第0話 内閣総理大臣の憂鬱 プロローグ
◆総理 安原晋太郎、撃たれる
午前十一時、蝉の鳴き声が駅前の街路に溶け込んでいた。
安原晋太郎総理は、参議院選挙の応援演説のため、東京都内の某駅前に立っていた。
いつも通り、秘書官や警護の内閣警察官が周囲に目を光らせる中で、演説は始まった。
「今、日本は変わろうとしています。誰もが努力すれば、報われる社会を・・・・」
その言葉が途切れる直前、乾いた破裂音が、響いた。
一瞬、時間が止まった。
総理の首元と胸元をかすめた銃弾。防弾素材が衝撃を吸収し、幸いにも軽傷で済んだ。
叫び声と悲鳴、倒れ込む人々の中で、一人の男が取り押さえられていた。
それは、怒りに歪んだ顔で、「政治が俺の家族を壊したんだ!」と叫ぶ青年だった。
男の手には粗末な自作散弾銃。
後日警察の調べでは、彼は生活苦の中、家族が崩壊し、支援も救済も届かず、絶望の果てにこの凶行に及んだという。
男を確保したのは、偶然その場にいた国際警察官。彼の素早い制圧がなければ、命を落としていたかもしれなかった。
・・・
病院のベッドに身を横たえながら、安原晋太郎は天井を見つめていた。
命は助かった。痛みもそれほどではない。しかし、心は深く傷ついていた。
「私は、総理として、できることはやってきたはずだ」
誰に言うでもなく、声が漏れた。
子どもたちの教育、失業者の救済、地方再生、難民の受け入れ。
日々、昼夜を問わず政策を考え、国民のために尽くしてきたつもりだった。
「なのに、命まで、狙われるなんて、この美しい国、日本で銃撃されるなんて」
拳が震える。
「政治が、犯人をここまで追い詰めたのか?
それとも、私のやり方に何か、見落としがあったのか?」
自問自答を繰り返す。
秘書官が静かに病室のドアを開けた。
「総理、マスコミが騒いでいます。海外の首脳からも多数、お見舞いの連絡が・・・・」
「少し、時間をくれ」
その目は、普段の安原晋太郎とは別人のように、深く揺れていた。
・・・
夜、窓の外には雨が降り出していた。
ふと、彼の手元にあったのは、あの犯人の陳述書の一部だった。
彼の家族は長年、地方で貧困と病気に苦しみ、救いの手が届かなかった。
「見ていなかったのは、私の方かもしれないな・・・・」
その一言は、政権の頂点に立つ人間の、弱さと、そして新たな決意の始まりを告げていた。