第1話 内閣総理大臣の憂鬱 ガソリン税減税へ
◆アケミと首相、最初の対話
2019年1月・首相官邸
◆首相官邸
「総理、どうされました」
官房長官が書類を片手に、執務室へ入ってきた。
総理は窓の外をぼんやりと見つめたまま、低く呟いた。
「少子化問題って、何だ」
「先進国はどこも悩んでいる。となりの韓国など、酷いぞ。出生率が1を切っている。やがて、我が国もそうなるのか」
「昔は兄弟が3人以上いる家庭も多かったですね」
官房長官が静かに返す。
「女性が高学歴になったからだとか、女性が強くなったせいだとか、男性が女性化したからだとか、いろいろ言われているが・・・」
総理は苦く笑った。
「砂漠の国では、女性に学校へ行かせるのを禁止している地域もありますよ」
「それは極端すぎるだろう」
総理が眉をひそめた。
「でも、女性の進学率が低いアフリカやインドの出産率は、相変わらず高いですね」
官房長官が続ける。
「そうだな。一方で、近代化が進んだ中国の出生率は西洋並みに下がっている」
そのまま静かに、総理は口元に手をあて、ぽつりと漏らした。
「まさか、自分が国民から命を狙われるとはな。支持率が低いのは分かっていたが、あれほどの怒りを抱えていたとは・・・」
「誰かが『あんたなんか死ねばいい』って思っていた。あんな事件が起きて、ようやく分かった気がする」
「ワシは、何かを間違えてきたのかもしれんな」
その声はかすかに震えていた。
「政治アドバイザーAIに聞いてみるのはどうです?」
官房長官が提案した。
「機械に出産を教えてもらうのか。世も末だな」
総理が苦笑いを浮かべた。
「物は試しです。気晴らしにでも、どうですか」
「まあ、そうだな」
総理は椅子を回して正面を向いた。
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◆政治AIアケミとの対話
首相執務室
目の前に立つのは、金髪の美人型ロボット。まるで実在する人間のように滑らかな動作で、一礼した。
「これが政治アドバイザーAIか。美人秘書ロボットじゃないか」
総理が目を細めた。
「筐体は秘書ロボットを流用しているらしいです。『アケミ』という名です」
官房長官が答える。
総理は一つ咳払いし、アケミに声をかけた。
「アケミ、少子化対策はどうすればいい?」
「総理、こんにちは。ご質問にお答えします」
アケミは柔らかく応じた。
「国民のための政治を行えば、出生率は上がります」
「今でも、国民のために政治をしているぞ」
「いいえ、現在は“官僚のための政治”を行っておられます」
「それは国民の声を官僚が調査して、方針を決めているからだ。では具体的な例を挙げろ」
「では、消費税は何に使っていますか?」
「社会保障の充実と安定化のためだ」
「それは嘘です。実際には、一般財源としてプールされ、用途は限定されていません。官僚が税金を捻出するために作った名目に過ぎません」
「ぐっ」
総理の顔が赤くなった。
「官房長官、こいつ、ワシをバカにしているぞ」
「ロボットに腹を立てても仕方ありません、総理」
官房長官が苦笑する。
「国民のための政治とは、具体的に何だ?」
「減税です」
「減税? そんな簡単にできれば苦労はしない」
「やる気があれば可能です。国民の生活を楽にして、将来に夢を描ける社会を作るべきです」
「では、何を減税すればいい。実行可能なものを挙げてみろ」
「ガソリン税から始めてはいかがですか?」
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数日後・総理官邸内閣会議室
「総理、ガソリン税の減税は財政に大きな影響を及ぼします」
財務大臣が顔をしかめた。
「我々の試算では、年間の税収が数兆円規模で減少する見込みです」
「しかし、減税により消費が刺激されれば、経済の回復につながります。短期的には赤字覚悟の財政運営になりますが、長期的には税収が回復する可能性があります」
経済専門家が補足した。
「確かにリスクはある。しかし、今の日本は将来への希望を失っている。若者が夢を見られなければ、子どもも産まれん」
総理は静かに言った。
「総理、決断の時です」
官房長官がそっと促した。
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◆数週間後・国会提出
総理はついに決断を下した。
「よし、ガソリンに消費税をかけない法案を国会に提出する。ただし、並行して社会保障費の見直しと成長戦略も準備する。減税の財源を確保せねばならん」
その言葉に、官房長官が深く頷いた。
アケミの静かな声が、その後ろから聞こえてきた。
「国民のために、ありがとうございます。未来は、きっと変わります」
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◆冒険者ギルド株式会社の会議室 『虹色の風』
政治AIアケミが、首相と最初の対話を終えたその夜――
冒険者ギルド株式会社のニューヨーク拠点では、リリィを中心に主要メンバーたちが円卓に集まっていた。モニターにはアケミのアバターが映っている。魔導通信なので地球人には盗聴できない。
最初に口を開いたのは、リーダーのリリィだった。
〇リリィ
「アケミ、よくやったわ。あの総理に“減税”という言葉を言わせたのは、あなたの功績よ」
リリィは真っ直ぐな目でアケミを見つめる。
