ。アナグラムを解読するという離れ業をやってのけた自分は天才ではないか。


 言うまでもないがこれは単なる偶然の一致である。「星井桃子」と「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」には何の関連もない。たまたま同じ趣味を持つ別人がたまたま桃に関連する名前を使っていただけの話であった。しかし御庭庭にその認識はなく、完全に同一人物だと思い込んでいる。


 もはや病人である。気が狂っている。


 ともかくもそうして星井桃子のアカウントを調べていくと、別の小説投稿サイト「ノベルノベル」で活動していることが判明した。「めるめる」とは異なるサイトである。御庭庭は即座にそのサイトにアクセスし、星井桃子の作品ページを開いた。


 そこに並んでいたのはまごうことなき木っ端作品の数々であった。


 総閲覧数は三桁止まり。評価数は一作品につき二、三件程度。ブックマーク数に至っては片手で数えられるほど。要するに誰にも読まれていない作品群がひっそりと埋もれているのである。


 御庭庭は意地の悪い笑みを浮かべた。なるほど、これが「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」の正体か。他人の作品にケチをつける暇があるなら、自分の作品を磨けばいいものを。鳴かず飛ばずの木っ端作家が何を偉そうに評価しているのだ。


 試しに星井桃子の作品を読んでみることにした。最新作は「窓辺の猫と忘れられた約束」という題名の短編である。


 読み始めて数行で御庭庭は眉をひそめた。文章が拙い。主語と述語の呼応がおかしい箇所がある。情景描写が冗長で会話文が不自然。プロットも練り込みが甘く、展開が唐突。要するに素人が趣味で書いた習作の域を出ていない。


 御庭庭は鼻で笑った。こんな文章しか書けない人間が自分の作品に五だの六だのをつけているのか。笑止千万である。お前に評価される筋合いはない。


 しかしふと気づいた。星井桃子のXアカウントを見返すと、最近の投稿は悲観的な内容が多い。「今日も閲覧数が伸びない」「誰にも読まれないの辛い」「自分には才能がないのかも」。そんな呟きが散見される。


 御庭庭の脳裏に一つの計画が浮かんだ。


 悪魔的な計画である。


 まず、この星井桃子に接近する。親しくなり、執筆のアドバイスを与える。こちとらまがりなりにも商業デビュー経験があり、コンテストでの入賞実績もある。売れ筋に沿った作品作りのノウハウはそれなりに持っている。そのノウハウを惜しみなく伝授し、星井桃子の作品力を向上させる。閲覧数が増え、評価が上がり、ブックマークが積み重なる。やがて星井桃子は木っ端作家から一皮剥けて、それなりの書き手へと成長するだろう。


 そして十分に自己肯定感が高まったところで最低評価をつける。


 感想欄にはクソミソの罵詈雑言を書き連ねる。見ず知らずの名無し読者からの低評価よりも親しい相手からの低評価のほうがショックは大きい。それは自明の理である。御庭庭は星井桃子を絶望の淵に叩き落としてやるつもりであった。


 全くもって屑の所業である。御庭庭自身もそれは理解していた。だが屑でかまわない。屑じゃなくて何で作家なんてものができる。そもそも小説を書くという行為自体が自己顕示欲と承認欲求の塊ではないか。人に読まれたい、認められたい、称賛されたい。そういう薄汚い欲望を原動力にして、作家は筆を走らせる。御庭庭の復讐計画はその延長線上にあるに過ぎない。


 かくして御庭庭は星井桃子への接近を開始した。


 最初の一手はXでのフォローである。御庭庭は別名義のアカウントを持っていた。「深淵のカラス」という、これまた中二病全開の名前である。このアカウントで星井桃子をフォローし、しばらく様子を見ることにした。


 数日後、星井桃子がフォローを返してきた。プロフィールを見て、同じく小説を書いている人間だと判断したのだろう。御庭庭は内心でほくそ笑んだ。第一段階は成功である。


 次に御庭庭は星井桃子の作品に感想を送った。「窓辺の猫と忘れられた約束」に対し、丁寧な感想を書く。もちろん、内心では駄作だと思っている。しかし表向きは良い点を褒め、改善点を優しく指摘する体裁を整えた。


『情景描写がとても丁寧で猫の仕草が目に浮かぶようでした。特に窓辺で日向ぼっこをする場面が印象的です。一点だけ気になったのは主人公の心情変化がやや唐突に感じられたこと。もう少し伏線があると、より自然な流れになるかもしれません。次回作も楽しみにしています』


