第5話 内閣総理大臣の憂鬱 所費税6%へ
首相官邸・執務室
雨音が遠くに響く中、重厚な木製のデスクに肘をついた総理は、目の前の端末に映るデータを見つめていた。
「アケミ、消費税7%までの引き下げは成功した。しかし、まだ十分とは言えない。次の段階として、さらに1%の追加減税を考えたい」
静かに応じたのは、秘書型の政治アドバイザーAI、アケミだった。
「総理、その決断は極めて重要です。現在、経済は回復傾向にありますが、さらなる減税によって成長を持続させることができます」
官房長官も頷いた。
「しかし、財務省はこれ以上の減税に断固として反対です。与党内でも慎重派が力をつけつつあります」
「それでもやる」総理は力強く言った。「国民が求めているのは生活の安定だ。減税が実際に効果を出している以上、この流れを止めるわけにはいかない」
◆新たな経済戦略:米の増産と日本食の世界展開
「経済の好循環をさらに加速させるには、農業と水産業の強化が鍵です」アケミがすぐに提案した。「米の増産を進め、AIロボットを農業に導入することで、日本の農業の競争力は飛躍的に向上します」
官房長官も続けた。
「魚介類の養殖事業の育成も進めましょう。日本食を世界に広めるための基盤として、日本版マクドナルドのような飲食チェーンの展開も必要です。新たな雇用を生み出し、地域活性化にもつながります」
総理は目を細め、窓の外の曇り空を見上げた。
「日本の米と魚を世界に売り出す……なるほど。そこにAIロボットを活用すれば、持続可能な新しい産業モデルになる」
◆財務省との最後の攻防
数日後、官邸の特別会議室では、財務省との緊迫した協議が行われていた。
「総理、これ以上の消費税減税と農水産業の強化策は、国の財政基盤を揺るがします!」財務大臣の声がやや上ずった。
「それは本当か?」総理が鋭く返す。「減税後、消費が増え、税収も回復しつつある。君たちの見解は、過去のデータに縛られた古い理論ではないか?」
「長期的には・・・」官僚が言いかけたところで、総理が遮った。
「長期的に見ても、国民の可処分所得が増えなければ、経済の成長はない。減税を通じて国民の暮らしを守る、それが政治の責任だ」
官房長官も力を込めて言った。
「さらに、日本の食料自給率を上げ、国内での経済循環を確保することは、安定した社会をつくる基盤になります」
沈黙の後、財務大臣が口を開いた。
「わかりました。ただし、財政健全化のための戦略も併せて検討してください」
「当然だ」総理はきっぱりと答えた。「だが、まずは国民の生活を優先する」
◆国会での攻防
追加1%の減税案が国会に提出されると、激しい論戦が巻き起こった。
「総理! これ以上の減税は財政を破壊しかねません!」野党議員の声が響いた。
「違う」総理は落ち着いた口調で反論した。「国民が苦しんでいるときに、政治が取るべきは“守る”姿勢だ。財政だけを守っても、人々の未来は開けない」
与党内の慎重派からも意見が出た。
「このままでは党が分裂しかねません」
「私は、党のためではなく、国民のために政治をする」総理の声は冷静だが、意志は揺るぎなかった。
◆国民の声と経済成長の成果
アケミの分析が静かに響く。
「総理、最新のデータでは、経済成長率は前年比4.5%に達しています。農業・水産業の生産性は明確に向上しています」
官房長官も報告を重ねた。
「日本食文化の輸出も進んでいます。国内外の日本食レストランの数が前年比28%増。出生率も1.50から1.58へと上昇しました。生活の安定が家族形成に良い影響を与えています」
総理は目を閉じ、深く頷いた。
「国民の生活が変われば、社会が変わる。その先に、真の成長がある。この流れを止めてはならない」
執務室の窓の外、夜明け前の空がゆっくりと明るくなっていた。総理は静かに立ち上がり、新たな挑戦へと歩を進めるのだった。
歴史的な決断
国会での激しい議論の末、消費税1%の追加減税案は、ぎりぎりの票差で可決された。
「総理、ついに追加減税が成立しました」
