ショートショートⅩ「扉を探して。」
とある市の外れに、物々しく聳える山がある。あまり大きくは無い山だが、その周辺が平野のため目立つのだ。
その山には、どこかに扉があるという。
それは血のように赤く染まる扉だそうだ。
建物があるわけではない。
1枚の扉のみが存在しているという。
しかし、その扉を見た者はこれまでに1人しかいない。
いや正確には、「扉を見て無事に帰って来られた人」と言うべきだろうか。
その者は、1番初めにその扉を発見した者だ。
しかしその者もまた、変わり果てて戻ってきたそうだ。
今は市内の精神科病院に入院中だという。
その扉の目撃者に取材をするべく、記者である雪枝ゆきえはその病院に来ていた。
「本当に気が乗らない…なぜ私1人でこんな不気味な取材を…。」
なんでもその日程は他に空いている社員がいないらしく、雪枝が1人で取材をすることになった。
「まぁまぁ。あの山に面白半分で近づく人を少しでも減らすため、と思って頑張ってくれたまえ。」
上司はそう言い全てを雪枝に任せた。
そう、その赤い扉を探すために、遊び感覚で山へと入ってしまう人達が後を絶たないのだ。
無論、誰も帰ってきていないのだが。
重い足取りで病院へと赴き、取材対象の人物と対面する。もちろん2人きりではない。看護師も一緒である。
雪枝は驚いた。
頭髪は白く顔の皺も多い。聞いていた情報ではまだ40代と聞いていたのだが、これでは既におばあちゃんではないか。
その人物は病室のベッドで布団にくるまり、何かをずっとブツブツと言っている。
「この方、山野錠子やまのじょうこさんは、元々髪も黒く、皺もこんなに無かったと聞いています。しかしあの山から戻ってくると、このような姿になっていたそうで…。」
看護師は雪枝の隣でそう話す。
一体、あの山で何があったのかを聞き出したいところなのだが、とても会話ができる状態には無いように見える。
雪枝はボソボソと言っている言葉を聞き取ろうと、耳を傾けた。
「…まだ…りぬ…た…ぬ…まだ…。」
途切れ途切れに聞こえてくるため、何と言っているのか本当に聞き取るのが難しいようだ。
「あの、看護師さん。山野さんは毎日このような状態なのでしょうか。」
「えぇ。毎日常に何かを呟いていて、私達の言葉にも反応しないのよ。」
「そうですか…。」
どうしたものか、これではあまりたいした記事を書けないのだが。と雪枝が悩んでいたところ、看護師が優しく肩に手を添えてきた。
「あの、記者さん…山野さんの目をご覧になっていただけますか?」
言われるがまま、雪枝は山野の顔を覗き込んだ。
その時雪枝は山野と目が合い、思わず「ひっ。」と言ってしまいそうになった。
「め、目が白いんですね…。」
山野錠子の目は、瞳が白く濁っていた。
「そうなんです…目もおそらく見えていないんです。あの山から扉を見つけて帰ってこられても、このように見た目も視力も、精神も変わり果ててしまう。」
おぞましいことだ。本当にあの山では何が…と、雪枝は怖くなり鳥肌が立ち始めた。
「記者さん、患者さんのお顔は記事に載せることはできませんが、この目の様子だけは載せていただいてもいいですか?不用意に山へ入る人達への注意喚起になればと思って。」
看護師がそのように言うので、雪枝は山野の目の写真を撮り、取材時間も終わりを迎えた。
「今日はお忙しい中ありがとうございました。しっかりと注意喚起できるよう記事を書きますね。」
雪枝は看護師にお礼を言い、病院を後にした。
それにしても、山野さんは一体何をブツブツと呟いていたのだろうかと、雪枝は改めて考えていた。
「まだ…りぬ…。た…ん~。まだ…たりぬ…?本当にどういう意味なんだろうか。」
それから雪枝は、無事に期日までに記事を書き終え、ネットに掲載した。
やはりこの手の記事には興味があるのか、閲覧数はいつもよりも多めであった。
この事に関しての仕事はここまでで終わりだったのだが、雪枝は、なぜだか心がざわついていた。
あの山野という人物のことが、気になって仕方がなくなっていたのだ。
あれから山野さんに変化は無いだろうかと気にする日々。