 こんな具合である。褒め七割、指摘三割。相手を傷つけずにしかし的確なアドバイスを織り交ぜる。御庭庭はこういった処世術には長けていた。


 星井桃子からの返信は予想以上に好意的であった。


『感想ありがとうございます! そうなんです、心情変化の部分、自分でも気になっていて……。伏線のことは思いつきませんでした。すごく参考になります。深淵のカラスさんも小説書かれているんですね。ぜひ読ませてください!』


 食いついてきた。御庭庭は薄ら笑いを浮かべながら、返信を打つ。


『お読みいただけたら嬉しいです。「ノベルノベル」で「深淵のカラス」で検索すると出てくると思います。お時間あるときにでも。私もまだまだ勉強中の身ですがお互い頑張りましょう』


 こうして、二人の交流が始まった。


 御庭庭は計算高く、しかし自然な形で距離を詰めていった。星井桃子の新作が投稿されるたびに感想を送り、Xでは執筆の悩みに共感するリプライを飛ばす。たまにはダイレクトメッセージで雑談もした。


 星井桃子は次第に御庭庭を信頼するようになっていく。同じ趣味を持つ仲間として、そして執筆の先輩として。御庭庭の的確なアドバイスは確かに星井桃子の作品向上に役立っていた。


 二ヶ月が経過した頃、星井桃子の作品に変化が現れ始めた。文章のリズムが良くなり、伏線の張り方が巧みになり、キャラクターの造形に深みが出てきた。御庭庭のアドバイスを素直に吸収し、着実に成長しているのである。


 それに伴い、数字も動き始めた。閲覧数が増え、評価が付き、ブックマークが積み重なる。以前は三桁止まりだった閲覧数が四桁に届くようになった。評価数も二桁に乗り、感想も寄せられるようになる。


 星井桃子のXアカウントには喜びの投稿が増えていった。


『新作の閲覧数が1000超えた! 信じられない……嬉しい……』


『初めてランキングに載った! 75位だけど、載っただけで嬉しい!』


『深淵のカラスさんのアドバイスのおかげです。本当にありがとうございます』


 御庭庭はそれらの投稿を眺めながら、獰猛な笑みを浮かべていた。順調である。計画は順調に進んでいる。もう少し自己肯定感を高めてから、叩き落としてやる。その時の顔が見ものだ。


 三ヶ月目に入ると、星井桃子の成長はさらに加速した。文章力は見違えるほど上達し、構成力も格段に向上している。御庭庭が読んでも素直に面白いと思える作品が出てくるようになった。


 これには御庭庭も少々驚いた。正直なところ、ここまで伸びるとは思っていなかったのである。教えたのは基本的なテクニックに過ぎない。主語述語の呼応、伏線の張り方、キャラクターの立て方、プロットの組み方。そういった初歩的な事柄を指摘しただけでここまで変われるものか。


 もしかすると、星井桃子にはもともと素質があったのかもしれない。ただ、それを引き出す機会がなかっただけで。御庭庭の介入がその才能を開花させる契機となった可能性がある。


 もっとも御庭庭がそんなことを認めるはずもない。自分の指導力の賜物だと、傲慢にも考えていた。


 四ヶ月目、星井桃子から一通のダイレクトメッセージが届いた。


『深淵のカラスさん、相談があるんですけど……。「ノベルノベル」で新人賞コンテストがあるんです。応募しようか迷ってて。私の実力で応募しても恥をかくだけかなって……』


 御庭庭は即座に返信した。


『応募すべきです。迷う理由がわかりません。星井さんの作品力なら、一次選考は確実に通ると思いますよ。というか、通らないほうがおかしい』


『えっ、そんな……。お世辞ですよね?』


『お世辞なんか言いません。私は正直な人間なので。最近の星井さんの作品、普通に面白いですよ。ランキングに載ってるのが証拠じゃないですか』


『……ありがとうございます。ちょっと、勇気出てきました。応募してみようかな……』


『してください。後悔するよりはマシです』


 この時、御庭庭の胸中には複雑な感情が渦巻いていた。


 一つは計画の進捗に対する満足感。コンテストに応募し、仮に選考を通過すれば、星井桃子の自己肯定感はさらに高まる。叩き落とした時のダメージもそれだけ大きくなる。


 もう一つは得体の知れない苛立ち。星井桃子の成長速度が想定以上に速いのである。このペースでいけば、近いうちに自分と同等か、あるいは自分を超えるかもしれない。それは御庭庭にとって、決して愉快な想像ではなかった。


