近いだけ
ある日の放課後。帰りのHRが終わり、帰宅しようと鞄を持って立ち上がった瞬間、成瀬に腕を掴まれた。
「おい、勉強会すんじゃねぇのかよ」
その約束をしたのは、今朝のことだった。
「放課後、ちょっと残れ」と、登校して席に着いた瞬間、成瀬が言った。
「は? なんで」
「勉強会」
「聞いてねぇんだけど」
「今言った」
なんて奴だ。強引に約束を取り付けてきやがった。文句を言おうとしたけど、成瀬はそれ以上話す気はなさそうだった。
そうだ忘れてた。朝にそんなやり取りをしたな……今日は体育があって、かなり疲れてたしな。うん、しょうがない。
「どうせ体育で疲れて忘れてたんだろ」
バレてるし。
クラスメイトたちは次々と教室を出ていく。気づけば、教室には俺と成瀬の二人だけになっていた。
「ほら、机くっつけろ」
成瀬は自分の机を少し動かしながら言った。俺も言われるがまま机を押す。
近い。
机と机の間には、微妙な隙間が残った。それ以上近づけるのが、なんとなく落ち着かなくて、手が止まる。
着席すると、成瀬が何も言わずに俺の机を引っ張った。
ガッ、と一気に距離が詰まる。肩が触れそうで、思わず息を止めた。
成瀬は俺の反応なんて気にも留めず、ノートを開く。
「ここ。今日の復習」
「なぁ……近くね?」
「近くなきゃ見づらいだろ」
正論なのが腹立つ。
成瀬の指が紙の上をなぞるたび、視界の端で動く腕や手に、どうしても意識がいってしまう。
でもいつの間にか集中できていた。成瀬の指示が的確で、どこをどう直せばいいのかが分かりやすかったからだ。言われた通りに書き直して、解いて、確認して。気づけば、頭の中はちゃんと勉強のことでいっぱいになっていた。
成瀬がシャーペンを置く音で、ハッと我に返る。
「今日はここまででいいだろ」
「え、もう?」
ノートを見ると、さっきまで分からなかったところが埋まっていた。
「明日、小テストあるしな。帰ってゆっくり休め」
筆記用具を片付けていると、視界の端に成瀬の腕が入る。さっきまで、ずっと至近距離で並んでいたことを思い出した。
机がくっついたままなのも、肩が触れそうだったことも、成瀬の指がノートをなぞっていたことも。
全部、一気に蘇ってきた。
「……っ」
変な声が出そうになって、慌てて口を閉じる。成瀬がちらっとこっちを見た。
「どうした、急に静かになって」
「なんでもねぇ……」
顔が熱いのが自分でも分かる。
成瀬は口の端を上げた。
「へぇ」
「なんだよ……その顔やめろ」
「どの顔?」
「絶対、今ちょっと笑っただろ」
成瀬は肩をすくめ、
「別に?」
「なんだよそれ」
机を元に戻そうとした俺の手の上に、成瀬の手が軽く重なる。
「動くな」
心臓が跳ねて動けなくなる。重なった手の温度が意識に残る。成瀬は俺の反応なんて気にせず、少し身を寄せてきた。
成瀬の指先が、耳の横あたりに伸びる。短く払うみたいな仕草で、俺の前髪を整えた。
「チョークの粉ついてたぞ」
そう言って、成瀬は何事もなかったみたいに手を離す。
「あれ、顔赤くね?」
ハッと正気に戻り、
「うっせぇ! 急に触んな!」
「そんな怒ることかよ」
軽い調子で言われて、言い返せなくなる。怒ってる理由なんて説明できない。
「ほら、帰るぞ」
成瀬はそれだけ言って、先に教室を出ていった。
アイツはからかってるだけだ。そうに決まってる。決まってるのに。
机を戻し、胸の奥を押さえた。この距離に慣れたら、もっと厄介な気がする。




