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第22話 内閣総理大臣の憂鬱 社会保険料減税

話は少し戻って、4.5話あたりから、始まります。


第1フェーズ 若者の手取りを守れ


「総理、少子化対策の本丸は、ここです」

アケミは官邸の執務室で、一枚の資料を机に置いた。


「社会保険料……?」

総理が眉をひそめる。


「消費税を下げても、給与明細の社会保険料の欄を見るたびに若者は希望をなくします。結婚を考えている二十代のカップルが、保険料を引いた後の手取りを計算して、子どもを諦める。そのサイクルを断ち切らないかぎり、出生率は上がりません」


アケミが示したデータによれば、平均的な二十代会社員の社会保険料負担は月に四万円を超えていた。企業側の折半分を含めれば、一人の若い働き手に対して毎月八万円以上が市場から消えていく計算だ。


「まず若年層と子育て世帯を対象とした特例引き下げから入りましょう。同時に、AIロボットを医療と介護の現場に大規模導入する法案を通す。業務を効率化して、将来の医療費を抑制すれば財源の根拠になります」


総理は静かに頷いた。「やってみよう」


しかし翌日から、嵐が吹き始めた。


厚生労働省の審議官が官邸に乗り込んできた。「年金と医療の制度が崩壊します。前例がない。議論が足りない」。常套句が並ぶ。財務省も加わって「財源の見通しが甘い」と口を揃えた。


さらに医師会が動いた。「AIに診察はできない。患者の安全が脅かされる」。その声はマスコミに増幅され、夜のニュースは連日「年金崩壊の危機」の文字で埋まった。


アケミは毎朝、新聞の見出しを読んで苦笑した。「崩壊させているのは今の制度の方なのに」


反論は数字で行うと決めていた。


アケミは経済学者チームと組んで試算を公表した。AIロボットの医療介護導入によって、十年後の社会保障費は現行比で二十三パーセント削減できる。若年層の保険料を引き下げることで結婚・出産が増加し、長期的な税収増によって制度はむしろ安定する。数字は明快だった。


そして、若い世代が動いた。


SNSで「#手取りを返せ」のタグが広がり、二十代三十代の労働者が給与明細の写真をアップし始めた。保険料の欄を赤く囲んだ画像が、一夜にして百万件を超えた。


世論の風向きが変わった。


医師会や厚労省の抵抗は続いたが、総理は法案を国会に提出した。採決の日、議場は静まりかえった。賛成多数。


その夜、アケミは一人の女性からメッセージを受け取った。

「来月から手取りが少し増えます。夫と子どもをつくろうという話ができました」


アケミはそのメッセージを、長い間眺めていた。


---


## 第2フェーズ 賃上げの正体


「社長、今期の決算ですが……」


都内の中小製造業、社員五十人の会社の会議室で、経理担当の桑原が資料を開いた。法人税の引き下げが進み、初めて手元に残る利益が増えた決算期だった。


社長の田村は数字を眺めながら、ふと立ち止まった。「会社が払っている社会保険料って、今いくらだ?」


桑原が計算する。「従業員一人あたり、月に平均三万五千円ほどです。五十人分で、年間で約二千百万円になります」


「その負担が減ったら……」

「直接、賃上げに回せます」


アケミが国会でその論理を展開したのは、法人税の段階的引き下げが軌道に乗り始めた頃だった。


「企業が社会保険料を払えなくなって倒産するケースが、中小企業で年間何件起きているかご存じですか。社会保険料の企業負担分を引き下げれば、その分が従業員の給料に回る。これは理論ではなく、算数です」


財務省は反論した。「社会保険の財源が不足します」


アケミは答えた。「日本のフルーツ輸出は三年で七倍になりました。日本食の世界展開で得られる外貨収入は、今後十年でGDPの一パーセントを超える試算が出ています。税収の構造が変わっています。旧来の計算式で語ることをそろそろやめてください」


法案が通った翌月、田村の会社では全社員に一律月一万五千円の賃上げが実施された。桑原が言った。「社長、社員の何人かが笑っているのを初めて見ました」


出生率の統計が更新されたのは、その半年後だった。一・六七。前年比で過去最大の上昇幅だった。


ニュースキャスターが「この数字をどう見るか」と経済学者に問いた。学者は少し間を置いてから答えた。「手取りが増えると、人は未来を考えるようになるんです。それだけのことです」


---


## 第3フェーズ 保険料の呪縛が解けた日


G7サミットの会議室に、各国首脳が沈黙していた。


日本の総理が示した一枚のスライドには、こう書かれていた。


「社会保険料、現行比五十四パーセント削減。財源:核融合発電による電力輸出収益および海底レアメタル採掘収益」


フランスの大統領が口を開いた。「本当に、これで制度を維持できるのか?」


総理は頷いた。「すでに維持しています」


アケミが国内でこの構想を「ベーシック・インフラ構想」として発表したのは、消費税が二パーセントを切った頃だった。全国に建設された核融合発電所が安定稼働に入り、電力のアジア輸出が始まっていた。海底から引き上げられるレアメタルが新たな基幹産業を生んでいた。


「社会保険料は、長い間、国民の給与明細に刻み込まれた呪いのようなものでした」


アケミは記者会見でそう言った。「消費税を払うとき、人は社会への貢献を感じることができます。でも社会保険料は違う。自分の老後のためだと頭では分かっていても、手取りが減るという痛みしか残らない。その痛みを、今の日本の国力は取り除けるところまで来ました」


財務省は最後の抵抗を試みた。「持続可能性の検証が不十分です。将来世代への負担が……」


アケミは静かに遮った。「将来世代への最大の負担は、子どもが生まれないことです。その問題は、もう数字が答えを出しています」


出生率一・九三。人口動態の転換点を、専門家たちは「令和の奇跡」と呼んだ。


G7の会議室で、ドイツの首相がぽつりと言った。「日本に何が起きたのか、正直まだ理解しきれていない」


隣のイギリス首相が苦笑した。「私もです。ただ、国民が子どもをつくり始めた国が正しいことをしているのは確かだろう」


その夜、総理はアケミに言った。「やり遂げたな」


アケミは首を振った。「やり遂げたのは、給与明細を見ながら諦めなかった人たちです。私たちはただ、その邪魔をしていた壁を壊しただけです」


窓の外に、東京の夜景が広がっていた。その光の一つひとつに、家族がいた。


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