 だがそんな感情は押し殺した。今は計画の遂行が最優先である。個人的な感情に振り回されている場合ではない。


 星井桃子は「ノベルノベル新人賞」に作品を応募した。タイトルは「さよならの向こう側」。離別と再生をテーマにした青春小説である。


 御庭庭は応募前に原稿を見せてもらっていた。読んでみて、正直、唸った。


 面白い。


 これは面白い作品だった。文章の完成度が高く、キャラクターに魅力があり、物語の構成が巧み。クライマックスでは不覚にも目頭が熱くなった。


 御庭庭は複雑な心境で原稿を返した。


『良い作品だと思います。特に終盤の展開が秀逸。一次は通ると思いますよ。あとは審査員の好み次第ですね』


 本心であった。嘘ではない。この作品なら、一次どころか二次、三次も通過する可能性がある。御庭庭の勘はそう告げていた。


 応募から二ヶ月後、一次選考の結果が発表された。


 星井桃子、通過。


 Xには歓喜の投稿が上がった。


『一次通過した!!!! 信じられない!!!! 深淵のカラスさんのおかげです本当に!!!!』


 御庭庭は祝いの言葉を送りながら、内心で舌打ちをした。通過したか。まあ、予想通りではある。問題はどこまで進むかだ。


 さらに一ヶ月後、二次選考の結果発表。


 星井桃子、通過。


『二次も通った!!!! 嘘みたい!!!! これって最終選考に残ってるってことだよね!?』


 御庭庭の眉間に皺が寄った。二次も通過したか。これは予想以上の健闘である。最終選考に残っているということは受賞の可能性もある。


 御庭庭はある種の焦燥感を覚え始めていた。当初の計画では星井桃子がそこそこの実績を積んだところで叩き落とす予定だった。しかしこのペースで行くと、叩き落とす前に相手が自分を追い越してしまうのではないか。


 いや、それはそれで構わないのだ。むしろ、高いところから落としたほうがダメージは大きい。受賞して有頂天になったところで最低評価を叩きつけてやればいい。


 そう自分に言い聞かせながらも御庭庭の胸中には別の感情が芽生え始めていた。それが何であるか、本人は認めたくなかったが。


 最終選考の結果発表日が来た。


 御庭庭は「ノベルノベル」のトップページを開いた。結果発表のバナーが目に飛び込んでくる。クリックすると、受賞作一覧のページに遷移した。


 大賞「さよならの向こう側」星井桃子


 御庭庭はその文字列を三度読み返した。


 大賞。


 大賞である。


 優秀賞でも佳作でもなく、大賞。最高賞。頂点。


 星井桃子が大賞を取った。


 御庭庭はしばらくの間、画面を凝視していた。頭の中が真っ白になっている。何も考えられない。


 やがて、Xに通知が届いた。星井桃子からのメンションである。


『大賞取りました!!!! 深淵のカラスさん、本当にありがとうございます!!!! あなたがいなかったら、私はここまで来られませんでした!!!! 本当に本当にありがとうございます!!!!』


 御庭庭はその投稿を眺めながら、唇を噛み締めた。


 計画を実行する時が来た。


 今こそ、最低評価をつける時だ。感想欄には罵詈雑言を書き連ねる。お前の作品など駄作だ、大賞に値しない、審査員は節穴だ、何も分かっていない。そう書いてやればいい。


 御庭庭は星井桃子の作品ページを開いた。「さよならの向こう側」。大賞受賞作。評価欄にはすでに多くの星が並んでいる。


 評価ボタンに指を伸ばした。


 最低評価。ゼロ。それをクリックすればいい。


 指が動かない。


 御庭庭は自分の指を見つめた。なぜ動かない。なぜクリックできない。


 脳裏に星井桃子の作品が蘇る。「さよならの向こう側」。あの物語の、あの場面。主人公が長年疎遠だった友人と再会する場面。二人の間に横たわる、埋められない溝。それでも手を伸ばそうとする。その姿がなぜか自分と重なった。


