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万年青

  何日だったか覚えていないが、万年青(おもと)は初めて行方不明の女の子と出会えた。

  もちろん出会えたのは前夜、行方不明は翌朝。

  蒸し暑さがまだぐずぐず去っていこうともしない長月の上旬にふと、たそがれの街にしとしと降り続いている霧雨は、むしろかなりサプライズ的なことである。

  が、普通の考えをまったく掴まれない万年青。

  暑い地面から蒸発した水蒸気がいずれ雨に液化して地面まで落ち直すだけだ。

  こんな思いを抱えている彼はいま、靄の中に傘を差しながら無表情を装って通りの向こう側に目を留める。

  どことなく危険が次第に迫っていきぎみを感じられる万年青は、何気なげに周囲に目を配った後で急に走り出し、片足でガードレールをまたぎ、体を目当てと一つにまっすぐに進んでさっき目で追うところについた。

  少し袖をはらい、彼はそろそろと目の前の小路へ歩いていく。

  寂しい街で落ちるぽつぽつの雨音に、自分の振る舞いも相手のしぐさも、一切固まるように静かだ。

  さっきのは、気のせいか。

  そう思おうとすると、どっさりと人類みたいなものがまっすぐな斜線で小路の向こうから激しく突っ込んできて、壁にぶつかってしまった。

  いや、彼の確かめる結果によれば、紛れもなく人類そのものだ。

  当たるも呆れるも何もかも思わず傘を放っておくままに一気に加速して、あの人が壁に当たってはね返ってまた地面にぶつかりそうになる瞬間に、万年青はさきにその体を掴んできた。

  が、彼が口を開く前に、そのふところばかりで支える人は扇ぐように左手を振り叩いてきた。

  目に映るのは横棒の先と縦棒の末、その真っ黒な全身にまるい輪がちりばめて、輪の中にトリガーがあって、ということは…

  拳銃じゃないか?

  残念ながらも考え深い間に合わずに、それは危ない物だと判断を下している長い何分の一秒のうちに、思うままに操られている彼の手は拳銃を握りしめ、ゆらゆら持ち上げ、引き金に指をかけ、斜め上へと引くことになる。

  「ポン!」

  そう、彼の目の前に演じるのは引くことになる幕。

  拳銃を使う初体験の万年青だが、銃口の火が吐きかける時に目を細め、歯を食いしばらずにはいられないことを覚えてきた。

  「あぁーー?!」

  一人の女の子の悲鳴らしい。だけど、女の子?それとも一人?

  「ポン!」

  爆発的な音一つからまだ我に返っていないうえに、もう一つの音が鼓膜を襲ってきた。

  幸いにして、今回は相手の声が添わない。代わりに包まれる静寂、何秒の数えきれない静寂。

  「いいよ、置いてきな…もう行っちゃった」

  もう一人の女の子のささやき声らしい。だけど、また女の子?

  「…」

  たったいままで、“なるほど、さっきここに追いついてきてくれた子がありありと撃たれたことで手を負って叫びながら逃がされる”と深い思考を始めたばかりの万年青。

  ぽつぽつのちがう雨粒に導かれて散り散りになるような血痕は淡い花みたいで、一言の“くそっ!”とともに残された結末として、撃ってしまった真実を彼に告げている。

  「いいよ、置いてきな…もう行っちゃったぁ…大丈夫?」

  「あ~、大丈夫、手がしびれただけ」

  声もしびれてしまいそうな彼はロボットみたいに言い返しながら我に返り、ゆっくりゆっくり肩と腕に縦に下がらせてため息を吐く。

  「そっちこそ、大丈夫?壁にぶつかったら怪我は…」

  「いいけどよ、し~」

  「無理しないほうがいいな」

  話したら拳銃を相手の手に押し込みなおし、五つの指と右腕を少し回してみて自分の状況はいいと確認すると、彼は左手で相手の肩をしっかり抱きつき、右手で脛の下を回り片膝の膝窩(しっか)を捕まえて、穏やかに立ち上がってくる。

  「へぇ!?…いいんだってば…へぇっしょ」

  ちょっと驚きながらとがりそうな声で塩対応をする相手は彼の手をのけて、正確に言えばその手のちからを貸して逆方向へ身をひるがえし軽やかに着地することになった。

  上手に拳銃をランドセルにしまうに片手で壁にもたれ、のそのそ歩き始めながらも、やっぱり背とか腰とか傷ついたことが彼にはすぐ分かる。

  「あ…すまない」

  同じほどけどちょっとことにちがう驚きそうな声で返した後までに、いまの深い思考がようやく完成した万年青。

  つまりこの子が壁にぶつかって、自分が傘を置き去りにし突きかけてこの子を受け止めて、この子の手に握られた自分の手で追い詰めた子を二発撃って、あの子が逃げたんだと、彼はもう一度件の順番をまとめてしまいつつ、ここへ走りかけるときに捨てた傘に手を伸ばしていく。

  「あ、あれを拾いな、し~…いいかな」

  いきなり話してくれた相手の手が指すところへ見渡してみて、この霧雨につれて行かれてしまいそうな花がかる血痕のついあそこに、なにか茜色がかった物があって、糸のように見える。

  「あれか?」

  軽くうなずく相手の顔に謝意を表しながら僅かにうじうじして、彼女の手をちょっと低い前のそこへ差し出した。

  同時に目的地につき、片手で傘を差しながら片足でしゃがんでいる万年青は、上着に帯びるハンカチであの物を取り上げて、ちょうどいいほどに身をかわしてあれを彼女の手に振り払った。

  取り上げる瞬間に彼はもう十分に確信して、あれは糸ではない、人の髪だ。さっきここから逃げたあの子の髪だけど。

  「赤いさんか。ほんとに極まりが好きだね」

  独り言をひそひそしている相手。

  「これからは?」

  返事もしなく、傘を相手のほうに少し傾けるだけで、彼はそっけなく言う。

  「…まあ、一人でいいよ、心配すんな」

  「そうか」

  「…ええ、あのさ」

  「はい」

  「今夜だけ、宿を借りていいの?」

  「…今夜だけ?」

  えくぼを掻いてまた軽くうなずく相手の顔に仕方ないで恥ずかしっぽい笑みを浮かべてくれながら一言をおぎなった。

  「大丈夫、ちっちゃい怪我だけ、ちょっと動かしたらい~い…し~あぁ!」

  話す通りに腰をぐるっと回そうとしたけれど、続いて腰の筋肉から伝わる痛みが歯を食いしばったりしわを寄せたりせざるを得ないことをさせた。

  「…激しい運動をしなかったらいいと思う」

  傍らから心添えすると前へ振り向き、またのそのそと歩きつづける万年青。

  今度はわがままに振る舞わなく、となりでのそのそと歩きつづける彼女。

  今なお静ひつに降り注いでいる雨には、全ての異なる跡が消えてき、さっきの寂しい模様に立ち返った。

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