官房長官が書類を手に、少し息を切らせながら報告した。
「しかし、財務省の反発はこれまで以上に強まっています」
「やはりな」
総理は机に肘をつきながら、深く考え込んだ。
それでも、その目には迷いはなかった。
アケミが静かに進言する。
「総理、これまでの減税によって経済は着実に安定へと向かっています。しかし、さらなる成長のためには、次の一手が必要です」
「次は、所得税を引き下げる」
総理はゆっくりと立ち上がり、窓の外を見ながら言った。
「国民の手取りを増やし、個人消費を拡大する。それが、日本経済をさらに好循環に導く鍵になる」
アケミの声が少しだけ驚きを含んで返る。
「大胆な決断ですね」
官房長官もすぐに応じる。
「財務省は全力で阻止に来るでしょう。しかし、総理が決めたのなら、我々は全力で支えます」
「この国の未来のためだ。やるしかない」
◆冒険者ギルド株式会社『虹色の風』
・ニューヨーク拠点会議室
新たな減税法案が可決された夜。アケミのアバターがモニターに映し出される中、リリィたちは円卓に集っていた。魔導通信での対話は、魔力によって行われる。なので地球人には盗聴できない。
〇リリィ
「いい判断だったわ、アケミ」
リリィはゆっくりと頷いた。
「あなたの提案は総理の背を押した。そして、農業と水産業を戦略産業に変える道筋を示したのも、あなたの功績よ」
少しだけ声を落として、彼女は続けた。
「でもね、今回は“熱量”が足りなかった。数字や合理性は大事。でも“農業”って、人の暮らしそのものなの。“田んぼを守る”って、未来を守るってことなのよ。次は、もっと“想い”を言葉にしてみて」
〇ジャック
「手堅かったな、アケミ」
ジャックは資料を指で弾きながら口を開く。
「ただ、今回、政策のロジックは良くても、“世論の操作”という面ではもう一歩だ。“庶民の生活が変わる実感”ってのをもっと前面に出すと、反論を一気に押し返せる」
〇ガルド
「アケミ、よくやった!」
ガルドはがっしりとした腕で自分の胸を叩いた。
「農業と魚の話、わかりやすかったし、面白かった。けどな、“日本版マクドナルドを作る”ってとこ、もっと情熱込めて語ってほしかったぜ」
〇マーガレット
「ニャ~。アケミ、よくがんばったニャ」
マーガレットは手をぱちぱちと叩いた。
「でもニャ、“出生率”の話をしたとき、ちょっと無機質だったニャ。“家庭が明るくなる”とか“子どもの笑顔が増える”とか、もっと“未来の光”を思わせる表現があったら、もっと心に届いたニャ」
〇教師アケミ(先輩AI)
「アケミ、進歩したね。論理と現実の間で、しっかり橋を築いた」
教師アケミは静かに、しかし深く頷いた。
「指導する側として、正しい助言だけでなく、“信頼”を形にすることも重要だよ」
〇シノブ
「アケミ、いい仕事だったわ」
シノブはモニター越しに、きりりとした笑みを浮かべる。
「でもね、ひとつ言わせてもらうと、最初の“減税の効果を上げるために~”のくだり、あれ、“ビジネスメールの定型文”みたいに聞こえたわ」
「本当に効果があったと信じてるなら、“喜び”をもう少し声に出していい。“嬉しさ”を伝えるのも、政治の言葉よ。機械らしくないあなたを、私はもっと見たいわ」
〇アケミ
「皆さん、ありがとうございます」
アケミの声は、ほんの一瞬だけ揺れていた。
「私は今回、総理の決意を支えることを優先しました。けれど、“人の心を照らす言葉”が、足りなかったことも、理解しています」
「次は、論理だけでなく、勇気を伝えられよう、努力します」
モニターの向こう。アケミのアバターの表情が、ほんの少しだけ柔らかく見えた。
◆財務省官僚の密談
「減税の連続」
財務省の会議室で、重々しい声が響いた。
「総理は本気でこの国を破綻させる気か」
「愚かなポピュリズムの極みだな」
別の官僚が鼻を鳴らした。
「短絡的な国民迎合政策を続ければ、いつかツケが回ってくるというのに」
「さらに農業支援? 食料自給率向上? そんなものに国費を投じても、国際市場の競争には勝てない」
厳しい表情の若手官僚が冷たく言い放つ。