しかし前回はこちらの会社と病院側の特別な許諾があったために実現した取材だ。
雪枝が個人的に取材に行くことなどできるはずがなかった。
しばらく悩んでいた雪枝だが、気になりすぎていてもたってもいられず、病院に電話をかけてみることにした。
「あの…以前そちらに取材した者なのですが、その…山野錠子さんはあれからどうですか?なぜだかとても気になってしまって…。」
「こんにちは。ありがとうございます。山野さんなら最近、ブツブツと呟く言葉が変わったようで…。」
以前の看護師が電話に出た。
「ど、どのように?」
「その…ちゃんとは聞き取れないんですけど、『99…99…』と言っているようで…。」
99…何の数字だろうか、と疑問に思ったが、雪枝はそれで満足し電話を切った。
そして次に、何故だか無性に、あの山へと行きたくなってしまったのである。
季節は既に冬。
外へ出ると、口から白い息が出ている。
雪枝は、何かに導かれるように、車のエンジンをかけて出発していた。
自宅から約30分ほどかけて着いた、山の麓。
道路は途中から封鎖されており、車ではこれ以上進むことができなくなっていた。
雪枝はその場に車を停めて降り、雪の中を山の中へと歩き出した。
何かに導かれるように雪枝は道無き道をひたすら登り続けた。
そして、とある地点まで来たところで、ピタリと足を止めた。
「……あれっ?どこ、ここ……?」
自分の意識が戻った雪枝は、辺りが雪深く木々が生い茂っているのを見て混乱した。
「ヨウコソ、ユキエ。」
どこかで声がしたので振り返ると、そこには…。
「か、看護師さん…!?」
あの精神科病院の、対応してくれた看護師が立っていた。顔は禍々しく歪んでおり気味が悪い。
そしてその隣には、とある人物と物が存在していた。
「え…山野さん…?なぜここに…。それに、あの赤い扉は…。」
病院にいるはずの山野錠子が立っていた。
その山野と看護師の間に、1枚の真っ赤な扉があったのだ。
「オマエガ100ニンメダ。サァサァ、ヤマガミサマノタメニ、ソノ命ヲササゲルノダ。」
雪枝は突然とてつもない恐怖に襲われた。
頭が混乱する。なぜ自分がこんな山奥に来たのかも、その道中さえも思い出せない。
100人目ってなんだ、ヤマガミサマってどういうことだ。
ぐるぐると回る頭の中で、雪枝は必死に意識を保とうとしていた。
「あっ、99って…人数のことだった…?」
山野が最近呟くようになったという言葉を思い出した。
「ソウダ。ヤマガミサマガ目覚メルタメノ生贄。オマエガ100ニンメ。ワタシガミチビイタ。スベテハコノタメダッタ。」
そして雪枝は気づいた。看護師の横、高く盛りあがっている部分。ただの雪が積もった小山だと思っていたが、何か不自然だ。
「ちょっと…もしかしてその雪の山って…。」
その雪枝の問いに2人は答えず、ただ不気味な笑みを浮かべただけだった。
その途端、雪枝は全身が動かなくなった。
金縛りのような、抗えないこの感覚。
そして意識が朦朧としてくる。
(くそ、くそ、全て仕組まれていた。私があの病院に行った時点でもうこうなることは決まっていたんだ。なぜ、なぜ私なんだ、あいつらは何なんだ、くそ、くそ!
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…!)
雪枝がどれだけ叫ぼうとしてもまるで声が出なかった。
山野が赤い扉のノブに手をかけ、ゆっくりと開けていく。
「ヤマガミサマ、100ニンソロイマシタ。オ目覚メノトキデス。」
雪枝は朦朧とする意識の中で、その扉の奥に目をやった。
白濁した巨大な瞳が、こちらを覗いていた。
その目と目が合った瞬間、雪枝は完全に意識を失いその場に倒れてしまった。
「ヤマガミサマ!アァヤマガミサマ!!」
山野と看護師、いや、既に化け物のような姿に成り果てたその2人は、扉から出てきたヤマガミサマとやらについていく。
その後、その山では至る所で雪崩が起き、雷も激しく鳴り始めた。
そして雪枝がネットに掲載した記事の、山野の目の写真を見た者たちが皆一斉に、奇声を上げ始めたのだった。