 馬鹿馬鹿しい。何を感傷的になっている。これは計画なのだ。復讐なのだ。遂行しなければならない。


 御庭庭は再び評価ボタンに指を伸ばした。


 最低評価。


 いや、待て──いみじくも作者であるなら、面白いと思ってしまったものには然るべき評価をするべきではないのか。


 そう考えた御庭庭は──。


 最高評価。


 指が勝手に動いていた。


 そのまま感想欄に文字を打ち込む。


『素晴らしい作品でした。受賞おめでとうございます』


 送信ボタンを押した。


 そして星井桃子のアカウントをブロックした。


 全てが計画と真逆だった。最低評価を最高評価に。罵詈雑言を祝福の言葉に。そして関係を断絶。


 御庭庭は椅子の背にもたれかかった。天井を見上げる。何をやっているのだ、自分は。


 数分間、そのまま動かなかった。


 やがて、御庭庭は椅子から立ち上がった。そしてパソコンの前に立つ。


 拳を振り上げた。


 振り下ろした。


 画面が割れた。


「ぐわああああああああ────────!」


 叫びながら、さらに拳を振り下ろす。キーボードが砕ける。マウスが吹っ飛ぶ。モニターの破片が飛び散る。


「ぐおおおおおっ! ぐっ!! うおっ!」


 奇声を上げながら、その場で飛び跳ねる。両足を交互に踏み鳴らし、腕を振り回す。傍から見れば完全に狂人の所業であった。


 跳ねる。跳ねる。跳ねる。


 心臓が早鐘を打つ。血圧が急上昇する。こめかみがどくどくと脈打つ。


 跳ねる。跳ねる。


 ぶちっ、と──そんな音が聞こえた気がした。


 御庭庭の動きが止まった。両手で頭を抱える。何かが切れた感覚があった。


 視界が歪む。赤い。赤い。世界が赤く染まっていく。


 ああ、と御庭庭は思った。これは血の色か。


 膝から崩れ落ちる。床に倒れ込む。天井が見える。見えていたものが見えなくなる。


 最後に浮かんだのは「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」という文字列だった。


 御庭庭という男はそうして死んだ。脳出血による突然死であった。享年三十四!!! 


 ◆


 葬儀には電子部品メーカーの同僚が数名参列した。親族は遠方から駆けつけた伯父が一人だけ。友人と呼べる者は誰もいなかった。


 遺品整理の過程で御庭庭のパソコンが発見された。画面は砕け、キーボードは粉々。何があったのかは誰にもわからない。


 ウェブ小説サイト「めるめる」では「御庭庭」のアカウントがしばらく更新されなくなった後、やがて削除された。遺族がパスワードを見つけ、アカウントを閉鎖したのである。


 御庭庭の作品はネットの海に消えていった。コミカライズされた「今時のサバサバ冒険者」は第二巻で打ち切りとなった。原作者の死去に伴い、続刊の見込みがなくなったためである。


 一方、星井桃子は順調に活躍を続けた。「ノベルノベル新人賞」大賞受賞をきっかけにプロデビューを果たす。処女作は好評を博し、二作目、三作目と着実に実績を重ねていった。


 彼女は時折、「深淵のカラス」のことを思い出すことがあった。突然ブロックされた理由は今もわからない。何か気に障ることをしてしまったのだろうか。そう悩んだ時期もあったがやがて忘れていった。人生は前に進む。立ち止まっている暇はない。


「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」は今日もどこかで小説を読んでいる。五や六の評価をつけながら、「まあまあ」と感想を残す。それがこのユーザーの流儀である。


 彼、あるいは彼女は誰も傷つけるつもりはないのだろう。ただ正直に評価しているだけだ。


 だから「いとおかし★ピーチ姫、ラブマイジュース」が御庭庭を殺したわけではない。


 御庭庭は結局、何者にもなれなかった。商業デビューしたがヒットには至らず。コンテストで選考を通過したが大賞には届かず。趣味の範疇だと言い訳しながら心のどこかでは認められたがっていた。


 その渇望が逆恨みを生み、妄想を生み、愚かな計画を生んだ。そして最後には自分の体を壊すほどの激情を生んだ。


 御庭庭という男は自分自身に殺されたのである。


(了)


作者の精神は特に問題ないです。一度私小説を書いてみたくって、丁度よかったかんじで……。最期は脱糞させたほうがよかったかどうかで悩みました。

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― 新着の感想 ―
まあまあ
埴輪庭さーん! 大丈夫ですかー? ……と、ちょっくら心配になりましたです。
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