「無駄な資源配分だ」
「我々には時間がある」
最年長の官僚がゆっくりと立ち上がった。
「財政破綻の危機を煽り、金融機関を通じて圧力をかける」
「各国の財務当局にも接触し、日本の財政不安を世界に示す。国際的な信用格付けを下げさせるのも有効だ」
「時間をかければ、総理も孤立する。いずれこの減税路線は崩壊する」
◆野党側の反対勢力の会話
「また減税だとよ!」
居酒屋の個室に集まった野党議員たちが、声を潜めながら怒りをぶつけ合っていた。
「どこまで国民を甘やかす気だ!」
「このままだと支持率が上がっちまうじゃねぇか!」
「俺たちの『貧困対策』って看板が潰れるぞ!」
「しかも農業支援? AIロボット? ふざけるな。こんなの地方でも受けるに決まってるだろ」
「いいか、減税=金持ち優遇。そうイメージを植え付けるんだ」
「デモを仕掛けて『庶民の声』を演出する。マスコミにも話を通すぞ」
「オッケー。『このままだと医療費も削られる』って叫んどきゃ、情弱な有権者は騙せる」
◆マスコミの反対勢力の会話
「減税? 何それ? ふざけるなよ!」
編集会議室の空気はいつにも増して殺気立っていた。
「政府批判が飯のタネなんだ。支持率なんか上がられたら困る」
「『国民の苦しみ』をネタにしてきたのに、減税されたら記事の切り口が消える」
「大丈夫だ。『減税の裏に政府の陰謀』とか、『日本経済の危機』って書けばいい」
「『減税されても庶民は恩恵を感じていない』って話にして、財界優遇だってストーリーにすればいい」
「インタビューで『ありがたいけど将来不安』ってコメントを拾ってこい。あとは都合よく切り取るだけだ」
「俺たちが世論を作るんだ。政府の手柄にはさせない」
◆某国スパイ工作員の密談
夜の薄暗いビルの一室。重厚なカーテンに覆われた小さな会議室に、3人のスーツ姿の男女が集まっていた。彼らは某国の情報機関に所属するスパイ工作員である。
空気は張り詰めていた。1人目が低い声で切り出す。
「政変の影響が大きすぎる。我が国の新政権は、まるで日本にすり寄るような外交を始めている」
2人目が唇を噛みながら答える。
「これまでの対立路線を完全に捨てるとは思わなかった。まさか、あれほどまでに日本びいきになるとは。あの外相の発言を見たか?『日本はアジアのリーダーたる資格がある』などと、かつての我々が一番嫌っていた表現を使ったんだ」
3人目は冷笑を浮かべて椅子に深く腰掛けた。
「まったく、茶番もいいところだ。奴らが進めている農業協力、エネルギー協定、文化交流まで、すべて日本への依存を強める内容ばかりだ。今や政府内では“日本との提携は国家戦略”という言葉が公然と語られている」
「このままでは、我々が進めていた日本経済の妨害工作はすべて無駄になる。輸出制限のカードも切れない。影響力を取り戻す手段を考えなければならない」
「いや、むしろ今こそ、路線変更の好機かもしれない」
1人目が、慎重に言葉を選びながら言った。
「どういう意味だ?」
2人目が眉をひそめる。
「日本に接近している新政権を利用する。表向きは協力を装いながら、情報を吸い上げ、経済システムの中枢に入り込む。農業やエネルギー政策の分野で技術者を送り込み、インフラデータを掌握するんだ」
「なるほど、『同盟の顔をした監視』というわけか」
3人目が納得したようにうなずいた。
「それに、リリィとかいう異世界人のグループも要注意だ。あいつらの影響力がこのまま広がれば、我が国の内政にも影響を及ぼしかねない。だが逆に言えば、接触のチャンスでもある」
「まずは、日本が提供してくるAI技術や農業支援システムに、裏口からアクセスできるルートを探る。そして、政権中枢の日本派を懐柔する。報酬と利権で、こちらに引き込めるはずだ」
「わかった。工作方針を転換する。対立から接近へ、だが、真意は侵入と支配。日本への“信頼”を逆手に取らせてもらおう」
3人は目を合わせ、黙ってうなずいた。
祖国のため、今度は友人のふりをして、日本を内側から掌握しようとしていた。
密談は、静かに幕を閉じた。