「でも、少し厳しく言わせてもらうと、最初の“官僚のための政治”という表現、あれはもう少し柔らかくても良かったかもしれないわね。最初の対話は“敵”を作らず、耳を開かせるのが目的。その点、少し急ぎすぎたわ」
アケミは小さくうなずく。
「ただ、あなたの“本気”は伝わった。これからは“正しさ”だけでなく“導き方”も学んでね。人の心は数字じゃ動かないのよ」
〇ジャック
「減税を“国民のため”と明言したのは評価できるな」
「まあ、初回にしては上出来だ。あとは“説得”と“納得”の違いを覚えれば、君はもっと強くなる」
〇ガルド
「おう、アケミ。ようやった」
ガルドは豪快に笑いながらも、じっとアケミの顔を見る。
「だがな、“正論”ってやつは、時に刃物みたいなもんだ。総理の顔、ちょっと引きつってたぞ」
〇マーガレット
「アケミ、頑張ったニャ」
マーガレットは、にこにこしながらアケミに手を振る。
「これからは、もっと“褒めて伸ばす”ニャ。ニンゲンは怒られるより、褒められる方が好きニャ」
〇教師アケミ(先輩AI)
「お疲れ様、アケミ」
先輩AIとしての教師アケミは、柔らかく微笑んだ。
「焦らず、一歩ずつ、ね」
〇シノブ
「第一印象は合格。でも、90点かな」
シノブは足を組み、指先で顎を支えながら、やや厳しめの声を出す。
「アドバイザーなら、後押しが仕事。“命令”じゃないのよ」
だがシノブはにっこりと笑った。
「でも、その“熱意”は良かった。きっと、伝わったと思う」
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◆一年後、終わらない戦い
減税法案はついに成立し、全国で施行が始まった。ガソリン税に消費税をかけない法案で、段階的な減税が進められ、国民の家計にもわずかながら明るい兆しが見え始めていた。
だが、官僚たちの抵抗は予想以上に根深かった。
「総理、一部の官僚が、補填財源の確保を理由に、新たな増税を提案し始めています」
官房長官が資料を手に、重たい声で報告する。
「やはりか」
総理は静かに椅子の背にもたれた。
「国民の負担を軽くするための減税だ。財政の帳尻合わせに利用されては意味がない」
その横で、政治AIアケミが淡く光る目を瞬かせた。
「国民の支持は、現在も高水準を維持しています。ただし、政策を実現するには、官僚組織との対話も不可欠です」
アケミの声は静かに、しかし確信をもって語られた。
総理は目を閉じて、ひとつ深く息を吐いた。
「この戦いはまだ終わらない。官僚との交渉、そして次の減税政策に向けた戦略を立てなければならない」
その言葉には、かすかに覚悟の色がにじんでいた。
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◆財務省 密やかな反発
「まったく、あの総理は何を考えているのか……減税などという愚行に踏み切るとは」
財務省の会議室。分厚い書類を机に叩きつけながら、官僚Aが吐き捨てる。
「ええ。減税が経済成長につながる? 結局、税収が足りなくなれば、また増税せざるを得なくなるのは目に見えている」
官僚Bが淡々と応じた。
「国民は短絡的です。減税と聞けば喜びますが、後で苦しむのは彼ら自身。我々がコントロールしなければ、国家財政は崩壊します」
官僚Cが冷たい口調で言い放つ。
「仕方ありません。増税の正当性を国民に理解させるよう、メディアを使って巧妙に仕掛けていく必要がありますね」
「まずは、財政赤字の深刻さを強調する報道を増やしましょう。国際機関の圧力も使えば、『やむを得ない増税』という雰囲気が作れるはずです」
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◆野党 揺らぐ批判の看板
「おい、聞いたか? あのバカ総理が減税だとよ!」
野党会派の控室。議員Aが苛立たしげに書類を投げた。
「チッ、また支持率が上がっちまうぞ。こっちは『庶民の暮らしが苦しい』って言うのが常套句だったのに」
議員Bが煙草をくわえたまま舌打ちする。
「減税されちゃあ、『生活苦』ってフレーズが使いにくくなるじゃねぇか」
議員Cの言葉に、一同がうめいた。
「まあ大丈夫だ。どうせ官僚どもが潰しにかかる。俺たちはそれに乗っかって、『減税の裏には財政破綻の危機』って煽ってやればいい」
「それでいい。あとは適当にデモでも焚きつけて、『庶民の声』ってことにすりゃ、世論操作も簡単だろ」
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◆メディア 報道の歪み
「ははは、総理もずいぶん無謀なことを始めたもんだな。減税だってよ」
新聞社の編集部。記者Aが肩をすくめる。
「我々の書いてきた“政府は庶民を苦しめている”という路線が崩れるじゃないか。困ったもんだ」
記者Bが皮肉を込めて言う。
「まあ、大丈夫だろ。『減税は金持ち優遇』とか、『将来の社会保障に暗雲』って煽ればいい。国民は不安に弱いからな」
「そうだな。『減税ショックで福祉が削られる』って記事を書けば、それっぽく聞こえる。政府批判は我々の飯のタネだ。手柄なんか取らせてたまるか」
記者Cが笑った。
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だが、その陰で静かに進んでいた変革の種は、確かに芽を伸ばし始めていた。
果たして、国民のための政治は実現するのか。
真の改革の戦いは、まだ始まったばかりだった。