月の鍵
僕は学校が嫌いだ。どうも性に合っていないらしい。
ずっと趣味に没頭したい……そんな気持ちもあるにはあるがそうもいかず、『将来のため』だとかいう名目のためだけに毎日通い続ける。
仮病は使わないのか? 馬鹿を言え。それこそ労力の無駄だろう。家に引き籠もっていても結局、趣味にずっと没頭できる人間ではない。
研究していたら気づけば朝だった……なんて人生だったらどれほど良かっただろうか。
「さとる? そういえば、この間の試験はどうだったの?」
一人で朝食をとっていると、台所から母が言った。
狭苦しいリビングに二人きり。これが我が家の日常である。
我が家は僕が物心ついた時から母子家庭でね。爺ちゃんも婆ちゃんも、みんな居なくなって気づけば二人きり。父方の家族がどうなのかは……知らない。気にはなるが、母さんに辛い思いをさせてまで聞きたい話でもないだろうからね。
「ああ、一応合格ラインには立てたと思うよ」
僕はそれとなく返答する。が、実際は血の滲むような努力をしたことを思い出す。
ただの定期試験にそれだけの苦労をするのかって? はは、そりゃ持つ者の意見だろ。
……僕には友達がいない。そりゃ、こんな性格だからかな。最初の自己紹介で盛大に失敗し、気づけば周りにはグループの壁があった。新学期が来るたびに新しい出会いを求めるが、結局何もないまま高三だよ。
こんな性格をしているのに友達が欲しいのかって? ……違うさ。確かに僕は趣味が合わない奴らなんてどうでもいい。けどな。『友達がいない』、ただそれだけで様々な欠陥が生まれるのだ。質問する相手、過去問に、一緒に勉強するというモチベ。まだまだあるが、これだけでも十分理解るだろう。僕は奴らよりも努力をしないといけない。
傾向と対策が練れないから範囲の全てを暗記し、モチベが湧かないから睡眠時間も極限まで削り、分からないことは全てネットのコミュニティに投げ込む。
そんな努力をしてまで大学に上がろうとする自分に、時々疑問を抱くこともある。
そもそも、学校の勉強って将来の役に立つのか? 『母さんを養う』、この目標があるから今も机に向かうことができるが、本来楽しくないことなどやらないタチだ。未だ冷めぬ趣味と、母さんがいなければ。僕の向かう先は机ではなく屋上だったのかもしれない。心苦しい。
ああ…………。もう生まれなければ良かったんじゃないか?
僕は無駄に甘かったコーヒーを一息に飲み干し、玄関に向かう。
「行ってきます」
まあ、こんな重苦しい話は母さんに相談すべきではない。学費を出してくれているだけでありがたい話なのに、自身の闇を押し付けるなど……なんとおこがましい話だろうか。
キーンコーンカーンコーン……
始まりのチャイムが鳴った。僕はその音と共にうつ伏せにしていた身体を起こす。
さて……後ろの席から咳とうめき声が聞こえた気がしたが、半寝状態だったので何があったのかなど見ていない。まぁトラブルになりかねないので心配する必要もないだろう。
……だって、僕も心配されたことなどないのだから。
そんなことを考えていると、気づけば目の前には先生が来ていて、退屈な時間が始まった。
…………眠い。今は何の話をしているんだ? 聞き逃したな。
もしや……ああ、そういうことね。それだけのことか。多分そうだろう。
……キーンコーンカーンコーン
よし終わった。次は休み時間か。よし、今日の日替わり学食セットは何かな?
