調子が狂う日
先生に保健室へ行くように促されて、成瀬と一緒に保健室に来た。
保健室の先生に診てもらい、俺はベッドで横になり、保冷剤をタオルに包まれたものを渡され、額に当てた。
先生の足音が廊下に消えていくのを、ぼんやりと聞いていた。
天井を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。耳鳴りはもう消えていて、痛みもズキズキというほどではない。多分、大したことはない。
そう伝えても、成瀬は授業に戻らず、ベッドの横に置かれたパイプ椅子に座っていた。
背もたれに浅くもたれ、無言で目を伏せていて、沈黙が続いた。気まずくなった俺は、
「成瀬、俺別に平気だからさ。授業戻れよ」
でも成瀬は何も言わず、反応すらしなかった。
「なぁ成瀬」
思いっ切って気になっていた事を聞くことにした。
「さっき、なんであんなに怒ってたんだよ」
成瀬は目を合わせる事すらせず、
「別に怒ってねぇよ」
「嘘つけ、絶対怒ってただろ。俺の肩めっちゃ掴んでたし」
「うるさい。気のせいだろ」
しばらくの沈黙の後、成瀬はやっと俺の方を見た。
「当たりどころ悪かったらって思った」
そう言って俺の額にある保冷剤に、優しく手を乗せてきた。
「どういう意味だよ……それ」
俺がそう聞くと、成瀬の指先が一瞬だけぴくりと動いた。
成瀬は小さく息を吐いて、俺から目を逸らした。
「別に。深い意味なんてねぇよ」
嘘だ、と直感的に分かった。声のトーンも、視線の外し方も、全部が、明らかにいつもと違う。
保健室の時計の針が、カチ、カチ、と聞こえるくらいの静けさが続く。
「心配してくれたんじゃねぇの?」
成瀬はすぐに答えなかった。でも、
「当たり前だろ」
思っていたより早く答えが返って来た。続けて何か言いたげだったが、すぐに言葉を飲み込んだ様子。成瀬の手が額から離れ、良かったような、寂しいような、自分の胸の奥がざわついた。成瀬は口を開き、
「なんか調子狂うわ、今日……」
小さく吐き捨てるように言って、成瀬は視線を床に落とした。
少し笑っている様だけど、いつもの余裕のある笑い方じゃなかった。苛立ちというより、戸惑いに近い表情と声。
「調子狂うって……俺のせいかよ」
「そう言ってるだろ。他に誰がいんだよ」
あっさり肯定されて、言葉に詰まった。否定されると思っていたのに。
心音が早くなるのを感じる。
成瀬は、膝の上で組んだ手をぎゅっと握りしめていた。
何かを言おうとして、やめて、また迷っているみたいに唇を動かす。
「お前にボールがぶつかったとき、不安でしょうがなかった」
「不安?」
「正直言うとさ、なんで怒ってたんか分かんねぇんだ。いや、分かる気がすんだけど、上手く言えねぇんだ」
俺はじっと成瀬を見つめた。
いつも余裕そうな顔してる成瀬が、明らかに動揺してるのを見るのは初めてだったから。
「忘れてくれ」
そう言って、成瀬は乱暴に椅子から立ち上がった。
パイプ椅子が小さく軋む音が、妙に大きく響く。
「授業、戻るわ」
「成瀬」
「大した怪我じゃねぇんだろ。なら平気だ」
振り返らないまま、成瀬は保健室のドアへ向かう。
ドアノブに手をかけたところで、一瞬だけ動きを止めて、
「ちゃんと冷やしとけよ」
それだけ言い残して、静かに出て行った。
一人になり、段々眠気が襲ってきて目を瞑った。
しばらくすると、保健室の扉が開く音が聞こえ、担任の先生かなと思い、寝たふりを決め込んだ。
やがてカーテンが開いたが、その人物は俺に話しかけることなく、近づいてきているようだった。
「寝てんのか」
その声の主は成瀬だった。さっき出て行ったばっかなのに何で帰って来たのか聞きたかったが、またあの気まずい沈黙は嫌だったから、寝たふりを続けた。
うっすらと目を開けながら成瀬の様子を眺めていると、成瀬は顔を近づけてきた。
俺は驚きすぎて動けなかった。
何をするつもりなのか分からず、混乱していると、成瀬は顔を近づけるのを止めたようで、何も言わずに立ち去って行った。
何がしたかったのか分からない。胸の鼓動が早くなり、奥がざわつく感覚。
キスされるかと思った、って思ってしまった自分が嫌になりそうだった。