うん、美味かった。ただ、あの会計システムはどうにかして欲しいかな。ま、いずれ生徒会の誰かが言うだろう。……じゃあ、教室に戻るか。孤独に。
……キーンコーンカーンコーン
僕はまた、チャイムの音と共にうつ伏せにしていた身体を起こした。
さて、次の授業は体育か。前回に引き続きソフトボールの試合……。体操だけでも真面目にやって、適当にサボるとするか。
僕は制服を鞄の中に雑に突っ込んでから教室を出る。周りを見ると既に誰もいなかった。
「それでは各自、グローブとボールを取って、始めてください」
試合前にキャッチボールのペアを組む、という地獄の作業がある。だがそれは僕と同じく取り残されていた大人しめの女子とすれば問題ない。いつも通り、一言も交わさずにペアを組んでくれる名も知らぬ彼女の存在は僕にとって都合が良かった。
試合が始まったら、僕は球が一番飛んでこないと聞いた『右翼手』で呆けていた。
さて、帰ったら今日はどの配信に行こうかな……。
心地のいい風が吹き、辺りの木々が揺れる。運動は嫌いだが、この時間だけは好きだった。苦しい勉強や人間関係のことなど気にせず、ただ大自然を感じるのみ。初心者打者の集まりでは情報通りに右翼手に飛んでくることはなく、僕の世界は平和だった。
そうしている間に授業は終わり、下校の時間だ。僕は鞄を素早く抱え、いの一番に教室を出た。これも、余計なトラブルに巻き込まれずに僕の世界に戻るため……である。
……一人で校庭を出た時、僕は一日が半分浪費されたことを実感する。
うーむ、何か虚しいな。コンビニに寄って唐揚げでも食べるとしよう。
僕はコンビニを満喫し、帰路につく。そろそろ他の奴らは帰った頃だろうか。
しかし、赤信号に立ち止まりふと隣を見ると、クラスメイトが立っていた。
彼は確か……後ろの席でよくうめいている男だ。人に言えたことではないが冴えない外見で、顔には面皰と痣があった。遺伝でそうなったのか?
とっとと別れたいのだが、都合の悪いことに赤信号になったばかりだ。
……気まずい。流石に無言は不自然と思い、僕は彼に声をかける。
「今日は災難だったね。……デッドボール」
面皰とかうめき声とか、人のコンプレックスについて聞くわけにもいかない。僕は授業中に彼がピッチャーの男に死球をくらっていたことを何とか思い出し、口にした。
「え? あ、ああ守田くんか。はは……ありがと」
おや、話しかける方がクラスメイトとして自然かと思ったが違ったようだ。
ではこれ以上話すこともないだろう。丁度青信号になったので、僕はひと足先にその場から立ち去ろうとした。しかし彼はまだ会話を続けたいようで、背後から声をかけられる。
「ま、待って! あの……ことについて、話を聞いてもらってもいい、かな?」
…………はぁ?
『あのこと』というのは大方察しがついている。半寝でも聞こえてきていたし、先ほどの死球だってきっとそうだ。……しかしまぁ、僕は何も見ていたくなかったのだ。
「なんで僕が、面倒ごとに巻き込まれないといけないのさ? 何か見返りでも……」
っ……! ああ、いけない、いけない。ここはネットでもなければ匿名でもないのだった。咄嗟に反抗してしまったがここは共感してあげて友達に……。
ぐらっ
しかし……その時。突然大きな揺れが起き……さびれていたのだろうか。彼の頭上の店看板が崩れ落ちるところが見えた。僕は咄嗟に目を塞ぎ、頭を守る体制をとる。
ったく……。ちゃんと点検しろよ!
このまま立ち去ってもいいが、話しかけてしまった僕にも責任ができてしまった。うん、彼の様子を見よう。看板につぶされてないといいが……。
無事では済んでない時のために、僕は携帯を掴み、振り返る。
「お……?」
そうして目の前に広がっていたのは痛烈な惨状。看板だけでなく、それに支えられていた瓦礫などに全身を潰されていた彼からは、大量の血が吹き出されていた。吐き気を催すほどに気持ちの悪い光景から目をそらし、僕はつぶやく。
「これは、もう……」
先程まで在った命が、突然消えるなんて……この世は無情だ。
「はっ……はっ……!」
だが……俺も無情だった。瓦礫からはみ出て彼の鞄が落ちている事に気づくと自然と、携帯を握っていた俺の手はその鞄に切り替わっていた。ジャラリと金属の音がする。
…………いや、待てよ。
猿のように息を荒くしていた俺は、冷静になり辺りを見回した。いつも通りの静かな田舎町の小さな交差点。風が少しばかり荒れているが、人は都合よく見ていなかった。流石に警察沙汰にはなるだろうが時間はまだある。何より僕は『コレ』を母さんのために……!
僕は何も見てない、話を聞こうともしてない、呪いを言ったわけでもない。
「この事故は、ただの偶然だ。偶然……」
……あれから何分経っただろうか。近所の警官たちが駆けつけてきた。
「おい、そこの君。これはどういう状況かね?」
「さぁ……? 僕にもさっぱりですね」
僕は数分間の事情聴取を乗り切り、自身の鞄を背負い、改めて帰路につく。
母さん……僕が生まれてきて良かったでしょ? 良かった……よね……。
その日の夜、窓の外を見ると、街は白黒で、空に月は無かった。




